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夢幻開現師 ―夢の守り人―  作者: ks21
第八章:「鬼哭餓亂城・籠城編」
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第76話「言葉の刃を砕くもの」

反撃の幕が上がった鬼哭餓亂城。


北方の間では、亜子と真理がシナバーと対峙する。

言葉を刃に変え、人の傷を抉る四天王・シナバー。


真理の力が戦況を押し返す中、シナバーは二人の心に潜む“傷”を暴き始める。

悪意に満ちた言葉の部屋で、亜子の怒りと祈りが戦場を揺らす。

 北方の間。


 闇に沈むその空間では、四方の壁を埋め尽くす無数のモニターが、ぼうっと青白い光を放っていた。


 砂嵐。

 罵声。

 笑い声。

 悪意に満ちた文字列。


 それらが明滅する中、亜子と真理はシナバーと対峙していた。


「はッ!」


 シナバーは苛立ちを隠そうともせず、顔を歪める。


「頭数が増えたくらいで、勝てると思うんじゃねえぞ!!」


 だが、その直後。


 ふっと、その口元が歪んだ笑みに変わった。


「まあ……でもよぉ」


 シナバーの視線が、真理へ向く。


「あんたが相手なら、楽勝そうだけどな」


 その言葉を聞いた瞬間、亜子の眉がわずかに動いた。


 だが、真理は表情一つ変えない。


 次の瞬間には、すでに地を蹴っていた。


「あまり時間がないの」


 真理は立華鉢頭摩鋏(りっかはずまぎょう)の刀身を、鋭く振りかぶる。


「速攻で片づけさせてもらうわ!」


「おおっと」


 シナバーがスマホを口元へ寄せる。


「人の話は最後まで聞けって教えられなかったのかよ――ボケが!」


 音声入力された罵声が、モニター上に文字となって浮かび上がる。


 ――ボケ。


 その文字がぐにゃりと歪み、鋭いナイフとなって真理へ飛ぶ。


 だが。


「あんたの攻撃は、もう種が割れているのよ」


 真理は刀身を一閃させ、飛来した言葉の刃を弾き飛ばした。


 ガンッ!!


 弾かれた文字は空中で砕け、青白い粒子となって消える。


 そのまま真理は、一気に距離を詰める。


「へッ! 近づけばどうにかなるってか?」


 シナバーは素早く後方へ跳び、再びスマホへ指を滑らせる。


「安直なんだよ、そういうの!!」


 しかし、その時にはもう、真理の一手は終わっていた。


「うろちょろされるのも面倒だから――」


 真理の足元から、淡い紫の花弁が舞う。


「《蕣花縛塊(しゅんかばっかい)》」


「なッ!?」


 床を裂いて伸びた朝顔の蔓が、シナバーの腕へ絡みついた。


 スマホを持つ手が、ぎしりと締め上げられる。


「ちっ、うざ――」


「一気に仕留めるわ」


 真理の声が、冷たく響く。


「咲き誇りなさい――《薔異檻娃(バイオリア)》」


 その瞬間、真理の背後に異形の影が立ち上がった。


 頭部には、血のように赤い薔薇。

 肉体は幾重にも絡み合う茨によって形作られ、鱗のような花弁が全身を覆っている。


 美しく、禍々しい。


 花でありながら獣。

 檻でありながら刃。


 それが、真理の内なる悪鬼。


悪鬼招来(あっきしょうらい)――」


 真理の瞳に、鋭い光が宿る。


「《鱗花禍植獣(りんかかしょくじゅう)》」


 深化覚醒。


 真理の身体へ、薔薇と茨の異形が重なる。


 次の瞬間、彼女はシナバーへ迫った。


「うすのろが!」


 シナバーが拘束を引き千切りながら叫ぶ。


「そんなもん、当たるかよ!!」


 真理の銀の刃が振り下ろされる。


 シナバーは紙一重で身を逸らした。


 だが――。


「避けたつもり?」


 刀身が空を斬った瞬間、真理の身体から黄金の鱗粉が舞い上がった。


 それは光の霧となって、シナバーの顔面へ降りかかる。


「があああああッ!!」


 シナバーが両目を押さえて絶叫した。


「いってええええええ!! 目が、目があああ!!」


 斬撃そのものは避けた。


 だが、真理の狙いはそれだけではない。


 鱗粉が視界を奪い、距離感を狂わせる。

 スマホを操る指が、一瞬止まった。


「今よ!」


 真理が叫ぶ。


「了解」


 亜子は即座に機銃を構えた。


 激しい閃光が、シナバーへと迸る。


「調子乗んなよ! あばずれ共がよ!!」


 充血した目を押さえながらも、シナバーは叫ぶ。


 その罵声がモニターへ映し出され、瞬時に分厚い文字の壁となった。


 亜子の弾幕が、その壁へ叩き込まれる。


 ガガガガガッ!!


