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夢幻開現師―悪夢を断つ者―  作者: ks21
第零章:「胡馬北風《上》」
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第93話「感染」

「ジジッ!!」


 正面の一体が、針のような突起物を振り下ろす。


「ふッ!!」


 笠井はぎりぎりで身を捻ってかわし、その腹へ拳を叩き込んだ。


ドンッ!!


「ジッ!?」


 異形の身体が宙へ舞う。


 さらに左右から二体。


「ちッ!」


 笠井は江口を抱えたまま床を蹴った。


「おおッ!?」


 人一人を抱えているとは思えない跳躍で二体の頭上へ回り込み、そのまま蹴りを叩き込む。


「ジジジッ!!」


 二体が床へ沈んだ。


「どけえええええッ!!」


 怯んだ群れの間へ飛び込み、残る一体を蹴り飛ばす。


「今だ!!」


 その隙間を抜け、保健室から飛び出した。


 だが――。


「……マジかよ」


 廊下にも、大量のハエ人間が群がっている。


「笠井!」


「こっちは駄目だ!」


 即座に反対方向へ走り出す。


「おい、笠井! どこへ行くんだよ!!」


「他の連中も心配だ! このまま昇降口へ行く!!」


 先ほど別れた部員たちは、まだそこにいるはずだ。


 暗い廊下を駆け抜ける。


 その時――。


「うわああああああああああああ!!」


「――ッ!」


 目指していた昇降口から、部員たちの叫び声が響いた。


「くそッ!!」


 さらに速度を上げる。


 辿り着くと、数人の部員が床にうずくまっていた。


「おい! しっかりしろ!!」


 江口を下ろし、倒れた部員へ駆け寄る。


「だめだ……刺されてるよ」


 腕や脚には、あの針で刺されたような傷が残っている。


「うわああああッ!!」


 さらに叫び声。


 廊下の先で、一体のハエ人間が逃げ惑う部員たちを追い回していた。


「ジジジ……」


 その背格好には見覚えがある。


「……西条先生」


「ちッ!」


 笠井は迷わず飛び出した。


 一歩。


 二歩。


 床を蹴るたび、一気に速度が上がっていく。


 呼吸すら忘れるほどの瞬発力。


 放たれた矢のように、西条の姿をしたハエ人間との距離を詰めた。


「ジジジッ!!」


 だが――こいつは、先ほどまでの連中とは違う。


 巨大な複眼が素早く笠井を捉え、拳を横薙ぎに振るった。


(……避けられる!!)


 まただ。


 迫る拳が、まるで時間そのものを引き延ばされたようにゆっくりと見える。


 笠井は身体を低く沈め、拳の下へ潜り込んだ。


 そのまま足元へ滑り込む。


「歯、食いしばれ!!」


ゴッ!!


 振り上げた拳が顎を捉えた。


「ジッ!?」


 異形の身体が大きく宙へ舞う。


「……ッ」


 その瞬間、笠井の全身を強烈な高揚感が駆け巡った。


 怖くないわけではない。


 目の前にいるのは、人間とは到底思えない怪物だ。


 それでも、身体を動かし、攻撃を見切り、僅かな隙へ飛び込む。


(なんだ……これ)


 その感覚は――水中をがむしゃらに泳いでいる時と、どこか似ていた。


 余計なものが頭から消える。


 ただ、目の前だけに集中できる。


 西条の姿をしたハエ人間が床へ落ち、そのまま動かなくなった。


「これで――」


「ああああああッ!!」


「――何!?」


 先ほど襲われた部員の一人が、頭を抱えて苦しみ始めた。


 それだけではない。


 別の部員も、その隣も。


 赤く膨れ上がる両眼。


 崩れていく顔。


「次から、次と……!」


 刺された者たちが、次々と変貌していく。


 一人が襲われれば、また一人敵が増える。


 その敵が別の誰かを襲えば、さらに増える。


(ここにいたら、全員やられる……!)


