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夢幻開現師―悪夢を断つ者―  作者: ks21
第零章「胡馬北風《中》」
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第106話「窮怨奇」

 風塵鴉鎚《ふうじんがつい》を覆っていた黒錆が、風に巻き上げられていく。


 剥がれ落ちた錆は黒い粒子となり、旋回する風そのものを漆黒へ染めた。


「よお――待たせたな」


 風切り音の中、笠井の声が響く。


「なるほど……」


 狂医者は、深化覚醒へと至った笠井を見据えた。


「消えかけた命が、最後に一際強く燃え上がったというわけか!!」


 残された腕が、一斉に持ち上がる。


「だが、所詮は最後の悪あがき!! すぐに燃え尽きて、私の検体となりなさい!!」


 一気に距離を詰めた。


 鋏。


 メス。


 電動ノコギリ。


 ありとあらゆる凶器が、笠井へ殺到する。


 しかし――。


 ガリッ!!


「…………!?」


 狂医者の動きが止まった。


「な……」


 鋏を握っていた右腕の一本が――消えている。


「なんだ、これは……!?」


 切断されたのではない。


 断面は、巨大なヤスリで無理やり削り取られたように荒れていた。


(斬られたんじゃない……削られた!?)


「おのれえええッ!!」


 シュッ!!


 メスを投げ放つ。


 一直線に笠井の眉間へ迫る刃。


 だが――。


 ガッ――。


 周囲を巡る黒い風が蠢いた。


 黒錆鉄爪《こくじょうてっそう》。


 黒い粒子のうねりがメスを呑み込み――。


 ガリガリガリッ!!


 跡形もなく削り取る。


「…………!」


 狂医者が僅かに後ずさった。


 何が起きているのか分からない。


 それが――恐ろしい。


「あ……ああああああああッ!!」


 一方、笠井は驚くほど冷静だった。


「…………」


 身体は軽い。


 力が溢れている。


 胸の奥から高揚感が湧き上がってくる。


 それなのに――。


(……なんだ、これ)


 思考だけが、嫌になるほど澄み切っていた。


「ガキがァ!! 舐めくさりよってええええッ!!」


 シュシュシュシュシュッ!!


 狂医者が無数のメスを投げ放つ。


「…………」


 笠井は動じない。


 右手を持ち上げ、迫る銀光を指し示した。


 途端――。


 ガリガリガリガリッ!!


 黒い風が渦を巻き、メスの群れを包み込む。


 銀の刃が次々と削り取られていった。


(なるほど……)


 笠井は、自らの力を理解し始める。


(広げれば――削る)


「おのれえええええええッ!!」


 狂医者が再び腕を振り上げる。


「――もう、それは落とさせてもらう!」


 ドンッ!!


 笠井が風塵鴉鎚を振り抜いた。


 今度の風は広がらない。


 一点へ。


 真っ直ぐに。


 黒い蛇のような風が、狂医者の二の腕へ食らいつく。


 ガリッ!!


 表面を削り。


 露出した内部へ食い込み。


 さらに奥へ――。


 ガガガガガガガッ!!


「いぎいいいいいいいいッ!!」


 黒き風が二の腕を抉り抜いた。


 ブチッ!!


 腕が宙を舞う。


「ぐああああああッ!!」


(広げれば――削る)


(そして、絞れば――穿つ)


「……そういうことか」


 笠井の口元が僅かに上がった。


 荒れ狂う風とは裏腹に、その瞳だけはどこまでも冷静だった。


 だが――。


「はあ……はあ……」


 呼吸が荒い。


(……やっぱ、そう簡単じゃねえか)


 黒錆鉄爪は強力だった。


 だが、僅かでも意識を逸らせば、黒き風は一気に荒れ狂う。


 抑えるか。


 放つか。


 今の笠井には、その狭間を行き来するだけで精一杯だった。


「……強力すぎんだろ、これ」


「きうやあああああああああ!!」


 狂医者が休む間も与えまいと、残った凶器を振り回す。


「ちッ!!」


 黒き風で受け流す。


 そのたびに、頭の奥が焼けるように熱くなる。


(このままじゃ、長く保たねえ)


 二年前なら、力ずくで突破しようとしていただろう。


 だが――今は違う。


 ここにいるのは、笠井一人ではない。


「なら――!」


 狂医者の一撃を躱し、大きく後方へ跳ぶ。


「お前らも、とっとと起きやがれ!!」


 ガリガリガリッ!!


