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夢幻開現師―悪夢を断つ者―  作者: ks21
第八章:「鬼哭餓亂城・落城編」
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第89話「蒼き超越」

 崩壊する鬼哭餓亂城の中。


 黒の部隊の四人と朱天将は、再び互いを見据えていた。


 これが最後の一戦となる。


 誰に告げられるまでもなく、その場にいる全員がそう確信していた。


 城壁の一角に亀裂が走る。


 崩落の轟音が響き渡った、その瞬間――。


 ガンッ!!


 四つの光と、一つの巨大な邪気が激突した。


 真っ先に飛び込んだのは、亜子だった。


「はあッ!!」


 鋭い拳が朱天将の顔面へ迫る。


 朱天将は右手をわずかに動かし、軽く受け流した。


 ――はずだった。


「……?」


 拳を受けた指が、あり得ない方向へ捻じ曲がっている。


 亜子は間髪入れずに身体を回転させ、顔面へ蹴りを放った。


 シュッ!!


 朱天将は身を引いたが、爪先が頬を掠め、赤い筋を刻む。


(先ほどよりも、鋭い……?)


 威力も、速さも、精度も。


 つい先刻までとは、まるで別人だった。


 朱天将が亜子を振り払おうとした、その時。


 亜子の背後から、理恵が飛び出した。


 紫紺の双刃が妖しく煌めく。


「はああッ!!」


 振り上げられた一方の刃を、朱天将は事もなげにかわした。


「遅い」


 だが――。


 返す刃が、一瞬にして加速する。


「――!」


 朱天将の眼すら追いつけぬ紫紺の一閃が、左肩を斬り抜けた。


 ザンッ!!


 左腕が赤黒い血を撒き散らしながら宙を舞う。


「何……!?」


 朱天将は残された右腕を理恵へ振るう。


 しかし、その指は亜子の拳によって砕かれていた。


「《泡連弾(ほうれんだん)》!!」


 杏樹の泡弾が、動きの鈍った右肩へ集中する。


 一発、二発、三発。


 同じ一点へ衝撃が重なり、肉と骨が内側から爆ぜた。


 バンッ!!


 残された右腕も、肩口から弾け飛ぶ。


 亜子が崩す。


 理恵が左腕を断つ。


 杏樹が右腕を奪う。


「今だよ! トッキー!!」


 最後に、赤い閃光が走った。


「紡げ――《赤い一線》!!」


 斬――。


 赤き刀身が朱天将の身体を斜めに斬り抜ける。


「ぐおッ!?」


 右肩から脇腹へ。


 白衣を裂き、その下の肉へ深い傷を刻み込む。


 朱天将が、たまらず大きく後退した。


 四人のヴァジュラが、同じ震えを刻んでいる。


 それは、和泉一人が導き出した答えではない。四人の力が紡ぎ上げた、黒の部隊だけの解だった。


「まさに、驚嘆……」


 その言葉に、嘘も皮肉もない。


 朱天将の口からこぼれた、純粋な称賛だった。


 己よりはるかに劣るはずだった、人という種。


 その者たちが、果たしてここまで登り詰めるものなのか。


 朱天将の胸に、まだ童だった頃の渇望が蘇る。


 笠井へ挑み、敗れたあの日に捨て去ったはずの想い。


(こいつらに、勝ちたい!!)


 支配でもない。


 破壊でもない。


 ただ、眼前の強敵を自らの力で打ち倒したい。


 その純粋な衝動が、朱天将の力をさらに研ぎ澄ませていく。


「我を――舐めるなあああああ!!」


「くッ!?」


 膨大な瘴気が噴き上がり、四人を後方へ弾き飛ばした。


 同時に、城内へ飛び散っていた赤黒い血が宙へ浮かぶ。


 血は逆流するように朱天将へ集まり、切り飛ばされた両腕を形作っていった。


 骨が伸び、肉が盛り上がる。


 やがて両腕は完全に再生し、胴の裂傷も急速に塞がれていく。


「……この傷だけは、癒えきらぬか」


 斜めに走る傷の一部だけが、細い傷跡となって残っていた。


 朱天将は再生した右手でその傷をなぞり、四人へ掌を掲げる。


「どうやら我は、いまだ貴様らを見くびっていたようだ」


 その手が強く握り締められた。


 瞬間――。


 ボッ!!


「――ッ!?」


 和泉たちの身体から炎が噴き上がった。


 外から浴びせられたものではない。


 血肉の奥から燃え上がり、四人の身体を内側から焼いていく。


「貴様らの体内には、いまだ我が酒気が流れている」


 真理の力によって大半を押し出され、四人の治癒力によって薄められてはいた。


 だが、血に残ったわずかな酒気を、朱天将は再び活性化させたのだ。


「これで――終いだ」


 炎の勢いが増す。


 朱天将の瞳には、戦いが終わることを惜しむような寂しさが宿っていた。


 その時。


 燃え盛る炎の中から、笑い声が聞こえた。


「これで……終わりだと?」


 和泉が、炎に焼かれながら笑っている。


「なら、朱天。てめえは、まだ俺たちを見くびってるみたいだな!!」


 和泉の内側で暴れ狂っていた炎が、胸元へ収束していく。


「何……?」


(我が炎を……喰らっているのか?)


