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夢幻開現師―悪夢を断つ者―  作者: ks21
第零章:「胡馬北風《上》」
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第92話「閉ざされた夜」

 突如として始まった、真夜中の肝試し大会。


 ルールは単純だった。


 ペアで校舎内を一周し、再び昇降口へ戻ってくる。


 代表者同士でじゃんけんをして、出発する順番を決めることになった。


「亮、悪い! 負けちまったよ!!」


 江口は惨敗に次ぐ惨敗で、あれよあれよという間に最下位まで落ちてしまった。


「まあ、別にいいさ」


「いや~、こういうのって最後の方が怖いじゃん?」


「だったら勝てよ」


「うるせえ!」


 誰かが出発するたびに声を掛け、残った者同士でどこから驚かせてくるのかと予想し合っていた。


 しかし――。


 そんな中、笠井だけはこの状況に妙な違和感を覚えていた。


(……やっぱり、おかしい)


 そもそも、なぜ皆が寝静まった後になって肝試しを始めるのか。


 やるつもりなら、最初からそう言えばよかったはずだ。


 それだけではない。


 目を覚ました時から感じている、何とも言い表せない感覚。


 空気が重く、肌へまとわりつくような不快感が校舎全体に蔓延している。


 けれど、周囲の部員たちは誰一人として気にしていない。


 その感覚だけが、浮ついた空気から笠井を引き離していた。


 やがて、最後の順番が回ってくる。


「よっしゃ、行こうぜ!」


「……ああ」


 懐中電灯を受け取り、笠井と江口は暗い校舎へ足を踏み入れた。


◇◇◇


 当然ながら、夜の校舎は暗い。


 窓から差し込む僅かな月明かりと、手元の懐中電灯だけが頼りだった。


 二人分の足音が、静かな廊下へ響く。


 肝試しというからには、先に姿を消した三年生たちがどこかへ隠れ、後輩たちを驚かせてくるものだと思っていた。


 だが――。


 何も起こらない。


 教室の陰から飛び出してくる者も、突然物音を立てる者も、気味の悪い声を上げる者すらいなかった。


 ただひたすら、暗い廊下を歩かされている。


「なあ……おかしくないか?」


「何が?」


 江口は、まだぴんときていないらしい。


「三年生の先輩たちだよ。いったい、どこに隠れてるんだ?」


「あ~……確かに、全然会わないな」


 学習棟を歩き終え、理科室や音楽室などがある管理棟へ向かっても、誰一人として姿を見せない。


「それに、俺たちを驚かせるつもりなら、なんで前のグループの声が聞こえないんだよ?」


「声?」


「悲鳴の一つくらい聞こえてもいいだろ」


 笠井たちの前にも、いくつものペアが出発している。


 特に一つ前の女子グループなど、出発前から怖い怖いと騒いでいた。


 それなのに――。


 ここまで一度も、悲鳴を聞いていない。


「あれかな? みんな、案外こういうの得意だったとか?」


「馬鹿言え。俺たちの前の女子なんて、随分と怯えてただろ」


「ん~……言われてみれば、確かに」


 ようやく江口も、少しだけ表情を曇らせた。


 そのまま二人は、学習棟と管理棟を繋ぐ渡り廊下へ入る。


 懐中電灯の明かりが、左右へ揺れる。


 一歩。


 また一歩。


 廊下の中ほどまで来た――その時だった。


「キャアアアアアアアアッ!!」


「――ッ!?」


 夜の校舎を切り裂くような叫び声。


 笠井と江口は顔を見合わせ、次の瞬間には同時に走り出していた。


「今の、階段の方だよな!?」


「ああ、多分な!!」


 勢いよく渡り廊下を駆け抜ける。


 管理棟へ入り、階段へ向かう途中――。


「……ん?」


 笠井の視界に、床へ転がる懐中電灯の明かりが入った。


 その先、階段の下で一人の女子部員がうずくまっている。


 先ほど笠井たちより先に出発した、一年生だった。


「おい! 大丈夫か!?」


 二人が駆け寄る。


 だが、少女は頭を抱えたまま、がたがたと身体を震わせている。


「どうした? 何があった?」


