↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢幻開現師―悪夢を断つ者―  作者: ks21
第零章「胡馬北風《中》」
PR
107/108

第107話「北辰尊星」

「本体を捕捉した!!」


 小水内は慚愧彗星剣《ざんきすいせいけん》を構え、ストレッチャーめがけて切っ先を突き出した。


 ギュルルルッ――!!


「ちッ!!」


 だが、寸前でストレッチャーがひとりでに走り出す。


 右へ。


 左へ。


 まるで意思を持っているかのように、廊下を駆け回った。


「逃がすか!!」


 小水内も追う。


 何度も刃を突き立てようとするが――。


 ギュルッ!!


「くッ……!」


 あと一歩のところで躱される。


「…………」


 小水内は横目で、二人の姿を見た。


 狂医者の器へ食らいつき続ける笠井。


 操られた開現師たちを相手に、紫炎を燃やし続ける七瀬。


(笠井も……七瀬も……)


 とうに限界を超えている。


 それでも、二人は止まらない。


(なら――)


 小水内は慚愧彗星剣を握り直した。


「この一撃で……仕留めるしかないか」


 静かに息を吐き、意識を自らのさらに深い場所へ沈めていった。


 ◇◇◇


 暗闇。


 小水内は以前にも、この場所へ来たことがある。


 自らの内に巣食う悪鬼とも、すでに一度会っていた。


「…………」


 暗闇の奥。


 白い装束を纏った小さな童子が、背を向けて座っている。


「おい」


 返事はない。


「お前の力――今日こそ借りに来たぞ」


「…………」


 それでも、童子は振り返らない。


「くそッ……!」


 奥歯を噛み締める。


(なんで、こいつはこんなに弱いんだ)


 笠井の黒鴉のような威圧感もない。


 七瀬の炎のような荒々しさもない。


 ただ、小さく。


 弱々しく。


 背中を丸めている。


(なんで――僕の悪鬼がこんなに弱いんだ!!)


「なんでだよ!!」


 腹の底から感情が込み上げる。


 怒り。


 ――違う。


 自分でも分かっている。


 これは、怒りなんかじゃない。


「なんで僕は――あいつらに追いつけないんだよ!!」


 身体が震える。


 焦り。


 嫉妬。


 笠井には何があって。


 七瀬には何があって。


 自分には――何がない?


(僕が、開現師の家に生まれていないから?)


(才能が足りないから?)


(そもそも――僕はあいつらより弱いのか?)


「…………ッ!」


 それだけは、認めたくなかった。


「なんで、お前はこんななんだ!!」


 怒声に、童子の肩がびくりと震える。


「なんでお前は――他の奴らと違うんだよ!!」


 声まで震えていた。


 気づけば、頬を涙が伝っている。


「なんで……」


 悔しかった。


 追いつきたかった。


 置いていかれたくなかった。


「なんで僕は……こんなに醜いんだ」


 笠井へ向けた棘のある言葉も。


 七瀬を見下すような態度も。


 すべて――。


 二人に負けたくない自分を隠すためだった。


 自分には才能がある。


 自分ならできる。


 そう思っていなければ――怖かった。


「…………」


 そこで、ようやく気づく。


 才能。


 素質。


 生まれ。


 できる者と、できない者。


 ずっと人間を、そうやって分けてきた。


 自分自身も。


 そして――目の前にいる、この小さな悪鬼まで。


「…………あ」


 弱いから。


 みっともないから。


 他と違うから。


 だから――認めなかった。


「僕が、お前を弱いって決めつけてたのか……?」


 小水内は、ゆっくりと首を振った。


「違う……」


 頬を伝った涙が、眼鏡のレンズへ落ちる。


「僕が――弱かったんだ……」


 虚勢も。


 妬みも。


 焦りも。


 すべて、弱い自分を隠すための壁だった。


 どれだけ身を固めても、それでは二人には追いつけない。


 何より――そんな自分を、自分自身が認められなかった。


 その時。


「…………?」


 そっと、小さな手が小水内の手に触れた。


 顔を上げる。


 白い装束の童子が、いつの間にか傍らに立っていた。


「お前……」


 もう、分かっている。


 必要だったのは、より強い力でも、優れた才能でもない。


 ただ――今の自分を認めること。


「随分と……時間がかかってしまったな」


 小水内は立ち上がった。


 童子が、心配そうに見上げている。


「大丈夫」


 微かに笑う。


「もう迷わない」


 その小さな頭へ手を置いた。


「もう――お前を否定しない」


 優しく撫でる。


「悪かったな――北辰尊星《ほくしんそんしょう》」


「…………!」


 北辰尊星は驚いたように目を見開き――。


 やがて、満面の笑みを浮かべた。


 ◇◇◇


 ガラガラガラ――!!