 酒気から生じた炎を拒むのではなく、自らの炎へ取り込んでいた。


「俺だけじゃないぜ?」


「はあああッ!!」


 理恵が《立華鉢頭摩鋏(りっかはずまぎょう)》の刃を、自らの身体へ走らせる。


 血に混じった酒気の流れだけを断ち切り、傷口から体外へ排出する。


「むむむ……おりゃあああああ!!」


 杏樹は《デガ喇叭》から生み出した微細な泡を呑み込み、酒気を包み込んで吐き出した。


「……はッ!!」


 亜子の身体が激しく発光し、肉体を蝕んでいた酒気を光へ変換する。


 四人を焼いていた炎が消えた。


 呼吸は荒い。


 手足は震え、ヴァジュラの維持さえ限界に近い。


 それでも、誰一人として膝をつかなかった。


「この程度で、わたくしたちを止められるとお思いですか?」


「へん! わたしたちは、この程度じゃ止められないよ!!」


「みんな、一気に行くよ!!」


 亜子の声に応じ、四人は再び駆け出した。


「まだまだ我を楽しませてくれるか――黒の部隊!!」


 朱天将もまた、歓喜のまま踏み込む。


 四人のヴァジュラが、再び同じ震えを刻み始めた。


* * *


 崩壊する鬼哭餓亂城が、菩提府本部の巨大なモニターへ映し出されていた。


 宮津市内に現れていた悪鬼は消滅したとの報告が、次々と入っている。


「現実への侵食は、最小限に抑えられたか」


 菩提府長官・矢野は険しい表情のまま、背後の大塚へ問う。


「だが、首領を倒さぬ限り終わりではない。本当に彼らへ任せてよいのか?」


「愚問だな。あの子らなら、必ずやってくれるさ」


「彼らが、《供振現象(きょうしんげんしょう)》へ至ると?」


 大塚は、モニターの中で明滅する四つの光を見据えた。


「一人の悪鬼が深化の極点に触れた時、その振動が他の悪鬼へ伝わり、互いの力を限界以上に引き出していく」


 実力が近いだけでは足りない。互いを認め、背中を追い続けてきた者たちだからこそ起こり得る。


「あの子らを集めた理由の一つさ」


 大塚は迷いなく言い切った。


「あいつらなら、必ず辿り着く」


* * *


「「「「うおおおおおおお!!」」」」


「はあああああああ!!」


 四つの光と、朱天将の邪気が正面から激突する。


 攻撃を重ねるたび、四人の力はさらに高まっていく。


 だが――。


 ピシッ……。


「――ッ!?」


 《点火針》に細い亀裂が走る。


 続いて《立華鉢頭摩鋏》、《デガ喇叭》、亜子の砲身にも亀裂が生じた。


 肉体だけでなく、四人の力を支えてきたヴァジュラも限界を迎えていた。


 亀裂が全体へ広がり、四つの武器が砕けかけた、その瞬間――。


『みんな、お待たせ!!』


 笠井が穿った風穴から、青い慧珠が飛来した。


 青い光が《点火針》を包み、亀裂の進行を止める。


「七瀬さん!!」


 続いて、緋色の慧珠が城内へ飛び込んできた。


『お嬢様、皆様。遅くなり、申し訳ございません』


「梓!!」


 二つの慧珠から放たれた光が、四人のヴァジュラをつなぎ止めていく。


『完全には直せません! ですが、最後の攻勢までは支えます!!』


 青と緋色の光に支えられ、四つのヴァジュラが再び輝きを取り戻した。


 その力が巨大なうねりとなり、朱天将を押し返していく。


「何だ……この力は……?」


 一人一人であれば、《崩界王》へ至った己に届くはずがない。


 吹けば消えるほどにか弱い火が、互いを燃え上がらせ、己へ届く炎へと深化している。


 その力の奔流が、和泉の内に眠る悪鬼を呼び起こした。


「まだ、やれるな……《白影(びゃくえい)》」


 内なる魔蟲は答えない。


 ただ、意識の深奥で白き大百足が蜷局を巻き、その身に地獄の業火を脈打たせていた。


 言葉などなくとも、意志は伝わる。


(絶対に、勝つ!!)


「悪鬼招来(あっきしょうらい)――《刃火血刹(じんかけっさつ)》!!」


 白銀の大百足の幻影が現れ、地獄の業火が和泉の肉体へ絡みつく。


 だが、その熱量はあまりにも大きすぎた。


 噴き上がった炎が、理恵、杏樹、亜子までも焼き始める。


『いけません! 和泉様の力を抑えないと――!』


『待って、梓さん』


 花奈が梓を制した。


『百希夜君を信じましょう』


「梓。このままで構いません」


 炎に焼かれながら、理恵が凛とした瞳を和泉へ向ける。


「これは、和泉さん一人の炎ではありません」


「トッキーなら、絶対にものにできる!」


「それに――私たちもいるから」


 誰一人として炎から逃れようとしない。


 和泉だけへ、すべてを背負わせようともしない。


『……分かりました。わたくしも、皆様を信じます』


「だったら――全員で、あいつをぶっ倒すぞ!!」


 四人のヴァジュラが震えた。


 理恵の紫紺、杏樹の水色、亜子の白光が、和泉の赤へ流れ込む。


 花奈の青と梓の緋色は、その響きが崩れぬよう外側から支えた。


 四人の悪鬼が刻む振動が一つとなり、業火をさらなる段階へ導いていく。


 赤き炎が、白へ。


 そして――。


 赫奕たる炎は、蒼穹の色へと至る。


「炎が……蒼くなった……?」


 朱天将の顔から、初めて笑みが消えた。


 激しく燃え上がっているはずなのに、音も熱風もない。


 透き通るような蒼炎が、四人の身体を一つの輪のように包み込む。


 先ほどまで皮膚を焼いていた熱は、もう誰にも感じられなかった。


 和泉が《点火針》を構えると、刀身は巨大な両刃剣《灰切(はいきり)》へ変わった。


「《刃火血刹》――《蒼窮ノ焔(そうきゅうのひ)》」


 透き通る蒼炎が、《灰切》の刀身へ宿る。


 まだ、刃は振るわれてすらいない。


 それでも、ぶつかり合う邪気へ触れた蒼炎が朱天将へ燃え移った。


「ぐおおおおおッ!!」


 朱天将は初めて自ら攻防を断ち、後方へ飛び退いた。


 白き肉体が赤く爛れ、傷を塞ごうと集まった血さえ、蒼炎に触れた途端に燃え尽きる。


「再生が……追いつかぬ……?」


 蒼炎は朱天将の酒気と鬼夢を焼き、その再生力を急激に鈍らせていた。


「くっ……くく……」


 朱天将の口元が、ゆっくりとつり上がる。


 圧倒的な愉悦。


 笠井に敗れたあの日以来、久しく忘れていた本物の恐怖。


 相反する感情が混じり合い、いかなる美酒よりも深い酩酊を与えていた。


「これだ……我が、求めていたものは……!」


 《灰切》を握り締めながら、和泉は蒼炎がさらに研ぎ澄まされていくのを感じていた。


 重く、扱いにくかった《灰切》。


 今なら、その意味が分かる。


(《灰切》は、炎を刃へ留め――斬撃へ変えるための姿だったんだ)


