第76話「言葉の刃を砕くもの」
反撃の幕が上がった鬼哭餓亂城。
北方の間では、亜子と真理がシナバーと対峙する。
言葉を刃に変え、人の傷を抉る四天王・シナバー。
真理の力が戦況を押し返す中、シナバーは二人の心に潜む“傷”を暴き始める。
悪意に満ちた言葉の部屋で、亜子の怒りと祈りが戦場を揺らす。
北方の間。
闇に沈むその空間では、四方の壁を埋め尽くす無数のモニターが、ぼうっと青白い光を放っていた。
砂嵐。
罵声。
笑い声。
悪意に満ちた文字列。
それらが明滅する中、亜子と真理はシナバーと対峙していた。
「はッ!」
シナバーは苛立ちを隠そうともせず、顔を歪める。
「頭数が増えたくらいで、勝てると思うんじゃねえぞ!!」
だが、その直後。
ふっと、その口元が歪んだ笑みに変わった。
「まあ……でもよぉ」
シナバーの視線が、真理へ向く。
「あんたが相手なら、楽勝そうだけどな」
その言葉を聞いた瞬間、亜子の眉がわずかに動いた。
だが、真理は表情一つ変えない。
次の瞬間には、すでに地を蹴っていた。
「あまり時間がないの」
真理は立華鉢頭摩鋏の刀身を、鋭く振りかぶる。
「速攻で片づけさせてもらうわ!」
「おおっと」
シナバーがスマホを口元へ寄せる。
「人の話は最後まで聞けって教えられなかったのかよ――ボケが!」
音声入力された罵声が、モニター上に文字となって浮かび上がる。
――ボケ。
その文字がぐにゃりと歪み、鋭いナイフとなって真理へ飛ぶ。
だが。
「あんたの攻撃は、もう種が割れているのよ」
真理は刀身を一閃させ、飛来した言葉の刃を弾き飛ばした。
ガンッ!!
弾かれた文字は空中で砕け、青白い粒子となって消える。
そのまま真理は、一気に距離を詰める。
「へッ! 近づけばどうにかなるってか?」
シナバーは素早く後方へ跳び、再びスマホへ指を滑らせる。
「安直なんだよ、そういうの!!」
しかし、その時にはもう、真理の一手は終わっていた。
「うろちょろされるのも面倒だから――」
真理の足元から、淡い紫の花弁が舞う。
「《蕣花縛塊》」
「なッ!?」
床を裂いて伸びた朝顔の蔓が、シナバーの腕へ絡みついた。
スマホを持つ手が、ぎしりと締め上げられる。
「ちっ、うざ――」
「一気に仕留めるわ」
真理の声が、冷たく響く。
「咲き誇りなさい――《薔異檻娃》」
その瞬間、真理の背後に異形の影が立ち上がった。
頭部には、血のように赤い薔薇。
肉体は幾重にも絡み合う茨によって形作られ、鱗のような花弁が全身を覆っている。
美しく、禍々しい。
花でありながら獣。
檻でありながら刃。
それが、真理の内なる悪鬼。
「悪鬼招来――」
真理の瞳に、鋭い光が宿る。
「《鱗花禍植獣》」
深化覚醒。
真理の身体へ、薔薇と茨の異形が重なる。
次の瞬間、彼女はシナバーへ迫った。
「うすのろが!」
シナバーが拘束を引き千切りながら叫ぶ。
「そんなもん、当たるかよ!!」
真理の銀の刃が振り下ろされる。
シナバーは紙一重で身を逸らした。
だが――。
「避けたつもり?」
刀身が空を斬った瞬間、真理の身体から黄金の鱗粉が舞い上がった。
それは光の霧となって、シナバーの顔面へ降りかかる。
「があああああッ!!」
シナバーが両目を押さえて絶叫した。
「いってええええええ!! 目が、目があああ!!」
斬撃そのものは避けた。
だが、真理の狙いはそれだけではない。
鱗粉が視界を奪い、距離感を狂わせる。
スマホを操る指が、一瞬止まった。
「今よ!」
真理が叫ぶ。
「了解」
亜子は即座に機銃を構えた。
激しい閃光が、シナバーへと迸る。
「調子乗んなよ! あばずれ共がよ!!」
充血した目を押さえながらも、シナバーは叫ぶ。
その罵声がモニターへ映し出され、瞬時に分厚い文字の壁となった。
亜子の弾幕が、その壁へ叩き込まれる。
ガガガガガッ!!