「…………」


 笠井が肩へ手を添えると、少女はゆっくりと顔を上げた。


「バ……バケモノ……」


「……え?」


「ひッ……!」


 それだけ言うと、少女は再び頭を抱えてしまった。


「おい、笠井! その子!!」


 江口が、少女の左腕を指差す。


「――ッ」


 暗くて気付かなかった。


 二の腕に、小さな穴が開いている。


 何か鋭利なもので突き刺されたような傷だった。


 そこから滴った血が、制服を濡らし、床へ落ちている。


「誰にやられた?」


「…………」


「一緒にいた子は?」


 返事はない。


 少女は震えるばかりだった。


 やがて騒ぎを聞きつけた他の部員たちも、次々と集まってくる。


「おい、どうしたんだよ!?」


「何があったの!?」


「この子と一緒にいた子は!?」


 人が増えるにつれ、辺りへ混乱が広がっていく。


「まずは、保健室へ連れて行こう」


 笠井はその場へしゃがみ込み、少女を抱え上げた。


「江口、西条先生を呼んできてくれ!」


「おっし、任せとけ!!」


 江口が昇降口の方へ走り出す。


 笠井は数人の女子部員とともに、負傷した少女を保健室へ運んだ。


◇◇◇


 幸い、傷そのものは命に関わるほど深くは見えなかった。


 他の女子部員たちと協力し、できる範囲で応急処置を施す。


 少女をベッドへ寝かせると、笠井は小さく息を吐いた。


「……これで、ひとまずは」


 だが、待てども江口も西条もやって来ない。


「遅いな……」


 呼びに行くだけなら、それほど時間が掛かる距離ではない。


「俺、ちょっと様子を見てくる」


 残っていた女子部員たちへ声を掛け、笠井は保健室を出た。


 廊下へ出ても、相変わらず妙な空気は消えていない。


(さっきより、酷くなってねえか……?)


 胸の奥がざわつく。


 そのまま昇降口へ向かっていると、前方から大きな怒鳴り声が聞こえてきた。


「……何だ?」


 足を速める。


 昇降口では、江口たちと西条が言い争っていた。


「おい、どうしたんだよ!?」


 笠井が近付く。


 その場にいた全員が振り返った。


 誰もが困惑と恐怖に染まった顔をしている。


 そして、その奥――西条が顔を真っ赤にしながら、笠井を睨みつけていた。


「おい! 何で途中で止めたんだ!!」


「……は?」


 何を言っているのか分からない。


 西条は部員たちを掻き分け、笠井の前へ乗り出した。


「だ~か~らアアアアッ!! 何で肝試しを途中で止めたんだと聞いているんだろうが!!」


 唾を飛ばしながら、まくし立てる。


「先生、部員の一人が怪我をしたんですよ! それに、一人は居なくなってるし!!」


「それがどうした!!」


「――は?」


「先輩たちがお前たちのために準備してくれてるというのに!! それをお前は!!」


 西条の両眼は焦点が合っていなかった。


 それぞれが、まるで別のものを見ているように歪んでいる。


(……何だ、これ)


 明らかにおかしい。


 酔っているようにも見えない。


 寝ぼけているなどという状態でもない。


 西条が、がっと笠井の胸倉を掴んだ。


「ちょっと、先生!!」


 隣にいた部員が、見兼ねて止めに入ろうとする。


「うるさいッ!!」


ドンッ!!


「うぶッ!!」


 西条が片腕を振り払った。


 それだけで、部員の身体がふわりと宙へ浮く。


 そのまま数メートル先の壁へ叩きつけられた。


「キャアアアアッ!!」


「お、おい!?」


 完全に常軌を逸している。


「指導してやるううううッ!!」


 西条が笠井へ拳を振り下ろした。


 その瞬間――。


(――遅い?)


 凄まじい勢いで迫るはずの拳なのに、笠井にはその動きがやけにゆっくりと見えた。


 考えるよりも早く、右腕を伸ばす。


ガシッ!!


「うぐぐぐぐううううッ……!?」


 西条の拳を受け止めた。


 そのまま腕を捻る。


 西条が苦悶の声を漏らしながら、片膝をついた。


「…………」


 笠井自身が、一番驚いていた。


(何だ、この力……?)