 燻銀色の刀身が、透き通る蒼へ染まる。


『皆さんのヴァジュラは、もう長くはもちません!』


 花奈の声に、理恵、杏樹、亜子が構え直した。


「杏樹さん、亜子さん。よろしいですね?」


「当然!」


「和泉君の道を……私たちが開く!」


 和泉は力強く頷き、蒼く燃える切っ先を朱天将へ向ける。


「決着をつけよう」


「ならば貴様らも、この崩れゆく城とともに塵となれ!!」


 先に仕掛けたのは、亜子だった。


「形態変化――《45口径三連装式陽電子砲》!!」


 《綾悉兵(あやのしっぺい)》が巨大な三連装主砲へ変形する。


 朱天将が掌を傷つけ、流れ出た血を無数の槍へ変えた。


「――行け!!」


 殺到する血の槍を、理恵の双刃と杏樹の泡弾が打ち払う。


「花奈さん、援護をお願い!!」


『オーケー! 思い切りかましちゃって!!』


 青い結界が亜子を包む。


 その内側で、砲身へ注がれた光が巨大な弾丸へ圧縮されていく。


(この一発なら、通る!)


 だが、朱天将は即座に距離を広げた。


 最大火力形態の《綾悉兵》は、重すぎる。


 亜子一人では追いつけない。


「ならば、私が送り届けよう!!」


 《鳶法師(とびほうし)》となった芦谷が、亜子を主砲ごと掴み上げた。


「芦谷先生!」


「今、奴を倒せるのは君たちしかいない!」


 血の槍をかわしながら加速し、亜子を朱天将へ向けて放り出す。


「だからこそ、私にも道を開く役目がある!!」


 ピイイイイイイイッ!!


 甲高い鳴き声が朱天将の動きを一瞬止めた。


 朱天将は怒りのまま、無数の血の矢を芦谷へ放つ。


 避ける余力は、もう芦谷にはない。


 その前へ、三つの影が飛び込んだ。


 篠宮、白峰、九条。


 三人は防御壁を最大まで展開し、血の矢を受け止める。


「先生だけに、格好をつけさせるわけにはいきませんから……!」


 朱天将の意識が、わずかに逸れた。


「気付くのが遅すぎるんだよ――ばーか」


 すでに亜子は、朱天将の左側へ回り込んでいた。


 三つの砲口が至近距離から朱天将を捉える。


「ちいいいいいいッ!!」


 朱天将の血が、赤黒い奔流となって亜子へ襲いかかった。


『絶対に、通させない!!』


 花奈の防壁が、奔流を正面から受け止める。


 亀裂が走る。


 それでも、花奈は退かない。


『亜子ちゃん! 今!!』


 射線上の結界が開く。


「《91式徹光弾》――撃てッ!!」


 カッ――!!


 三本の光が一つに重なり、朱天将の肉体を呑み込んだ。


 閃光が城内を駆け抜け、崩壊する城壁をまとめて吹き飛ばす。


「さすがは戦姫よ……だが、まだ我は死なぬ!!」


 光が解ける。


 朱天将は左肩から脇腹までを大きく抉られながらも、なお咆哮を上げていた。


「……ここまで。あとは、よろし……く……」


 砕けた主砲とともに、亜子の意識が途切れる。


 その横をすり抜け、理恵と杏樹が朱天将へ迫った。


 蒼炎に焼かれた再生力は鈍っている。


 それでも、抉られた左肩から脇腹へ赤黒い血が集まり始めていた。


「杏樹さん。私が隙を作ります!」


「任せちゃって! 絶対にトッキーへの道を開くから!!」


「鬼ノ刻――《追想》!!」


 理恵の紫紺の双刃が交差する。


 だが、朱天将の右拳が刀身の重なる一点を捉えた。


 パリン――。


 限界を迎えていた《立華鉢頭摩鋏》が、ついに砕け散る。


『お嬢様!!』


 梓が飛び出そうとする。


「待ちなさい。あなたには、彼を守る役目があるのでしょう?」


 傷ついた身体を起こした真理が、銀色の双刃を投げた。


「理恵! これを!!」


「お姉様の《立華鉢頭摩鋏》……!」


 理恵は二本の柄を掴み、姉の瞳へ頷き返す。


「りえっち!!」


 杏樹が生み出した巨大な泡へ、理恵は両足をつけた。


 ボヨンッ!!


 弾力を利用し、一気に朱天将の間合いへ飛び込む。


「無駄な真似を!!」


 朱天将の拳が、理恵の胴を横薙ぎに打ち抜いた。


「かはッ!!」


 理恵は避けなかった。


 防壁へ回していた力まで、すべて刃へ注ぎ込んでいた。


「あなたの再生を止めるには……こうするしか、ありませんでしたから」


 銀色の双刃が、左肩から脇腹へ集まる赤黒い血の流れを横断する。


 蒼炎によって弱っていた酒気が寸断され、再生しかけた血肉が崩れ落ちた。


 役目を果たした理恵が、力なく落下する。


「――そこか!!」


 朱天将は振り向かず、背後へ血の奔流を放った。


 すでに杏樹は背後へ回り込んでいる。


「悪鬼転身!!」


 《篥歯(りっぱ)》へ姿を変え、奔流を紙一重でかわす。


(亜子ちゃんと、りえっちが作ってくれた隙――絶対に無駄にしない!!)


「《ビビデバ弾》!!」


 赤いシャボン玉が朱天将へ飛ぶ。


「知っているぞ。それは衝撃を加えれば爆発するのであろう?」


 朱天将は、赤い泡を右手で優しく包み込んだ。


 触れただけでは爆発しない。


「なっ……うそ――」


 ドスッ。


 血の槍が杏樹の身体を貫いた。


 悪鬼転身が解け、意識が薄れていく。


(どうして、わたしは……最後まで……!)


「あら。随分と、お困りのようですわね」


 落下する杏樹を、大明寺レイカが抱き止めた。


「レ……レイカ……?」


「涙は、あなたには似合いませんわよ」


 レイカは一輪の《英傑月誅》を放つ。


「それに、まだ負けたと決まってはいないでしょう!!」


 朱天将の血が円輪を叩き落とした。


「どこまでも、我へ食らいつくか!」


「あら。わたくしの《英傑月誅》が、一輪だけだとお思いになって?」


 背後から二輪目が迫る。


 朱天将は身体をひねり、鋭い蹴りで弾き飛ばした。


「まったく……あんたは、さすがだよ……レイカ」


 その動きに連動し、赤い泡を包んでいた右手にも力が入る。


 パチン。


「――ッ!?」


 ドガアアアアアアアッ!!


