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夢幻開現師―悪夢を断つ者―  作者: ks21
第零章:「胡馬北風《上》」
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第94話「夜の支配者」

 変貌した江口が、四枚の羽根を羽ばたかせる。


 次第にその速度が上がり、両脚がゆっくりと床から浮き上がった。


「…………」


 笠井は拳を構えたまま、その姿を睨みつける。


シュッ――。


 瞬間、江口の姿が消えた。


「――ッ!?」


 冷水を浴びせられたような感覚とともに、全身を駆け巡る殺意。


 そして、それに対する本能的な恐怖。


 死ぬ――。


 そう感じた瞬間、笠井は咄嗟に首を横へずらした。


ザシュッ!!


「ぐッ!?」


 首筋に鋭い痛みが走り、鮮血が飛び散る。


 笠井は数歩よろめきながら、傷口を手で押さえた。


「う、うう……」


「ああ~?」


 背後から江口の声が聞こえる。


 振り返ると、江口は宙に浮いたまま、昆虫の脚へと変貌した腕に付着した血を舐めていた。


「斬られる前に、首を少しずらしたか」


「…………」


(くそッ! ずらしてなかったら、首が吹っ飛んでいたぞ!)


 笠井はすぐさま迎撃の体勢を整える。


 だが、うまく身体に力が入らない。


(一撃で死ななかったとはいえ……立っているのもきつい)


 床へ血が滴り、足元にじわじわと血溜まりが広がっていく。


「ハハッ! やっぱり、もう立ってるのもきつそうだな」


「はッ!」


 笠井は口元を吊り上げた。


「お前のとろい動きくらい、避けてやるよ!!」


 必死に強がってみせるが、次に致命傷を受ければただでは済まない。


 笠井は全神経を目の前の江口へ集中させた。


「なら――」


 四枚の羽根が激しく震える。


「必死に避けてみろよオオオオオオ!!」


 瞬間、再び江口の姿が消えた。


(速い! だが――!!)


 視界の端に江口の姿を捉え、笠井は反射的に身体を逸らす。


バシュッ!


「ぐッ!」


 左肩を斬られる。


(完全には避け切れねえか!?)


「ハハハ! まだまだ行くぞ!!」


 旋回した江口が、再び襲い掛かる。


バシュッ!


「くッ!」


ザシュッ!


「ぐうッ!」


 一撃。


 また一撃。


 ぎりぎりで攻撃をかわしていくが、それでも身体には次々と新たな傷が刻まれていく。


「ちッ……なかなか、速えじゃねえか」


 全身を無数に斬られながらも、笠井は致命傷となる一撃だけは必死に避け続けていた。


「驚いたぜ、亮」


 突然、江口が攻撃を止めた。


 宙に浮いたまま、笠井をまじまじと見つめる。


「この“夢ン中”にてめえを閉じ込めてから……お前、強くなってんな?」


「は……夢?」


「なんだ、お前。気付いてなかったのか?」


 江口が笑う。


「ここは――」


 両腕を広げた。


「俺が創った“夢”さ」


「…………」


 笠井は周囲を見回す。


 開かない扉。


 割れない窓。


 人間とは思えない力。


 怪物へ変貌した部員たち。


 そして何より、目を覚ました時から感じていた、この世界そのものへの違和感。


「なるほど……」


 笠井は再び江口へ視線を戻す。


「ここに来てから、ずっと嫌な感じがしていたのはそういうことか」


「まあ、俺も最初は話半分だったけどな。それにしたって――」


 弱り切った笠井を見て気を良くしたのか、江口はべらべらと喋り始める。


(よし……このまま喋らせておけば、少しは時間を稼げる)


 笠井は話を聞くふりをしながら、意識を自分の身体へ集中させた。


 この世界へ来てから、自分の身体は明らかにおかしい。


 ならば――。


(こいつの言う通り、ここが普通の場所じゃねえなら……)


 首の傷へ意識を向ける。


(俺にも、何かできるはずだ)


「しかし亮、お前がまさかこんな力を――」


 江口が話し続けている間にも、流れ続けていた血が少しずつ、確実に止まり始めていた。


(……いける)


 笠井は表情を変えない。


 江口に悟られないよう、会話を続ける。


「それで?」


「あ?」


「俺をこんなところに閉じ込めて、どうするつもりだったんだよ」


「そんなの決まって――」


 完全に慢心した江口が、一瞬だけ笠井から目を逸らした。


(――今だ!!)