「おい、江口! ここから逃げ――」


 振り返った瞬間。


「わ、悪い……」


 江口が力なく笑っていた。


「俺は、行けねえや」


「江口……?」


 左肩には、大きな裂傷が走っている。


「お前……いつの間に」


「さっき、逃げてる途中でな……」


 顔色が悪い。


 そして――左眼が、すでに赤く染まり始めていた。


「残念だけど……俺はもう無理だ。正直、意識もふらふらだ」


「馬鹿言ってんじゃねえ!」


 笠井は江口へ手を伸ばす。


「行くぞ!」


「……亮」


「お前も連れて――」


 だが、江口はその手を取らなかった。


「早く行けよ……!」


「江口!」


「他のやつらも、まだいるかもしれねえだろ!!」


「……ッ」


 江口が震える声で叫び、笠井の身体を強く押した。


「ジジ……」


「ジジジ……」


 不快な音が近付いてくる。


 ここで立ち止まれば、江口だけではない。


 まだ校舎のどこかに残っているかもしれない部員まで助けられなくなる。


「……くそッ」


 奥歯を噛み締めた。


「絶対に死ぬんじゃねえぞ」


「……ああ」


「必ず、お前もみんなも助けるからな!!」


 それだけ告げ、笠井は再び走り出した。


◇◇◇


 やがて、先ほど江口と歩いた渡り廊下へ差し掛かる。


「……ん?」


 廊下の中ほどに、一つの人影が立っていた。


「――坂口、部長」


「おお! 笠井は無事だったか!」


 坂口は満面の笑みを浮かべ、こちらへ歩いてくる。


「よかった。俺もみんなを探して――」


 だが、笠井はその場で腰を落とした。


「……なんだよ」


 坂口の足が止まる。


「そんな警戒して」


「…………」


 この肝試しを言い出したのは坂口。


 三年生たちは、始まる前から姿を消していた。


 これほどの騒ぎの中、今になって一人だけ無傷で現れた。


 疑わない方がおかしい。


「ここまで来て――」


 拳を握る。


「あんたの三文芝居に付き合うとでも思ってるのか?」


「…………」


 坂口の笑みが消えた。


「……はあ~」


 大きな溜息。


「分かってるなら、容赦しなくていいか?」


「ジジ……」


「ジジジ……」


 その背後の暗闇から、ハエ人間たちが姿を現す。


「なら――」


 坂口が、くいっと指を曲げた。


「試してやるよ!」


 群れが一斉に飛び掛かった。


「来いッ!!」


 笠井は真正面から踏み込む。


ゴッ!!


 一体の顔面へ拳を叩き込み、その身体ごと後ろの群れへ弾き飛ばす。


 その隙間から、坂口が飛び込んできた。


「先輩に対して無礼が過ぎるんじゃないか!!」


「こんなクソったれたこと仕掛けといて――」


ガシッ!!


 拳を片手で受け止める。


「先輩もクソもねえだろうが!!」


「なッ!?」


 腕を引き寄せる。


ガンッ!!