 光弾が文字の壁を削り、砕き、青白い粒子を散らす。


 だが、その一瞬の遅れで、シナバーは直撃を免れた。


「悪いけど、一気に落とさせてもらうわよ!」


 その隙に、真理はすでにシナバーの背後を取っていた。


 銀の刀身が、背中へ向けて振り下ろされる。


「くそッ!」


 シナバーは咄嗟に身体を捻り、刃そのものは避けた。


 しかし、再び舞い上がった鱗粉を今度は全身に浴びてしまう。


「があああああ! クソがああああ!!」


 鱗粉を浴びた皮膚から、じゅう、と煙が上がる。


 白い肌がただれ、焦げたように黒ずんでいく。


 その痛みに、シナバーの動きが止まった。


 真理は逃さない。


 斬ッ!!


 銀の一閃が、シナバーの胴を斬り裂く。


「ああああああ!!」


「まだ、もう一撃!」


 さらに、その背後から亜子が飛び込んだ。


 機銃を消し、身を低く沈める。


 次の瞬間、亜子の拳がシナバーの腹部へ叩き込まれた。


 ドゴッ!!


「ぐッ……!?」


 シナバーの身体がくの字に折れる。


 そのまま床へ叩き込まれた。


「ざっけんなよ、コラ――!?」


 怒りに任せて起き上がろうとしたシナバーの視界に、落下してくる二人の影が映る。


 真理と亜子。


 二人が、同時に追撃へ移っていた。


「ち、ちくしょおおおお!」


 シナバーは急いで横へ転がる。


 すんでのところで、真理の刃と亜子の蹴撃が床を穿った。


 だが、逃げた先にも亜子がいた。


「舐めやがっ――ガハッ!?」


 罵倒を吐くより早く、亜子の拳が再び腹部へ入る。


 無駄のない一撃。


 感情を乗せない、しかし確実に相手の体勢を崩すための拳。


「まだ、いくよ」


 亜子は低く呟く。


 そのまま床へ両手をつき、脚を大きく折りたたむ。


 そして――。


 ゴッ!!


