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夢幻開現師―悪夢を断つ者―  作者: ks21
第零章「胡馬北風《中》」
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第108話「空天」

 笠井たちが悪鬼を撃破する、少し前――。


 病院の屋上。


 南は、今回の黒幕である西条と対峙していた。


 二人とも、その場から一歩も動いていない。


 にもかかわらず――。


 互いの間では、目には見えない激しい攻防が繰り広げられていた。


 南の周囲を、二枚の銅鏡がゆっくりと旋回している。


「う~ん……これは困ったな」


 張り詰めた沈黙を破ったのは、西条だった。


「何かしら?」


 南も構えを崩さない。


「このまま退いてくれるなら、こっちとしては助かるんだけど」


「さすがに、“まだ”帰るわけにはいかないさ」


 西条はふっと笑う。


「確かめなければならないことがあるからね」


「…………」


 南の目が細くなった。


(やっぱり――)


 西条は、ただ病院を鬼夢へ沈めたいわけではない。


 患者を苦しめ、開現師たちを操っているのも、すべて何か別の目的のため――。


(何かを待ってる……?)


 南が拳を強く握った。


「おおっと」


 西条が片手を前へ出す。


「それをされると、さすがに困るのさ」


 視線の先には病院。


「君も、お弟子さんや被害者たちが犠牲になるのは嫌だろう?」


「あら。随分と優しいのね」


「はは。そう見えるかい?」


「全然」


 即答する。


 だが――。


(ここで本格的にやり合えば、病院への被害は避けられない)


 場所を変えられるのなら、南にとっても都合はいい。


 ふわりと、西条の身体が宙へ浮いた。


「……ついて来いってことね」


 南もすぐさま後を追う。


 二枚の銅鏡もまた、彼女と共に舞い上がった。


 黒々とした瘴気を孕む、タールのような雲。


 二人はそれを突き抜け――。


 さらに高く。


 病院を遥か眼下へ置き去りにしていく。


 やがて、暗雲を抜けた。


 ブンッ!!


「ッ!」


 その瞬間――。


 銀色の凶爪が、南の顔面へ迫る。


 南は首を僅かに傾けて躱し、同時に左拳を跳ね上げた。


 カアアアアアアッ!!


 金色の光線が一斉に迸る。


「キエエアアアアッ!!」


 西条は光の雨を縫って飛び込み、鉤爪を振り下ろした。


「ふんッ!!」


 南は蹴り上げた脚で受け止める。


 ギンッ!!


「鏡稜《きょうりょう》よ!!」


「!?」


 先ほど躱された光線を、背後の銅鏡が捉えた。


 カッ!!


 反射された光が再び西条へ迫る。


「逃げるなら、お手伝いしましょうか!!」


 ゴオオオッ!!


 鋭い蹴りが腹部へ突き刺さった。


「ぐッ……!」


 西条が吹き飛ぶ。


 だが――。


「おおっと。早まったね」


 それでも笑っていた。


「自分の技に焼かれてしまうじゃないか!!」


 反射光が、そのまま南へ返ってくる。


 しかし――。


「この程度で、勝ったつもりかしら?」


 南は一歩も動かない。


 もう一枚の銅鏡が眼前へ滑り込んだ。


「あまり舐めないでほしいわね!!」


 カアッ!!


 光が再び弾かれる。


 今度は上空の西条へ。


「こちらも――」


 鉤爪を振り上げる。


「舐めてほしくないな!!」


 ガガガガガガッ!!


 凶爪が、飛来する光を次々と掻き消した。


「なるほど」


 西条が笑う。


「威力に偏った力を、鏡で補っているわけだ」


「それは、ありがとう」


 南は右拳を構える。


「でも――だらだら付き合うつもりはないわ!!」


 カッ!!


 《無色》から、巨大な銀光が放たれた。


 その途中へ銅鏡が滑り込む。


 シュ――。


 銀光を上空へ反射。


「上か!」


 だが、その先にはすでに二枚目の銅鏡が待ち構えていた。


 カアッ!!