 《ビビデバ弾》が至近距離で炸裂した。


 熱された水蒸気と衝撃が朱天将を呑み込み、城内を激しく揺らす。


 杏樹とレイカも余波に吹き飛ばされ、互いを支えたまま意識を失った。


「――ぐッ!?」


 爆炎から弾き出された朱天将が、崩れ落ちる瓦礫へ片膝をつく。


 左肩から脇腹の傷は塞がらず、全身には無数の裂傷と火傷が刻まれていた。


 それでも、まだ倒れない。


「まさか……これほどまでの傷を負わされるとはな」


 血を吐き捨てる。


 生命の危機へ怒りを覚えながらも、その胸はかつてない戦いに高鳴っていた。


「奇遇だな」


「――!」


 朱天将が振り返る。


 その背後には、蒼炎を宿した《灰切》を構える和泉が立っていた。


「俺も、ここまで勝ちたいと思ったのは初めてだよ。朱天」


「貴様、あえて攻撃へ加わらなかったな!!」


 朱天将は残る血へ、すべての酒気を混ぜ込む。


 放たれた血酒が無数の棘へ凝固し、和泉の肩、脇腹、両脚を貫いた。


「ぐッ……!」


 それでも、和泉は構えを解かない。


「違うぜ、朱天。攻撃しなかったんじゃない」


 真っすぐに朱天将を見据える。


「できなかったんだ」


 傷つき、立っていることさえ不思議な少年。


 だが、朱天将の眼には、その背後に《黒き疾風》の姿が重なっていた。


「お前を討つには……生半可な一撃じゃ意味がない」


 《灰切》の表面から、音も熱風もない蒼炎が立ち上る。


「そうか……そういうことか」


 朱天将の怒りが消え、恍惚とした笑みが浮かんだ。


「我は、あの男を恐れていた。恐れながらも、いつか越えたいと願っていたのだ」


 残された右手を握り締め、最後の酒気を噴き上げる。


「だからこそ、奴の姿を見せる貴様を越えねばならぬ――赤き烈火よ」


 和泉と朱天将。


 二人は、次の一撃へ己のすべてを懸ける。


『これで……どうにか、蒼炎の形を保てたようですね』


 傍らの緋色の慧珠から、途切れかけた梓の声が響いた。


「ありがとうございました。今の俺一人じゃ、この炎を維持できませんでしたから」


 緋色の光へ亀裂が走る。


『でしたら……あとは、あなたへお任せいたします』


 梓の声とともに、緋色の慧珠が砕けるような光となって散った。


 仲間たちがつないだ道の先。


 立っているのは、和泉と朱天将の二人だけだった。


 一陣の黒き風が、二人の間を吹き抜ける。


 ダッ――。


 二つの影が、同時に消えた。


 ドオオオオオオン!!


 朱天将が一瞬で和泉の懐へ踏み込み、手刀で胸元を貫く。


「もらったぞ!!」


 だが――。


「――《朧陽炎》」


「何ッ!?」


 貫かれた和泉が、炎となって揺らめいた。


 ただの幻影。


 手刀はその奥の瓦礫へ深々と突き刺さる。


 本物の和泉は、すでに朱天将の真横で《灰切》を腰だめに構えていた。


(これで――!!)


 蒼き刀身から、巨大な炎が伸び上がる。


「まだだあああああッ!!」


 朱天将は、瓦礫へ刺さった右腕を身体ごとねじって引き抜いた。


 骨と関節が砕け、腕が力なく垂れ下がる。


 それでも身体を強引に回し、左脚を和泉の顔面へ振り抜いた。


「終わりだああああああああ!! 和泉百希夜!!」


(避けられない!)


 和泉に残されたのは、相打ち覚悟で《灰切》を振り抜くことだけ。


 しかし――。


「……させ、ない……よ」


 瓦礫の中で倒れていた大久保が、最後の力で印を結んだ。


 ドンッ!!


 巨大な象脚の幻影が、朱天将の左脚を下から蹴り上げる。


「ぐッ!?」


 必殺の蹴りが、和泉の頭上を逸れた。


 そのわずかな介入が、勝敗を分ける。


 《灰切》へ込められていた蒼炎が、一気に燃え上がった。


「朱天……お前は、すげえよ」


 柄を握る手が焼け、皮膚が裂ける。


 それでも和泉は、決して《灰切》を離さない。


「俺一人じゃ、何度やってもお前には届かなかった」


 ここまで戦い、道をつないだすべての仲間が、和泉の背中を押している。


「でも、俺は一人じゃない。背中を預けられる、信頼できる仲間がいる!」


 蒼く燃える刀身を振り上げる。


「だから――お前を超えられる!!」


 蒼炎が、一筋の線となって朱天将へ迫った。


「来い!! 開現師どもよ!!!」


 朱天将は歓喜に満ちた咆哮を上げる。


 もはや逃げない。


 避けることも、防ぐこともしない。


 待ち望んだ一撃を、その肉体で真正面から受け止める。


「越えろ――」


 和泉は《灰切》を最後まで振り抜いた。


「《蒼き超越》ォォォ!!!」


 蒼き一線が、朱天将の肉体を斬り上げる。


 肉体を。


 酒気を。


 鬼夢を。


 朱天将という存在を現世へつなぎ止める、そのすべてを焼き尽くしながら――。


 蒼炎は鬼哭餓亂城の天井を貫き、天へ昇った。


 《蒼窮ノ焔》が限界を超えて広がり、城を覆う闇を切り裂く。


 そして、京都全域の空を覆い尽くしていた暗雲を、真っ二つに斬り払った。


 雲間から、夜空の輝きが地上へ降り注いだ。


「……よくやったな」

 崩れ続ける鬼哭餓亂城《きこくがらんじょう》の中。


 黒の部隊の四人と朱天将は、再び互いを見据えていた。


 これが最後の一戦となる。


 誰に告げられるまでもなく、その場にいる全員がそう確信していた。


 城壁の一角に亀裂が走る。


 崩落の轟音が響き渡った、その瞬間――。


 ガンッ!!


