第98話「11年前の青春」
十六歳だった頃の自分を思い起こし、笠井はふっと笑った。
「まったく……父さんたちの墓参りに来ると、いつも思い出しちまうな」
父と母が眠る墓前に、そっと花を供える。
生前、母が好きだった花――竜胆。
青紫の花が、秋の日差しを受けて凜々しく咲いていた。
「何だかんだ、今日まで生きてこられたよ――父さん、母さん」
しばらく墓前に立った後、笠井は静かに踵を返した。
ポケットからスマートフォンを取り出し、連絡先から一人の名前を選ぶ。
呼び出し音が数度響き――やがて、電話が繋がった。
「あら、笠井君から電話してくるなんて珍しいわね」
「ご無沙汰しております、南先生」
電話の相手は、菩提府総監――南沙織。
「それで、今日は何の用かしら? あなたから電話してくるってことは、何か頼み事があるんでしょう?」
「ハハ。さすが南先生。こっちの考えはお見通しですか」
「いったい何年、あなたと付き合っていると思ってるの」
久しぶりに聞く師の声に、笠井の口元がわずかに緩んだ。
「……それもそうですね」
他愛のないやり取りなのに、不思議と昔に戻ったような気がした。
「それで?」
南の声が、わずかに真剣味を帯びる。
「ここからが本題なのですが……」
笠井は足を止めた。
雲ひとつない秋空を見上げ、眩しい陽光に目を細める。
「俺を――もう一度、鍛え直してくれませんか?」
◇◇◇
とある夢の中で、二つの人影が向かい合っていた。
南沙織と笠井亮――かつての師弟が、数年ぶりに拳を交えようとしている。
「笠井君、本当にいいの? あなた、前の戦いからまだ完全には回復してないんでしょう?」
そう問いながらも、南の表情はどこか嬉しそうだった。
「構いません。それに、先生も言ってたじゃないですか――」
笠井も楽しげに口元を緩める。
「最後の武器は、己の拳だって」
その言葉に、南は小さく笑った。
「なら、手加減なんてしたら失礼ね」
南が両腕を掲げる。
周囲の光が渦を巻き、その両拳へと収束した。
「顕現――無色色欲極楽浄土!!」
眩い光が弾け、南の両手に銀と金のメリケンサックが顕現する。
一方、笠井は丸腰のまま腰を落とし、静かに拳を構えた。
「では――よろしくお願いします、先生」
その言葉を合図に、無彩色だった夢が一気に彩りを得る。
広がったのは、切り立った岩壁に囲まれた荒涼とした採石場だった。
「さあ! どんどん行くわよ!!」
南の右拳――銀色の《無色》が眩く輝く。
直後、巨大な光柱が大地を薙ぎ払った。
轟音とともに岩盤が抉れ、赤熱した石礫が四方へ飛び散る。
光が走った跡には巨大なクレーターが穿たれ、その周囲では融けた岩石がガラス状に変質していた。
だが――笠井の姿はない。
南が気配を探った瞬間、崩れ落ちる岩石の陰から黒い影が躍り出た。
「力押しは、嫌いじゃないわ!!」
左拳――黄金の《色欲》が輝く。
南が腕を薙ぐと、細く鋭い光線が幾筋も放たれ、降り注ぐ岩石を次々と撃ち抜いていった。
笠井は身体を沈め、光線同士の僅かな隙間へ飛び込む。
一歩。
二歩。
迫る閃光を紙一重で抜け、一気に南の懐へ潜り込んだ。
シュッ!!
拳が一直線に南の顔面を狙う。
南は左の前腕を滑り込ませ、その一撃を受け止めた。
ゴッ――!
