第89話「蒼き超越」
崩壊する鬼哭餓亂城の中。
黒の部隊の四人と朱天将は、再び互いを見据えていた。
これが最後の一戦となる。
誰に告げられるまでもなく、その場にいる全員がそう確信していた。
城壁の一角に亀裂が走る。
崩落の轟音が響き渡った、その瞬間――。
ガンッ!!
四つの光と、一つの巨大な邪気が激突した。
真っ先に飛び込んだのは、亜子だった。
「はあッ!!」
鋭い拳が朱天将の顔面へ迫る。
朱天将は右手をわずかに動かし、軽く受け流した。
――はずだった。
「……?」
拳を受けた指が、あり得ない方向へ捻じ曲がっている。
亜子は間髪入れずに身体を回転させ、顔面へ蹴りを放った。
シュッ!!
朱天将は身を引いたが、爪先が頬を掠め、赤い筋を刻む。
(先ほどよりも、鋭い……?)
威力も、速さも、精度も。
つい先刻までとは、まるで別人だった。
朱天将が亜子を振り払おうとした、その時。
亜子の背後から、理恵が飛び出した。
紫紺の双刃が妖しく煌めく。
「はああッ!!」
振り上げられた一方の刃を、朱天将は事もなげにかわした。
「遅い」
だが――。
返す刃が、一瞬にして加速する。
「――!」
朱天将の眼すら追いつけぬ紫紺の一閃が、左肩を斬り抜けた。
ザンッ!!
左腕が赤黒い血を撒き散らしながら宙を舞う。
「何……!?」
朱天将は残された右腕を理恵へ振るう。
しかし、その指は亜子の拳によって砕かれていた。
「《泡連弾》!!」
杏樹の泡弾が、動きの鈍った右肩へ集中する。
一発、二発、三発。
同じ一点へ衝撃が重なり、肉と骨が内側から爆ぜた。
バンッ!!
残された右腕も、肩口から弾け飛ぶ。
亜子が崩す。
理恵が左腕を断つ。
杏樹が右腕を奪う。
「今だよ! トッキー!!」
最後に、赤い閃光が走った。
「紡げ――《赤い一線》!!」
斬――。
赤き刀身が朱天将の身体を斜めに斬り抜ける。
「ぐおッ!?」
右肩から脇腹へ。
白衣を裂き、その下の肉へ深い傷を刻み込む。
朱天将が、たまらず大きく後退した。
四人のヴァジュラが、同じ震えを刻んでいる。
それは、和泉一人が導き出した答えではない。四人の力が紡ぎ上げた、黒の部隊だけの解だった。
「まさに、驚嘆……」
その言葉に、嘘も皮肉もない。
朱天将の口からこぼれた、純粋な称賛だった。
己よりはるかに劣るはずだった、人という種。
その者たちが、果たしてここまで登り詰めるものなのか。
朱天将の胸に、まだ童だった頃の渇望が蘇る。
笠井へ挑み、敗れたあの日に捨て去ったはずの想い。
(こいつらに、勝ちたい!!)
支配でもない。
破壊でもない。
ただ、眼前の強敵を自らの力で打ち倒したい。
その純粋な衝動が、朱天将の力をさらに研ぎ澄ませていく。
「我を――舐めるなあああああ!!」
「くッ!?」
膨大な瘴気が噴き上がり、四人を後方へ弾き飛ばした。
同時に、城内へ飛び散っていた赤黒い血が宙へ浮かぶ。
血は逆流するように朱天将へ集まり、切り飛ばされた両腕を形作っていった。
骨が伸び、肉が盛り上がる。
やがて両腕は完全に再生し、胴の裂傷も急速に塞がれていく。
「……この傷だけは、癒えきらぬか」
斜めに走る傷の一部だけが、細い傷跡となって残っていた。
朱天将は再生した右手でその傷をなぞり、四人へ掌を掲げる。
「どうやら我は、いまだ貴様らを見くびっていたようだ」
その手が強く握り締められた。
瞬間――。
ボッ!!
「――ッ!?」
和泉たちの身体から炎が噴き上がった。
外から浴びせられたものではない。
血肉の奥から燃え上がり、四人の身体を内側から焼いていく。
「貴様らの体内には、いまだ我が酒気が流れている」
真理の力によって大半を押し出され、四人の治癒力によって薄められてはいた。
だが、血に残ったわずかな酒気を、朱天将は再び活性化させたのだ。
「これで――終いだ」
炎の勢いが増す。
朱天将の瞳には、戦いが終わることを惜しむような寂しさが宿っていた。
その時。
燃え盛る炎の中から、笑い声が聞こえた。
「これで……終わりだと?」
和泉が、炎に焼かれながら笑っている。
「なら、朱天。てめえは、まだ俺たちを見くびってるみたいだな!!」
和泉の内側で暴れ狂っていた炎が、胸元へ収束していく。
「何……?」
(我が炎を……喰らっているのか?)
