表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢幻開現師 ―夢の守り人―  作者: ks21
第八章:「鬼哭餓亂城・籠城編」
PR
79/86

第75話「反撃の幕」

鬼哭餓亂城に満ちる悪意により、追い込まれていく黒の部隊。


亜子、杏樹、理恵、和泉。

それぞれが四天王の力に傷つき、絶望の淵へと追い詰められていく。


だが、彼らはまだ折れていない。

そして、断たれたはずの支援が再び届く時――。


鬼の居城に、反撃の幕が上がる。

 魑魅魍魎が跋扈する、鬼哭餓亂城――。


「いったい、どれだけ湧いて出てくるんだ!?」


「弱音を吐く前に、手を動かせ!!」


 城内各所では、合同訓練に参加していた若き開現師たちが、指導官たちとともに悪鬼の群れへ応戦していた。


 だが、状況はあまりにも悪い。


現実(あっち)との連絡は!?」


「だめです! 何度試しても反応がありません!!」


 護衛として同行していた聖斂隊の隊員たちの顔にも、焦りの色が浮かんでいる。


 現実との接続は断たれた。

 観測師からの支援も届かない。

 助けが来る保証など、どこにもない。


 それでも――誰一人として、戦うことをやめてはいなかった。


「くそ……! だが、持ちこたえるしかない!!」


 指導官の一人が声を張り上げる。


「必ず助けは来る! 我々は、一人でも多く守るんだ!!」


「了解!!」


 混乱の中、わずかな希望に縋りながら、誰もが懸命に刃を振るう。


 しかし、戦況は悪化する一方だった。


 そしてそれは、東西南北に分かたれた四天王の領域で戦う黒の部隊もまた、例外ではなかった。


     * * *


「へえ、意外~」


 北方の間。


 無数のモニターが明滅するその空間で、シナバーは愉しげにスマホを弄っていた。


「何を言っても刺さらないタイプかと思ってたけど……まさか“無能”なんて、ありふれた言葉に反応するなんてさ」


 にたり、と口元が歪む。


 シナバーが再びスマホへ音声を入力する。


「無能」


 モニターに映し出された文字が、ナイフとなって飛ぶ。


 だが、先ほどまでの攻撃とは違った。


 文字の刃は、亜子へ向かって飛んだように見えた次の瞬間、ふっと消える。


 そして――。


 ぶしゅっ。


「……っ」


 気づいた時には、亜子の左肩が斬り裂かれていた。


 外から飛んできたのではない。

 防御をすり抜けたのでもない。


 その言葉は、亜子の内側から刃となって現れたのだ。


「案外かわいいじゃない」


 シナバーは、傷ついた亜子を見て満悦そうに笑う。


「その顔。そういう反応、できるんだ」


「……まあ、奇妙な能力だけど」


 亜子は左肩から流れる血を一瞥し、それでも表情を崩さなかった。


「さっきより、威力が落ちてるんじゃない?」


 その問いに、シナバーはさらに笑みを深くする。


「そりゃ当然でしょ。どれだけ刺さる言葉でも、同じものを何回も重ねたら慣れちゃうもん」


 軽い口調。


 だが、その瞳の奥には確信が宿っていた。


「でもさ――」


 シナバーの指が、スマホの画面をなぞる。


「一個見つかれば、そこから掘れるんだよね」


 モニターに映る無数の文字列が、ざわざわと揺らめく。


 無能。

 役立たず。

 いらない。

 邪魔。

 足手まとい。


 それらが、まるで検索結果のように画面を流れていく。


「“無能”に反応するってことはさ。あんた、自分の価値をそこに置いてるんでしょ?」


 亜子は、無言で銃口を向ける。


 だが、シナバーはもう止まらない。


「あんた――」


 スマホを口元へ寄せ、甘く、いやらしく囁く。


「何のために、戦ってんの?」


 瞬間。


 右肩。

 左脇腹。

 太腿。


 見えない斬撃が、亜子の身体を切り裂いた。


「ぐ……っ」


 膝が、わずかに沈む。


 言葉は、もう外から飛んできていない。