 光柱が真上から西条へ降り注ぐ。


(この程度なら――)


 西条は後方へ身を翻し、直撃を躱した。


 だが――。


「…………!」


 その着地点。


 すでに南が待ち構えている。


「光を弾けるのは、鏡だけじゃないわ!!」


 飛び込んできた銀光へ、右拳を叩き込んだ。


 ドンッ!!


 銀光の軌道がねじ曲がり、再び西条へ。


「くッ!? やるな!!」


 しかし、西条もすでに反撃していた。


 背後から伸びた鋭利な尾が、南を狙う。


 ゴオオオオオッ!!


 ジュッ!!


 ほぼ同時。


 互いの攻撃が相手を捉えた。


「ッ……!」


 南の左頬に赤い線が走る。


 尾は頬を掠め、そのまま左耳まで切り裂いていた。


「……少し遅れていたら、脳天を貫かれていたわね」


 一方――。


 銀光の爆煙が、ゆっくりと晴れていく。


「…………」


 南の表情が僅かに強張った。


 煙の中から現れた西条には――。


 ほとんど傷らしい傷がない。


「驚きだ……」


 煤を払いながら、西条が呟く。


「南沙織《みなみさおり》」


「…………」


「君は――これまで私が戦ってきたどの八大天よりも強い」


 皮肉ではない。


 純粋な賛辞だった。


 だからこそ――。


(届いてない……)


 南は認めざるを得なかった。


 こちらは《鏡稜降伏》まで使っている。


 それでも、西条には決定打が入らない。


(こいつ……まだ本気じゃない)


「その言い方……」


 息を整えながら睨む。


「まるで昔の八大天まで知ってるような口ぶりね」


「当然だ」


 西条は、何でもないことのように答えた。


「私だって――かれこれ千年以上、生きているからね」


「千……年?」


「そうとも」


 再び鉤爪を構える。


「君たち八大天とも、何度も戦い――」


「待って……」


 南の脳裏に、一つの可能性が浮かぶ。


「千年以上を生き、代々の八大天と戦ってきた……」


 その目が細くなる。


「あなた――」


 西条の口元が吊り上がった。


「ようやく気づいたか」


 どす黒い瘴気が膨れ上がる。


「獣魔侵将が一柱――」


 銀色の鉤爪を大きく広げた。


「《平等皇》千刃五郎丸西条」


 その姿が――消えた。


「…………!?」


 次の瞬間。


 すでに南の背後。


「これまで幾人もの八大天と刃を交え――」


(――いつの間に!?)


「そして、葬ってきた」


 銀色の凶爪が振るわれる。


「くッ!!」


 斬ッ!!


「ぐッ……!」


 南の身体が切り裂かれた。


 だが――。


「まだよ!!」


 左拳――《色欲》の光を一気に解放する。


 カアアアアアアッ!!


 さらに銅鏡がそれを受け――。


 反射。


 拡散。


 光の雨が西条へ殺到した。


 しかし、西条は自らその中へ踏み込む。


「なるほど……」


 ガガガガガガガガッ!!


 鉤爪が金光を次々と掻き消していった。


「これでは――」


 一歩。


 また一歩。


「一気呵成には、程遠い」


「ッ!!」


 南は大きく後方へ飛び、辛うじて間合いを切った。


「はあ……はあ……」


 呼吸が乱れる。


(まずいわね……)


 こちらは、すでに《鏡稜降伏》まで使っている。


 それでも届かない。


 対して――西条には余力がある。


(このまま続ければ……私が先に潰れる)


「君たちも、難儀だね」


「……どういう意味かしら?」


「君たちは、いつだって赤の他人を守ろうとして、自ら使える力を縛る」


「…………」


「我々に届き得る力を持っていても――」


 西条が笑う。


「振るえなければ意味がない」


(悪鬼転生《あっきてんしょう》――)


 一瞬、その選択肢が脳裏をよぎる。


 だが――。


(駄目)


 発動すれば、この鬼夢そのものが保たない。


 笠井たちも。


 患者たちも。


 すべてを巻き込む。


「随分と……」


 南は拳を握り直した。


「私たちを舐めてくれるわね!!」


 西条へ向かう。


(とにかく――)


(一撃!!)