酒気から生じた炎を拒むのではなく、自らの炎へ取り込んでいた。
「俺だけじゃないぜ?」
「はあああッ!!」
理恵が《立華鉢頭摩鋏》の刃を、自らの身体へ走らせる。
血に混じった酒気の流れだけを断ち切り、傷口から体外へ排出する。
「むむむ……おりゃあああああ!!」
杏樹は《デガ喇叭》から生み出した微細な泡を呑み込み、酒気を包み込んで吐き出した。
「……はッ!!」
亜子の身体が激しく発光し、肉体を蝕んでいた酒気を光へ変換する。
四人を焼いていた炎が消えた。
呼吸は荒い。
手足は震え、ヴァジュラの維持さえ限界に近い。
それでも、誰一人として膝をつかなかった。
「この程度で、わたくしたちを止められるとお思いですか?」
「へん! わたしたちは、この程度じゃ止められないよ!!」
「みんな、一気に行くよ!!」
亜子の声に応じ、四人は再び駆け出した。
「まだまだ我を楽しませてくれるか――黒の部隊!!」
朱天将もまた、歓喜のまま踏み込む。
四人のヴァジュラが、再び同じ震えを刻み始めた。
* * *
崩壊する鬼哭餓亂城が、菩提府本部の巨大なモニターへ映し出されていた。
宮津市内に現れていた悪鬼は消滅したとの報告が、次々と入っている。
「現実への侵食は、最小限に抑えられたか」
菩提府長官・矢野は険しい表情のまま、背後の大塚へ問う。
「だが、首領を倒さぬ限り終わりではない。本当に彼らへ任せてよいのか?」
「愚問だな。あの子らなら、必ずやってくれるさ」
「彼らが、《供振現象》へ至ると?」
大塚は、モニターの中で明滅する四つの光を見据えた。
「一人の悪鬼が深化の極点に触れた時、その振動が他の悪鬼へ伝わり、互いの力を限界以上に引き出していく」
実力が近いだけでは足りない。互いを認め、背中を追い続けてきた者たちだからこそ起こり得る。
「あの子らを集めた理由の一つさ」
大塚は迷いなく言い切った。
「あいつらなら、必ず辿り着く」
* * *
「「「「うおおおおおおお!!」」」」
「はあああああああ!!」
四つの光と、朱天将の邪気が正面から激突する。
攻撃を重ねるたび、四人の力はさらに高まっていく。
だが――。
ピシッ……。
「――ッ!?」
《点火針》に細い亀裂が走る。
続いて《立華鉢頭摩鋏》、《デガ喇叭》、亜子の砲身にも亀裂が生じた。
肉体だけでなく、四人の力を支えてきたヴァジュラも限界を迎えていた。
亀裂が全体へ広がり、四つの武器が砕けかけた、その瞬間――。
『みんな、お待たせ!!』
笠井が穿った風穴から、青い慧珠が飛来した。
青い光が《点火針》を包み、亀裂の進行を止める。
「七瀬さん!!」
続いて、緋色の慧珠が城内へ飛び込んできた。
『お嬢様、皆様。遅くなり、申し訳ございません』
「梓!!」
二つの慧珠から放たれた光が、四人のヴァジュラをつなぎ止めていく。
『完全には直せません! ですが、最後の攻勢までは支えます!!』
青と緋色の光に支えられ、四つのヴァジュラが再び輝きを取り戻した。
その力が巨大なうねりとなり、朱天将を押し返していく。
「何だ……この力は……?」
一人一人であれば、《崩界王》へ至った己に届くはずがない。
吹けば消えるほどにか弱い火が、互いを燃え上がらせ、己へ届く炎へと深化している。
その力の奔流が、和泉の内に眠る悪鬼を呼び起こした。
「まだ、やれるな……《白影》」
内なる魔蟲は答えない。
ただ、意識の深奥で白き大百足が蜷局を巻き、その身に地獄の業火を脈打たせていた。
言葉などなくとも、意志は伝わる。
(絶対に、勝つ!!)
「悪鬼招来――《刃火血刹》!!」
白銀の大百足の幻影が現れ、地獄の業火が和泉の肉体へ絡みつく。
だが、その熱量はあまりにも大きすぎた。
噴き上がった炎が、理恵、杏樹、亜子までも焼き始める。
『いけません! 和泉様の力を抑えないと――!』
『待って、梓さん』
花奈が梓を制した。
『百希夜君を信じましょう』
「梓。このままで構いません」
炎に焼かれながら、理恵が凛とした瞳を和泉へ向ける。
「これは、和泉さん一人の炎ではありません」
「トッキーなら、絶対にものにできる!」
「それに――私たちもいるから」
誰一人として炎から逃れようとしない。
和泉だけへ、すべてを背負わせようともしない。
『……分かりました。わたくしも、皆様を信じます』
「だったら――全員で、あいつをぶっ倒すぞ!!」
四人のヴァジュラが震えた。
理恵の紫紺、杏樹の水色、亜子の白光が、和泉の赤へ流れ込む。
花奈の青と梓の緋色は、その響きが崩れぬよう外側から支えた。
四人の悪鬼が刻む振動が一つとなり、業火をさらなる段階へ導いていく。
赤き炎が、白へ。
そして――。
赫奕たる炎は、蒼穹の色へと至る。
「炎が……蒼くなった……?」
朱天将の顔から、初めて笑みが消えた。
激しく燃え上がっているはずなのに、音も熱風もない。
透き通るような蒼炎が、四人の身体を一つの輪のように包み込む。
先ほどまで皮膚を焼いていた熱は、もう誰にも感じられなかった。
和泉が《点火針》を構えると、刀身は巨大な両刃剣《灰切》へ変わった。
「《刃火血刹》――《蒼窮ノ焔》」
透き通る蒼炎が、《灰切》の刀身へ宿る。
まだ、刃は振るわれてすらいない。
それでも、ぶつかり合う邪気へ触れた蒼炎が朱天将へ燃え移った。
「ぐおおおおおッ!!」
朱天将は初めて自ら攻防を断ち、後方へ飛び退いた。
白き肉体が赤く爛れ、傷を塞ごうと集まった血さえ、蒼炎に触れた途端に燃え尽きる。
「再生が……追いつかぬ……?」
蒼炎は朱天将の酒気と鬼夢を焼き、その再生力を急激に鈍らせていた。
「くっ……くく……」
朱天将の口元が、ゆっくりとつり上がる。
圧倒的な愉悦。
笠井に敗れたあの日以来、久しく忘れていた本物の恐怖。
相反する感情が混じり合い、いかなる美酒よりも深い酩酊を与えていた。
「これだ……我が、求めていたものは……!」
《灰切》を握り締めながら、和泉は蒼炎がさらに研ぎ澄まされていくのを感じていた。
重く、扱いにくかった《灰切》。
今なら、その意味が分かる。
(《灰切》は、炎を刃へ留め――斬撃へ変えるための姿だったんだ)
燻銀色の刀身が、透き通る蒼へ染まる。
『皆さんのヴァジュラは、もう長くはもちません!』
花奈の声に、理恵、杏樹、亜子が構え直した。
「杏樹さん、亜子さん。よろしいですね?」
「当然!」
「和泉君の道を……私たちが開く!」
和泉は力強く頷き、蒼く燃える切っ先を朱天将へ向ける。
「決着をつけよう」
「ならば貴様らも、この崩れゆく城とともに塵となれ!!」
先に仕掛けたのは、亜子だった。
「形態変化――《45口径三連装式陽電子砲》!!」
《綾悉兵》が巨大な三連装主砲へ変形する。
朱天将が掌を傷つけ、流れ出た血を無数の槍へ変えた。
「――行け!!」
殺到する血の槍を、理恵の双刃と杏樹の泡弾が打ち払う。
「花奈さん、援護をお願い!!」
『オーケー! 思い切りかましちゃって!!』
青い結界が亜子を包む。
その内側で、砲身へ注がれた光が巨大な弾丸へ圧縮されていく。
(この一発なら、通る!)