光弾が文字の壁を削り、砕き、青白い粒子を散らす。
だが、その一瞬の遅れで、シナバーは直撃を免れた。
「悪いけど、一気に落とさせてもらうわよ!」
その隙に、真理はすでにシナバーの背後を取っていた。
銀の刀身が、背中へ向けて振り下ろされる。
「くそッ!」
シナバーは咄嗟に身体を捻り、刃そのものは避けた。
しかし、再び舞い上がった鱗粉を今度は全身に浴びてしまう。
「があああああ! クソがああああ!!」
鱗粉を浴びた皮膚から、じゅう、と煙が上がる。
白い肌がただれ、焦げたように黒ずんでいく。
その痛みに、シナバーの動きが止まった。
真理は逃さない。
斬ッ!!
銀の一閃が、シナバーの胴を斬り裂く。
「ああああああ!!」
「まだ、もう一撃!」
さらに、その背後から亜子が飛び込んだ。
機銃を消し、身を低く沈める。
次の瞬間、亜子の拳がシナバーの腹部へ叩き込まれた。
ドゴッ!!
「ぐッ……!?」
シナバーの身体がくの字に折れる。
そのまま床へ叩き込まれた。
「ざっけんなよ、コラ――!?」
怒りに任せて起き上がろうとしたシナバーの視界に、落下してくる二人の影が映る。
真理と亜子。
二人が、同時に追撃へ移っていた。
「ち、ちくしょおおおお!」
シナバーは急いで横へ転がる。
すんでのところで、真理の刃と亜子の蹴撃が床を穿った。
だが、逃げた先にも亜子がいた。
「舐めやがっ――ガハッ!?」
罵倒を吐くより早く、亜子の拳が再び腹部へ入る。
無駄のない一撃。
感情を乗せない、しかし確実に相手の体勢を崩すための拳。
「まだ、いくよ」
亜子は低く呟く。
そのまま床へ両手をつき、脚を大きく折りたたむ。
そして――。
ゴッ!!
両脚を、シナバーの腹部へ向けて一気に跳ね上げた。
「がッ、あ……!?」
その衝撃で、シナバーの身体が宙へ浮く。
間髪入れず、真理がそこへ舞い上がった。
「さすが、“虎の子”ってところね」
真理は宙で立華鉢頭摩鋏を構える。
「これほどの連携が取れるなんて、さすがだわ」
亜子は短く息を吐く。
「褒めるのは、倒してからでいい」
「そうね」
真理の口元に、わずかに笑みが浮かぶ。
そして、銀色の刃が月光のように煌めいた。
「百合の舞い――《佐葦牙》!!」
銀色の一閃が、シナバーの身体を斬り裂いた。
「が、は――ッ!!」
シナバーの身体が床へ叩きつけられる。
モニターの青白い光が、倒れ伏した彼女の影を歪に伸ばしていた。
北方の間に、束の間の静寂が落ちる。
ぱち、ぱち、と。
壊れかけたモニターの火花だけが、闇の中で小さく弾けていた。
シナバーは、ぴくりとも動かない。
亜子は銃口を下ろさないまま、息を整える。
真理もまた、立華鉢頭摩鋏を構えたまま、倒れた敵を見下ろしていた。
勝った――。
そう思ってもおかしくないだけの沈黙だった。
『お見事です、真理様』
深紅の慧珠から、梓の声が響く。
「お世辞なんて、今更無用よ。梓」
真理は淡々と返す。
その声色には、どこか乾いた距離があった。
事情を知らない亜子でさえ、その短いやり取りの中に何かしらの確執があることは分かった。
黙って真理を見つめていた亜子に、真理が気づく。
「ああ。まだ言っていなかったわね」
真理は、立華鉢頭摩鋏を下ろし、静かに名乗る。
「私の名前は、來瀬川真理よ」
「……來瀬川」
『真理様は、お嬢様の姉君です』
梓の言葉に、亜子は一瞬だけ目を細めた。
來瀬川理恵。
その名と、目の前の女の横顔が重なる。
「まあ、もう“來瀬川家”ではないのだけれど」
真理は、何でもないことのように言った。