(一撃だけを考えなさい!!)


 カアアアアアアッ!!


 激しい光が放たれた。


「まあ――」


 西条は腕で受け止めながら笑う。


「それ以上やられると、こちらも少々困るのだけどね」


 鉤爪を振り抜く。


「だが、ただで負かされるのも不本意でね!!」


 銀色の斬撃が、幾重にも飛び交った。


 南はそれをものともせず突き進む。


 真正面から拳を叩き込んだ。


 カッ!!


 巨大な光柱が暗雲を貫き、爆風が吹き荒れる。


「はああああああッ!!」


 光の中で、西条はなお笑っていた。


 ガキンッ!!


 二人の拳が激突する。


「はあああああああ!!」


 南は間髪入れず、左拳を振り抜いた。


 無数の光線が、西条へ殺到する。


「ハハハハハッ!!」


 西条は笑いながら次々と躱していく。


 その間にも銅鏡が光を反射し、逃げ場を削る。


「なるほど!」


 無数の光の中で身を翻す。


「意外と君は、近接戦を得意とするタイプらしい!!」


 巨大な鉤爪が振り下ろされた。


「なら――これならどうだい!?」


 ザシュッ!!


「ッ――」


 肩。


 脇腹。


 太腿。


 銀の斬撃が、次々と南を切り裂く。


 それでも――止まらない。


(致命傷以外は無視しなさい……!!)


 鮮血を散らしながら、さらに距離を詰める。


「絶対に……一発叩き込む!!」


 反射光が、左の《色欲》へ集束した。


「はあああああああッ!!」


 渾身の左拳。


 カアアアアアアッ!!


 黄金の閃光が、黒く淀んだ天空を照らし上げる。


 その刹那――。


 南だけが、圧縮された時の中にいた。


(このまま戦えば……いずれ押し切られる)


 気を抜けば、一瞬で死ぬ。


 すぐ隣に“死”があり。


 その反対には――“生”がある。


(いつからだったかしらね……)


 幼い頃から開現師として育ち。


 誰よりも強くあれと、自らを律してきた。


 そして、いつしか気づいた。


 南沙織という存在は――もう自分一人だけのものではない。


 自分が立てば、後ろに続く者がいる。


 自分が戦えば、守られる命がある。


 自分が倒れれば――その代償を払うのも、自分だけではない。


(だから……)


 敵は強大。


 こちらは満身創痍。


 それでも――。


「負けてられないじゃない!!」


 退くことだけは、自分自身に許さない。


 残された力を――拳へ。


「はあああああああッ!!」


 渾身の右ストレート。


 迸った銀光が、一枚の銅鏡へ吸収されていく。


「…………」


 西条の目が細まった。


(先ほどまでとは――違うな)


「ならば――」


 口元を吊り上げる。


「こちらも、少しばかり応じねば不作法か!!」


 瞳が妖しく光った。


「――ッ!?」


 次の瞬間。


 南の全身を、肉を抉られるような激痛が貫く。


「これは――!?」


 牛とも豚ともつかぬ異形。


 爛々と眼を動かす鳥。


 幾つもの魚の頭を生やした化け物。


 大小様々な蟲。


 多種多様な魑魅魍魎が、南の肉体へ食らいついていた。


「ぐッ……!」


 がつり。


 がつり。


 肉を食み。


 骨を砕く。


(幻覚……? 違う)


 痛みはあまりにも鮮明。


(これが――《平等皇》の力……!)