だが、朱天将は即座に距離を広げた。
最大火力形態の《綾悉兵》は、重すぎる。
亜子一人では追いつけない。
「ならば、私が送り届けよう!!」
《鳶法師》となった芦谷が、亜子を主砲ごと掴み上げた。
「芦谷先生!」
「今、奴を倒せるのは君たちしかいない!」
血の槍をかわしながら加速し、亜子を朱天将へ向けて放り出す。
「だからこそ、私にも道を開く役目がある!!」
ピイイイイイイイッ!!
甲高い鳴き声が朱天将の動きを一瞬止めた。
朱天将は怒りのまま、無数の血の矢を芦谷へ放つ。
避ける余力は、もう芦谷にはない。
その前へ、三つの影が飛び込んだ。
篠宮、白峰、九条。
三人は防御壁を最大まで展開し、血の矢を受け止める。
「先生だけに、格好をつけさせるわけにはいきませんから……!」
朱天将の意識が、わずかに逸れた。
「気付くのが遅すぎるんだよ――ばーか」
すでに亜子は、朱天将の左側へ回り込んでいた。
三つの砲口が至近距離から朱天将を捉える。
「ちいいいいいいッ!!」
朱天将の血が、赤黒い奔流となって亜子へ襲いかかった。
『絶対に、通させない!!』
花奈の防壁が、奔流を正面から受け止める。
亀裂が走る。
それでも、花奈は退かない。
『亜子ちゃん! 今!!』
射線上の結界が開く。
「《91式徹光弾》――撃てッ!!」
カッ――!!
三本の光が一つに重なり、朱天将の肉体を呑み込んだ。
閃光が城内を駆け抜け、崩壊する城壁をまとめて吹き飛ばす。
「さすがは戦姫よ……だが、まだ我は死なぬ!!」
光が解ける。
朱天将は左肩から脇腹までを大きく抉られながらも、なお咆哮を上げていた。
「……ここまで。あとは、よろし……く……」
砕けた主砲とともに、亜子の意識が途切れる。
その横をすり抜け、理恵と杏樹が朱天将へ迫った。
蒼炎に焼かれた再生力は鈍っている。
それでも、抉られた左肩から脇腹へ赤黒い血が集まり始めていた。
「杏樹さん。私が隙を作ります!」
「任せちゃって! 絶対にトッキーへの道を開くから!!」
「鬼ノ刻――《追想》!!」
理恵の紫紺の双刃が交差する。
だが、朱天将の右拳が刀身の重なる一点を捉えた。
パリン――。
限界を迎えていた《立華鉢頭摩鋏》が、ついに砕け散る。
『お嬢様!!』
梓が飛び出そうとする。
「待ちなさい。あなたには、彼を守る役目があるのでしょう?」
傷ついた身体を起こした真理が、銀色の双刃を投げた。
「理恵! これを!!」
「お姉様の《立華鉢頭摩鋏》……!」
理恵は二本の柄を掴み、姉の瞳へ頷き返す。
「りえっち!!」
杏樹が生み出した巨大な泡へ、理恵は両足をつけた。
ボヨンッ!!
弾力を利用し、一気に朱天将の間合いへ飛び込む。
「無駄な真似を!!」
朱天将の拳が、理恵の胴を横薙ぎに打ち抜いた。
「かはッ!!」
理恵は避けなかった。
防壁へ回していた力まで、すべて刃へ注ぎ込んでいた。
「あなたの再生を止めるには……こうするしか、ありませんでしたから」
銀色の双刃が、左肩から脇腹へ集まる赤黒い血の流れを横断する。
蒼炎によって弱っていた酒気が寸断され、再生しかけた血肉が崩れ落ちた。
役目を果たした理恵が、力なく落下する。
「――そこか!!」
朱天将は振り向かず、背後へ血の奔流を放った。
すでに杏樹は背後へ回り込んでいる。
「悪鬼転身!!」
《篥歯》へ姿を変え、奔流を紙一重でかわす。
(亜子ちゃんと、りえっちが作ってくれた隙――絶対に無駄にしない!!)
「《ビビデバ弾》!!」
赤いシャボン玉が朱天将へ飛ぶ。
「知っているぞ。それは衝撃を加えれば爆発するのであろう?」
朱天将は、赤い泡を右手で優しく包み込んだ。
触れただけでは爆発しない。
「なっ……うそ――」
ドスッ。
血の槍が杏樹の身体を貫いた。
悪鬼転身が解け、意識が薄れていく。
(どうして、わたしは……最後まで……!)
「あら。随分と、お困りのようですわね」
落下する杏樹を、大明寺レイカが抱き止めた。
「レ……レイカ……?」
「涙は、あなたには似合いませんわよ」
レイカは一輪の《英傑月誅》を放つ。
「それに、まだ負けたと決まってはいないでしょう!!」
朱天将の血が円輪を叩き落とした。
「どこまでも、我へ食らいつくか!」
「あら。わたくしの《英傑月誅》が、一輪だけだとお思いになって?」
背後から二輪目が迫る。
朱天将は身体をひねり、鋭い蹴りで弾き飛ばした。
「まったく……あんたは、さすがだよ……レイカ」
その動きに連動し、赤い泡を包んでいた右手にも力が入る。
パチン。
「――ッ!?」
ドガアアアアアアアッ!!