 走り続けるストレッチャーの布がめくれ、その下から一人の男が姿を現した。


「ひぃ……ひぃ……!」


 悪鬼の本体。


 痩せ細った男は、ストレッチャーから突き出した両腕で床を蹴り、さらに速度を上げる。


「完全に見つかったと思ったが……どうやら、もう動けねえようだな!!」


 背後を振り返る。


 笠井の動きは明らかに鈍っていた。


 狂医者の猛攻を捌き切れず、身体には新たな傷が増えている。


 七瀬の傍らに立つ窮怨奇《グラングル》も、その輪郭が揺らぎ始めていた。


(このまま逃げ切れば――あいつらの方から勝手に潰れる!!)


 男は狂医者へ繋がる黒い糸を強く引いた。


「殺せ!! さっさとそいつらを殺せええええッ!!」


 その命令に応じ、狂医者が笠井へ猛攻を仕掛ける。


「…………」


 笠井は風塵鴉鎚《ふうじんがつい》を振るい、辛うじて凌ぐ。


 だが、もう長くは保たない。


「へッ……!」


 男の口元が吊り上がった。


「そんな付け焼き刃で、俺に勝てるかよ!!」


 男には、自分が負けるはずがないという確信があった。


 両親も祖父も医師。


 幼い頃から、自分も医師になるものだと疑わず、そのための努力も重ねてきた。


 家柄。


 学力。


 才能。


 努力。


 どれも、人並み以上。


 だからこそ、いつしか信じるようになった。


 ――自分は、他の人間とは違う。


 だが、医学部へ進んだことで初めて現実を突きつけられた。


 自分など――所詮、平均程度。


 努力はできる。


 だが、他者を圧倒するほどの才能はない。


 研修医として入ったこの病院でも、自尊心は傷つけられ続けた。


 先輩に扱き使われ。


 医者でもない看護師たちには、陰で無能と笑われる。


 そして何より――そんな連中を見返せない自分が、許せなかった。


 そんな時、夢の中で漆黒の果実を渡された。


 誰からだったのかは、もう覚えていない。


 ただ――それを食べれば、すべてを見返せる。


 そう確信した。


(やっと……)


 男が歯を食いしばる。


(やっと手に入れた力なのに――!!)


「てめえらみてえな凡骨に!!」


 男が叫んだ。


「この俺様が――負けると思うなああああッ!!」


 バチッ!!


「…………!?」


 背後から、激しい稲光が迸る。


 男が振り返った。


 そこに――。


 小水内が立っている。


 慚愧彗星剣を顔の前へ掲げ、逃げるストレッチャーを真っ直ぐに見据えていた。


「…………」


 もう、焦りはない。


 笠井より強いのか。


 七瀬より才能があるのか。


 そんなことは――どうでもいい。


 今、自分がやるべきこと。


 それだけを見る。


「悪鬼招来――」


 バチッ――!!


 雷光が弾ける。


 小水内の頭上へ、白い装束の童子が舞い降りた。


 北辰尊星《ほくしんそんしょう》。


「行こう」


 小水内が静かに告げる。


「今度は――一緒に」


「…………!」


 北辰尊星が笑う。


 その姿が光となり、小水内の身体へ重なった。


 バチバチバチバチッ!!


「星辰流燈衣《せいしんりゅうとうえ》ッ!!」


 瞬間――。


 深化覚醒《しんかかくせい》。


 眩い閃光が、病院の廊下を白く染め上げた。


「…………!」


 その光を見た七瀬が、口元を吊り上げる。


「亮ッ!!」


「ああッ!!」


 笠井も、その一言で意図を理解した。


「行くぞ、窮怨奇《グラングル》!!」


 七瀬が一気に攻勢へ転じる。


 轟ッ!!


 窮怨奇は二股の尾を旋回させ、操られた開現師たちへ叩きつけた。


 ダンッ!!