 それでも――。


「だから……」


 拳は止まらない。


「どうしたァ!!」


 カアアアアアアッ!!


 銀光を呑み込んだ銅鏡へ亀裂が走る。


 ピシッ――!!


 次の瞬間。


 鏡面が砕け、圧縮された光が一気に放出された。


 轟ッ!!


 銀色の奔流。


 それを――もう一枚の銅鏡が受け止める。


「ほう……!」


 西条が目を細めた。


「それが、貴様の切り札か!!」


 先ほどまでの笑みが消える。


「だが、わざわざ受けてやるほど気安くはないぞ!!」


 ギギギギギッ――!!


 二枚目の銅鏡にも亀裂が走る。


(この一撃を外せば――終わりね)


 もう、次はない。


 身体も。


 この鬼夢も。


 これ以上は保たない。


(一瞬……!)


 南は西条から目を離さない。


(ほんの一瞬でも――隙ができれば!!)


 パリン――。


 最後の銅鏡が砕けた。


 内部で幾重にも圧縮された銀光が、凄まじい速度で南へ奔る。


「…………!」


 右拳を突き出す。


 光が《無色》へ集約された。


「……仕掛ける!」


「さあ!!」


 西条は狂喜の笑みを浮かべる。


「最後の一撃――存分に撃ってきな!!」


 銀光と。


 どす黒い瘴気。


 二つの力が激突しようとした、その時――。


 ゾワッ――!!


「…………!?」


 途轍もない寒気が、二人の背筋を駆け抜けた。


 遠く離れた病院から届く、凄まじい殺気。


(――笠井君!?)


(――笠井亮!!)


 西条の目が、僅かに病院へ向く。


 ほんの刹那。


 ただ、それだけ。


 だが――。


 西条は笑っていた。


(やったか……!)


 待ち望んでいた兆し。


 確かめたかったもの。


 それを、遂に感じ取った。


「――ッ!」


 そして、自らの失態に気づく。


(しまった――!!)


 南沙織を相手に。


 ほんの一瞬でも――意識を逸らした。


 一方、南は。


(笠井君……)


 僅かに笑う。


(そう……そこまで来たのね)


 ならば。


 師である自分が、ここで退くわけにはいかない。


 膨大な銀光が全身を包む。


 肉体を貪っていた魑魅魍魎が、一斉に焼き払われた。


「ぬぅッ!?」


(間に合わん!!)


 西条が防御姿勢を取る。


 だが、視界はすでに銀一色。


「さあ……」


 光の中から、南の声が響く。


「歯を食いしばりなさい!!」


 次の瞬間。


 光そのものと化した南が、西条の眼前へ現れた。


 右拳へ――。


 幾重にも反射され、圧縮された銀光のすべてを宿して。


「はああああああああッ!!」


「一巳天来《いっしてんらい》!!」


 ドゴオオオオオオオオオオオッ!!