《ビビデバ弾》が至近距離で炸裂した。
熱された水蒸気と衝撃が朱天将を呑み込み、城内を激しく揺らす。
杏樹とレイカも余波に吹き飛ばされ、互いを支えたまま意識を失った。
「――ぐッ!?」
爆炎から弾き出された朱天将が、崩れ落ちる瓦礫へ片膝をつく。
左肩から脇腹の傷は塞がらず、全身には無数の裂傷と火傷が刻まれていた。
それでも、まだ倒れない。
「まさか……これほどまでの傷を負わされるとはな」
血を吐き捨てる。
生命の危機へ怒りを覚えながらも、その胸はかつてない戦いに高鳴っていた。
「奇遇だな」
「――!」
朱天将が振り返る。
その背後には、蒼炎を宿した《灰切》を構える和泉が立っていた。
「俺も、ここまで勝ちたいと思ったのは初めてだよ。朱天」
「貴様、あえて攻撃へ加わらなかったな!!」
朱天将は残る血へ、すべての酒気を混ぜ込む。
放たれた血酒が無数の棘へ凝固し、和泉の肩、脇腹、両脚を貫いた。
「ぐッ……!」
それでも、和泉は構えを解かない。
「違うぜ、朱天。攻撃しなかったんじゃない」
真っすぐに朱天将を見据える。
「できなかったんだ」
傷つき、立っていることさえ不思議な少年。
だが、朱天将の眼には、その背後に《黒き疾風》の姿が重なっていた。
「お前を討つには……生半可な一撃じゃ意味がない」
《灰切》の表面から、音も熱風もない蒼炎が立ち上る。
「そうか……そういうことか」
朱天将の怒りが消え、恍惚とした笑みが浮かんだ。
「我は、あの男を恐れていた。恐れながらも、いつか越えたいと願っていたのだ」
残された右手を握り締め、最後の酒気を噴き上げる。
「だからこそ、奴の姿を見せる貴様を越えねばならぬ――赤き烈火よ」
和泉と朱天将。
二人は、次の一撃へ己のすべてを懸ける。
『これで……どうにか、蒼炎の形を保てたようですね』
傍らの緋色の慧珠から、途切れかけた梓の声が響いた。
「ありがとうございました。今の俺一人じゃ、この炎を維持できませんでしたから」
緋色の光へ亀裂が走る。
『でしたら……あとは、あなたへお任せいたします』
梓の声とともに、緋色の慧珠が砕けるような光となって散った。
仲間たちがつないだ道の先。
立っているのは、和泉と朱天将の二人だけだった。
一陣の黒き風が、二人の間を吹き抜ける。
ダッ――。
二つの影が、同時に消えた。
ドオオオオオオン!!
朱天将が一瞬で和泉の懐へ踏み込み、手刀で胸元を貫く。
「もらったぞ!!」
だが――。
「――《朧陽炎》」
「何ッ!?」
貫かれた和泉が、炎となって揺らめいた。
ただの幻影。
手刀はその奥の瓦礫へ深々と突き刺さる。
本物の和泉は、すでに朱天将の真横で《灰切》を腰だめに構えていた。
(これで――!!)
蒼き刀身から、巨大な炎が伸び上がる。
「まだだあああああッ!!」
朱天将は、瓦礫へ刺さった右腕を身体ごとねじって引き抜いた。
骨と関節が砕け、腕が力なく垂れ下がる。
それでも身体を強引に回し、左脚を和泉の顔面へ振り抜いた。
「終わりだああああああああ!! 和泉百希夜!!」
(避けられない!)
和泉に残されたのは、相打ち覚悟で《灰切》を振り抜くことだけ。
しかし――。
「……させ、ない……よ」
瓦礫の中で倒れていた大久保が、最後の力で印を結んだ。
ドンッ!!
巨大な象脚の幻影が、朱天将の左脚を下から蹴り上げる。
「ぐッ!?」
必殺の蹴りが、和泉の頭上を逸れた。
そのわずかな介入が、勝敗を分ける。
《灰切》へ込められていた蒼炎が、一気に燃え上がった。
「朱天……お前は、すげえよ」
柄を握る手が焼け、皮膚が裂ける。
それでも和泉は、決して《灰切》を離さない。
「俺一人じゃ、何度やってもお前には届かなかった」
ここまで戦い、道をつないだすべての仲間が、和泉の背中を押している。
「でも、俺は一人じゃない。背中を預けられる、信頼できる仲間がいる!」
蒼く燃える刀身を振り上げる。
「だから――お前を超えられる!!」
蒼炎が、一筋の線となって朱天将へ迫った。
「来い!! 開現師どもよ!!!」
朱天将は歓喜に満ちた咆哮を上げる。
もはや逃げない。
避けることも、防ぐこともしない。
待ち望んだ一撃を、その肉体で真正面から受け止める。
「越えろ――」
和泉は《灰切》を最後まで振り抜いた。
「《蒼き超越》ォォォ!!!」
蒼き一線が、朱天将の肉体を斬り上げる。
肉体を。
酒気を。
鬼夢を。
朱天将という存在を現世へつなぎ止める、そのすべてを焼き尽くしながら――。
蒼炎は鬼哭餓亂城の天井を貫き、天へ昇った。
《蒼窮ノ焔》が限界を超えて広がり、城を覆う闇を切り裂く。
そして、京都全域の空を覆い尽くしていた暗雲を、真っ二つに斬り払った。
雲間から、夜空の輝きが地上へ降り注いだ。
「……よくやったな」
崩れ続ける鬼哭餓亂城の中。
黒の部隊の四人と朱天将は、再び互いを見据えていた。
これが最後の一戦となる。
誰に告げられるまでもなく、その場にいる全員がそう確信していた。
城壁の一角に亀裂が走る。
崩落の轟音が響き渡った、その瞬間――。
ガンッ!!