 二筋の黒き風が、小水内と七瀬を縛る糸だけを削り取った。


 ブチッ!!


「――ッ!」


「ぐッ……!」


 二人の身体が床へ落ちる。


「……亮の野郎、簡単に言いやがって」


 七瀬が歯を食いしばりながら立ち上がった。


「ふん……勝手にリーダー面をするな」


 小水内も慚愧彗星剣《ざんきすいせいけん》を支えに身体を起こす。


 二人とも足元は覚束ない。


 笠井も、震える腿を拳で叩いた。


「全員、気合入ってるじゃねえか……」


 誰も口にはしない。


 だが、分かっていた。


 これが――最後の勝負だ。


「なるほど……」


 狂医者が血走った眼をぎらつかせる。


「どうやら君たちは、よほどの“バカ”らしい」


 黒い糸が張り詰めた。


「“バカ”は手術をしたところで治らん!!」


 患者たちが虚ろな瞳のまま動き出す。


「ならば――死んで、その身体だけを私に提供したまえ!!」


 ピンッ!!


「うおおおおおおおッ!!」


 患者たちが一斉に飛び込んできた。


「ああ! めんどくせえ!! だったら、あの親玉をぶっ潰すぞ!!」


「ああ。その方が手っ取り早い!!」


 七瀬と小水内が狂医者へ向かおうとした――その時。


「待て! “あれ”は本体じゃねえ!!」


「笠井、それはどういう意味だ?」


 小水内が患者の拳を刀身で受け止める。


「さっき戦ってて感じた。あいつはただの器だ。本体は別にいる!」


「確かなんだろうな!?」


「さあな。そう感じたとしか言えねえ」


「無責任な……」


「じゃあ、どうすんだよ!」


「正直に言う。俺じゃ、本体がどこにいるのかまでは分からねえ」


「…………」


「…………」


 二人が一瞬、面食らう。


「……どうする、悠?」


「ふん」


 小水内は黒い糸を一本切断した。


「癪だが――笠井の勘は鋭い」


「お前も、ほんっと素直じゃねえな!」


「君にだけは言われたくない」


「なら――」


 七瀬が乱武炉《らんぶろ》を構えた。


「本体は俺たちで探す! 亮、お前はあのイカレ野郎を抑えとけ!!」


「ああ!」


 笠井が風塵鴉鎚を振り抜いた。


 黒き風が狂医者へ走る。


「バカめ! 同じ手を何度も食らうものか!!」


 患者たちが、狂医者の前へ引き寄せられる。


「ちッ!?」


 笠井が軌道を逸らそうとした瞬間――。


「亮!!」


 七瀬が前へ飛び出した。


「お前は何も考えず突っ込め!! フォローはこっちで請け負う!!」


「おっりゃああああああッ!!」


 ガンッ!!


 点滴スタンドを乱武炉で弾く。


 別の患者の腕を掴み、横へ流す。


 人垣に一瞬だけ穴が開いた。


「今だ、亮!!」


「ああ!!」


 黒き疾風が、その隙間を突き抜ける。


「はッ!? 先ほどより風の勢いが――」


 違う。


 その中に――。


「はあああああああッ!!」


「なッ!?」


 笠井が飛び出した。


 ガアアアンッ!!


 風塵鴉鎚が振り下ろされる。


「ぬうううううッ!?」


 狂医者は残された腕で辛うじて受け止めた。


「逃がさねえよ!!」


 完全に食らいつく。


(ならば、患者どもを――!)


 狂医者が糸を引いた。


 だが――。


「おいおい!!」


 呼び戻される患者たちの前へ、七瀬が立ちはだかる。


「俺を置いて、どこ行こうってんだよ!!」


「ぐぬ……! ならば、まずは奴からだ!!」


 患者たちが七瀬へ殺到する。


 点滴スタンド。


 松葉杖。


 椅子。


 ガガガガガンッ!!


「ぐッ!?」


 七瀬は乱武炉で受け止める。


 だが、抉られた右肩は限界に近い。


「だったら――!」


 ボウッ!!