だが、その一言の奥にあるものまでは、亜子にも分からない。
ただ、合同訓練が始まる前、理恵が真理を見た時に見せたわずかな翳り。
その意味だけは、何となく理解できた気がした。
「さて」
真理は、再び視線を前へ向ける。
「他の者たちも、まだ戦っているわ。あなたも来なさい」
そう言って歩き出そうとした、その瞬間だった。
「ハハッ」
床に倒れていたはずのシナバーが、笑った。
「まだ終わってないんだけど?」
「――ッ」
亜子と真理が、同時に構え直す。
シナバーは、ゆっくりと立ち上がった。
身体は斬り裂かれ、皮膚はただれ、血が床へ滴っている。
それでも、その瞳には暗い炎が爛々と燃えていた。
「しぶといわね」
真理の声が低くなる。
「一気に引導を渡してあげる」
「あ~?」
シナバーは、血に濡れた口元を吊り上げた。
「まだ自分が上にいるつもりかよ」
その瞬間、暗く沈んでいたモニター群に、一斉に光が灯った。
ざざっ。
ざざざざざっ。
砂嵐の画面に、無数の文字列が走り始める。
「もう掴んでんだよ」
シナバーは、スマホを握りしめる。
「てめえらの“キュー”をさ」
真理は立華鉢頭摩鋏を掲げ、一気に踏み込んだ。
「黙りなさい」
「おいおい」
シナバーの耳元まで裂けた口角が、ぐにゃりと上がる。
「誰が動いていいって言った?」
そして、彼女は囁く。
「“負け犬”ちゃんがよぉ」
瞬間。
「――ッ!?」
真理の胸元が、不可視の刃に斬り裂かれた。
血が飛ぶ。
防げなかった。
避けられなかった。
そもそも、その刃は外から飛んできてすらいなかった。
「な、に……?」
真理の表情に、初めて明確な動揺が浮かぶ。
シナバーは、それを見て愉悦に顔を歪めた。
「ハハハッ!! おうおう、悲しいなあ!」
モニターに、次々と言葉が浮かび上がる。
――負け犬。
――出来損ない。
――選ばれなかった方。
「才能が下手にあるってのも、しんどいよなあ?」
真理の肩が、わずかに震える。
「努力すれば届くと思ってた?」
ざざっ。
画面の文字が増える。
「頑張れば認められると思ってた?」
ざざざっ。
「でも、結局――」
シナバーがスマホを口元へ近づける。
「親も、てめえの出来には“がっかり”だったんじゃねえの?」
不可視の斬撃が、真理の身体を襲う。
「ぐ……ッ!」
肩。
脇腹。
太腿。
次々と血が散る。
先ほどまでの優勢が、たった一言で崩れ去っていく。
「真理さん!」
亜子が叫び、シナバーへ銃口を向ける。
だがシナバーは笑っていた。
「ああ~? な~に気にしてんだか」
シナバーの視線が、今度は亜子へ向く。
「てめえは、“誰一人助けらんねえ”だろうがよ!」
「――っ」
次なる言葉のナイフが、亜子を刻む。
シナバーの口元が、さらに歪む。
「いいねえ。二人そろって、傷口だらけじゃん」
モニターの青白い光が、北方の間を不気味に照らす。
真理は膝をつき、亜子もまた一瞬、呼吸を乱した。
だが、シナバーはなお笑う。
「さあ、続きやろうぜ」
その瞳には、勝利の確信ではなく、他者の傷を暴くことへの純粋な快楽が宿っていた。
「てめえらのクソみてえな人生も、とっくに割れてんだよ!」
シナバーは、ゆっくりとスマホを掲げる。
「心ごと、切り刻んでやるよ」
圧倒的な嗜虐性を剥き出しにするシナバー。
その前で、真理は再び立華鉢頭摩鋏を握り直した。
胸元から流れる血が、白い隊服を赤く染めている。
だが、彼女の瞳から闘志は消えていない。
「……まだよ」
真理は低く呟き、地を蹴った。
銀の刀身が、北方の間の青白い光を斬り裂く。
「あらら~」
シナバーが、にやにやと笑う。