四つの光と、一つの巨大な邪気が激突した。
真っ先に飛び込んだのは、亜子だった。
「はあッ!!」
鋭い拳が朱天将の顔面へ迫る。
朱天将は右手をわずかに動かし、軽く受け流した。
――はずだった。
「……?」
拳を受けた指が、あり得ない方向へ捻じ曲がっている。
亜子は間髪入れずに身体を回転させ、顔面へ蹴りを放った。
シュッ!!
朱天将は身を引いたが、爪先が頬を掠め、赤い筋を刻む。
(先ほどよりも、鋭い……?)
威力も、速さも、精度も。
つい先刻までとは、まるで別人だった。
朱天将が亜子を振り払おうとした、その時。
亜子の背後から、理恵が飛び出した。
紫紺の双刃が妖しく煌めく。
「はああッ!!」
振り上げられた一方の刃を、朱天将は事もなげにかわした。
「遅い」
だが――。
返す刃が、一瞬にして加速する。
「――!」
朱天将の眼すら追いつけぬ紫紺の一閃が、左肩を斬り抜けた。
ザンッ!!
左腕が赤黒い血を撒き散らしながら宙を舞う。
「何……!?」
朱天将は残された右腕を理恵へ振るう。
しかし、その指は亜子の拳によって砕かれていた。
「泡連弾!!」
杏樹の泡弾が、動きの鈍った右肩へ集中する。
一発、二発、三発。
同じ一点へ衝撃が重なり、肉と骨が内側から爆ぜた。
バンッ!!
残された右腕も、肩口から弾け飛ぶ。
亜子が崩す。
理恵が左腕を断つ。
杏樹が右腕を奪う。
「今だよ! トッキー!!」
最後に、赤い閃光が走った。
「紡げ――《赤い一線》!!」
斬――。
赤き刀身が朱天将の身体を斜めに斬り抜ける。
「ぐおッ!?」
右肩から脇腹へ。
白衣を裂き、その下の肉へ深い傷を刻み込む。
朱天将が、たまらず大きく後退した。
四人のヴァジュラが、同じ震えを刻んでいる。
それは、和泉一人が導き出した答えではない。
四人の力が紡ぎ上げた、黒の部隊だけの解だった。
「まさに、驚嘆……」
その言葉に、嘘も皮肉もない。
朱天将の口からこぼれた、純粋な称賛だった。
己よりはるかに劣るはずだった、人という種。
その者たちが、果たしてここまで登り詰めるものなのか。
朱天将の胸に、まだ童だった頃の渇望が蘇る。
笠井へ挑み、敗れたあの日に捨て去ったはずの想い。
(こいつらに、勝ちたい!!)
支配でもない。
破壊でもない。
ただ、眼前の強敵を自らの力で打ち倒したい。
その純粋な衝動が、朱天将の力をさらに研ぎ澄ませていく。
「我を――舐めるなあああああ!!」
「くッ!?」
膨大な瘴気が噴き上がり、四人を後方へ弾き飛ばした。
同時に、城内へ飛び散っていた赤黒い血が宙へ浮かぶ。
血は逆流するように朱天将へ集まり、切り飛ばされた両腕を形作っていった。
骨が伸び、肉が盛り上がる。
やがて両腕は完全に再生し、胴の裂傷も急速に塞がれていく。
「……この傷だけは、癒えきらぬか」
斜めに走る傷の一部だけが、細い傷跡となって残っていた。
朱天将は再生した右手でその傷をなぞり、四人へ掌を掲げる。
「どうやら我は、いまだ貴様らを見くびっていたようだ」
その手が強く握り締められた。
瞬間――。
ボッ!!
「――ッ!?」
和泉たちの身体から炎が噴き上がった。
外から浴びせられたものではない。
血肉の奥から燃え上がり、四人の身体を内側から焼いていく。
「貴様らの体内には、いまだ我が酒気が流れている」
真理の力によって大半を押し出され、その後も時間の経過とともに薄まってはいた。
だが、血に残ったわずかな酒気を、朱天将は再び活性化させたのだ。
「これで――終いだ」
炎の勢いが増す。
朱天将の瞳には、戦いが終わることを惜しむような寂しさが宿っていた。
その時――。
燃え盛る炎の中から、笑い声が聞こえた。
「これで……終わりだと?」
和泉が、炎に焼かれながら笑っている。
「なら、朱天。てめえは、まだ俺たちを見くびってるみたいだな!!」
和泉の内側で暴れ狂っていた炎が、胸元へ収束していく。
「何……?」
(我が炎を……喰らっているのか?)