 撃ち落とすことも、防ぐこともできない。


 内側から、傷口を選んで切り刻んでくる。


「さあ」


 シナバーの瞳が、嗜虐に濡れて怪しく光る。


「ゆっくり甚振(いたぶ)ってあげる♪」


 北方の間に、モニターのノイズが響く。


 そのすべてが、亜子の心の奥を覗き込むように、青白く明滅していた。


     * * *


「ふッ、ひッ……!」


 杏樹は、丸々と膨らんだ身体に鞭打って、必死に走っていた。


 だが、先ほどまでのような軽快な動きはない。

 悪鬼《篥歯(リッパ)》の小さくしなやかな身体は、今や不自然なほど膨れ上がり、跳ぶたび、走るたび、全身が重たく揺れる。


「お~い、待ってよ~」


 背後から、間延びした少女の声が響く。


 先ほどまで怒り狂っていたシンシャは、すっかり元の調子を取り戻していた。

 いや、むしろその無邪気さが戻った分だけ、余計に不気味だった。


「ま、待てるわけないでしょ!? どうせ捕まったら、ぼこぼこにするくせに!!」


 息を切らしながらも、杏樹は何とかシンシャとの距離を保とうとする。


「ええ~? いいじゃん、べつに~」


 シンシャは、手にした巨大なぺろぺろキャンディーをぶんぶんと振り回す。


 その見た目は、どこまでも甘く、どこまでも可愛らしい。

 だが、床に刻まれた巨大な亀裂が、それが単なる菓子などではないことを証明していた。


(くそ……! あの子の能力なんだろうけど……まずいな、これは)


 杏樹は歯を食いしばる。


(《篥歯》の機動力が、完全に殺されちゃってる!!)


 速さで翻弄するはずの転身形態。

 その最大の強みを、丸々と膨れた身体が奪っている。


「も~、なら――」


 シンシャが、ふいに膝を沈めた。


「いっきに、やっちゃうよ!!」


 次の瞬間、彼女の身体が跳ね上がる。


 距離が、一気に詰まった。


「うらあっ!!」


 ドゴオオオオオッ!!


 巨大なキャンディーが振り下ろされ、床を粉砕する。

 可愛らしい見た目とは裏腹に、その威力は凶悪そのものだった。


泡連弾(ほうれんだん)ッ!!」


 叩き潰される寸前、杏樹は咄嗟に自分の足元へ泡弾を撃ち込んだ。


 弾けた泡の衝撃で、身体が跳ね上がる。


「うわっと!?」


 なんとか直撃を避け、杏樹は宙を舞う。

 そして、床へ着地した瞬間――。


 シンシャが、けらけらと笑い始めた。


「あ~あ。そこ、気をつけてね――」


 笑いながら、彼女は杏樹の足元を指さす。


「そこに、“ボンボン”置いちゃってるからさ」


「え?」


 杏樹が足元を見る。


 床の隙間。

 人形の陰。

 玩具の下。


 そこに、丸いチョコレート菓子――ウィスキーボンボンが、いくつも埋め込まれていた。


 そして、杏樹の片足が、その一つを踏み抜いている。


 カチッ……。


 乾いた音が鳴った。


「ちゃおー」


 シンシャが、にこりと笑う。


 次の瞬間。


 カッ!!


 足元のウィスキーボンボンが、眩い光を放った。


 ドガアアアアアアン!!!


 爆発。


 激しい閃光と熱風が、杏樹の身体を呑み込む。


 さらに、地中に埋め込まれていた他のボンボンが連鎖し、次々と爆ぜていった。


 ドンッ!

 ドンッ!

 ドゴオッ!!


 甘い匂いを撒き散らしながら、爆炎が南方の間を蹂躙する。


 やがて、舞い上がった砂塵と煙が薄れていく。


 その中心に、杏樹は倒れていた。


 全身には、薄い透明な膜が張られている。

 咄嗟に展開した泡の防御膜が、かろうじて直撃を和らげたのだ。


「く……くそ……まったく……!」


 杏樹は歯を食いしばる。


 腕が震える。

 足が重い。

 身体中が痛い。


 それでも、彼女は地面に手をつき、立ち上がろうとした。


 そんな杏樹を、シンシャはにこにこと見つめている。


「あ~あ」


 悪びれた様子など、欠片もない。


「かわいいネズミちゃんが、ボロボロだよ~」


 その笑顔へ向かって――


 パンッ!!