 四つの光と、一つの巨大な邪気が激突した。


 真っ先に飛び込んだのは、亜子だった。


「はあッ!!」


 鋭い拳が朱天将《しゅてんしょう》の顔面へ迫る。


 朱天将は右手をわずかに動かし、軽く受け流した。


 ――はずだった。


「……?」


 拳を受けた指が、あり得ない方向へ捻じ曲がっている。


 亜子は間髪入れずに身体を回転させ、顔面へ蹴りを放った。


 シュッ!!


 朱天将は身を引いたが、爪先が頬を掠め、赤い筋を刻む。


(先ほどよりも、鋭い……?)


 威力も、速さも、精度も。


 つい先刻までとは、まるで別人だった。


 朱天将が亜子を振り払おうとした、その時。


 亜子の背後から、理恵が飛び出した。


 紫紺の双刃が妖しく煌めく。


「はああッ!!」


 振り上げられた一方の刃を、朱天将は事もなげにかわした。


「遅い」


 だが――。


 返す刃が、一瞬にして加速する。


「――!」


 朱天将の眼すら追いつけぬ紫紺の一閃が、左肩を斬り抜けた。


 ザンッ!!


 左腕が赤黒い血を撒き散らしながら宙を舞う。


「何……!?」


 朱天将は残された右腕を理恵へ振るう。


 しかし、その指は亜子の拳によって砕かれていた。


「泡連弾《ほうれんだん》!!」


 杏樹の泡弾が、動きの鈍った右肩へ集中する。


 一発、二発、三発。


 同じ一点へ衝撃が重なり、肉と骨が内側から爆ぜた。


 バンッ!!


 残された右腕も、肩口から弾け飛ぶ。


 亜子が崩す。


 理恵が左腕を断つ。


 杏樹が右腕を奪う。


「今だよ! トッキー!!」


 最後に、赤い閃光が走った。


「紡げ――《赤い一線》!!」


 斬――。


 赤き刀身が朱天将の身体を斜めに斬り抜ける。


「ぐおッ!?」


 右肩から脇腹へ。


 白衣を裂き、その下の肉へ深い傷を刻み込む。


 朱天将が、たまらず大きく後退した。


 四人のヴァジュラが、同じ震えを刻んでいる。


 それは、和泉一人が導き出した答えではない。


 四人の力が紡ぎ上げた、黒の部隊だけの解だった。


「まさに、驚嘆……」


 その言葉に、嘘も皮肉もない。


 朱天将の口からこぼれた、純粋な称賛だった。


 己よりはるかに劣るはずだった、人という種。


 その者たちが、果たしてここまで登り詰めるものなのか。


 朱天将の胸に、まだ童だった頃の渇望が蘇る。


 笠井へ挑み、敗れたあの日に捨て去ったはずの想い。


(こいつらに、勝ちたい!!)


 支配でもない。


 破壊でもない。


 ただ、眼前の強敵を自らの力で打ち倒したい。


 その純粋な衝動が、朱天将の力をさらに研ぎ澄ませていく。


「我を――舐めるなあああああ!!」


「くッ!?」


 膨大な瘴気が噴き上がり、四人を後方へ弾き飛ばした。


 同時に、城内へ飛び散っていた赤黒い血が宙へ浮かぶ。


 血は逆流するように朱天将へ集まり、切り飛ばされた両腕を形作っていった。


 骨が伸び、肉が盛り上がる。


 やがて両腕は完全に再生し、胴の裂傷も急速に塞がれていく。


「……この傷だけは、癒えきらぬか」


 斜めに走る傷の一部だけが、細い傷跡となって残っていた。


 朱天将は再生した右手でその傷をなぞり、四人へ掌を掲げる。


「どうやら我は、いまだ貴様らを見くびっていたようだ」


 その手が強く握り締められた。


 瞬間――。


 ボッ!!


「――ッ!?」


 和泉たちの身体から炎が噴き上がった。


 外から浴びせられたものではない。


 血肉の奥から燃え上がり、四人の身体を内側から焼いていく。


「貴様らの体内には、いまだ我が酒気が流れている」


 真理の力によって大半を押し出され、その後も時間の経過とともに薄まってはいた。


 だが、血に残ったわずかな酒気を、朱天将は再び活性化させたのだ。


「これで――終いだ」


 炎の勢いが増す。


 朱天将の瞳には、戦いが終わることを惜しむような寂しさが宿っていた。


 その時――。


 燃え盛る炎の中から、笑い声が聞こえた。


「これで……終わりだと?」


 和泉が、炎に焼かれながら笑っている。


「なら、朱天。てめえは、まだ俺たちを見くびってるみたいだな!!」


 和泉の内側で暴れ狂っていた炎が、胸元へ収束していく。


「何……?」


(我が炎を……喰らっているのか?)