酒気から生じた炎を拒むのではなく、自らの炎へ取り込んでいた。
「俺だけじゃないぜ?」
「はあああッ!!」
理恵が立華鉢頭摩鋏の刃を、自らの身体へ走らせる。
血に混じった酒気の流れだけを断ち切り、傷口から体外へ排出する。
「むむむ……おりゃあああああ!!」
杏樹はデガ喇叭から生み出した微細な泡を呑み込み、酒気を包み込んで吐き出した。
「……はッ!!」
亜子の身体が激しく発光し、その光とともに肉体を蝕んでいた酒気を体外へ押し出す。
四人を焼いていた炎が消えた。
呼吸は荒い。
手足は震え、ヴァジュラの維持さえ限界に近い。
それでも、誰一人として膝をつかなかった。
「この程度で、わたくしたちを止められるとお思いですか?」
「へん! わたしたちは、この程度じゃ止められないよ!!」
「みんな、一気に行くよ!!」
亜子の声に応じ、四人は再び駆け出した。
「まだまだ我を楽しませてくれるか――黒の部隊!!」
朱天将もまた、歓喜のまま踏み込む。
四人のヴァジュラが、再び同じ震えを刻み始めた。
◇◇◇
崩れ続ける鬼哭餓亂城が、菩提府本部の巨大なモニターへ映し出されていた。
宮津市内に現れていた悪鬼は消滅したとの報告が、次々と入っている。
「現実への侵食は、最小限に抑えられたか」
菩提府長官・矢野は険しい表情のまま、背後の大塚へ問う。
「だが、首領を倒さぬ限り終わりではない。本当に彼らへ任せてよいのか?」
「愚問だな。あの子らなら、必ずやってくれるさ」
「彼らが、“供振現象”へ至ると?」
大塚は、モニターの中で明滅する四つの光を見据えた。
「一人の悪鬼が深化の極点に触れた時、その振動が他の悪鬼へ伝わり、互いの力を限界以上に引き出していく」
実力が近いだけでは足りない。
互いを認め、背中を追い続けてきた者たちだからこそ起こり得る。
「あの子らを集めた理由の一つさ」
大塚は迷いなく言い切った。
「あいつらなら、必ず辿り着く」
◇◇◇
「「「「うおおおおおおお!!」」」」
「はあああああああ!!」
四つの光と、朱天将の邪気が正面から激突する。
攻撃を重ねるたび、四人の力はさらに高まっていく。
だが――。
ピシッ……。
「――ッ!?」
点火針に細い亀裂が走る。
続いて立華鉢頭摩鋏、デガ喇叭、亜子の砲身にも亀裂が生じた。
肉体だけでなく、四人の力を支えてきたヴァジュラも限界を迎えていた。
亀裂が全体へ広がり、四つの武器が砕けかけた、その瞬間――。
『みんな、お待たせ!!』
笠井が穿った風穴から、青い慧珠が飛来した。
青い光が点火針を包み、亀裂の進行を止める。
「七瀬さん!!」
続いて、緋色の慧珠が城内へ飛び込んできた。
『お嬢様、皆様。遅くなり、申し訳ございません』
「梓!!」
二つの慧珠から放たれた光が、四人のヴァジュラをつなぎ止めていく。
『完全には直せません! ですが、最後の攻勢までは支えます!!』
青と緋色の光に支えられ、崩壊寸前だった四つのヴァジュラが、辛うじて形を保った。
その支えを受け、四人の力がさらに大きなうねりとなって朱天将を押し返していく。
「何だ……この力は……?」
一人一人であれば、崩界皇たる己に届くはずがない。
吹けば消えるほどにか弱い火が、互いを燃え上がらせ、己へ届く炎へと深化している。
その力の奔流が、和泉の内に眠る悪鬼を呼び起こした。
「まだ、やれるな……白影」
内なる魔蟲は答えない。
ただ、意識の深奥で白き大百足が蜷局を巻き、その身に地獄の業火を脈打たせていた。
言葉などなくとも、意志は伝わる。
(絶対に、勝つ!!)
「悪鬼招来――刃火血刹!!」
白銀の大百足の幻影が現れ、地獄の業火が和泉の肉体へ絡みつく。
だが、その熱量はあまりにも大きすぎた。
噴き上がった炎が、理恵、杏樹、亜子までも焼き始める。
『いけません! 和泉様の力を抑えないと――!』
『待って、梓さん』
花奈が梓を制した。
『百希夜君を信じましょう』
「梓。このままで構いません」
炎に焼かれながら、理恵が凛とした瞳を和泉へ向ける。
「これは、和泉さん一人の炎ではありません」
「トッキーなら、絶対にものにできる!」
「それに――私たちもいるから」
誰一人として炎から逃れようとしない。
和泉だけへ、すべてを背負わせようともしない。
『……分かりました。わたくしも、皆様を信じます』
「だったら――全員で、あいつをぶっ倒すぞ!!」
四人のヴァジュラが震えた。
理恵の紫紺。
杏樹の水色。
亜子の白光。
それぞれの力が和泉の赤と重なり合う。
花奈の青と梓の緋色は、その響きが崩れぬよう外側から支え続けていた。
四人の悪鬼が刻む振動が一つとなり、業火をさらなる段階へ導いていく。
赤き炎が、白へ。
そして――。
赫奕たる炎は、蒼穹の色へと至る。
「炎が……蒼くなった……?」
朱天将の顔から、初めて笑みが消えた。
激しく燃え上がっているはずなのに、音も熱風もない。
透き通るような蒼炎が、四人の身体を一つの輪のように包み込む。
先ほどまで皮膚を焼いていた熱は、もう誰にも感じられなかった。
和泉が点火針を構えると、刀身は巨大な両刃剣・灰切へ変わった。
「――蒼窮ノ焔!!」
透き通る蒼炎が、灰切の刀身へ宿る。
まだ、刃は振るわれてすらいない。
それでも、ぶつかり合う邪気へ触れた蒼炎が朱天将へ燃え移った。
「うぬうううッ!!」
朱天将は初めて自ら攻防を断ち、後方へ飛び退いた。
赤き肌が焼け爛れ、傷を塞ごうと集まった血さえ、蒼炎に触れた途端に燃え尽きる。
「再生が……追いつかぬ……?」
蒼炎は朱天将の酒気と鬼夢を焼き、その再生力を急激に鈍らせていた。
「くっ……くく……」
朱天将の口元が、ゆっくりと吊り上がる。
圧倒的な愉悦。
笠井に敗れたあの日以来、久しく忘れていた本物の恐怖。
相反する感情が混じり合い、いかなる美酒よりも深い酩酊を与えていた。
「これだ……我が、求めていたものは……!」
灰切を握り締めながら、和泉は蒼炎がさらに研ぎ澄まされていくのを感じていた。
重く、扱いにくかった灰切。
今なら、その意味が分かる。
(灰切は、炎を刃へ留め――斬撃へ変えるための姿だったんだ)
薄墨色の刀身が、透き通る蒼へ染まる。
『皆さんのヴァジュラは、もう長くはもちません!』
花奈の声に、理恵、杏樹、亜子が構え直した。
「杏樹さん、亜子さん。よろしいですね?」
「当然!」
「和泉君の道を……あたしたちが開く!」
和泉は力強く頷き、蒼く燃える切っ先を朱天将へ向ける。
「決着をつけよう」
「ならば貴様らも、この崩れゆく城とともに塵となれ!!」
先に仕掛けたのは、亜子だった。
「形態変化――《45口径三連装式陽電子砲》、解放!!」
亜子のヴァジュラが巨大な三連装主砲へ変形する。
朱天将が掌を傷つけ、流れ出た血を無数の槍へ変えた。
「――行け!!」
殺到する血の槍を、理恵の双刃と杏樹の泡弾が打ち払う。
「花奈さん、援護をお願い!!」
『オーケー! 思い切りかましちゃって!!』
青い結界が亜子を包む。
その内側で、砲身へ注がれた光が巨大な弾丸へ圧縮されていく。
(この一発なら、通る!)