「ふッ!!」


 傷口を押さえていた手を振り抜く。


 掌に溜まっていた血が、江口の顔へ飛び散った。


「がッ!? 何を――」


 血が目に入り、江口が反射的に瞼を閉じる。


(今だ!!)


 笠井は床を蹴り、一気にその場から離脱を図った。


 だが――。


シュッ!!


「――ッ!?」


 背後から何かが迫る。


 振り返るよりも早く――。


ガリッ!!


 右足首に、鋭い衝撃が走った。


「ぐあああああッ!!」


 凄まじい痛みが全身を駆け巡る。


 体勢を崩し、そのまま床へ倒れ込んだ。


「ぐッ……な、何が……」


 右脚を見る。


「…………は?」


 右足首から先が――ない。


 つい先ほどまでそこにあったはずの右足首から先が、完全に切断されていた。


「く……う、動け……!」


 両手を床へつき、立ち上がろうとする。


 だが、右足首から先を失った状態では、まともに身体を支えることすらできない。


「動けよ……!!」


「ハハハハハッ!!」


 背後から江口の笑い声が響いた。


「残念だったなあ、亮!!」


「……ッ!」


 笠井が振り返る。


 江口の口から、異常に長い舌が伸びていた。


 そして、その舌先には――。


「…………!」


 切断された笠井の右足首から先が乗っている。


 先ほどの一撃。


 あの舌が高速で伸び、笠井の右足首を切断したのだ。


「俺の油断を誘ったつもりだったんだろうけどよォ~」


 江口が舌先を揺らす。


「ここは俺が創り出した空間だぞ?」


 舌先に乗せた右足首から先を、見せつけるように持ち上げた。


「お前が何を企んでるかなんて、すぐに分かるんだよ」


「てめえ……!」


「まあ――」


 江口は舌をゆっくりと口元へ引き戻していく。


「これで“詰み”ってところだな」


 そして、笠井の目の前で――。


バリッ。


「――ッ!」


 舌先に乗せていた右足首から先へ噛みついた。


バリッ。


バリバリッ。


「く……くそ……ッ!!」


 骨が砕ける音。


 肉を噛み潰す音。


 つい先ほどまで自分の身体の一部だったものが、目の前で捕食されていく。


 その光景と激痛に、辛うじて保っていた集中が途切れた。


 切断された右足首と、先ほど止血したはずの傷口からも――再び、どくどくと血が流れ始める。


「う……」


 視界が霞む。


 床も、壁も、目の前にいる江口さえも、次第に赤く滲んでいった。


「おいおい、夢だからってよう!」


 江口が嗤う。


「この世界で死んじまったら、当然ただじゃ済まないぜ!!」


「…………」


 声が遠い。


 身体から力が抜けていく。


 それでも笠井は、僅かに口元を吊り上げた。


「なら……」


「あ?」


「親友の、よしみで……」


 荒い息を吐きながら、江口を見上げる。


「見逃してくれねえか?」


「…………」


 一瞬、江口が黙った。


 そして――。


「そうかよ」


 昆虫の脚へと変貌した腕を振り上げる。


「親友のよしみだ」


 その鋭利な先端を笠井へ向けた。


「一気にやってやるよ!!」


(……ここまでか)


 逃げる手段はない。


 右足首から先を失い、立ち上がることすらできない。


 それでも、笠井は最後まで江口から目を逸らさなかった。


 鋭利な腕が振り下ろされる。


 その時だった――。


バリンッ!!