重い衝撃に、足元の岩盤へ亀裂が走る。
「こうしていると、昔を思い出すわね」
拳を受けながら、南は楽しげに笑った。
「あの頃は、いつも先生に泣かされてばかりでしたよ」
笠井がさらに体重を乗せる。
南も両脚を踏ん張り、真正面から押し返した。
「ふッ!!」
空いた右拳が振るわれる。
至近距離から銀光が迸った。
笠井は咄嗟に身を沈める。
光が頭上を通過すると同時に身体を捻り、その勢いを乗せた蹴りを南の側頭部へ放った。
だが、南も上体を逸らす。
靴底が鼻先を掠めた。
南はそのまま後方へ飛び退き、着地を待たずに左拳を突き出す。
黄金の光線が、雨のように降り注いだ。
「はああッ!!」
笠井は地面を蹴る。
身体を捻り、踏み込み、次々と光をかわしていく。
それでも避けきれない一本が肩口へ迫った。
笠井は左腕を差し込み、光の側面を正確に打つ。
軌道を逸らされた光線が地面へ突き刺さり、岩盤を爆ぜさせた。
さらに一本。
今度は手首で払い、僅かに角度を変える。
光は頬を掠め、その背後の岩壁を貫いた。
(さすがね……)
攻撃を続けながら、南の目が細まる。
(真正面から受ければ、腕一本くらい簡単に持っていける。それなのに、力の流れを見極めて、最小限の接触だけで軌道をずらしている)
かつてなら、攻撃を前にして飛び込むことしか知らなかった。
だが、今は違う。
相手を見ている。
力を見ている。
その先にある、わずかな隙まで。
「本当に強くなったわね、笠井君」
最後の光線が大地を抉り、盛大な砂塵が巻き上がった。
その向こうから、笠井がゆっくりと姿を現す。
「いえ――」
拳を構え直す。
「まだまだ、これからですよ」
南が笑う。
笠井も笑った。
二人が同時に地面を蹴る。
距離が一瞬で消えた。
拳と拳がぶつかる、その寸前――夢の景色が塗り替わる。
採石場が消え、無数の高層ビルが立ち並んだ。
ガンッ――!!
二人の拳が真正面から激突する。
衝撃が大気を震わせ、周囲のビルの窓ガラスが一斉に砕け散った。
無数のガラス片が光を反射しながら宙を舞う。
その中心で、笠井と南は互いに笑っていた。
まるで――あの頃に戻ったかのように。
がむしゃらに強さだけを追い求めた日々。
何度倒されても立ち上がり、三人で張り合い、ぶつかり合った。
そして――いつだって隣には、あの二人がいた。
笠井亮が十六歳だった頃。
最も青臭く、最も無鉄砲で。
それでも――今思えば、何より輝いていた青春の日々。
そう――あれは、今から十一年前。
◇◇◇
その日もまた、南の放った光が轟音とともに地面を穿った。
「ちぃぃいいい! ぼこすか撃ちやがって!!」
爆発を避けるように、三つの影がそれぞれ別方向へ跳ぶ。
笠井亮――十六歳。
「ふん。笠井、お前が先行し過ぎるから狙われるんだ!」
小水内悠――十六歳。
「そんなこと言って、悠! てめえ、ビビって後ろに下がってんじゃねえか!?」
七瀬月樹――十六歳。
三人の口論を遮るように、再び巨大な光線が地面を薙ぎ払う。
「てめえらが、とろとろしてるから! 俺が前へ出るしかねえんだろうが!!」
笠井が爆風を突っ切り、前へ出る。
「ああ!? 亮! てめえが馬鹿みてえに突っ込むから、こっちまで狙われてんだろうが!!」
七瀬も怒鳴り返しながら、飛んできた岩石をかわした。
「ふん……所詮、馬鹿どもの尻拭いなどごめんだな」
そんな二人を横目に、小水内だけが進路を変える。
一気に南との距離を詰めた。
「あっ、悠! てめえ、勝手に前へ出んなよ!!」
「うるさい。お前たちと僕を一緒に――」
振り返った。
その一瞬だった。
「あなたも――あまりに不用心よ、小水内君」
「ッ!?」
すでに南は目の前にいた。
ドンッ!!
拳が小水内の腹部へ深々と突き刺さる。
「がっ……はッ……!」
肺から強制的に空気が押し出され、小水内の身体がくの字に折れた。
だが――。
「もらったァ!!」
小水内の背後から笠井が飛び出す。
仲間が殴られたことより、南に生まれた隙の方が先に目に入っていた。
(――この距離なら!!)
風塵鴉鎚を大きく振りかぶる。
狙うは南の頭部。
間合いは十分。
避ける暇など――。
「笠井君も、もっと状況を見定めないと」
「な――」
南の右拳は、すでに地面へ向けられていた。
銀色の《無色》が輝く。
「し、しまッ――」
カッ!!