 両脚を、シナバーの腹部へ向けて一気に跳ね上げた。


「がッ、あ……!?」


 その衝撃で、シナバーの身体が宙へ浮く。


 間髪入れず、真理がそこへ舞い上がった。


「さすが、“虎の子”ってところね」


 真理は宙で立華鉢頭摩鋏を構える。


「これほどの連携が取れるなんて、さすがだわ」


 亜子は短く息を吐く。


「褒めるのは、倒してからでいい」


「そうね」


 真理の口元に、わずかに笑みが浮かぶ。


 そして、銀色の刃が月光のように煌めいた。


「百合の舞い――《佐葦牙(サイガ)》!!」


 銀色の一閃が、シナバーの身体を斬り裂いた。


「が、は――ッ!!」


 シナバーの身体が床へ叩きつけられる。


 モニターの青白い光が、倒れ伏した彼女の影を歪に伸ばしていた。


 北方の間に、束の間の静寂が落ちる。


 ぱち、ぱち、と。


 壊れかけたモニターの火花だけが、闇の中で小さく弾けていた。


 シナバーは、ぴくりとも動かない。


 亜子は銃口を下ろさないまま、息を整える。


 真理もまた、立華鉢頭摩鋏を構えたまま、倒れた敵を見下ろしていた。


 勝った――。


 そう思ってもおかしくないだけの沈黙だった。


『お見事です、真理様』


 深紅の慧珠から、梓の声が響く。


「お世辞なんて、今更無用よ。梓」


 真理は淡々と返す。


 その声色には、どこか乾いた距離があった。


 事情を知らない亜子でさえ、その短いやり取りの中に何かしらの確執があることは分かった。


 黙って真理を見つめていた亜子に、真理が気づく。


「ああ。まだ言っていなかったわね」


 真理は、立華鉢頭摩鋏を下ろし、静かに名乗る。


「私の名前は、來瀬川(くるせがわ)真理よ」


「……來瀬川」


『真理様は、お嬢様の姉君です』


 梓の言葉に、亜子は一瞬だけ目を細めた。


 來瀬川理恵。


 その名と、目の前の女の横顔が重なる。


「まあ、もう“來瀬川家”ではないのだけれど」


 真理は、何でもないことのように言った。


 だが、その一言の奥にあるものまでは、亜子にも分からない。


 ただ、合同訓練が始まる前、理恵が真理を見た時に見せたわずかな翳り。


 その意味だけは、何となく理解できた気がした。


「さて」


 真理は、再び視線を前へ向ける。


「他の者たちも、まだ戦っているわ。あなたも来なさい」


 そう言って歩き出そうとした、その瞬間だった。


「ハハッ」


 床に倒れていたはずのシナバーが、笑った。


「まだ終わってないんだけど?」


「――ッ」


 亜子と真理が、同時に構え直す。


 シナバーは、ゆっくりと立ち上がった。


 身体は斬り裂かれ、皮膚はただれ、血が床へ滴っている。

 それでも、その瞳には暗い炎が爛々と燃えていた。


「しぶといわね」


 真理の声が低くなる。


「一気に引導を渡してあげる」


「あ~?」


 シナバーは、血に濡れた口元を吊り上げた。


「まだ自分が上にいるつもりかよ」


 その瞬間、暗く沈んでいたモニター群に、一斉に光が灯った。


 ざざっ。

 ざざざざざっ。


 砂嵐の画面に、無数の文字列が走り始める。


「もう掴んでんだよ」


 シナバーは、スマホを握りしめる。


「てめえらの“キュー”をさ」


 真理は立華鉢頭摩鋏を掲げ、一気に踏み込んだ。


「黙りなさい」


「おいおい」


 シナバーの耳元まで裂けた口角が、ぐにゃりと上がる。


「誰が動いていいって言った?」


 そして、彼女は囁く。


「“負け犬”ちゃんがよぉ」


 瞬間。


「――ッ!?」


 真理の胸元が、不可視の刃に斬り裂かれた。


 血が飛ぶ。


 防げなかった。


 避けられなかった。


 そもそも、その刃は外から飛んできてすらいなかった。


「な、に……?」


 真理の表情に、初めて明確な動揺が浮かぶ。


 シナバーは、それを見て愉悦に顔を歪めた。


「ハハハッ!! おうおう、悲しいなあ!」


 モニターに、次々と言葉が浮かび上がる。


 ――負け犬。

 ――出来損ない。

 ――選ばれなかった方。


「才能が下手にあるってのも、しんどいよなあ?」


 真理の肩が、わずかに震える。


「努力すれば届くと思ってた?」


 ざざっ。


 画面の文字が増える。


「頑張れば認められると思ってた?」


 ざざざっ。


「でも、結局――」


 シナバーがスマホを口元へ近づける。


「親も、てめえの出来には“がっかり”だったんじゃねえの?」


 不可視の斬撃が、真理の身体を襲う。


「ぐ……ッ!」


 肩。

 脇腹。

 太腿。


 次々と血が散る。


 先ほどまでの優勢が、たった一言で崩れ去っていく。


「真理さん!」


 亜子が叫び、シナバーへ銃口を向ける。


 だがシナバーは笑っていた。


「ああ~? な~に気にしてんだか」


 シナバーの視線が、今度は亜子へ向く。


「てめえは、“誰一人助けらんねえ”だろうがよ!」