 一発の泡弾が飛んだ。


 シンシャは、それを片手でぱしりと掴み潰す。


「……なに?」


 その声から、ほんの少しだけ甘さが消えた。


 シンシャは、明らかに苛立った目で前方を睨みつける。


 そこには、震える身体を無理やり持ち上げた杏樹がいた。


「ま、まだ……」


 膨れた身体。

 傷だらけの手足。

 乱れた呼吸。


 それでも、杏樹の瞳だけは折れていなかった。


「終わってないぞ……!」


 デガ喇叭を握る手に、力がこもる。


「あんたみたいなやつに……や、やられてるようじゃ……」


 杏樹は、息を吸う。


 痛みを押し殺し、震えを飲み込み、叫ぶ。


「みんなに笑われちゃうもん!!」


 その言葉は、決して格好良いものではなかった。


 だが、杏樹らしかった。


 意地っ張りで、負けず嫌いで、仲間に置いていかれたくなくて。

 だからこそ、どれだけ無様でも立ち上がる。


 その瞳を見て、シンシャはつまらなさそうに口を尖らせた。


「あっそ……」


 甘い部屋の中で、少女の声だけが冷たく落ちる。


「じゃあ、もっとぐちゃぐちゃにしてあげる」


 南方の間に、再び甘ったるい悪意が満ちていった。


     * * *


「はあ……はあ……」


 理恵は、震える手で再び立華鉢頭摩鋏(りっかはずまぎょう)の柄を握り直した。


 当初は、理恵が圧倒しているかに見えた。

 だが今や、戦いの主導権は完全にバーミリオンへ移りつつあった。


「いやいや、これはこれは」


 バーミリオンは、さっと髪をかき上げながら天を仰ぐ。


「なんてことだ! あの美しい姫を、こんな姿にしてしまうなんて……僕は、なんて罪な男だ!!」


 芝居がかった仕草で拳を胸に当てる。

 すると、劇場のあちこちから黄色い歓声が飛んだ。


 だが――。


 ガンッ!!


 理恵の振るった刀身が、舞台の床を深く斬り裂く。


 その一撃だけで、うるさかった歓声が一気に止んだ。


「あらあら、ご立腹のようだね」


 呆れたように、バーミリオンは首を振る。


「まだ、戦いは終わっていませんわ」


「当然だね」


 理恵の言葉に、バーミリオンもまたサーベルを構える。


 次の瞬間、二人の姿が消えた。


 ガン、ガン、ガンッ!!


 舞台。

 天井。

 観客席。


 あらゆる場所で、刃と刃が激しくぶつかり合う音が響き渡る。


 そして、宙で二人の刀身が噛み合った。


「はあああああ!!」


 理恵が力任せに双剣を振り抜く。


 その衝撃に、バーミリオンの身体が弾き飛ばされた。


 だが、理恵は止まらない。


 弾丸のように空を蹴り、バーミリオンへ追いすがる。


「まだまだ!!」


 バーミリオンがサーベルを突き立てた。


 その切っ先が、理恵の左頬を掠める。


 赤い血が細く流れた。


 だが、理恵はそれを気にもしない。


 そのまま一気に刀身を振るう。


 斬ッ!!


 バーミリオンの身体を、袈裟懸けに斬り裂いた。


 理恵の視界に、赤い血飛沫が散る。


 しかし次の瞬間、その傷は瞬く間に塞がっていく。


「この――!?」


 さらに追撃をかけようとした理恵の肩口へ、サーベルの切っ先が突き刺さった。


「くッ!?」


 咄嗟に後方へ跳んだことで致命傷は避ける。


 だが、気づけば理恵の全身には無数の傷が刻まれていた。


「はあ……はあ……」


 肩で息を切る。


 血が流れている。

 身体が熱い。

 心臓が、異常なほど速く打っている。


(……おかしい)


 理恵は、この戦いが始まってから起きていた異変を、ようやく明確に捉え始めていた。


(確かに、敵の再生速度は常軌を逸しています)


 だが、異変の核はそこではない。


(問題は――私の方)


 理恵は、自身の震える手を見る。


(彼女と戦い始めてから、異常な興奮が私の思考を支配している)