足元が白光に包まれる。
次の瞬間、地面そのものが爆ぜた。
「ぐあッ!!」
「がッ――!」
爆風に煽られ、笠井と小水内が揃って宙へ投げ出される。
「亮! 悠!」
七瀬が二人を目で追った。
その視線が、完全に南から外れる。
「――はッ!?」
気づいた時には、もう遅い。
南の姿が消えていた。
「七瀬君は――もっと積極的に攻めなさい」
声は、すぐ目の前から聞こえた。
砂塵の中から、南の姿が現れる。
「ガードを――!」
七瀬が両腕を上げるより早く、南の身体が沈んだ。
直後――。
ゴンッ!!
下から突き上げられた拳が、七瀬の顎を正確に捉えた。
「う……ぐッ……」
身体が僅かに浮き、そのまま力なく地面へ落ちる。
ドサッ。
ほぼ同時に、吹き飛ばされていた笠井と小水内も地面へ叩きつけられた。
「ぐ……っ」
「くそ……」
三人揃って、地面に転がる。
対する南は――息一つ乱していなかった。
「くっそ! また一方的にやられちまった!!」
笠井は拳を地面へ叩きつけた。
「当然だ。どこかの馬鹿が、考えなしに突っ込むからだ」
小水内が眼鏡をかけ直しながら立ち上がる。
「ああ? それ、自分に言ってんのか?」
笠井が鋭く睨みつけた。
「まったく……客観視できない奴と一緒にいると、会話が成り立たんな」
小水内も冷ややかな視線を返す。
「はッ!? 二人でいちゃつきやがって!!」
睨み合う二人へ、七瀬がさらに噛みついた。
「だいたい、てめえら二人が我先にって突っ込むから、こうもあっさりやられんだろうが!!」
「ふん。後ろでコソコソしてるようなビビりに言われる筋合いはねえな」
笠井が鼻で笑う。
「七瀬。君の方がもっとたちが悪い。そんな中途半端な動きをするくらいなら、最初から後ろで見ていればいいんじゃないか?」
そこへ小水内も追い打ちをかけた。
「んだと!? やんのか、こいつら!!」
七瀬が二人へ詰め寄る。
「ああ、やってやるよ!!」
笠井も一歩前へ出た。
「なら、君たち二人だけで勝手にやってくれ」
小水内が背を向けようとした、その瞬間――七瀬が胸倉を掴む。
「小水内……てめえもさっきから、そのすかした態度が癪に障るんだよ……」
「放せよ――」
三人の間で、張り詰めた空気が一気に膨れ上がった。
ドガアアアアアアンッ!!
「ッ!?」
三人のすぐ横へ、巨大な光柱が突き刺さる。
岩盤が爆ぜ、砕けた石礫が盛大に舞った。
「三人とも――いい加減にしなさい」
南の静かな声が響く。
その一言で、三人の頭に昇っていた血が一気に引いた。
七瀬は小水内の胸倉から手を離し、笠井も気まずそうに顔を背ける。
「まったく……」
南は腰に手を当て、深く息を吐いた。
「三人とも、それぞれに素質はあるのに……」
笠井。
小水内。
七瀬。
一人ずつ順番に見回す。
「三人揃うと、本当に最悪ね」
「…………」
「…………」
「…………」
誰一人、言い返さない。
もっとも、反省しているわけでもなかった。
「……ふん」
「ちっ……」
「……僕は悪くない」
三人は揃って顔を背ける。
「しょうがない子たちね」
南は困ったように小さく息を吐いた。
けれど、その口元には――どこか楽しげな笑みが浮かんでいた。
次回予告
笠井、小水内、七瀬――。
同じ師の下で鍛えながらも、三人が強さを求める理由は、それぞれ違っていた。
父を奪った男への復讐。
自らの力を証明したいという焦り。
そして、名家の血に押し潰されまいとする意地。
南から投げかけられた「何のために強くなるのか」という問いを前に、三人はそれぞれ自分自身と向き合っていく。
ぶつかり合う三人の胸に秘められたものとは――。
次回、第99話「三人三様」