「――っ」


 次なる言葉のナイフが、亜子を刻む。


 シナバーの口元が、さらに歪む。


「いいねえ。二人そろって、傷口だらけじゃん」


 モニターの青白い光が、北方の間を不気味に照らす。


 真理は膝をつき、亜子もまた一瞬、呼吸を乱した。


 だが、シナバーはなお笑う。


「さあ、続きやろうぜ」


 その瞳には、勝利の確信ではなく、他者の傷を暴くことへの純粋な快楽が宿っていた。


「てめえらのクソみてえな人生も、とっくに割れてんだよ!」


 シナバーは、ゆっくりとスマホを掲げる。


「心ごと、切り刻んでやるよ」


 圧倒的な嗜虐性を剥き出しにするシナバー。


 その前で、真理は再び立華鉢頭摩鋏を握り直した。


 胸元から流れる血が、白い隊服を赤く染めている。

 だが、彼女の瞳から闘志は消えていない。


「……まだよ」


 真理は低く呟き、地を蹴った。


 銀の刀身が、北方の間の青白い光を斬り裂く。


「あらら~」


 シナバーが、にやにやと笑う。


「さっきより、随分と勢い落ちてんぞ?」


 その言葉通りだった。


 真理の踏み込みは鋭い。

 刃筋も、決して鈍ってはいない。


 だが、先ほどまでの圧倒的な冴えはない。


 “負け犬”。


 その一言が、真理の内側に楔のように突き刺さっていた。


 呼吸が乱れる。

 判断が、ほんのわずかに遅れる。

 刃の軌道が、一瞬迷う。


 それだけで、シナバーには十分だった。


「まだよ!!」


 真理の身体から、再び黄金の鱗粉が噴き上がる。


 先ほどよりも濃く、鋭く、強酸性を帯びた光の霧。


 それがシナバーへ襲いかかった。


「くッ!」


 鱗粉が皮膚を焼く。


 傷口に触れた瞬間、じゅう、と嫌な音を立て、激痛がシナバーの全身へ走った。


「おおっと、さすがにそれは懲りたぜ」


 それでもシナバーは笑っている。


 スマホの画面へ、素早く指を走らせる。


「――“七光り”の“甘ちゃん”がよ」


 表示された文字が、鋭利なナイフとなって真理へ飛ぶ。


『これ以上はやらせません!!』


 梓の慧珠が深紅の光を放つ。


 真理の前に結界が展開され、飛来した言葉の刃を弾き返した。


 ガンッ!!


 ナイフは砕け、青白い粒子となって散る。


 だが――。


「フフフ……防いだつもりかよ」


 シナバーが、口角を吊り上げる。


「なあ、てめえの“妹”と比べてさあ……随分と“おざなりな能力”だよなあ?」


 ザシュッ――。


「――ッ!?」


 結界をすり抜けるように、真理の身体が斬り上げられた。


 肩から脇腹にかけて、赤い線が走る。


『結界をすり抜けた!?』


 梓の声に、初めて動揺が混じる。


「ハッ! 防げるわけねえだろうがよ!!」


 シナバーは腹を抱えるように笑った。


「外から飛ばしてるんじゃねえんだよ。そいつが勝手に、内側から傷ついてるだけなんだからよおお!!」


 真理の膝が、わずかに沈む。


 だが、その隙を突くように、亜子は冷静に攻撃態勢を整えていた。


形態変化(モードチェンジ)――」


 亜子のヴァジュラが、光を帯びて形を変える。


「《光学式60口径三連メーザー砲》」


 機銃は巨大な三連装砲へと変化し、砲口がシナバーへ向けられる。


 しかし。


「ムキになってんじゃねえよ」


 シナバーの声が、低く沈んだ。


「てめえは、“誰一人救えない”――」


 モニターに文字が走る。


 ――誰一人救えない。


「“疫病神”だろうがよ」


 ――疫病神。


「うっ……!」


 亜子の身体が、びくりと強張った。


 次の瞬間、彼女の腹部と右肩に、見えない刃が突き刺さる。


 外から飛んできたものではない。

 砲身で防げるはずもない。


 亜子の内側から、言葉が凶器となって突き上がったのだ。


「てめえは、とっとと寝てやがれ!!」


 シナバーが踏み込む。


 その蹴りが、亜子の顔面へまともに叩き込まれた。


「がッ……!」


 亜子の身体が大きく弾かれる。


 構えかけていた三連メーザー砲から引き剥がされ、床へ叩きつけられた。


 真理もまた、斬撃の痛みに膝をつく。


 北方の間に、二人が倒れる。


 その中心で、シナバーだけが満足そうに立っていた。


「カハハハハッ!!」


 彼女の笑い声が、モニターのノイズと混ざって反響する。


「随分と余裕ぶった顔して、結局こんなもんなんだよなああ!! てめえらはよおおお!!」


 シナバーは倒れた亜子へ歩み寄る。


 そして、躊躇なくその顔を踏みつけた。


「……っ」


 亜子の表情が歪む。


「おいおい、てめえさあ」


 シナバーは、ぐり、と靴底に力を込めた。


「あたしたちの“実験”で、その力を得たくせによお」


 その言葉に、亜子の瞳がわずかに揺れる。


「随分と調子に乗ってくれたじゃねえかよおおおお!!」


 次の瞬間、シナバーの蹴りが亜子の腹部へ叩き込まれた。


 ドゴッ!!