「――ッ!?」


 突如、渡り廊下の窓が砕け散った。


「な、何だ!?」


 江口が驚いて振り返る。


「ここには誰も入って来られないって――」


 砕けた窓の向こうから、一つの人影が飛び込んできた。


 ぼやける視界では、笠井にはその正体が分からない。


「て、てめえ!」


 江口の口から、再び長い舌が伸びる。


「何もんだああああ!!」


 鋭い舌が侵入者へ放たれた。


 だが――その影はぎりぎりで攻撃をかわし、次の瞬間には一気に距離を詰める。


「なッ!? 速い!!」


ゴッ!!


「ぶがッ!!」


 勢いそのままに放たれた蹴りが、江口の顔面へ叩き込まれた。


 江口は大きく仰け反り、そのまま廊下の奥へ吹き飛んでいく。


「…………」


 笠井は呆然と、その光景を見つめていた。


 人影が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


「大丈夫か、亮」


「……?」


 聞き覚えのある声。


(なんで……俺の名前を……)


 笠井は顔を上げる。


「…………!」


 さらに目を見開いた。


「お、おやじ!?」


 突如として救援に現れたのは、笠井の父――笠井正彦《かさいまさひこ》だった。


「すまんな。遅くなってしまって」


 正彦はすぐさま息子の傍らへ膝をつき、その背中に手を添える。


「まずは精神を整えろ。止血することだけに集中するんだ」


「あ、ああ……」


 笠井は父の言葉に従い、意識を自分の身体へ集中させる。


 背中に添えられた父の手。


 そこから伝わる温もりに、不思議と乱れていた意識が落ち着いていく。


 首。


 肩。


 腕。


 そして、切断された右足首。


 身体中から流れ続ける血。


 ただ、それを止めることだけへ意識を向ける。


 やがて――流れ続けていた血が、徐々に止まっていった。


(まさか……)


 正彦は息子の姿を見つめる。


(感覚だけで、この世界の“理”を掴み始めているのか……?)


 息子に秘められた才能に驚きながらも、すぐに意識を目の前の敵へ戻した。


「お、おやじ……」


「ん?」


「いったい……これは何なんだよ」


「詳しい話はあとだ」


 正彦は立ち上がった。


「まだ、お前の友達は止まらないみたいだ」


「…………」


 見ると、吹き飛ばされた江口が再び立ち上がっていた。


「ああ!?」


 赤い複眼を見開き、正彦を睨みつける。


「なんで、亮のおやじがここに居んだよ!!」


 正彦は右手を前へ突き出した。


「俺は――」


 静かに江口を見据える。


「息子と君を助けに来た」


「はあ!? 何言ってんだ、こいつ!!」


 江口が再び四枚の羽根を羽ばたかせる。


「まあいい!!」


 先ほどまで以上に激しく、空気が震える。


「てめえも――」


 江口の身体が前へ傾く。


「息子と一緒に死ね!!」


 瞬間、その姿が消えた。


「ま、まずい!」


 笠井が声を上げる。


「さっきよりも速い!!」


 もはや笠井の目でも追えないほどの速度で、江口が迫る。


 だが――正彦は微動だにしない。


「顕現――」


 右手に光が集まっていく。


「風塵鴉鎚《ふうじんがつい》」


 光が消えた時、その手には――一本の錆びついた金槌が握られていた。


「な――」


 江口が正彦の目前へ迫る。


 しかし――。


ゴンッ!!


「ぶッ!?」


 振り上げられた風塵鴉鎚が、江口の脳天へ叩き込まれた。


 その身体が勢いよく床へ叩き落とされる。


「…………」


 笠井は何も言えない。


 ただ、目の前に立つ父を見つめていた。


 自分が知っている父とは、あまりにも違う。


 正彦はゆっくりと金槌を構え直す。


「な、なんで……」


 笠井が声を絞り出す。


「なんで、おやじが……」


 正彦は息子へ振り返った。


「なぜなら――」


 驚愕する笠井へ告げた。


「俺は、“開現師《かいげんし》”だからな」

次回予告


 右足を失い、死を覚悟した笠井。


 その目前へ現れたのは、ずっと嫌い続けてきた父だった。


 そして父の口から告げられる、知られざる真実。


 「俺は、“開現師”だからな」


 次回、第95話「父」

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