「さっきより、随分と勢い落ちてんぞ?」
その言葉通りだった。
真理の踏み込みは鋭い。
刃筋も、決して鈍ってはいない。
だが、先ほどまでの圧倒的な冴えはない。
“負け犬”。
その一言が、真理の内側に楔のように突き刺さっていた。
呼吸が乱れる。
判断が、ほんのわずかに遅れる。
刃の軌道が、一瞬迷う。
それだけで、シナバーには十分だった。
「まだよ!!」
真理の身体から、再び黄金の鱗粉が噴き上がる。
先ほどよりも濃く、鋭く、強酸性を帯びた光の霧。
それがシナバーへ襲いかかった。
「くッ!」
鱗粉が皮膚を焼く。
傷口に触れた瞬間、じゅう、と嫌な音を立て、激痛がシナバーの全身へ走った。
「おおっと、さすがにそれは懲りたぜ」
それでもシナバーは笑っている。
スマホの画面へ、素早く指を走らせる。
「――“七光り”の“甘ちゃん”がよ」
表示された文字が、鋭利なナイフとなって真理へ飛ぶ。
『これ以上はやらせません!!』
梓の慧珠が深紅の光を放つ。
真理の前に結界が展開され、飛来した言葉の刃を弾き返した。
ガンッ!!
ナイフは砕け、青白い粒子となって散る。
だが――。
「フフフ……防いだつもりかよ」
シナバーが、口角を吊り上げる。
「なあ、てめえの“妹”と比べてさあ……随分と“おざなりな能力”だよなあ?」
ザシュッ――。
「――ッ!?」
結界をすり抜けるように、真理の身体が斬り上げられた。
肩から脇腹にかけて、赤い線が走る。
『結界をすり抜けた!?』
梓の声に、初めて動揺が混じる。
「ハッ! 防げるわけねえだろうがよ!!」
シナバーは腹を抱えるように笑った。
「外から飛ばしてるんじゃねえんだよ。そいつが勝手に、内側から傷ついてるだけなんだからよおお!!」
真理の膝が、わずかに沈む。
だが、その隙を突くように、亜子は冷静に攻撃態勢を整えていた。
「形態変化――」
亜子のヴァジュラが、光を帯びて形を変える。
「《光学式60口径三連メーザー砲》」
機銃は巨大な三連装砲へと変化し、砲口がシナバーへ向けられる。
しかし。
「ムキになってんじゃねえよ」
シナバーの声が、低く沈んだ。
「てめえは、“誰一人救えない”――」
モニターに文字が走る。
――誰一人救えない。
「“疫病神”だろうがよ」
――疫病神。
「うっ……!」
亜子の身体が、びくりと強張った。
次の瞬間、彼女の腹部と右肩に、見えない刃が突き刺さる。
外から飛んできたものではない。
砲身で防げるはずもない。
亜子の内側から、言葉が凶器となって突き上がったのだ。
「てめえは、とっとと寝てやがれ!!」
シナバーが踏み込む。
その蹴りが、亜子の顔面へまともに叩き込まれた。
「がッ……!」
亜子の身体が大きく弾かれる。
構えかけていた三連メーザー砲から引き剥がされ、床へ叩きつけられた。
真理もまた、斬撃の痛みに膝をつく。
北方の間に、二人が倒れる。
その中心で、シナバーだけが満足そうに立っていた。
「カハハハハッ!!」
彼女の笑い声が、モニターのノイズと混ざって反響する。
「随分と余裕ぶった顔して、結局こんなもんなんだよなああ!! てめえらはよおおお!!」
シナバーは倒れた亜子へ歩み寄る。
そして、躊躇なくその顔を踏みつけた。
「……っ」
亜子の表情が歪む。
「おいおい、てめえさあ」
シナバーは、ぐり、と靴底に力を込めた。
「あたしたちの“実験”で、その力を得たくせによお」
その言葉に、亜子の瞳がわずかに揺れる。
「随分と調子に乗ってくれたじゃねえかよおおおお!!」
次の瞬間、シナバーの蹴りが亜子の腹部へ叩き込まれた。
ドゴッ!!