 酒気から生じた炎を拒むのではなく、自らの炎へ取り込んでいた。


「俺だけじゃないぜ?」


「はあああッ!!」


 理恵が立華鉢頭摩鋏《りっかはずまぎょう》の刃を、自らの身体へ走らせる。


 血に混じった酒気の流れだけを断ち切り、傷口から体外へ排出する。


「むむむ……おりゃあああああ!!」


 杏樹はデガ喇叭(デガらっぱ)から生み出した微細な泡を呑み込み、酒気を包み込んで吐き出した。


「……はッ!!」


 亜子の身体が激しく発光し、その光とともに肉体を蝕んでいた酒気を体外へ押し出す。


 四人を焼いていた炎が消えた。


 呼吸は荒い。


 手足は震え、ヴァジュラの維持さえ限界に近い。


 それでも、誰一人として膝をつかなかった。


「この程度で、わたくしたちを止められるとお思いですか?」


「へん! わたしたちは、この程度じゃ止められないよ!!」


「みんな、一気に行くよ!!」


 亜子の声に応じ、四人は再び駆け出した。


「まだまだ我を楽しませてくれるか――黒の部隊!!」


 朱天将もまた、歓喜のまま踏み込む。


 四人のヴァジュラが、再び同じ震えを刻み始めた。


◇◇◇


 崩れ続ける鬼哭餓亂城が、菩提府本部の巨大なモニターへ映し出されていた。


 宮津市内に現れていた悪鬼は消滅したとの報告が、次々と入っている。


「現実への侵食は、最小限に抑えられたか」


 菩提府長官・矢野は険しい表情のまま、背後の大塚へ問う。


「だが、首領を倒さぬ限り終わりではない。本当に彼らへ任せてよいのか?」


「愚問だな。あの子らなら、必ずやってくれるさ」


「彼らが、“供振現象《きょうしんげんしょう》”へ至ると?」


 大塚は、モニターの中で明滅する四つの光を見据えた。


「一人の悪鬼が深化の極点に触れた時、その振動が他の悪鬼へ伝わり、互いの力を限界以上に引き出していく」


 実力が近いだけでは足りない。


 互いを認め、背中を追い続けてきた者たちだからこそ起こり得る。


「あの子らを集めた理由の一つさ」


 大塚は迷いなく言い切った。


「あいつらなら、必ず辿り着く」


◇◇◇


「「「「うおおおおおおお!!」」」」


「はあああああああ!!」


 四つの光と、朱天将の邪気が正面から激突する。


 攻撃を重ねるたび、四人の力はさらに高まっていく。


 だが――。


 ピシッ……。


「――ッ!?」


 点火針《てんかしん》に細い亀裂が走る。


 続いて立華鉢頭摩鋏、デガ喇叭、亜子の砲身にも亀裂が生じた。


 肉体だけでなく、四人の力を支えてきたヴァジュラも限界を迎えていた。


 亀裂が全体へ広がり、四つの武器が砕けかけた、その瞬間――。


『みんな、お待たせ!!』


 笠井が穿った風穴から、青い慧珠《えじゅ》が飛来した。


 青い光が点火針を包み、亀裂の進行を止める。


「七瀬さん!!」


 続いて、緋色の慧珠が城内へ飛び込んできた。


『お嬢様、皆様。遅くなり、申し訳ございません』


「梓!!」


 二つの慧珠から放たれた光が、四人のヴァジュラをつなぎ止めていく。


『完全には直せません! ですが、最後の攻勢までは支えます!!』


 青と緋色の光に支えられ、崩壊寸前だった四つのヴァジュラが、辛うじて形を保った。


 その支えを受け、四人の力がさらに大きなうねりとなって朱天将を押し返していく。


「何だ……この力は……?」


 一人一人であれば、崩界皇《ほうかいおう》たる己に届くはずがない。


 吹けば消えるほどにか弱い火が、互いを燃え上がらせ、己へ届く炎へと深化している。


 その力の奔流が、和泉の内に眠る悪鬼を呼び起こした。


「まだ、やれるな……白影《びゃくえい》」


 内なる魔蟲は答えない。


 ただ、意識の深奥で白き大百足が蜷局を巻き、その身に地獄の業火を脈打たせていた。


 言葉などなくとも、意志は伝わる。


(絶対に、勝つ!!)


「悪鬼招来――刃火血刹《じんかけっさつ》!!」


 白銀の大百足の幻影が現れ、地獄の業火が和泉の肉体へ絡みつく。


 だが、その熱量はあまりにも大きすぎた。


 噴き上がった炎が、理恵、杏樹、亜子までも焼き始める。


『いけません! 和泉様の力を抑えないと――!』


『待って、梓さん』


 花奈が梓を制した。


『百希夜《ときや》君を信じましょう』


「梓。このままで構いません」


 炎に焼かれながら、理恵が凛とした瞳を和泉へ向ける。


「これは、和泉さん一人の炎ではありません」


「トッキーなら、絶対にものにできる!」


「それに――私たちもいるから」


 誰一人として炎から逃れようとしない。


 和泉だけへ、すべてを背負わせようともしない。


『……分かりました。わたくしも、皆様を信じます』


「だったら――全員で、あいつをぶっ倒すぞ!!」


 四人のヴァジュラが震えた。


 理恵の紫紺。


 杏樹の水色。


 亜子の白光。


 それぞれの力が和泉の赤と重なり合う。


 花奈の青と梓の緋色は、その響きが崩れぬよう外側から支え続けていた。


 四人の悪鬼が刻む振動が一つとなり、業火をさらなる段階へ導いていく。


 赤き炎が、白へ。


 そして――。


 赫奕たる炎は、蒼穹の色へと至る。


「炎が……蒼くなった……?」


 朱天将の顔から、初めて笑みが消えた。


 激しく燃え上がっているはずなのに、音も熱風もない。


 透き通るような蒼炎が、四人の身体を一つの輪のように包み込む。


 先ほどまで皮膚を焼いていた熱は、もう誰にも感じられなかった。


 和泉が点火針を構えると、刀身は巨大な両刃剣・灰切《はいきり》へ変わった。


「――蒼窮ノ焔(そうきゅうのひ)!!」


 透き通る蒼炎が、灰切の刀身へ宿る。


 まだ、刃は振るわれてすらいない。


 それでも、ぶつかり合う邪気へ触れた蒼炎が朱天将へ燃え移った。


「うぬうううッ!!」


 朱天将は初めて自ら攻防を断ち、後方へ飛び退いた。


 赤き肌が焼け爛れ、傷を塞ごうと集まった血さえ、蒼炎に触れた途端に燃え尽きる。


「再生が……追いつかぬ……?」


 蒼炎は朱天将の酒気と鬼夢を焼き、その再生力を急激に鈍らせていた。


「くっ……くく……」


 朱天将の口元が、ゆっくりと吊り上がる。


 圧倒的な愉悦。


 笠井に敗れたあの日以来、久しく忘れていた本物の恐怖。


 相反する感情が混じり合い、いかなる美酒よりも深い酩酊を与えていた。


「これだ……我が、求めていたものは……!」


 灰切を握り締めながら、和泉は蒼炎がさらに研ぎ澄まされていくのを感じていた。


 重く、扱いにくかった灰切。


 今なら、その意味が分かる。


(灰切は、炎を刃へ留め――斬撃へ変えるための姿だったんだ)


 薄墨色の刀身が、透き通る蒼へ染まる。


『皆さんのヴァジュラは、もう長くはもちません!』


 花奈の声に、理恵、杏樹、亜子が構え直した。


「杏樹さん、亜子さん。よろしいですね?」


「当然!」


「和泉君の道を……あたしたちが開く!」


 和泉は力強く頷き、蒼く燃える切っ先を朱天将へ向ける。


「決着をつけよう」


「ならば貴様らも、この崩れゆく城とともに塵となれ!!」


 先に仕掛けたのは、亜子だった。


「形態変化――《45口径三連装式陽電子砲》、解放!!」


 亜子のヴァジュラが巨大な三連装主砲へ変形する。


 朱天将が掌を傷つけ、流れ出た血を無数の槍へ変えた。


「――行け!!」


 殺到する血の槍を、理恵の双刃と杏樹の泡弾が打ち払う。


「花奈さん、援護をお願い!!」


『オーケー! 思い切りかましちゃって!!』


 青い結界が亜子を包む。


 その内側で、砲身へ注がれた光が巨大な弾丸へ圧縮されていく。


(この一発なら、通る!)