 強大な力の塊と化した南が、西条へ激突した。


「ぐッ――!!」


 銀光が天空を埋め尽くし――。


 轟音と共に、鬼夢そのものが大きく揺らぐ。


 やがて――。


 夢幻の世界は、眩い光に包まれていった。


 ◇◇◇


「――ッ……」


 笠井は意識を取り戻した。


「ここは……?」


 一瞬、現実なのか夢なのかさえ分からない。


『残念だが、ここはまだ“夢”の中だ』


 根岸の声が頭の中へ響く。


『まだ動いちゃ駄目だ。応急処置はしてあるが、万全じゃない』


「…………」


 身体は鉛のように重い。


「俺たち……勝ったのか?」


 周囲を見渡す。


 小水内。


 七瀬。


 今回の事件の首謀者。


 さらに、患者や職員、操られていた開現師たちも倒れていた。


『ああ。君たちのおかげで何とかなったよ』


『現実《こっち》でも氷川君が踏ん張ってくれた。じきに救援も来る』


「氷川さんが……」


 笠井の脳裏に、ぶっきらぼうな顔が浮かぶ。


「……あの人にも、礼を言わないとな」


 だが――。


「…………!」


「そういえば……先生は!?」


 身体を起こそうとした、その時。


「私の心配をするより、まずは自分の心配をしなさい」


「南先生ッ!?」


 振り向く。


 そこには――南が立っていた。


 だが、その姿に言葉を失う。


 全身に刻まれた無数の傷。


 裂傷だけではない。


 肉そのものを抉られたような痕まで残されている。


 笠井は、これほど傷ついた師の姿を見たことがなかった。


「すみません……」


 奥歯を噛み締める。


「俺が……俺たちが、勝手なことをしてしまって」


「勘違いしないで」


 南の声は冷静だった。


「あなたたちの責任だなんて、随分と己惚れたことを言うのね」


「…………」


「敵の術中に嵌まったのは、私たち側にも落ち度がある」


 真っ直ぐ笠井を見る。


「全部、十六歳のあなたが背負う必要なんてないの」


「先生……」


 ボロボロになりながらも、その声は揺るがない。


 笠井は、その姿に――。


 かつて父が背負っていたものと同じ“責務”を見た気がした。


「ただし」


「…………?」


「独断行動は別よ」


「うッ……」


「きっちり折檻しないとね。当然、根岸君も」


 視線が慧珠へ向く。


『た、大変申し訳ございませんでした……』


「でも――」


 南は再び笠井を見る。


「よくやったわ、笠井君」


「…………」


「小水内君も。七瀬君も」


 いつの間にか二人も意識を取り戻し、傍まで来ていた。


「先生……笠井だけじゃありません」


 小水内が強い視線を向ける。


「僕たち全員が、同じだけ責任を負うべきです」


「そうっすよ!」


 七瀬も声を張った。


「亮一人が勝手にやったんじゃねえ! 俺たちも一緒っす!!」


「…………」


 南は小さく息を吐く。


「まったく……」


 呆れたようで。


 けれど、どこか安心したようでもあった。


「あなたたちが生き残っていること自体、不思議なくらいなのよ」


 三人を順番に見つめる。


「それでも――勝ちは勝ち」


「…………」


「敵がどんな策を巡らせようと、あなたたちはそれを打ち砕いた」


 無謀で。


 未熟で。


 危うかった。


 それでも――。


 三人は今、生きてここにいる。


「この一戦は、必ずあなたたちを強くするわ」


「…………」


 その言葉は、どんな賛辞よりも三人の胸に響いた。


「ただし」


 南が僅かに笑う。


「反省文は覚悟しなさいよ」


「…………」


 三人は顔を見合わせる。


「なら、今回一番活躍した俺が、一番多く書くしかねえか」


 笠井がにやりと笑った。


「お前の勝手さは目を見張るものがあったな」


 小水内が返す。


「だが、まとめ役である僕が責任を取るべきだろう」


「ああ!?」


 七瀬が噛みつく。


「何がまとめ役だ! 悠、お前が一番ビビってたじゃねえか!!」


「ああ?」


「何だと?」


「やるか?」


 次の瞬間には――。


 互いの顔を押し。


 首を抱え。


 技を掛け合っていた。


「痛え! 離せ!!」


「先に仕掛けたのはそっちだろう!!」


「亮! そこ押さえろ!!」


「お前まで乗ってんじゃねえ!!」


「……まったく」


 南は、そんな三人を見ながら目を細める。


「本当に――最悪の三人ね」


 けれど――。


 その口元には、柔らかな笑みが浮かんでいた。


 そして――南の脳裏に、西条との最後のやり取りが蘇る。


 ◇◇◇


 銀光が、ゆっくりと消えていく。


「はあ……はあ……」


 南は荒い呼吸を繰り返していた。


 もう、次の一撃を放つ力は残っていない。


 対して――。


 西条は、未だ宙に立っていた。


 右腕を失い、全身を焼かれながらも、なおその瞳には余裕が残っている。


(……やっぱり)