「はぶじッ!?」


 膝が坂口の顔面へめり込んだ。


 大量の鼻血を撒き散らし、そのまま床へ倒れる。


「ったく……」


 笠井が荒く息を吐いた。


「これで犯人も――」


 倒れた坂口へ目を向ける。


「――な!?」


 そこにあったのは、見慣れた顔ではなかった。


 赤く肥大化した巨大な複眼。


 周囲のハエ人間と同じ姿。


「坂口部長も……?」


 考えが止まる。


 今回の一件は坂口が仕組んだもの。


 そう踏んでいた。


 だが――違う。


「じゃあ……いったい誰が――」


 その時だった。


「……よお、亮」


「――ッ」


 聞き慣れた声。


 ゆっくりと振り返る。


「江口……?」


 先ほど別れたはずの親友が、そこに立っていた。


 だが――おかしい。


 青ざめていた顔色は元へ戻っている。


 左肩の傷も、跡形もなく消えていた。


「坂口部長も倒せたんだな!」


 江口は、いつもの笑顔を浮かべている。


「なら、この縄で取り押さえようぜ」


 手にしたロープを差し出す。


「…………」


 笠井は受け取らない。


「どうしたんだよ、笠井?」


「…………」


「早くしないと、また起き上がってくるかもしれねえぞ?」


 いつもと同じ。


 見慣れた江口の笑顔。


 なのに――胸の奥で、嫌な感覚が膨らんでいく。


「……江口」


「あ?」


「お前……なのか?」


「…………」


 その瞬間。


 江口の口元が――にっと歪んだ。


「鈍感なお前でも、やっと気付いたか」


「……ッ」


 纏っていた雰囲気が一変する。


 どろり。


 淀んだ泥水のような瘴気が、江口の身体から溢れ出した。


「江口……どうして」


「ああ?」


 笑顔が消える。


「どうしてって……」


 両手を強く握り締めた。


「俺だって、お前のことは親友だと思ってたさ」


「……え?」


「だから余計にムカついたんだよ!!」


 怒声が廊下へ響いた。


「俺は小坊の頃からずっと泳いできた! 何年も練習して、ずっと速くなろうとしてきた!!」


 両手が震えている。


 怒りだけではない。


 悔しさ。


 ずっと押し込めてきたものが、次々と溢れ出していた。


「なのに、なんで後から始めたお前が、あっさり俺より速くなるんだよ!!」


「江口……」


「お前は何にも知らねえ顔して、どんどん先に行きやがる!」


 見開かれた両眼へ、無数の血の筋が走る。


「俺がどんだけ練習しても! どんだけ必死になっても!!」


 歯を食いしばる。


「お前は、いつもその先にいる!!」


「…………」


 笠井は何も言えなかった。


 江口がそんな感情を抱いていたことなど、一度も考えたことがなかった。


「一緒に泳ぐのは楽しかったよ!」


「……!」


「合宿だって、お前に来てほしかった!!」


 声が震えた。


 その言葉だけは、嘘ではなかった。


「でもよ……」


 ぎり、と歯を噛み締める。


「同じくらい、お前を見るのが嫌だったんだよ!!」


「…………」


「一度くらい……」


 江口が笠井を睨む。


「お前にも分からせたかったんだよ」


 背中が大きく膨らんだ。


「追い抜かれる側が――」


ぶちッ。


 肉を突き破るように、白濁色の薄い羽根が生える。


「どんな気分なのかをな」


 両腕も変貌していく。


 複数の節を持つ、細く鋭い異形。


「江口……」


 それでも、その顔に浮かんでいるのは――笠井が知っている江口の笑みだった。


「さあ――」


 その笑みが歪む。


「ここで死ねや?」


◇◇◇


 同時刻。


 渡り廊下で向かい合う二人を、校舎の屋上から見下ろす影があった。


「す~きです、す~きです、こころから~♪」


 幼い歌声が、夜の闇へ溶けていく。


「ねえ」


 古臭い学生服姿の少年が、隣に立つ男へ問い掛けた。


「こんな回りくどいやり方でいいの?」


「焦っても意味はないさ」


 男は眼下へ視線を落としたまま答える。


「我々は、ここまでずっと待ってきたのだから」


「ふ~ん」


 少年は興味なさそうに返す。


「まあ、朱天。君もいずれ分かるさ」


「そう?」


「ああ」


 男が再び渡り廊下へ目を向ける。


 闇の中で、赤い唇がゆっくりと吊り上がった。


「我らにとっては、長年の宿願が叶うのだ」


 風が吹く。


「ゆえに――失敗は許されぬのだよ」


 次の瞬間には――屋上から、二人の人影は消えていた。

次回予告


 友情。


 嫉妬。


 憎しみ。


 胸の奥へ押し込めてきた感情が、ついに異形となって牙を剥く。


 次回、第94話「夜の支配者」

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