 だが、朱天将は即座に距離を広げた。


 最大火力形態の主砲は、重すぎる。


 亜子一人では追いつけない。


「ならば、私が送り届けよう!!」


 その声とともに、上空から一つの影が飛び込んでくる。


 鳶法師《とびほうし》となった芦谷だった。


 バーミリオンとの戦いで失った片翼は、花奈の力によって応急的に取り戻している。


 決して万全の状態ではない。


 それでも芦谷は、残された力を振り絞って空を駆けた。


「芦谷先生!」


 芦谷は亜子を主砲ごと掴み上げる。


「今、奴を倒せるのは君たちしかいない!」


 血の槍をかわしながら加速する。


 そして、朱天将との距離が一気に縮まった、その瞬間――。


「だからこそ、私にも道を開く役目がある!!」


 芦谷は、亜子を朱天将へ向けて全力で放り出した。


 ピイイイイイイイッ!!


 甲高い鳴き声が朱天将の動きを一瞬止めた。


 朱天将は怒りのまま、無数の血の矢を芦谷へ放つ。


 避ける余力は、もう芦谷にはない。


 その前へ、三つの影が飛び込んだ。


 篠宮、白峰、九条。


 三人は防御壁を最大まで展開し、血の矢を受け止める。


「先生だけに、格好をつけさせるわけにはいきませんから……!」


 朱天将の意識が、わずかに逸れた。


「気付くのが遅すぎるんだよ――ばーか」


 すでに亜子は、朱天将の左側へ回り込んでいた。


 三つの砲口が至近距離から朱天将を捉える。


「ちいいいいいいッ!!」


 朱天将の血が、赤黒い奔流となって亜子へ襲いかかった。


『絶対に、通させない!!』


 花奈の防壁が、奔流を正面から受け止める。


 亀裂が走る。


 それでも、花奈は退かない。


『亜子ちゃん! 今!!』


 射線上の結界が開く。


「《91式徹光弾》――撃てッ!!」


 カッ――!!


 三本の光が一つに重なり、朱天将の肉体を呑み込んだ。


 閃光が城内を駆け抜け、崩壊する城壁をまとめて吹き飛ばす。


「さすがは戦姫よ……だが、まだ我は死なぬ!!」


 光が解ける。


 朱天将は左肩から脇腹までを大きく抉られながらも、なお咆哮を上げていた。


「……ここまで。あとは、よろし……く……」


 砕けた主砲とともに、亜子の意識が途切れる。


 その横をすり抜け、理恵と杏樹が朱天将へ迫った。


 蒼炎に焼かれた再生力は鈍っている。


 それでも、抉られた左肩から脇腹へ赤黒い血が集まり始めていた。


「杏樹さん。私が隙を作ります!」


「任せちゃって! 絶対にトッキーへの道を開くから!!」


「鬼ノ刻――《追想》!!」


 理恵の紫紺の双刃が交差する。


 だが、朱天将の右拳が刀身の重なる一点を捉えた。


 パリン――。


 限界を迎えていた立華鉢頭摩鋏が、ついに砕け散る。


『お嬢様!!』


 梓が飛び出そうとする。


「待ちなさい。あなたには、彼を守る役目があるのでしょう?」


 傷ついた身体を起こした真理が、銀色の双刃を投げた。


「理恵! これを!!」


「お姉様の立華鉢頭摩鋏……!」


 理恵は二本の柄を掴み、姉の瞳へ頷き返す。


「りえっち!!」


 杏樹が生み出した巨大な泡へ、理恵は両足をつけた。


 ボヨンッ!!


 弾力を利用し、一気に朱天将の間合いへ飛び込む。


「無駄な真似を!!」


 朱天将の拳が、理恵の胴を横薙ぎに打ち抜いた。


「かはッ!!」


 理恵は避けなかった。


 防壁へ回していた力まで、すべて刃へ注ぎ込んでいた。


「あなたの再生を止めるには……こうするしか、ありませんでしたから」


 銀色の双刃が、左肩から脇腹へ集まる赤黒い血の流れを横断する。


「鬼ノ刻……《清浄》ッ!!」


 蒼炎によって弱っていた酒気が寸断され、再生しかけた血肉が崩れ落ちた。


 役目を果たした理恵が、力なく落下する。


「――そこか!!」


 朱天将は振り向かず、背後へ血の奔流を放った。


 すでに杏樹は背後へ回り込んでいる。


「悪鬼転身!!」


 篥歯《りっぱ》へ姿を変え、奔流を紙一重でかわす。


(亜子ちゃんと、りえっちが作ってくれた隙――絶対に無駄にしない!!)


「《ビビデバ弾》!!」


 赤いシャボン玉が朱天将へ飛ぶ。


「知っているぞ。それは衝撃を加えれば爆発するのであろう?」


 朱天将は、赤い泡を右手で優しく包み込んだ。


 触れただけでは爆発しない。


「なっ……うそ――」


 ドスッ。


 血の槍が杏樹の身体を貫いた。


 悪鬼転身が解け、意識が薄れていく。


(どうして、わたしは……最後まで……!)


「あら。随分と、お困りのようですわね」


 落下する杏樹を、大明寺レイカが抱き止めた。


「レ……レイカ……?」


「涙は、あなたには似合いませんわよ」


 レイカは一輪の英傑月誅《サルサ・ゲッチュー》を放つ。


「それに、まだ負けたと決まってはいないでしょう!!」


 朱天将の血が円輪を叩き落とした。


「どこまでも、我へ食らいつくか!」


「あら。わたくしの英傑月誅が、一輪だけだとお思いになって?」


 背後から二輪目が迫る。


 朱天将は身体をひねり、鋭い蹴りで弾き飛ばした。


「まったく……あんたは、さすがだよ……レイカ」


 その動きに連動し、赤い泡を包んでいた右手にも力が入る。


 パチン。


「――ッ!?」


 ドガアアアアアアアッ!!