 掌へ力を込める。


 その気になれば、このまま腕をへし折れてしまう。


 そう思えるほど、身体にこれまで感じたことのない力が満ちていた。


 だが、今は考えている場合ではない。


「すまん! 誰か、先生を押さえるためのロープか何か持ってきてくれ!」


 呆然としていた江口が、はっと我に返った。


「わ、分かった! 取ってくる!!」


 近くの用具庫へ駆け込む。


 ほどなくして、黄色と黒のトラ紐を抱えて戻ってきた。


 笠井は西条の両腕を背中へ回し、そのまま身体を縛りつける。


「お前! こんなことして、ただで済むと思うなよ!!」


 西条は目をかっぴらきながら、訳の分からない言葉を喚き続けている。


「お、おい……大丈夫なのかよ、こんなことして……」


 江口が不安そうな顔を向けた。


「西条先生、明らかに様子がおかしかった。今はこうするしかないだろ」


「でもよ……」


 笠井は周囲を見渡した。


 江口だけではない。


 他の部員たちも、ひどく怯えている。


 床で喚き続ける西条も、もはや支離滅裂な言葉しか口にしていない。


 尋常ではなかった。


「それに……」


 笠井が周囲を見回す。


「三年生の先輩たちは、どこに行ったんだよ」


「……あ」


 これだけの騒ぎになっている。


 壁へ人が叩きつけられ、叫び声まで響いた。


 それなのに――三年生たちは一人として姿を見せない。


「とにかく、まずは助けを呼ぼう」


「あ、ああ!」


 部員たちが昇降口へ殺到する。


 ドアへ手を掛けた。


「……あれ?」


「どうした?」


「開かない!」


 数人で押す。


 だが――びくともしない。


「ダメだ! 鍵は開いてるはずなのに、開きやしない!!」


「代われ」


 笠井が前へ出た。


 先ほど西条を押さえ込んだ時と同じように、全身へ力を込める。


「ぐッ……!」


 それでも動かない。


「何だよ、これ……」


 ならばと、笠井は近くの教室へ駆け込み、椅子を一脚持って戻ってきた。


「危ないから離れてろ!」


 両手で椅子を構える。


 そして――。


「ふッ!!」


 力の限り、ドアガラスへ叩きつけた。


 バキイイイイッ!!