 紫炎が廊下を駆け抜ける。


 三人の開現師が一斉に宙へ跳んだ。


 そこへ――。


「はあああああああッ!!」


 七瀬が飛び込む。


 両手に握る二振りの釵――乱武炉《らんぶろ》へ、窮怨奇の紫炎が燃え移った。


 狙うのは、三人の中央に立つ開現師。


 最も動きに無駄がなく、一目で手練れと分かる相手だ。


 残る二人が、七瀬を止めようと動く。


 だが――。


 ボウッ!!


「ッ!?」


 一人を操る黒い糸へ、窮怨奇の鬼火が食らいついた。


 ジュッ!!


 糸だけが焼き切れる。


 開現師が、その場へ崩れ落ちた。


「ガアアアアアアッ!!」


 続けて窮怨奇が、もう一人へ飛びかかる。


 紫炎が黒い糸を焼き尽くし、二人目も倒れた。


(窮怨奇も消えた――)


 役目を終えた紫炎の獣が霧散する。


 残るは、一人。


「しゃらあああああああッ!!」


 七瀬が右の乱武炉を振り抜く。


 ガンッ!!


 最後の開現師が、その一撃を受け止めた。


 だが――。


「甘えよ!!」


 すでに左手が動いている。


「こいつぁ――二撃必殺だ!!」


 紫炎が螺旋を描きながら巻き上がった。


「焔嗟崩し《えんさくずし》!!」


 轟ッ!!


 一撃が腹部へ叩き込まれる。


 その衝撃と共に紫炎が黒い糸へ走った。


 ジュウッ!!


 支配の糸が一斉に焼き切れる。


 最後の開現師が崩れ落ちた。


「亮、やっちまえ!!」


 自らの役目を果たし、七瀬もその場へ倒れ込む。


「ああ!!」


 すでに笠井は、最後の一撃を放つ準備を整えていた。


 黒き旋風が全身を渦巻く。


 風塵鴉鎚の周囲を、無数の黒錆が舞う。


「…………ッ!」


 狂医者の身体が震えた。


 笠井から放たれる圧に、本能が告げる。


 ――次で終わる。


 そして、その恐怖は、本来、命令に従うだけの狂医者にさえ、逃走という意志を芽生えさせた。


「なッ!?」


 狂医者が踵を返す。


「お、おい!! 勝手に逃げるな!!」


 宿主の命令を無視し、一目散に走り出した。


 だが――。


 それは、ある意味で宿主自身を映していた。


 男は決して“持たざる者”ではない。


 人並み以上のものを持ち、努力も競争も経験してきた。


 だが――勝てないと分かった相手へ、それでも食らいついたことがあったか。


 自分より遥か先を走る者へ、みっともなく追いすがったことがあったか。


 ――ない。


 勝てないと分かれば、理由をつけて降りる。


 男は、本当の意味で誰かと競ったことなど一度もなかった。


「…………」


 笠井は逃げる狂医者の背を捉え、風塵鴉鎚を構える。


「逃げたところで――」


 黒風が一点へ集まった。


 渦を巻き、圧縮され、一塊の黒い球体を形作る。


 その内部では、無数の黒錆が激しくぶつかり合っていた。


 削り、穿つ――。


 黒錆鉄爪《こくじょうてっそう》の二つの性質が、一つへ凝縮される。


「もう――」


 笠井が風塵鴉鎚を振り上げた。


「遅えよ!!」


 ガンッ!!


 黒き風塊を叩き抜く。


 ドンッ!!


 一発の黒い弾丸となった黒錆鉄爪が、狂医者へ迫る。


「なッ!?」


 振り返った時には――もう遅い。


 バッ!!


「ぎゃあああああああッ!!」


 黒き弾丸が背中へ直撃した。


 激しく回転する黒錆が肉体を削り、さらに深く穿っていく。


 ガガガガガガガガッ!!


「が……あ……ッ……!」


 黒き風が、狂医者の巨体を貫いた。


「…………」


 笠井はそれを見届ける。


「さあ――」


 風塵鴉鎚を握る腕から、力が抜けた。


「後は仕上げだ」


「ぐ……ッ」


 膝が崩れる。


 もう、一歩も動けない。


 それでも――。


「頼んだぞ……小水内」


 笠井は僅かに笑い、そのまま床へ倒れ込んだ。


「言われずとも!」


 雷光を纏い、小水内が慚愧彗星剣を構える。


(笠井も、七瀬も……もう立てない)


 そして、自分も長くは保たない。


「……僕も、この一閃が最後か」


 ならば――。


 外せない。


 バチッ!!