 今も、ようやく一呼吸置いたことで思考を整理できているだけだ。

 だが彼女の精神の大半は、すでに“闘い”へ傾いていた。


 もちろん、戦いにおいて闘争本能を燃やすことは重要だ。

 だが今、理恵を支配しているこれは、明らかに度を越えている。


 心臓が早鐘のように脈打つ。

 脳へ血が流れ込む感覚すら分かる。

 視界は冴えているはずなのに、思考はひどく偏っている。


 斬りたい。

 倒したい。

 押し切りたい。


 その衝動が、彼女本来の繊細な戦闘を崩していた。


 刀身の軌跡はわずかに大振りになり、あと一歩と無理に踏み込んでしまう。

 だから、敵の反撃を受ける。


(このままでは……押し切られる)


「フフフ……」


 ぼんやりとした思考の奥で、バーミリオンの笑い声が響いた。


「……何でしょうか?」


「ああ、ごめんごめん」


 バーミリオンは、肩をすくめる。


「でも、さすがだね。そんな“状態”で、僕の能力の核心に気づき始めるとは」


 さっと髪をかき上げる。


「そう。君が気づいた通り、僕の能力の本質はこの再生力ではない。まあ、これは副次的なものだと思ってもらえればいい」


 そう言うと、バーミリオンは自身のサーベルの刀身を握った。


 鋭い刃が掌を裂き、赤い血が刀身を濡らす。


 だが、彼女が手を離した時には、すでに傷は塞がっていた。


 残ったのは、刀身にこびりついた血だけ。


「僕の血には――」


「毒性……いえ、興奮作用のようなものがあるのでしょう?」


「……なんだい。そこまで分かっていたのかい」


 台詞を奪われたバーミリオンは、つまらなそうに唇を尖らせた。


「気づいての通り、僕の血には一種の“覚醒作用”があるのさ」


 理恵は、すでに分かっていた。


 自身の異常が始まったのは、バーミリオンの血を浴びてからだ。


「それは、この僕自身にも作用している。だから再生速度が一気に跳ね上がっているのさ」


 バーミリオンは、くるりと回って大袈裟にポーズを決める。


「さらに! 僕はこの覚醒作用に強い耐性がある。だから相手だけが勝手に興奮して、自滅してくれるという寸法なのさ!!」


 だが、理恵は冷めた眼差しでそれを見つめていた。


「貴女の寒い小芝居のおかげで、少し興奮が冷めました」


 バーミリオンは、黙った。


 その沈黙が怒りであることは、明らかだった。


「は……言ってくれるじゃないか」


 バーミリオンは、ぱちんと指を鳴らす。


「なら、こんな余興はどうだい?」


 その瞬間、舞台の奥から三つの影が現れた。


 男が二人。

 女が一人。


 理恵は、目を細める。


「貴方たちは、たしか――」


 記憶の中に、彼らの顔があった。


「東京校の……」


 杏樹がかつて通っていた東京校の選抜メンバー。


 篠宮 迅(しのみや じん)

 白峰 紗良(しらみね さら)

 九条 岳(くじょう がく)


 だが、三人の様子は明らかに異常だった。


 瞳は見開かれ、焦点が合っていない。

 呼吸は荒く、身体は小刻みに震えている。

 まるで戦いへの衝動だけで動く人形のようだった。


「彼らは、僕の血の中毒性に抗えなくてね」


 バーミリオンは愉しげに笑う。


「今や、戦いを止められないバーサーカー状態というわけさ」


 三人の瞳が、かっと見開かれる。


 次の瞬間、彼らは一斉に理恵へ襲いかかった。


「くッ!? 蕣花縛塊(しゅんかばっかい)!!」


 理恵は咄嗟に技を放とうとする。


 だが、うまく力が込められない。


 舞台から生えた蔓は、本来の軌道を外れ、四方へばらばらに伸びてしまう。


「さあ、どうする? 紫苑の令嬢さん」


 バーミリオンの声が、甘く劇場に響く。


 迫る三人。

 熱に浮かされた身体。

 鈍り始めた判断。


 理恵は必死に、事態の打開策を探ろうとする。


 だが――。


 彼女の思考は、すでに三人と同じように、戦いへの渇きに侵され始めていた。


     * * *


「があっ!? ぐッ……!」


 荒れ狂う死灰の攻撃が、和泉の身体をじりじりと削っていく。


 距離を取ろうとすれば、そこへ死灰が滑り込む。

 迎撃しようとすれば、煙の身体を霧散させて刃を逃れる。


 まるで、こちらの呼吸の隙間に牙を差し込んでくるようだった。


「ちッ……面倒だな」


 和泉が舌打ちする。


 その瞬間、白煙の獣が床を蹴った。


「ガアアアアアア!!」


 裂けた口が、和泉の胴へ喰らいつこうと迫る。


 だが――。


「さすがに、これだけやられたら」


 和泉の瞳が、鋭く細まる。


「お前の動きも読めてくる」


 彼は鬼焔操流(きえんそうりゅう)の業火を、自身の右脚へ絡ませた。


 ボッ!!