「かはッ!?」
亜子の口から、苦しげな息が漏れる。
さらにもう一撃。
ドゴッ!!
「ぐ……っ」
さらに、もう一度。
「なあ、思い出せよ」
シナバーは、笑っていた。
「てめえの力が、誰の手で作られたものなのかをさあ」
亜子は、床に伏したまま歯を食いしばる。
「くッ!? 好き勝手にして……!」
真理が亜子の元へ走ろうとする。
だが。
「ああ!? 都落ちのドぐされ野郎がいきがってんじゃねええ!!」
シナバーの罵声が、真理を刺す。
「てめえなんてよぉ、妹の“出涸らし”だろうがよおおお!!」
ザシュッ!!
再び真理の身体を、辛辣な言葉が切り刻む。
「ぶッ……!!」
血を吐きながらも、真理は立華鉢頭摩鋏にしがみつき、何とかその身を支えた。
北方の間を満たす無数のモニターが、二人を嘲笑うように明滅していた。
――負け犬。
――がっかり。
――無能。
――疫病神。
言葉が、刃となる。
傷が、鎖となる。
そしてシナバーは、その傷口を踏み荒らすことに酔っていた。
「さあ、もっと鳴けよ」
シナバーは、血に濡れた口元を歪める。
「てめえらの悲鳴で、この部屋をバズらせてやるからよお」
「――随分と気分が良さそうね」
その時だった。
シナバーの足元に倒れていた亜子が、静かに口を開いた。
「でも、よそ見してていいの?」
「ああ?」
シナバーが眉をひそめる。
次の瞬間、彼女は気づいた。
亜子から引き剥がされたはずのヴァジュラ。
その巨大な三連メーザー砲の砲身が、すでにシナバーへ向けられていることに。
「なっ……!?」
シナバーの顔色が変わる。
「バカか、てめえ!! 一緒に死ぬ気かよ!!」
返答はない。
ただ、砲身の奥に光が集束する。
カッ!!!
激しい閃光とともに、メーザー砲が火を噴いた。
亜子もろとも、シナバーを焼き尽くさんとする極光の奔流。
北方の間が、白く塗り潰される。
轟音。
爆風。
砕け散るモニター。
床を抉る光の奔流。
砂塵が舞う中、ぎりぎりで射線から逃れたシナバーの額に、冷たい汗が滲んでいた。
「は……?」
シナバーは、荒く息を吐く。
「あいつ、マジで……マジでよ……意味わかんねえ!!」
怒りと困惑に顔を歪めながら、彼女は周囲へ視線を走らせる。
だが、すでに亜子たちの姿は見失っていた。
「まったく……」
爆煙の向こうで、真理の声が響く。
「藤本が結界を張っていなかったら、あなた死んでいたわよ?」
爆発の直前。
梓の結界と真理の補助によって、亜子は辛うじて直撃を免れていた。
傷だらけの身体。
血に濡れた頬。
荒い呼吸。
それでも、亜子の瞳にはまだ、勝負を降りていない者の光が宿っていた。
「ちょっと、手伝ってくれます?」
亜子は、視線をシナバーから外さない。
「あたし一人じゃ、さすがに無理なんで」
その言葉を聞いて、真理の瞳もまた鋭さを取り戻す。
「ええ。いいわ」
真理は、立華鉢頭摩鋏を構え直した。
「次は、確実に仕留める」
深紅の慧珠が、二人の間で淡く輝く。
梓の浄化が、二人の傷をわずかに塞いでいく。
『全快……とはいきませんが、微力ながらお力添えを』
「梓さん、ありがとう」
亜子は短く息を整える。
「これで十分」
次の瞬間、真理が先に動いた。
「はあああああ!!」
銀の刀身が、シナバーへ斬り込む。
「けッ!」
シナバーが、口元を歪めた。
「“妹にも劣る出来損ない”に、何ができるってんだよ!!」
その言葉が、真理の内側を切り裂く。
胸の奥に不可視の刃が突き立つ。
だが、真理は止まらない。
ガンッ!!