「かはッ!?」


 亜子の口から、苦しげな息が漏れる。


 さらにもう一撃。


 ドゴッ!!


「ぐ……っ」


 さらに、もう一度。


「なあ、思い出せよ」


 シナバーは、笑っていた。


「てめえの力が、誰の手で作られたものなのかをさあ」


 亜子は、床に伏したまま歯を食いしばる。


「くッ!? 好き勝手にして……!」


 真理が亜子の元へ走ろうとする。


 だが。


「ああ!? 都落ちのドぐされ野郎がいきがってんじゃねええ!!」


 シナバーの罵声が、真理を刺す。


「てめえなんてよぉ、妹の“出涸らし”だろうがよおおお!!」


 ザシュッ!!


 再び真理の身体を、辛辣な言葉が切り刻む。


「ぶッ……!!」


 血を吐きながらも、真理は立華鉢頭摩鋏にしがみつき、何とかその身を支えた。


 北方の間を満たす無数のモニターが、二人を嘲笑うように明滅していた。


 ――負け犬。

 ――がっかり。

 ――無能。

 ――疫病神。


 言葉が、刃となる。

 傷が、鎖となる。

 そしてシナバーは、その傷口を踏み荒らすことに酔っていた。


「さあ、もっと鳴けよ」


 シナバーは、血に濡れた口元を歪める。


「てめえらの悲鳴で、この部屋をバズらせてやるからよお」


「――随分と気分が良さそうね」


 その時だった。


 シナバーの足元に倒れていた亜子が、静かに口を開いた。


「でも、よそ見してていいの?」


「ああ?」


 シナバーが眉をひそめる。


 次の瞬間、彼女は気づいた。


 亜子から引き剥がされたはずのヴァジュラ。


 その巨大な三連メーザー砲の砲身が、すでにシナバーへ向けられていることに。


「なっ……!?」


 シナバーの顔色が変わる。


「バカか、てめえ!! 一緒に死ぬ気かよ!!」


 返答はない。


 ただ、砲身の奥に光が集束する。


 カッ!!!


 激しい閃光とともに、メーザー砲が火を噴いた。


 亜子もろとも、シナバーを焼き尽くさんとする極光の奔流。


 北方の間が、白く塗り潰される。


 轟音。

 爆風。

 砕け散るモニター。

 床を抉る光の奔流。


 砂塵が舞う中、ぎりぎりで射線から逃れたシナバーの額に、冷たい汗が滲んでいた。


「は……?」


 シナバーは、荒く息を吐く。


「あいつ、マジで……マジでよ……意味わかんねえ!!」


 怒りと困惑に顔を歪めながら、彼女は周囲へ視線を走らせる。


 だが、すでに亜子たちの姿は見失っていた。


「まったく……」


 爆煙の向こうで、真理の声が響く。


「藤本が結界を張っていなかったら、あなた死んでいたわよ?」


 爆発の直前。


 梓の結界と真理の補助によって、亜子は辛うじて直撃を免れていた。


 傷だらけの身体。

 血に濡れた頬。

 荒い呼吸。


 それでも、亜子の瞳にはまだ、勝負を降りていない者の光が宿っていた。


「ちょっと、手伝ってくれます?」


 亜子は、視線をシナバーから外さない。


「あたし一人じゃ、さすがに無理なんで」


 その言葉を聞いて、真理の瞳もまた鋭さを取り戻す。


「ええ。いいわ」


 真理は、立華鉢頭摩鋏を構え直した。


「次は、確実に仕留める」


 深紅の慧珠が、二人の間で淡く輝く。


 梓の浄化が、二人の傷をわずかに塞いでいく。


『全快……とはいきませんが、微力ながらお力添えを』


「梓さん、ありがとう」


 亜子は短く息を整える。


「これで十分」


 次の瞬間、真理が先に動いた。


「はあああああ!!」


 銀の刀身が、シナバーへ斬り込む。


「けッ!」


 シナバーが、口元を歪めた。


「“妹にも劣る出来損ない”に、何ができるってんだよ!!」


 その言葉が、真理の内側を切り裂く。


 胸の奥に不可視の刃が突き立つ。


 だが、真理は止まらない。


 ガンッ!!