 足元から炎が噴き上がった。


 熱気に押され、患者たちの足が止まる。


「しゃあああああッ!!」


 その隙へ飛び込む。


 武器を弾き。


 腕を受け流し。


 身体を割り込ませ、進路を塞ぐ。


(悠が本体を見つけるまで――こいつら全部、俺が引き受ける!!)


 笠井が狂医者を抑える。


 七瀬が患者たちを引きつける。


 小水内が、本体を探す。


 打ち合わせなどしていない。


 それでも、三人は自分の役割を理解していた。


 何度もぶつかり、失敗し、競い合った。


 その日々が、今の三人を動かしている。


「これなら……行けるッ!!」


 その時――。


「…………?」


 七瀬の胸の奥で、何かが熱を帯びた。


 疲労とも、自らの炎とも違う。


 もっと深い場所から、何かが這い上がってくる。


(なんだ……これ)


「よっしゃああああ!! どんどん来やが――」


 ドンッ!!


「なッ!?」


 背中へ強烈な一撃が叩き込まれた。


 患者たちの中から現れたのは――三人の開現師。


 潜行部隊の者たちだった。


「てめえら……!」


 ドゴッ!!


「がッ!!」


 腹部へ拳。


 続いて脚を蹴り払われる。


「ぐッ……!」


 片膝をついた瞬間――。


 ブオンッ!!


「――ッ!?」


 回し蹴りが顔面へ直撃した。


 七瀬の身体が吹き飛ぶ。


「月樹ッ!!」


 笠井が叫ぶ。


「ホホホホッ!!」


 狂医者が進路を塞いだ。


「お前に奴のもとへは行かせんぞ!!」


「どけッ!!」


「貴様はここで――仲間の死を見届けろ!!」


「ちいいッ!!」


 離れれば、均衡が崩れる。


 笠井はその場を動けない。


 一方――。


(くそッ! どこだ!!)


 小水内は視線を走らせる。


 糸。


 狂医者。


 患者。


 壁。


 床。


 天井。


(本体は……どこにいる!!)


 ガンッ!!


「ぐあッ!!」


「…………!」


 思わず七瀬へ視線が向いた。


(七瀬……!)


 焦りが、思考を乱していく。


 ◇◇◇


 何度も振り下ろされる鉄パイプ。


 折れても。


 折れても。


 残った木片までが、身体へ叩きつけられる。


「…………」


 もう、痛みすらよく分からない。


 生きているのか。


 死んでいるのか。


 それでも――薄れゆく意識の奥で、燃え続けるものがあった。


 心も身体も焼き焦がすほどの――“熱”。


 七瀬は、その正体を知っていた。


 ――『怨み』。


 自分の生まれ。


 血筋。


 どれだけ努力しても、認めようとしなかった大人たち。


 消えることのなかった感情は、いつしか怨念の炎となって七瀬を焼き続けていた。


 だが、七瀬はそんな自分を恥じていた。


 みっともない感情なのだと思っていた。


 本家から誹りを受けた時も。


 矢野のもとで暮らすようになってからも。


 母や妹のためだと言い聞かせ、その感情へ蓋をしてきた。


 ――そのはずだった。


 南の下で修業を始め、笠井と小水内に出会って――全部が狂った。


(あいつらのせいで……)


 暗闇の中、二人の姿が浮かぶ。


(俺は――こんなみっともねえ自分と、向き合わなくちゃいけなくなったんだ)


 それまで、誰かを追いかけたいと思ったことなどなかった。


 なのに現れた。


 自分と同じ歳の二人。


 悔しかった。


 腹が立った。


 嫌になるほど嫉妬した。


 それでも――。


(もっと……)


 もっと見たい。


 あいつらが、どこまで行くのか。


(俺も――そこまで行きてえ)


 胸の奥の炎が、さらに熱を増す。


 置いていかれていいのか?


 また物分かりのいい顔をして。


 仕方がないと諦めて。


 クソみたいな大人どもに馬鹿にされたままで――。


(終われるかよ……!!)


 七瀬は、自らの内に燃える炎へ手を伸ばした。


 触れた途端――赤い火が、その手へ燃え移る。


 皮膚がただれ。


 血が蒸発し。


 爪が剥がれ落ちる。


「……そうじゃねえだろ」


 七瀬には分かっていた。


 これは違う。


 自分がずっと表に見せてきた――偽りの火。


 焼け爛れた腕を、さらに炎の奥へ突き入れる。


「すかした火なんて――燃やしてんじゃねえ!!」


 轟ッ――!!