振り下ろされた刀身は、シナバーによって受け止められた。
「はッ! なんだよ?」
シナバーは、真理の顔を覗き込むように笑う。
「ふらふらで、全然踏み込めてねえじゃねえかよ。ええ?」
「まだよ!!」
瞬間、切り結んだ真理の身体から、大量の鱗粉が舞い上がった。
これまで以上の濃度。
金色の鱗粉は空気中で発火し、火花のように爆ぜ始める。
「ぐぐぐ……ッ!」
シナバーの皮膚が焼ける。
傷口に触れた鱗粉が肉を溶かし、激痛が全身を駆け巡る。
「ああ!? 芸がねえなあ!」
シナバーは苦痛に顔を歪めながらも、なお吠えた。
「また自爆技かよ!!」
その言葉どおりだった。
発動している真理自身もまた、その鱗粉の毒性に身を焼かれている。
だが、真理は笑った。
「あら」
息を荒げながらも、冷たく告げる。
「でも、これであなたの動きを少しは止められたでしょう?」
「まさか――!?」
シナバーが気づいた時には、すでに遅い。
高濃度の鱗粉を突っ切り、亜子が全力でシナバーへ突撃していた。
「この“失敗作”が!!」
シナバーが叫ぶ。
「てめえなんて、“他人の命を奪って生きる蛆”だろうがよ!!」
その言葉が、亜子の身体を切り刻む。
腹。
肩。
脚。
さらに、周囲に充満する鱗粉が皮膚を焼く。
ダメージは尋常ではない。
だが、それでも亜子は止まらなかった。
「顕現――」
亜子の腕に、光が集まる。
「綾悉兵・砲部限定!!」
彼女の腕に、メーザー砲の一門が装着される。
「けッ! 撃たせるかよ!!」
シナバーは大きく口を開けた。
「“死神”がああああ!!」
叫びと同時に、不可視の斬撃が走る。
砲門を支えていた亜子の指が、血飛沫とともに弾け飛んだ。
「――ッ!!」
それでも。
「まだあああああ!!」
亜子は叫ぶ。
指を失っても、腕で砲身を抱え込む。
崩れかけた姿勢を、力ずくで支える。
そして、そのまま砲口をシナバーの身体へ押しつけた。
「ぬがああああああ!!」
巨大なメーザー砲の砲身が、シナバーの華奢な身体を吹き飛ばす。
ドゴオオオオッ!!
シナバーが弾き飛ばされると同時に、亜子と真理もその場に崩れ落ちた。
『亜子さん、真理様!!』
「だ、大丈夫……」
真理が辛うじて声を絞り出す。
「まだ、息はあるわ」
だが、二人ともすでに限界を超えていた。
身体は動かない。
傷は深い。
意識すら、今にも途切れそうだった。
『……真理様』
梓の声にも、焦りが滲む。
だが。
まだ戦いは終わっていなかった。
「はああ!?」
瓦礫の向こうから、怒号が響く。
「何、勝手に盛り上がってんだよ、ごらああああ!!」
ボロボロになりながらも、シナバーが再び立ち上がった。
全身は傷だらけ。
皮膚は焼けただれ、血が垂れている。
それでも、その瞳だけは異様な憎悪で爛々と燃えていた。
『ま、まだ生きているの……!?』
梓の声には、はっきりと“絶望”が滲んでいた。
しかし。
「いや」
亜子が、ゆっくりと顔を上げる。
「これで終わりにする」
その瞳は折れていなかった。
ただ、真っ直ぐに敵だけを見つめている。
「何が終わりだ!!」
シナバーが吠える。
「カッコつけてんじゃねえぞ!!」
怒りと憎悪を、ありったけ言葉へ乗せる。
「てめえは、誰も救えねえよ!」
不可視の刃が、亜子の身体を斬る。
「お前はずっと、ずうううっと!」
さらに斬撃。
「誰かを助けることなんて出来やしねえんだよ、ダボが!!」
「ぐ……っ」
腹。
胸。
腕。
脚。
もはや、傷ついていない場所を探す方が難しい。
それでも、亜子は倒れなかった。
「そうだ!」
シナバーの顔が、狂気に歪む。
「てめえは生かしてやるよ!!」
その言葉に、亜子の瞳がわずかに揺れる。
「てめえ以外の連中をぶち殺して、その首をてめえの目の前に飾ってやる!!」