 小水内が閃光となって駆ける。


「はあ……はあ……!」


 逃げる男の視界に、白い光が映った。


(――捉えた!!)


「はああああああッ!!」


 ガアアアアアアンッ!!


 稲妻のような剣撃が、ストレッチャーを粉砕した。


 銀色の残骸が宙へ弾け飛ぶ。


「なッ!?」


 だが――。


 そこに、男はいない。


「ひぃ……ひぃ……!」


 寸前でストレッチャーから飛び出していた。


「危なかった……!」


 床を這うように逃げながら、振り返る。


 小水内は立ち止まったまま。


「これで俺の勝ちだ!!」


 笠井は倒れた。


 七瀬も動けない。


 小水内も、もう追ってこられない。


「ハハ……ハハハハハ!!」


(最後に立ってりゃ、それでいい!!)


「ここからもう一度!! 俺だけの世界を創り上げて――」


「くそッ……!」


 小水内が再び慚愧彗星剣を構える。


 だが――。


「…………ッ!」


 脚が動かない。


(あと一歩……!)


「動け……!」


 その時だった。


 ゴオッ!!


「…………!?」


 背中へ突風が叩きつけられる。


 黒い風。


 黒錆鉄爪。


「笠井……!」


 床へ倒れたまま、笠井が最後の力を振り絞っていた。


「…………」


 小水内の口元が緩む。


「まったく……最後まで勝手な奴だ!!」


 バチバチバチッ!!


 白き雷光が再び迸る。


 黒き疾風に押され、小水内が踏み出した。


「ち、ちくしょおおおおおおッ!!」


 男が進路を変えようとする。


 轟ッ!!


「なッ!?」


 その行く手に、紫炎が噴き上がった。


「七瀬……!」


 倒れ伏した七瀬が、僅かに腕を上げている。


「行け……悠……!」


「…………!」


 白き雷光。


 黒き疾風。


 紫の炎。


 三つの力が――一つの道を作る。


「ちくしょう!! 俺は――!!」


 男が逃げようとする。


 だが――。


 もう、逃げ道はない。


「はああああああああッ!!」


 小水内が踏み込んだ。


 その身に白光を纏い。


 背を黒き風に押され。


 紫炎が開いた一本道を駆け抜ける。


 慚愧彗星剣の切っ先を、真っ直ぐに突き出した。


「白光突き《びゃっこうづき》!!」


 白き閃光が一直線に迸る。


 閃ッ!!


「はぎゃあああああああああッ!!」


 光と化した慚愧彗星剣の一撃が、遂に男を捉えた。


 男の身体が弾き飛ばされ、床を転がっていく。


「…………」


 剣を突き出したまま、小水内は僅かに笑った。


「……どうだ」


 全身から力が抜けていく。


「僕だって……やれるだろ……」


 慚愧彗星剣が手から滑り落ちた。


 そのまま、小水内も床へ倒れ込む。


「はッ……」


 倒れたまま、笠井が笑った。


「まだ俺の方が上だな」


「……ボロボロのお前に、言われたくないな」


 小水内も笑い返す。


「……まったくだ」


 七瀬まで、つられるように笑った。


 三人とも、もう指一本まともに動かせない。


 それでも――。


「とにかく」


 笠井が天井を見上げる。


「俺たちの勝ちだ」


「ああ」


「……だな」


 三人の声が、静かな廊下に重なった。

次回予告


 笠井、七瀬、小水内。


 ぶつかり、競い合い続けてきた三人は、それぞれの弱さと向き合い、ついに一つの勝利を掴んだ。


 だが――戦いは、まだ終わっていない。


 病院の遥か上空。


 《空天》南沙織と、西条の死闘は続いていた。


 代々の八大天と刃を交えてきた、底知れぬ男。


 その圧倒的な力を前にしても、南は一歩も退かない。


「負けてられないじゃない!!」


 弟子たちが己の壁を越えた今――。


 師もまた、己のすべてを拳へ込める。


 銀光と瘴気が激突する、最後の戦い。


 次回、第108話「空天」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。