 炎を纏った蹴撃が、襲い来る死灰の顔面へ叩き込まれる。


「ギャインッ!!」


 激しい熱を帯びた一撃を受け、死灰の身体が後方へ弾き飛ばされた。


「さすが、“赤き烈火”といったところかしら」


 アカネは煙管を咥え、ゆっくりと煙をくゆらせる。


「私の灰すら、その業火の熱で昇華させるなんて」


「まあ、やられっぱなしってのは性に合わないんでな」


 戦いの中で、和泉は再び自らの業火を操る糸口を掴み始めていた。


 乱れていた呼吸が、少しずつ戻る。

 暴れかけていた炎が、再び和泉の意志へ従い始める。


(それにしても――末恐ろしい子)


 アカネは、眼前の少年へ視線を向けた。


(本来なら、時間が経てば経つほど気力と体力は削られ、動きは鈍る。なのに――)


 煙管を握る手に、わずかに力がこもる。


(この子は、戦いの中でさらに鋭さを増していく)


 点火針を手にした和泉が、アカネへ迫る。


 ギンッ!!


 振り上げられた刀身を、アカネは煙管の柄で受け止めた。


「まったく、君という子は……!」


「何、後ろから見下してんだよ」


 和泉の声が低く響く。


「こっちは、やっと火が着いてきたところだぜ」


 点火針の刀身に、業火が纏わりつく。


 ゴオオオッ!!