 ビビデバ弾が至近距離で炸裂した。


 熱された水蒸気と衝撃が朱天将を呑み込み、城内を激しく揺らす。


 杏樹とレイカも余波に吹き飛ばされ、互いを支えたまま意識を失った。


「――ぐッ!?」


 爆炎から弾き出された朱天将が、崩れ落ちる瓦礫へ片膝をつく。


 左肩から脇腹の傷は塞がらず、全身には無数の裂傷と火傷が刻まれていた。


 それでも、まだ倒れない。


「まさか……これほどまでの傷を負わされるとはな」


 血を吐き捨てる。


 生命の危機へ怒りを覚えながらも、その胸はかつてない戦いに高鳴っていた。


「奇遇だな」


「――!」


 朱天将が振り返る。


 その背後には、蒼炎を宿した灰切を構える和泉が立っていた。


「俺も、ここまで勝ちたいと思ったのは初めてだよ。朱天」


「貴様、あえて攻撃へ加わらなかったな!!」


 朱天将は残る血へ、すべての酒気を混ぜ込む。


 放たれた血酒が無数の棘へ凝固し、和泉の肩、脇腹、両脚を貫いた。


「ぐッ……!」


 それでも、和泉は構えを解かない。


「違うぜ、朱天。攻撃しなかったんじゃない」


 真っすぐに朱天将を見据える。


「できなかったんだ」


 傷つき、立っていることさえ不思議な少年。


 だが、朱天将の眼には、その背後に《黒き疾風》の姿が重なっていた。


「お前を討つには……生半可な一撃じゃ意味がない」


 灰切の表面から、音も熱風もない蒼炎が立ち上る。


「そうか……そういうことか」


 朱天将の怒りが消え、恍惚とした笑みが浮かんだ。


「我は、あの男を恐れていた。恐れながらも、いつか越えたいと願っていたのだ」


 残された右手を握り締め、最後の酒気を噴き上げる。


「だからこそ、奴の姿を見せる貴様を越えねばならぬ――赤き烈火よ」


 和泉と朱天将。


 二人は、次の一撃へ己のすべてを懸ける。


『これで……どうにか、蒼炎の形を保てたようですね』


 傍らの緋色の慧珠から、途切れかけた梓の声が響いた。


「ありがとうございました。今の俺一人じゃ、この炎を維持できませんでしたから」


 緋色の光へ亀裂が走る。


『でしたら……あとは、あなたへお任せいたします』


 梓の声とともに、緋色の慧珠が砕けるような光となって散った。


 仲間たちがつないだ道の先。


 立っているのは、和泉と朱天将の二人だけだった。


 一陣の黒き風が、二人の間を吹き抜ける。


 ダッ――。


 二つの影が、同時に消えた。


 ドオオオオオオン!!


 朱天将が一瞬で和泉の懐へ踏み込み、手刀で胸元を貫く。


「もらったぞ!!」


 だが――。


「――朧陽炎《おぼろかげろう》」


「何ッ!?」


 貫かれた和泉が、炎となって揺らめいた。


 ただの幻影。


 手刀はその奥の瓦礫へ深々と突き刺さる。


 本物の和泉は、すでに朱天将の真横で灰切を腰だめに構えていた。


(これで――!!)


 蒼き刀身から、巨大な炎が伸び上がる。


「まだだあああああッ!!」


 朱天将は、瓦礫へ刺さった右腕を身体ごとねじって引き抜いた。


 骨と関節が砕け、腕が力なく垂れ下がる。


 それでも身体を強引に回し、左脚を和泉の顔面へ振り抜いた。


「終わりだああああああああ!! 和泉百希夜《いずみときや》!!」


(避けられない!)


 和泉に残されたのは、相打ち覚悟で《灰切》を振り抜くことだけ。


 しかし――。


「……させ、ない……よ」


 瓦礫の中で倒れていた大久保が、最後の力で印を結んだ。


 ドンッ!!


 巨大な象脚の幻影が、朱天将の左脚を下から蹴り上げる。


「ぐッ!?」


 必殺の蹴りが、和泉の頭上を逸れた。


 そのわずかな介入が、勝敗を分ける。


 灰切へ込められていた蒼炎が、一気に燃え上がった。


「朱天……お前は、すげえよ」


 柄を握る手が焼け、皮膚が裂ける。


 それでも和泉は、決して灰切を離さない。


「俺一人じゃ、何度やってもお前には届かなかった」


 ここまで戦い、道をつないだすべての仲間が、和泉の背中を押している。


「でも、俺は一人じゃない。背中を預けられる、信頼できる仲間がいる!」


 蒼く燃える刀身を振り上げる。


「だから――お前を超えられる!!」


 蒼炎が、一筋の線となって朱天将へ迫った。


「来い!! 開現師よ!!!」


 朱天将は歓喜に満ちた咆哮を上げる。


 もはや逃げない。


 避けることも、防ぐこともしない。


 待ち望んだ一撃を、その肉体で真正面から受け止める。


「越えろ――」


 和泉は灰切を最後まで振り抜いた。


「蒼き超越ッ!!!」


 蒼き一線が、朱天将の肉体を斬り上げる。


 肉体を。


 酒気を。


 鬼夢を。


 朱天将という存在を現世へつなぎ止める、そのすべてを焼き尽くしながら――。


 蒼炎は鬼哭餓亂城の天井を貫き、天へ昇った。


 蒼窮ノ焔(そうきゅうのひ)が限界を超えて広がり、城を覆う闇を切り裂く。


 そして、京都全域の空を覆い尽くしていた暗雲を、真っ二つに斬り払った。


 雲間から、夜空の輝きが地上へ降り注いだ。


「……よくやったな」


 闇を貫く蒼き光を見上げ、笠井は静かに呟いた。


 蒼炎が、《黒き疾風》の外套を淡く照らす。


 笠井は、その光の中で――和泉たちの勝利を見届けた。

次回予告


 永き戦いは、終わった。


 だが、勝利の裏には、必ず痛みが残る。


 傷ついた者。


 失った者。


 立ち止まり、迷う者。


 それでも、人は進まなければならない。


 戦いの果てに残されたものを、受け止めるために。


 次回、第90話「戦いの余韻」

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