 振り下ろされた刀身は、シナバーによって受け止められた。


「はッ! なんだよ?」


 シナバーは、真理の顔を覗き込むように笑う。


「ふらふらで、全然踏み込めてねえじゃねえかよ。ええ?」


「まだよ!!」


 瞬間、切り結んだ真理の身体から、大量の鱗粉が舞い上がった。


 これまで以上の濃度。


 金色の鱗粉は空気中で発火し、火花のように爆ぜ始める。


「ぐぐぐ……ッ!」


 シナバーの皮膚が焼ける。


 傷口に触れた鱗粉が肉を溶かし、激痛が全身を駆け巡る。


「ああ!? 芸がねえなあ!」


 シナバーは苦痛に顔を歪めながらも、なお吠えた。


「また自爆技かよ!!」


 その言葉どおりだった。


 発動している真理自身もまた、その鱗粉の毒性に身を焼かれている。


 だが、真理は笑った。


「あら」


 息を荒げながらも、冷たく告げる。


「でも、これであなたの動きを少しは止められたでしょう?」


「まさか――!?」


 シナバーが気づいた時には、すでに遅い。


 高濃度の鱗粉を突っ切り、亜子が全力でシナバーへ突撃していた。


「この“失敗作”が!!」


 シナバーが叫ぶ。


「てめえなんて、“他人の命を奪って生きる蛆”だろうがよ!!」


 その言葉が、亜子の身体を切り刻む。


 腹。

 肩。

 脚。


 さらに、周囲に充満する鱗粉が皮膚を焼く。


 ダメージは尋常ではない。


 だが、それでも亜子は止まらなかった。


「顕現――」


 亜子の腕に、光が集まる。


綾悉兵・砲部限定あやのしっぺい・ほうぶげんてい!!」


 彼女の腕に、メーザー砲の一門が装着される。


「けッ! 撃たせるかよ!!」


 シナバーは大きく口を開けた。


「“死神”がああああ!!」


 叫びと同時に、不可視の斬撃が走る。


 砲門を支えていた亜子の指が、血飛沫とともに弾け飛んだ。


「――ッ!!」


 それでも。


「まだあああああ!!」


 亜子は叫ぶ。


 指を失っても、腕で砲身を抱え込む。

 崩れかけた姿勢を、力ずくで支える。


 そして、そのまま砲口をシナバーの身体へ押しつけた。


「ぬがああああああ!!」


 巨大なメーザー砲の砲身が、シナバーの華奢な身体を吹き飛ばす。


 ドゴオオオオッ!!