 激しい火柱とともに、和泉はアカネを押し込んだ。


「いつまでも“狩る側”だなんて――」


 炎が爆ぜる。


「錯覚してんじゃねえええ!!」


 アカネの身体が弾き飛ばされ、部屋の襖を突き破った。


「さあ、立ちな」


 和泉は点火針を肩に担ぐように構える。


「まだ、こっちはエンジンがかかったばかりなんだからよ」


 だが。


 突き破られた襖の奥から、どっと瘴気が押し寄せてきた。


「「「ガアアアアア!!」」」


 無数の悪鬼が、部屋の奥から雪崩れ込むように襲いかかってくる。


「どけえええ!!」


 和泉の怒号とともに、業火が噴き上がった。


「「「ギャアアアアアア!!」」」


 悪鬼たちは圧倒的な火の海に呑まれ、一瞬にして消し炭と化す。


「こんなもんで足止めしようったって――」


 言いかけて、和泉は気づいた。


 違う。


 これこそが、アカネの狙いだった。


 鬼焔操流によって燃え尽きた悪鬼たちの灰が、黒く舞い上がる。


 その灰は宙で渦を巻き、襖の奥へ吸い寄せられていった。


 そして、奥の部屋。


 そこでは、アカネが静かに和泉を待っていた。


「た、助けてくれええええ!!」


 部屋の中には、アカネの他に複数の男女が倒れていた。


 須山たち登山客。

 この大江山で、鬼哭餓亂城に囚われた者たち。


 彼らは瘴気に当てられ、正気と狂気の狭間で震えていた。

 虚ろな目で、和泉へ手を伸ばしてくる。


「助けて……」


「ここから出してくれ……」


「お願い、お願いだから……!」


「こ、これは……」


 和泉の足が止まる。


 その戸惑いを見て、アカネは妖艶に笑った。


「彼らは、君たちが来る前に捕らえた登山客よ」


 アカネは、そのうちの一人の女性の髪を掴み、無造作に引き寄せていた。


「お、お願いぃぃ……! た、助けてぇぇ……!」


 女性は涙をこぼしながら、目の前の和泉へ助けを求める。


 喉が震えている。

 指が震えている。

 それでも、必死に生きようとしていた。


「……彼女を放せ」


 和泉の声が、低く沈む。


 だがアカネは、さらに愉悦の色を濃くした。


「あら。この状況が分かっていないのかしら?」


 その言葉に、和泉は躊躇なく深化覚醒(しんかかくせい)を解いた。


 業火が弱まる。


「それだけじゃないわ」


 アカネは煙管の先で、和泉の手を指した。


「それもよ」


 指し示されたのは、和泉の手に握られた点火針だった。


「……」


 和泉は何も言わない。


 ただ、点火針から手を放した。


 床へ落ちた点火針は、淡い光となって消える。


「まったく」


 アカネは楽しげに肩をすくめる。


「君たち開現師とは、つくづく困った生き物ね」


 宙に舞っていた黒き灰が、和泉の背後へと降り注いでいく。


 そこにいたのは、死灰。


 悪鬼たちの残滓を取り込んだ白煙の獣は、黒い体毛を生やし、さらに禍々しい姿へ変わっていた。


 首は三つ。


 六つの瞳が、和泉を見下ろす。


「――やりなさい」


 アカネの命に従い、死灰が鋭く伸びた爪を振り下ろした。


 ザシュッ!!


「ぐっ……!?」


 背中を斬り裂かれた和泉が、床へ倒れ込む。


「さあ、起きなさい」


 アカネの声は甘い。


「まだ、余興は終わっていなくてよ?」


 すると、まだ宙を漂っていた黒き灰が、囚われていた女性へ降り注いだ。


「お願いぃぃ! や、やめ――ぐぐッ!!」


 灰は、口から。

 鼻から。

 耳から。


 女性の内側へ、無理やり潜り込んでいく。


「あ……ああ……!」


 悲鳴が途切れる。

 身体が痙攣する。

 肌が黒く染まっていく。


 やがて、女性の声は完全に消えた。


 黒き灰が、その身体を覆い尽くす。


「ま、まさか……!?」


 和泉の喉から、掠れた声が漏れた。


 灰が晴れていく。


 そこに現れたのは、先ほどまでの女性ではなかった。


 和泉が知っている顔。


 忘れようとしても、忘れられない顔。


「やあ、おはよう――」


 アカネが、すっとその女の髪を撫でる。


「――澪音(れいん)


 目の前に立つ女は、アカネと瓜二つの顔。

 だが、その姿は灰原澪音そのものだった。


「き、貴様あああああ!!」


 和泉の内で、怒りが爆ぜる。


 それは炎ではない。

 もっと黒く、もっと熱いものだった。


「何をそんなにむきになっているの?」


 アカネは心底不思議そうに首を傾げる。


「私は君のためを思って、澪音を“生き返らせた”んじゃない」


 その笑みが、さらに深まる。


「それに、君も分かっていたでしょう?」


 アカネは煙管を咥え、ふっと煙を吐く。


「これほど長く瘴気に当てられていた人間が、もう元には戻れないことくらい」


 煙が、倒れていた人々へ降りかかる。


「う……うぐっ……!」


「ああ……あああ……!」


 彼らの身体が、次々と異形へ変じていく。


 人の形が崩れ、骨が軋み、皮膚が黒く歪む。


 助けを求めていた者たちが、悪鬼へと変わっていく。


「ぐっ……ぐうう……!」


 和泉は立ち上がろうとする。


 だが、その身体を三つ首の死灰が押さえつけていた。


 動けない。


 助けられない。


 目の前で、また奪われていく。


「いやあ、惨めだね。和泉百希夜」


 アカネは、ゆっくりと和泉へ歩み寄る。


「いや――」


 その声に、甘い毒が混じる。


「“運命の子”よ」


 圧倒的な悪意が、和泉へ向けられていた。


 そしてその悪意は、鬼哭餓亂城の奥深くから、黒の部隊の面々すべてへと絡みついていくのだった。


「くッ……!」


 動こうにも、死灰の爪が和泉の身体へ深く食い込み、立ち上がることすらできない。


 背中を押さえつけられたまま、和泉は床に爪を立てる。


 目の前では、アカネが嗤っている。

 その背後では、澪音の姿を模した人形が虚ろな瞳で立っている。


 そして、さらに周囲では、囚われた登山客たちが悪鬼へと変じていく。


 助けられない。


 動けない。


 また、目の前で奪われる。


 和泉の脳裏に、一つの言葉がよぎった。


 ――死。


(最後のあがきか……いや、仕方ない)


 和泉が覚悟を決めた、その瞬間だった。


『勝手に諦めないでください。あなたらしくありません』


「まさか……!?」


 闇の中に、深紅の光が灯る。


 それは、小さな慧珠だった。


 深紅の光を宿したそれが、和泉の傍らで静かに輝いている。


「遅いじゃ……ないですか、梓さん」


『申し訳ありません。助っ人を探すのに、少々手間取りました』


 次の瞬間。


 ドンッ!!