 南は理解していた。


(このまま続ければ――私が負ける)


 先ほどの一撃は、西条を上回った結果ではない。


 笠井が作った、一瞬の隙。


 そこへすべてを叩き込んだからこそ――届いた。


「ふッ……」


 西条は、失われた右腕へ目を向ける。


「これは……参ったな」


 傷口を眺め、目を細めた。


(再生しない……か)


 それでも、声に焦りはない。


「少々――君を見くびり過ぎていたようだ」


「それは、どうも」


 南はなお拳を構える。


「で?」


「…………?」


「まだ続ける?」


 西条は一瞬黙り――。


「いや」


 小さく笑った。


 周囲を満たしていた殺意が薄れていく。


「今日のところは退こう」


「…………」


「見事だった――《空天》・南沙織」


 西条は遥か眼下の病院へ目を向ける。


「それに――兆しも見えた」


「…………」


「今日は、それで十分だ」


 やはり。


 今回の事件そのものが、西条の目的ではない。


「あなた……笠井君に何をしたの?」


「何も」


 西条は笑う。


「私はただ――見ていただけさ」


「…………」


 そう言って、背を向ける。


「また近いうちに会うだろう」


 その瞬間。


 ゾクリ――。


 凄まじい殺意が、南の全身を貫いた。


「…………ッ!」


 右腕を失いながらも――それでもなお、本気ではなかった。


「次は――」


 西条が嗤う。


「こちらも本気で、手合わせ願おう」


「…………」


「それまで――“彼”のことは君に託そう」


「待ちなさい!!」


 だが、西条の姿はそのまま闇の虚空へ溶けていった。


「…………」


 南は暫くそこを見つめる。


「……冗談じゃないわよ」


 傷だらけの拳を握った。


「あれで……本気じゃないっていうの?」


 ◇◇◇


『南隊長、そろそろここも限界です』


「…………」


 根岸の声に、南は我に返る。


 戦いの終結とともに、鬼夢そのものが崩壊を始めていた。


「ええ」


 三人へ向き直る。


「ほら。脱出するわよ」


「「「はい!!!」」」


 こうして――。


 一晩に及ぶ戦いは、終わりを告げた。


 現実へ帰還した笠井、小水内、七瀬。


 そして、現実側で彼らを守り抜いた氷川。


 多くの犠牲を出しかねなかった戦いの末、彼らは確かに一つの勝利を掴んだ。


 もっとも――笠井たち三人と根岸が、南からきついお灸を据えられたのは、また別の話である。


 ◇◇◇


 そして――現在。


 南との模擬戦を終えた笠井を、一人の男が待っていた。


「氷川さん」


「お疲れ様でした」


 防人――氷川薫。


 昔と変わらぬ無愛想な顔で立っている。


「どうでしたか。南総監との手合わせは?」


 そんな氷川を見て、笠井は思わず笑った。


「……何か?」


「いや。初めて会った頃とは、随分感じが違うなと思ってね」


 氷川が僅かに眉を寄せる。


「あの時は、若かったんです」


「お互いにね」


「…………」


 氷川の口元も、ほんの僅かに緩んだ。


「笠井さん。この後、予定は?」


「空いてますよ」


「では、飲みに行きませんか?」


「いいですね」


「根岸さんも誘いましょう」


「そりゃ、楽しみっすね」


 二人は並んで歩き出した。


 日が落ち、街にはネオンが灯り始めている。


「氷川さん」


「何ですか?」


「今日は、俺が奢りますよ」


「……何か企んでます?」


「ハハ。そんな警戒しなくてもいいでしょうよ」


 他愛のない会話を交わしながら、二人は夜の街へと歩いていく。


 十一年前、まだ何者でもなかった若者たちは、ぶつかり合いながら、それぞれの答えを見つけた。


 長い時間が流れても――あの頃の面影は、まだどこかに残っていた。

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