「――なッ!?」


 凄まじい音が響く。


 だが、砕けたのは椅子の方だった。


 ガラスには、ひび一つ入っていない。


「なんだよ……これ」


 誰かが呟いた。


 今度は別の窓を確かめる。


 教室も、廊下も、どこも同じだった。


 鍵を開けても動かない。


 叩いても、蹴っても、びくともしない。


「俺たち……」


 震える声。


「ここに閉じ込められたってのかよ……?」


 誰も答えられなかった。


 その時になって初めて――笠井以外の部員たちも、ここが自分たちの知る校舎とは何かが違う、異様な場所であることを理解し始めた。


 その瞬間。


「――しまった!」


 笠井の背筋に悪寒が走る。


「保健室が――!!」


 言い終えるよりも早く、廊下の奥――保健室の方から再び叫び声が木霊した。


「キャアアアアアアアアッ!!」


「――ッ!!」


 笠井は即座に駆け出した。


「お、おい! 笠井!!」


 江口も慌てて後を追う。


「お、おい……待ってくれよ!」


 笠井は凄まじい速度で廊下を駆け抜けていく。


 自分でも、なぜこれほど速く走れるのか分からない。


 ただ、今はそんなことを考えている暇もなかった。


 瞬く間に保健室へ辿り着く。


 勢いよく扉を開けた。


「うッ!?」


 むっとする臭いが、一気に鼻孔へ入り込んできた。


 血の臭い。


「…………」


 その奥には、信じられない光景が広がっていた。


「ジジ……ジジジ……」


 不快な羽音にも似た音。


 先ほど保健室を任せた女子部員が、床へ倒れている。


 そして彼女を抱えているのは――おそらく、先ほどまでベッドで眠っていた後輩だった。


 笠井が「おそらく」としか思えなかったのは、その姿があまりにも変わり果てていたからだ。


 本来あるはずの両眼が、顔の左右へ大きく飛び出している。


 赤く肥大化した巨大な複眼。


 その二つだけで、顔の半分以上を占めていた。


 口元からは、針のような突起物が伸びている。


「ジジ……ジジジ……」


 まるで――ハエ。


 ハエの頭を持つ、人間。


 異形と化した少女は、倒れた女子部員の首筋へ突起物を突き刺していた。


 そして――。


ずずっ――。


 血を啜っている。


「お、おい! 笠井、待って――」


 遅れて江口が追いついた。


「うわあああああああッ!!」


 その叫び声に――。


「ジ……?」


 ハエ人間が反応した。


 ゆっくりと顔を上げる。


 巨大な赤い複眼が、笠井と江口を捉えた。


「ジジッ!!」


 床を蹴る。


「う、うわああああああ!!」


 江口は完全に腰を抜かし、その場へ尻もちをついた。


 針のような突起物が、一直線に迫る。


シュッ!!


 だが――。


ゴッ!!


 笠井の回し蹴りが、ハエ人間の胴体へめり込んだ。


「ジッ――!?」


 異形の身体が真横へ吹き飛ぶ。


 戸棚へ激突し、大きな音を立てて床へ崩れ落ちた。


「……ジ、ジジ……」


 身体が僅かに痙攣する。


 だが、すぐには起き上がってこない。


「す、すげえ……」


 江口が呆然と呟いた。


 しかし、驚いているのは笠井も同じだった。


 西条を押さえた時も、廊下を走った時も、そして今も、明らかに自分の身体がおかしい。


(これは……いったい何なんだ?)


 それでも、今は考えている暇などなかった。


 笠井は保健室にあった包帯を掴むと、何重にも巻きつけて倒れたハエ人間を拘束した。


「これで……こいつは何とかなったか」


 荒い息を吐く。


 だが――。


「お、おい……笠井」


「何だよ?」


 江口の声が震えていた。


 ゆっくりと、笠井の背後を指差している。


「……そんな展開は、ないと思いたかったんだけどよ」


「…………」


 笠井も振り返った。


 先ほど血を吸われていた女子部員。


 その身体が――ゆらりと動いた。


「……ジジ」


 ゆっくりと立ち上がる。


 両眼が膨れ上がり、口元が裂け、顔そのものが次第に人間の形を失っていく。


「ジジジ……」


「……やっぱり」


 笠井は腰を落とした。


「悪い予感ってのは、当たるもんだな!!」


 拳を構える。


 だが、その時――。


「ジジ……」


「ジジジ……」


「……ッ」


 保健室の外、暗い廊下から、一体、また一体と異形が姿を現した。


「あ、あれ……」


 江口の顔から血の気が引く。


「多分……先輩たちだろうな」


 三年生らしきハエ人間たちが、次々と集まってくる。


 前、横、そして背後。


 逃げ道を塞ぐように、笠井たちを取り囲んでいった。


「このままじゃあ……袋のネズミってか」


 絶望的な状況。


 普通なら、恐怖に身体が竦んでもおかしくない。


 それなのに、笠井の身体の奥から次々と力が湧き上がってくる。


(……何だ?)


 怖くないわけではない。


 だが――それ以上に、妙な高揚感が胸の奥から込み上げていた。


 水の中を、ただ前だけを見て泳いでいる時のように、余計なことが頭から消えていく。


「……よし」


「え?」


 笠井は江口を見る。


「おい、江口。少しばかり、口を閉じてな!!」


「は?」


 江口が反射的に両手で口を塞ぐ。


 次の瞬間、笠井はその身体を片腕で抱きかかえた。


「な、何する気だよ!?」


「ジジジッ!!」


 周囲を取り囲んでいたハエ人間たちが、一斉に飛び掛かる。


 笠井は床を強く踏み込んだ。


「でないと――」


 笑う。


「舌、かんじまうからな!!」


「――ッ!?」


 そして、江口を抱えたまま――迫り来るハエ人間の群れへ、真正面から飛び込んでいった。

次回予告


 閉ざされた校舎。


 人ならざる姿へ変貌していく部員たち。


 逃げ場を失った笠井は、江口を抱えたまま怪物の群れへ飛び込む。


 しかし――異変は、すでに校舎全体へ広がっていた。


 それは、ひとりから、またひとりへ。


 次回、第93話「感染」

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