 和泉の上にのしかかっていた死灰が、巨大な衝撃に弾き飛ばされた。


「さあ! 待たせたね!!」


 煙を裂いて現れた男が、牙王印を構えて笑う。


「淳さん!!」


 大久保淳。


 指導官代理が、ようやく東方の間へ辿り着いたのだ。


「百希夜君」


 大久保は、和泉へ手を差し伸べる。


「怒っていい。でも、呑まれるな」


 その言葉に、和泉の奥で荒れ狂っていた炎が、ほんのわずかに形を取り戻す。


「君の火は、あいつを喜ばせるためのものじゃないだろ?」


 和泉は、奥歯を噛み締める。


 そして、その手を掴んだ。


     * * *


 同時刻――西方の間。


 理恵へ襲いかかろうとしていた東京校の三人の動きが、不意に止まった。


 ぴたり、と。


 まるで見えない糸に縛られたかのように、その足が止まる。


「まったく……」


 低く、怒りを含んだ声が響く。


「うちの子らに、なんてことをしてくれてるんだ」


 鳥笛を手にした芦谷祐介が、舞台の端に立っていた。


 その眼差しは、普段の軽さを失っている。


 怒り。


 だが、生徒たちを案じる指導官としての、静かな怒りだった。


「あらら、邪魔が入ったか」


 バーミリオンが肩をすくめる。


 その間に、深紅の慧珠が理恵の周囲を回る。


『お嬢様、大変遅くなりました』


「いえ」


 梓の慧珠から注がれる光が、理恵の傷をわずかに癒やしていく。


「完璧なタイミングですよ、梓」


 完全には治らない。

 身体には、まだ痛々しい傷が残っている。


 だが、それでも十分だった。


『申し訳ございません。今の状態では、この程度しか……』


「十分です」


 理恵は、ゆっくりと息を整える。


「それに、他の皆さんのところへも行っているのでしょう?」


『はい。他の三名も、お嬢様と同じく敵と応戦中です』


 それを聞いた理恵の瞳に、再び紫紺の光が灯った。


「ならば、休んではいられませんね」


 理恵は、立華鉢頭摩鋏を構え直す。


 舞台の熱に侵されかけていた思考が、梓の声によってわずかに冷えた。


 まだ、戦える。


 まだ、折れていない。


「芦谷さん」


「分かってる」


 芦谷は鳥笛を唇へ運ぶ。


「まずは、うちの連中を正気に戻す。それから――あの芝居がかった奴を黙らせる」


 その音が、西方の間に鋭く響いた。


     * * *


「《英傑月誅(サルサ・ゲッチュー)》!!」


 二対の月輪が、南方の間を切り裂く。


 金色の軌跡を描いたチャクラムが、シンシャの眼前を掠めた。


「もう! なんなの、急に!!」


 シンシャが頬を膨らませる。


「なんなの、ではありませんわ!」


 そこへ現れたのは、金髪碧眼の少女。


 大明寺レイカだった。


「こちらだって、皆様とはぐれて困っておりましたのに! ようやく辿り着いたと思ったら、この有様ですの!?」


 かなりご立腹らしい。


 だが、彼女の視線が杏樹へ向いた瞬間、その表情が固まった。


「まあ、これで借りができましたわね、杏樹さ――」


 言葉が、止まる。


 そこにいたのは、丸々と膨らんだ一匹のげっ歯類のような姿。


 悪鬼転身した杏樹だった。


「げえええっ!? い、いったいこの珍妙な生物は何なんですの!?」


「あのさ~」


 杏樹はじとっとした目でレイカを睨む。


「人の姿かたちを見て、第一声がそれってどうなの?」


「人!? 今の貴女、人の範疇に入りますの!?」


「入るわ!! たぶん!!」


 決して予断を許さない状況ではある。


 だが、いつも通りすぎるレイカの態度を見て、杏樹の中にも少しだけいつもの調子が戻ってくる。


 深紅の慧珠が、二人の間に浮かぶ。


『お二人とも、行けますか?』


 梓の声に、杏樹とレイカは同時に頷いた。