だが、朱天将は即座に距離を広げた。
最大火力形態の主砲は、重すぎる。
亜子一人では追いつけない。
「ならば、私が送り届けよう!!」
その声とともに、上空から一つの影が飛び込んでくる。
鳶法師となった芦谷だった。
バーミリオンとの戦いで失った片翼は、花奈の力によって応急的に取り戻している。
決して万全の状態ではない。
それでも芦谷は、残された力を振り絞って空を駆けた。
「芦谷先生!」
芦谷は亜子を主砲ごと掴み上げる。
「今、奴を倒せるのは君たちしかいない!」
血の槍をかわしながら加速する。
そして、朱天将との距離が一気に縮まった、その瞬間――。
「だからこそ、私にも道を開く役目がある!!」
芦谷は、亜子を朱天将へ向けて全力で放り出した。
ピイイイイイイイッ!!
甲高い鳴き声が朱天将の動きを一瞬止めた。
朱天将は怒りのまま、無数の血の矢を芦谷へ放つ。
避ける余力は、もう芦谷にはない。
その前へ、三つの影が飛び込んだ。
篠宮、白峰、九条。
三人は防御壁を最大まで展開し、血の矢を受け止める。
「先生だけに、格好をつけさせるわけにはいきませんから……!」
朱天将の意識が、わずかに逸れた。
「気付くのが遅すぎるんだよ――ばーか」
すでに亜子は、朱天将の左側へ回り込んでいた。
三つの砲口が至近距離から朱天将を捉える。
「ちいいいいいいッ!!」
朱天将の血が、赤黒い奔流となって亜子へ襲いかかった。
『絶対に、通させない!!』
花奈の防壁が、奔流を正面から受け止める。
亀裂が走る。
それでも、花奈は退かない。
『亜子ちゃん! 今!!』
射線上の結界が開く。
「《91式徹光弾》――撃てッ!!」
カッ――!!
三本の光が一つに重なり、朱天将の肉体を呑み込んだ。
閃光が城内を駆け抜け、崩壊する城壁をまとめて吹き飛ばす。
「さすがは戦姫よ……だが、まだ我は死なぬ!!」
光が解ける。
朱天将は左肩から脇腹までを大きく抉られながらも、なお咆哮を上げていた。
「……ここまで。あとは、よろし……く……」
砕けた主砲とともに、亜子の意識が途切れる。
その横をすり抜け、理恵と杏樹が朱天将へ迫った。
蒼炎に焼かれた再生力は鈍っている。
それでも、抉られた左肩から脇腹へ赤黒い血が集まり始めていた。
「杏樹さん。私が隙を作ります!」
「任せちゃって! 絶対にトッキーへの道を開くから!!」
「鬼ノ刻――《追想》!!」
理恵の紫紺の双刃が交差する。
だが、朱天将の右拳が刀身の重なる一点を捉えた。
パリン――。
限界を迎えていた立華鉢頭摩鋏が、ついに砕け散る。
『お嬢様!!』
梓が飛び出そうとする。
「待ちなさい。あなたには、彼を守る役目があるのでしょう?」
傷ついた身体を起こした真理が、銀色の双刃を投げた。
「理恵! これを!!」
「お姉様の立華鉢頭摩鋏……!」
理恵は二本の柄を掴み、姉の瞳へ頷き返す。
「りえっち!!」
杏樹が生み出した巨大な泡へ、理恵は両足をつけた。
ボヨンッ!!
弾力を利用し、一気に朱天将の間合いへ飛び込む。
「無駄な真似を!!」
朱天将の拳が、理恵の胴を横薙ぎに打ち抜いた。
「かはッ!!」
理恵は避けなかった。
防壁へ回していた力まで、すべて刃へ注ぎ込んでいた。
「あなたの再生を止めるには……こうするしか、ありませんでしたから」
銀色の双刃が、左肩から脇腹へ集まる赤黒い血の流れを横断する。
「鬼ノ刻……《清浄》ッ!!」
蒼炎によって弱っていた酒気が寸断され、再生しかけた血肉が崩れ落ちた。
役目を果たした理恵が、力なく落下する。
「――そこか!!」
朱天将は振り向かず、背後へ血の奔流を放った。
すでに杏樹は背後へ回り込んでいる。
「悪鬼転身!!」
篥歯へ姿を変え、奔流を紙一重でかわす。
(亜子ちゃんと、りえっちが作ってくれた隙――絶対に無駄にしない!!)
「《ビビデバ弾》!!」
赤いシャボン玉が朱天将へ飛ぶ。
「知っているぞ。それは衝撃を加えれば爆発するのであろう?」
朱天将は、赤い泡を右手で優しく包み込んだ。
触れただけでは爆発しない。
「なっ……うそ――」
ドスッ。
血の槍が杏樹の身体を貫いた。
悪鬼転身が解け、意識が薄れていく。
(どうして、わたしは……最後まで……!)
「あら。随分と、お困りのようですわね」
落下する杏樹を、大明寺レイカが抱き止めた。
「レ……レイカ……?」
「涙は、あなたには似合いませんわよ」
レイカは一輪の英傑月誅を放つ。
「それに、まだ負けたと決まってはいないでしょう!!」
朱天将の血が円輪を叩き落とした。
「どこまでも、我へ食らいつくか!」
「あら。わたくしの英傑月誅が、一輪だけだとお思いになって?」
背後から二輪目が迫る。
朱天将は身体をひねり、鋭い蹴りで弾き飛ばした。
「まったく……あんたは、さすがだよ……レイカ」
その動きに連動し、赤い泡を包んでいた右手にも力が入る。
パチン。
「――ッ!?」
ドガアアアアアアアッ!!