モニターが明滅する。
悪意に満ちた文字が、壁一面を埋め尽くす。
「さあ、後悔しな!!」
シナバーは叫ぶ。
「生まれてきたことを!!」
また斬撃。
「生き残っちまったことを!!」
また斬撃。
「連中と関わっちまったことを!!」
だが、その時だった。
シナバーは、ようやく気づく。
先ほどまで飛んでいた言葉のナイフが、消えていることに。
「――て、てめえ……」
シナバーの声が、わずかに震える。
「まさか……!?」
驚愕する彼女に、亜子は静かに視線を向けた。
シナバーは、知らなかった。
人は言葉によって傷つく。
だが同時に。
その言葉が、誰かの大切なものを踏みにじった時――。
それを発した者への怒りもまた、刃となる。
自分を傷つける言葉なら、まだ耐えられた。
何度だって、押し殺せた。
だが、仲間を踏みにじる言葉だけは許せなかった。
今、亜子の瞳に映っていたのは、シナバー自身の姿だった。
他者の傷を抉り、笑い、踏みにじり、痛みを見せ物にする醜悪な姿。
そんなものを前にして、亜子の心を満たしていたのは恐怖ではない。
怒りだった。
「あんた」
亜子の声は静かだった。
「誰を前にしてるのか、わかってる?」
すると、亜子はその場に跪いた。
両手を顔の前で組み、静かに目を閉じる。
その姿は、まるで天に祈る者のようだった。
「……悪鬼召喚」
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
北方の間が揺れ始める。
いや。
揺れているのは、北方の間だけではない。
鬼哭餓亂城そのものが、亜子の呼び声に震えていた。
「抜鋲」
バチンッ!!
その瞬間、シナバーは確かに聞いた。
何かを留めていた封が、弾け飛ぶ音を。
「――《|光学式超弩級戦艦・綾悉兵《こうがくしきちょうどきゅうせんかん・あやのしっぺい》》!!」
瞬間。
天が割れた。
巨大な鉄の塊が、空から降ってくる。
「な……」
シナバーの目が、見開かれる。
「なんだよ……そりゃあああああ!!」
あまりにも巨大すぎる存在。
その全体を、この世界に完全顕現させることすらできない。
だが、目の前のちっぽけな敵を圧殺するには、それで十分だった。
現れたのは、戦艦の船首。
光を纏う鋼鉄の巨躯が、鬼哭餓亂城の天井を突き破り、北方の間へ降り注ぐ。
逃げる暇などない。
叫ぶ暇すらない。
戦艦の船首は、蟻を踏み潰すかのように、シナバーもろとも鬼哭餓亂城の一角を押し潰した。
轟音。
崩落。
砕ける石壁。
沈黙。
やがて、舞い上がった粉塵の中で、亜子は静かに呟いた。
「何って……」
その視線の先に、もうシナバーの姿はない。
「あんたらが創ったやつじゃないの?」
その問いに、答える者はいなかった。
亜子は小さく息を吐く。
「次から、もう少し考えてから話す方がいいよ」
少しだけ間を置いて、付け加える。
「まあ、もう聞いちゃいないだろうけど」
北方の間に、ようやく静寂が戻る。
無数のモニターは砕け散り、悪意に満ちた文字列も消えていた。
言葉が、刃となる部屋。
その刃を最後に砕いたのは、亜子の怒りだった。
そして、祈りだった。
ここに、北方の間で繰り広げられた激戦は幕を閉じた。
次回予告
北方の間で、亜子と真理はシナバーを撃破した。
しかし、鬼哭餓亂城の戦いはまだ終わらない。
南方の間では、杏樹とレイカが、甘く残酷な四天王・シンシャと対峙する。
お菓子の獣。
砕かれる玩具。
無邪気な笑顔の奥に潜む、幼く醜い悪意。
膨れた身体でなお立ち上がる杏樹と、誇り高き令嬢レイカ。
噛み合わないようで噛み合う二人の反撃が、甘ったるい悪夢を切り裂く。
次回、
第77話「お菓子の城の終わり」
その無邪気は、あまりにも残酷だった。