「うん! もちのろんだよ!!」


「当然ですわ! この“大明寺レイカ”が来たからには、もう安心ですわ!!」


 シンシャは、そんな二人をつまらなそうに見つめていた。


 しかしすぐに、満面の笑顔へ変わる。


「わあ~、お友達が増えてうれし~」


 だが、次の瞬間。


 その笑顔が、悪辣に歪んだ。


「まあ、何人増えようと、シンシャの手玉だけどね」


 甘ったるい悪意が、再び南方の間を満たしていく。


     * * *


 北方の間。


 見えぬ言葉の刃に、亜子は苦戦していた。


 防ごうとしても、防げない。

 撃ち落とそうとしても、撃ち落とせない。


 シナバーの言葉は、外から飛んでくるのではなく、亜子の内側から刃となって突き上がってくる。


 そのシナバーが、次の言葉をスマホへ吹き込もうとした瞬間だった。


 銀色の一閃が、シナバーを襲う。


「――ッ!?」


 シナバーは咄嗟に身を反らし、その刃を避けた。


「ああ!? いったい何者だ!!」


 吐き捨てるような問いに、白き隊服の女が静かに立つ。


 來瀬川真理。


 その手には、巨大な鋏のヴァジュラ――立華鉢頭摩鋏が握られていた。


「藤本、状況を説明しなさい」


『現在、参加者および護衛に付いた方々を含め、大江山に発生した鬼夢へ取り込まれています』


 深紅の慧珠から、梓の声が響く。


『今回の首謀者と思われる存在は、目の前の少女のほかに三名。他の三名も、すでに開現師たちと会敵中です』


 真理はわずかに思考を巡らせる。


 そして、すぐに結論を出した。


「つまり、ここから脱出することが第一優先」


 鋏の切っ先を、シナバーへ向ける。


「その手がかりが、あんたということね」


「ああん?」


 シナバーの顔が歪む。


「あんたは出てこられないように落としたと思ったんだけどなあ?」


 その言葉に、真理は不敵に笑った。


「落ちる瞬間に、地面へこれを伸ばしていたのよ」


 真理は、枯れた蔓枝を手元で揺らす。


 それは奈落へ落ちる寸前、彼女が命綱として伸ばしたものだった。


「まあ、何にせよ」


 真理の瞳が、鋭く細まる。


「あんたには“借り”がある。ここで全部返させてもらうわ」


 その横へ、亜子も並び立った。


「大丈夫? 行けるかしら」


「ええ」


 亜子は短く答える。


「梓さんに浄化してもらったから、もう大丈夫」


 亜子は、真理の手にある立華鉢頭摩鋏を見る。


「あなたは――」


「細かいことは後」


 真理は、視線をシナバーから外さない。


「まずは、あいつを倒すわよ」


 亜子は一瞬だけ真理を見た。


 そして、小さく頷く。


「了解」


     * * *


 絶望に思われた鬼哭餓亂城に、四つの光が走る。


 北方には、白き鋏を携えた來瀬川真理。


 南方には、金色の月輪を掲げた大明寺レイカ。


 西方には、鳥笛を手にした芦谷祐介。


 東方には、牙王印を構えた大久保淳。


 黒の部隊は、まだ折れていない。


 仲間を信じ、支えを受け、傷だらけのまま、それでも前を向く。


 そして今。


 鬼の居城にて、反撃の幕が上がる。

次回予告


反撃の幕が上がった鬼哭餓亂城。


北方の間では、亜子と真理がシナバーと対峙する。

言葉を刃に変え、人の心の傷を抉る四天王。


真理の力が戦況を押し返す中、シナバーは二人の“傷”を見つけ出していく。


無能。

負け犬。

疫病神。

誰一人救えない。


悪意の言葉が飛び交う北方の間で、亜子の怒りが静かに燃え上がる。


次回、

第76話「言葉の刃を砕くもの」


言葉の刃を砕くのは、怒りか、祈りか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