 シナバーが弾き飛ばされると同時に、亜子と真理もその場に崩れ落ちた。


『亜子さん、真理様!!』


「だ、大丈夫……」


 真理が辛うじて声を絞り出す。


「まだ、息はあるわ」


 だが、二人ともすでに限界を超えていた。


 身体は動かない。

 傷は深い。

 意識すら、今にも途切れそうだった。


『……真理様』


 梓の声にも、焦りが滲む。


 だが。


 まだ戦いは終わっていなかった。


「はああ!?」


 瓦礫の向こうから、怒号が響く。


「何、勝手に盛り上がってんだよ、ごらああああ!!」


 ボロボロになりながらも、シナバーが再び立ち上がった。


 全身は傷だらけ。

 皮膚は焼けただれ、血が垂れている。


 それでも、その瞳だけは異様な憎悪で爛々と燃えていた。


『ま、まだ生きているの……!?』


 梓の声には、はっきりと“絶望”が滲んでいた。


 しかし。


「いや」


 亜子が、ゆっくりと顔を上げる。


「これで終わりにする」


 その瞳は折れていなかった。


 ただ、真っ直ぐに敵だけを見つめている。


「何が終わりだ!!」


 シナバーが吠える。


「カッコつけてんじゃねえぞ!!」


 怒りと憎悪を、ありったけ言葉へ乗せる。


「てめえは、誰も救えねえよ!」


 不可視の刃が、亜子の身体を斬る。


「お前はずっと、ずうううっと!」


 さらに斬撃。


「誰かを助けることなんて出来やしねえんだよ、ダボが!!」


「ぐ……っ」


 腹。

 胸。

 腕。

 脚。


 もはや、傷ついていない場所を探す方が難しい。


 それでも、亜子は倒れなかった。


「そうだ!」


 シナバーの顔が、狂気に歪む。


「てめえは生かしてやるよ!!」


 その言葉に、亜子の瞳がわずかに揺れる。


「てめえ以外の連中をぶち殺して、その首をてめえの目の前に飾ってやる!!」


 モニターが明滅する。


 悪意に満ちた文字が、壁一面を埋め尽くす。


「さあ、後悔しな!!」


 シナバーは叫ぶ。


「生まれてきたことを!!」


 また斬撃。


「生き残っちまったことを!!」


 また斬撃。


「連中と関わっちまったことを!!」


 だが、その時だった。


 シナバーは、ようやく気づく。


 先ほどまで飛んでいた言葉のナイフが、消えていることに。


「――て、てめえ……」


 シナバーの声が、わずかに震える。


「まさか……!?」


 驚愕する彼女に、亜子は静かに視線を向けた。


 シナバーは、知らなかった。


 人は言葉によって傷つく。


 だが同時に。


 その言葉が、誰かの大切なものを踏みにじった時――。


 それを発した者への怒りもまた、刃となる。


 自分を傷つける言葉なら、まだ耐えられた。


 何度だって、押し殺せた。


 だが、仲間を踏みにじる言葉だけは許せなかった。


 今、亜子の瞳に映っていたのは、シナバー自身の姿だった。


 他者の傷を抉り、笑い、踏みにじり、痛みを見せ物にする醜悪な姿。


 そんなものを前にして、亜子の心を満たしていたのは恐怖ではない。


 怒りだった。


「あんた」


 亜子の声は静かだった。


「誰を前にしてるのか、わかってる?」


 すると、亜子はその場に跪いた。


 両手を顔の前で組み、静かに目を閉じる。


 その姿は、まるで天に祈る者のようだった。


「……悪鬼召喚(あっきしょうかん)


 ゴゴゴゴゴゴゴ……。


 北方の間が揺れ始める。


 いや。


 揺れているのは、北方の間だけではない。


 鬼哭餓亂城そのものが、亜子の呼び声に震えていた。


「抜鋲」


 バチンッ!!


 その瞬間、シナバーは確かに聞いた。


 何かを留めていた封が、弾け飛ぶ音を。


「――《|光学式超弩級戦艦・綾悉兵《こうがくしきちょうどきゅうせんかん・あやのしっぺい》》!!」


 瞬間。


 天が割れた。


 巨大な鉄の塊が、空から降ってくる。


「な……」


 シナバーの目が、見開かれる。


「なんだよ……そりゃあああああ!!」


 あまりにも巨大すぎる存在。


 その全体を、この世界に完全顕現させることすらできない。


 だが、目の前のちっぽけな敵を圧殺するには、それで十分だった。


 現れたのは、戦艦の船首。


 光を纏う鋼鉄の巨躯が、鬼哭餓亂城の天井を突き破り、北方の間へ降り注ぐ。


 逃げる暇などない。


 叫ぶ暇すらない。


 戦艦の船首は、蟻を踏み潰すかのように、シナバーもろとも鬼哭餓亂城の一角を押し潰した。


 轟音。


 崩落。


 砕ける石壁。


 沈黙。


 やがて、舞い上がった粉塵の中で、亜子は静かに呟いた。


「何って……」


 その視線の先に、もうシナバーの姿はない。


「あんたらが創ったやつじゃないの?」


 その問いに、答える者はいなかった。


 亜子は小さく息を吐く。


「次から、もう少し考えてから話す方がいいよ」


 少しだけ間を置いて、付け加える。


「まあ、もう聞いちゃいないだろうけど」


 北方の間に、ようやく静寂が戻る。


 無数のモニターは砕け散り、悪意に満ちた文字列も消えていた。


 言葉が、刃となる部屋。


 その刃を最後に砕いたのは、亜子の怒りだった。


 そして、祈りだった。


 ここに、北方の間で繰り広げられた激戦は幕を閉じた。

次回予告


北方の間で、亜子と真理はシナバーを撃破した。


しかし、鬼哭餓亂城の戦いはまだ終わらない。

南方の間では、杏樹とレイカが、甘く残酷な四天王・シンシャと対峙する。


お菓子の獣。

砕かれる玩具。

無邪気な笑顔の奥に潜む、幼く醜い悪意。


膨れた身体でなお立ち上がる杏樹と、誇り高き令嬢レイカ。

噛み合わないようで噛み合う二人の反撃が、甘ったるい悪夢を切り裂く。


次回、

第77話「お菓子の城の終わり」


その無邪気は、あまりにも残酷だった。

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