 炎が一気に膨れ上がった。


 肉を焼き。


 骨を軋ませ。


 七瀬の全身を呑み込む。


 やがて、黒ずんだ骸のような影だけが残った。


 だが――。


 なおも伸ばされた手から、僅かな光が漏れる。


 赤い炎が――紫へ変わった。


 妖しく。


 激しく。


 何よりも深い熱を宿した炎が、暗闇を照らし出す。


「随分と待たせちまったな」


 紫炎の奥。


 巨大な獣の輪郭が、ゆっくりと浮かび上がった。


 ◇◇◇


 患者たちが一斉に凶器を振り上げる。


「くそッ!!」


「……くッ!?」


 笠井と小水内が駆け出そうとした――その瞬間。


 ゴオオオオオオオオオッ!!


 紫炎が爆ぜ、患者たちを包み込んだ。


「おいおい――」


 炎の中。


 七瀬が立ち上がる。


「俺がこの程度で伸びたと思ったのかよ?」


「ぬッ!?」


 狂医者が目を見開いた。


「糸が切れた!?」


 いや――違う。


(焼き切ったのか!?)


 患者たちを繋いでいた黒い糸だけが、紫炎によって次々と焼け落ちていた。


「さあ――」


 七瀬の全身に炎が渦巻く。


「どんどん燃やしていこうぜ!!」


 口元が不敵に吊り上がった。


「怨みの炎ってやつをな!!」


 紫炎が背後で膨れ上がる。


 太く逞しい四肢。


 巨大な胴体。


 二股の尾。


 そして――虎の貌。


「悪鬼召喚――」


 七瀬が、その名を呼ぶ。


「窮怨奇《グラングル》!!」


「ガアアアアアアアアッ!!」


 紫炎の悪鬼が咆哮した。


「行け、窮怨奇!!」


 ゴオッ!!


 紫の軌跡を残しながら、窮怨奇が患者たちの間を駆け抜ける。


「ぐぬぬ……!? このままでは――」


 狂医者が慌てて糸を操る。


「お前の思い通りになると思うなよ!!」


 ガガガガッ!!


「ぬうッ!?」


 笠井の黒き風が、狂医者へ襲いかかった。


 辛うじて躱す。


 その一瞬――。


 黒い糸が緩む。


「今だ!!」


 轟ッ!!


 紫炎が患者たちの間を駆け抜けた。


 次々と、黒い糸だけが焼け落ちていく。


「しゃあッ!! これで一気に畳みかけるぜ!!」


 だが――。


「ッ!」


 複数の影が七瀬へ飛び込んできた。


 潜行部隊の開現師たち。


 窮怨奇の攻撃を察知し、患者たちの中から離脱していたのだ。


 ブンッ――!!


「ガアアアアッ!!」


 窮怨奇が七瀬との間へ割って入り、二股の尾を薙ぎ払う。


「ッ!!」


 開現師たちは寸前で跳び退いた。


「ああ……」


 七瀬が乱武炉を握り直す。


「さすがに一気に決着とはいかねえか」


 身体は限界に近い。


 それでも、笑みは消えない。


「さあ!!」


 七瀬が叫ぶ。


「後はお前だけだぞ――悠!!」


「……うるさい」


 その声を背中で受けながら、小水内はゆっくりと慚愧彗星剣を構えた。


「こっちも――見つけたさ」

次回予告


 笠井に続き、自らの悪鬼と向き合った七瀬。


 紫炎の獣・窮怨奇と共に、操られた者たちを解放していく。


 残るは――小水内悠。


 悪鬼の本体を見つけ出しながらも、その胸には未だ消えない焦りがあった。


 笠井より強く。


 七瀬より優れた存在に。


 誰かと比べることで、自らの価値を証明し続けてきた小水内。


 そして彼は気づく。


「僕が、お前を弱いって決めつけてたのか……?」


 ずっと否定してきた、小さな悪鬼。


 その存在を受け入れた時――白き雷光が戦場を駆け抜ける。


 次回、第107話「北辰尊星」

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