ビビデバ弾が至近距離で炸裂した。
熱された水蒸気と衝撃が朱天将を呑み込み、城内を激しく揺らす。
杏樹とレイカも余波に吹き飛ばされ、互いを支えたまま意識を失った。
「――ぐッ!?」
爆炎から弾き出された朱天将が、崩れ落ちる瓦礫へ片膝をつく。
左肩から脇腹の傷は塞がらず、全身には無数の裂傷と火傷が刻まれていた。
それでも、まだ倒れない。
「まさか……これほどまでの傷を負わされるとはな」
血を吐き捨てる。
生命の危機へ怒りを覚えながらも、その胸はかつてない戦いに高鳴っていた。
「奇遇だな」
「――!」
朱天将が振り返る。
その背後には、蒼炎を宿した灰切を構える和泉が立っていた。
「俺も、ここまで勝ちたいと思ったのは初めてだよ。朱天」
「貴様、あえて攻撃へ加わらなかったな!!」
朱天将は残る血へ、すべての酒気を混ぜ込む。
放たれた血酒が無数の棘へ凝固し、和泉の肩、脇腹、両脚を貫いた。
「ぐッ……!」
それでも、和泉は構えを解かない。
「違うぜ、朱天。攻撃しなかったんじゃない」
真っすぐに朱天将を見据える。
「できなかったんだ」
傷つき、立っていることさえ不思議な少年。
だが、朱天将の眼には、その背後に《黒き疾風》の姿が重なっていた。
「お前を討つには……生半可な一撃じゃ意味がない」
灰切の表面から、音も熱風もない蒼炎が立ち上る。
「そうか……そういうことか」
朱天将の怒りが消え、恍惚とした笑みが浮かんだ。
「我は、あの男を恐れていた。恐れながらも、いつか越えたいと願っていたのだ」
残された右手を握り締め、最後の酒気を噴き上げる。
「だからこそ、奴の姿を見せる貴様を越えねばならぬ――赤き烈火よ」
和泉と朱天将。
二人は、次の一撃へ己のすべてを懸ける。
『これで……どうにか、蒼炎の形を保てたようですね』
傍らの緋色の慧珠から、途切れかけた梓の声が響いた。
「ありがとうございました。今の俺一人じゃ、この炎を維持できませんでしたから」
緋色の光へ亀裂が走る。
『でしたら……あとは、あなたへお任せいたします』
梓の声とともに、緋色の慧珠が砕けるような光となって散った。
仲間たちがつないだ道の先。
立っているのは、和泉と朱天将の二人だけだった。
一陣の黒き風が、二人の間を吹き抜ける。
ダッ――。
二つの影が、同時に消えた。
ドオオオオオオン!!
朱天将が一瞬で和泉の懐へ踏み込み、手刀で胸元を貫く。
「もらったぞ!!」
だが――。
「――朧陽炎」
「何ッ!?」
貫かれた和泉が、炎となって揺らめいた。
ただの幻影。
手刀はその奥の瓦礫へ深々と突き刺さる。
本物の和泉は、すでに朱天将の真横で灰切を腰だめに構えていた。
(これで――!!)
蒼き刀身から、巨大な炎が伸び上がる。
「まだだあああああッ!!」
朱天将は、瓦礫へ刺さった右腕を身体ごとねじって引き抜いた。
骨と関節が砕け、腕が力なく垂れ下がる。
それでも身体を強引に回し、左脚を和泉の顔面へ振り抜いた。
「終わりだああああああああ!! 和泉百希夜!!」
(避けられない!)
和泉に残されたのは、相打ち覚悟で《灰切》を振り抜くことだけ。
しかし――。
「……させ、ない……よ」
瓦礫の中で倒れていた大久保が、最後の力で印を結んだ。
ドンッ!!
巨大な象脚の幻影が、朱天将の左脚を下から蹴り上げる。
「ぐッ!?」
必殺の蹴りが、和泉の頭上を逸れた。
そのわずかな介入が、勝敗を分ける。
灰切へ込められていた蒼炎が、一気に燃え上がった。
「朱天……お前は、すげえよ」
柄を握る手が焼け、皮膚が裂ける。
それでも和泉は、決して灰切を離さない。
「俺一人じゃ、何度やってもお前には届かなかった」
ここまで戦い、道をつないだすべての仲間が、和泉の背中を押している。
「でも、俺は一人じゃない。背中を預けられる、信頼できる仲間がいる!」
蒼く燃える刀身を振り上げる。
「だから――お前を超えられる!!」
蒼炎が、一筋の線となって朱天将へ迫った。
「来い!! 開現師よ!!!」
朱天将は歓喜に満ちた咆哮を上げる。
もはや逃げない。
避けることも、防ぐこともしない。
待ち望んだ一撃を、その肉体で真正面から受け止める。
「越えろ――」
和泉は灰切を最後まで振り抜いた。
「蒼き超越ッ!!!」
蒼き一線が、朱天将の肉体を斬り上げる。
肉体を。
酒気を。
鬼夢を。
朱天将という存在を現世へつなぎ止める、そのすべてを焼き尽くしながら――。
蒼炎は鬼哭餓亂城の天井を貫き、天へ昇った。
蒼窮ノ焔が限界を超えて広がり、城を覆う闇を切り裂く。
そして、京都全域の空を覆い尽くしていた暗雲を、真っ二つに斬り払った。
雲間から、夜空の輝きが地上へ降り注いだ。
「……よくやったな」
闇を貫く蒼き光を見上げ、笠井は静かに呟いた。
蒼炎が、《黒き疾風》の外套を淡く照らす。
笠井は、その光の中で――和泉たちの勝利を見届けた。
次回予告
永き戦いは、終わった。
だが、勝利の裏には、必ず痛みが残る。
傷ついた者。
失った者。
立ち止まり、迷う者。
それでも、人は進まなければならない。
戦いの果てに残されたものを、受け止めるために。
次回、第90話「戦いの余韻」




