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夢幻開現師 ―夢の守り人―  作者: ks21
第八章:「鬼哭餓亂城・籠城編」
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第73話「四天王戦、開幕」

鬼哭餓亂城の四方に分かたれた黒の部隊。


東方では、和泉とアカネ。

西方では、理恵とバーミリオン。

南方では、杏樹とシンシャ。

北方では、亜子とシナバー。


朱天の半身たる四天王を相手に、黒の部隊それぞれの戦いが幕を開ける。

 閉ざされた鬼の居城――鬼哭餓亂城(きこくがらんじょう)


 その四方に分かたれた広間で、戦いの火蓋は同時に切られていた。


 和泉百希夜。

 來瀬川理恵。

 加藤杏樹。

 川合亜子。


 黒の部隊の四人は今、この異変を引き起こした黒幕――四天王と、それぞれ相対している。


 その中でも、最も激しい熱を帯びていたのは、東方の間だった。


 燃え盛る炎。

 宙を濁す灰。

 赤と黒が、何度も激しくぶつかり合う。


 和泉は、ほとんど間を置かずに踏み込んだ。


 点火針の刀身が空を裂く。


 振るわれるたび、赤い軌跡が闇に刻まれ、刃の先から深紅の炎が噴き上がる。


 だが、対するアカネは笑っていた。


 いつものように、薄く。

 どこか艶やかに。

 そして、腹立たしいほど余裕を残したまま。


「ふふ……」


 アカネが煙管を咥え、細く息を吐く。


 その吐息は黒い灰へと変じ、厚い紗幕のように広がった。


 振り下ろされた和泉の一閃は、その灰の層に阻まれる。


 刃が灰を裂き、炎がそれを焼く。


 だが、灰は焼かれながらも散り、散りながらも再び形を成す。


 轟ッ!!


 点火針の刀身が宙を斬り、そのまま床へ触れた瞬間、火花とともに深紅の炎が立ち上がった。


飛火剣(とびひけん)!!」


 火柱を裂いて、炎のクナイが幾筋もアカネへ飛ぶ。


「ふっ」


 アカネは、ただ短く息を吐いた。


 吐息から生まれた灰が、針のように細く鋭く尖る。


 灰の針と炎のクナイが空中で激突し、互いを喰らい合うように弾け飛んだ。


 だが、和泉の足は止まらない。


 相殺された一瞬。


 生まれたごくわずかな空白。


 その隙へ、和泉はさらに踏み込んでいた。


「……悪鬼招来」


 低く告げる。


 その言葉に応じるように、和泉の背後に白銀の影が揺らいだ。


 大百足の悪鬼――白影。


 その幻影が、和泉の肉体へ溶け込んでいく。


 次の瞬間、彼の内側から、先ほどまでとは質の違う熱が膨れ上がった。


「《鬼焔操流(きえんそうりゅう)》!!」


 深化覚醒(しんかかくせい)を発動させた和泉が、床へ手をかざす。


 刹那。


 先ほどまで燃え上がっていた炎とは、まるで別種の業火が床を這うように走った。


 それは、ただ燃やす炎ではない。


 獲物を捉え、喰らい、内側から焼き尽くそうとする鬼の炎。


 業火は蛇のようにうねりながら、アカネの足元へ襲いかかる。


 さしものアカネも、それを正面から受ける気はないらしい。


 彼女は軽やかに後方へ跳び、燃え上がる床から距離を取った。


「随分と気が早いわね」


 澄んだ声が、炎と灰の向こうから響く。


 その声音はあまりにも平然としていた。


 まるで命を削る戦いの最中ではなく、退屈な茶会の席で言葉を交わしているかのように。


 和泉は、ゆっくりと点火針を構え直した。


「あんたとのやり取りを、これ以上長引かせる必要なんてねえからな」


 声は淡々としている。


 だが、その瞳の奥には、隠しきれない炎があった。


 怒り。

 憎しみ。

 そして、決着をつけるという意志。


 アカネは、それを見て愉しげに目を細めた。


「あら」


 煙管の先を指先で撫でる。


「これはまた……楽しませてくれそうね」


 その瞳に、妖艶な光が灯る。


 炎と灰が、再び激突する。


 東方の間にて、和泉百希夜とアカネの因縁の戦いが、さらに深く燃え上がろうとしていた。


     * * *


 煌びやかな装飾に彩られた、西方の間。


 そこは、まるで歌劇団の劇場だった。


 赤い絨毯。

 重く垂れた緞帳。

 金細工めいた柱。

 そして、誰も座っていないはずの客席から、無数の視線だけが注がれているような錯覚。


 その舞台の中央で、二人の刃が交わっていた。


 華麗に舞う理恵。

 華やかに踊るバーミリオン。


 一見すれば、二人の動きは息の合ったデュエットのようですらあった。


 踏み込み、旋回し、刃を交わし、距離を詰める。


 その一挙手一投足は、まるで舞台上で振り付けられた演目のように美しい。


 だが、華麗さの裏側では、熾烈な読み合いが続いていた。


 次の一手で、相手の呼吸を乱す。

 次の半歩で、相手の重心を崩す。

 刃と刃が触れ合うたび、両者の思考はさらに深く、さらに速く回転していく。


 理恵の双剣――立華鉢頭摩鋏(りっかはずまぎょう)が、紫紺の軌跡を描いて舞う。


 その剣戟を、バーミリオンは手にしたサーベルで弾き返した。


 甲高い金属音が、舞台に響く。


 一つ間違えば、一気に均衡が崩れ去る。


 そんな繊細な緊張が、二人の間に張り詰めていた。


 先に仕掛けたのは、理恵だった。


 彼女の掌に、真紅の花が咲く。


 蕾は瞬く間に綻び、鮮やかな紅色の花弁を広げた。


 だが、その開花は一瞬。


 花弁はすぐに散り落ち、今度は血のように赤い実を結ぶ。


 芽吹き、咲き、実る。


 その生命の循環が、刹那のうちに理恵の掌で完結した。


 剣戟の合間に起きた、ほんの一瞬の出来事。


 しかし、バーミリオンがそれを見た時には、もう遅かった。


紅爪(べにつめ)


 理恵の細い唇から、静かな囁きが零れる。


 瞬間――真紅の実が弾け飛んだ。


 中から飛び出した種子が、赤い弾丸となってバーミリオンへ襲いかかる。


 どすっ、どすっ!!


 鈍い音とともに、真紅の種がバーミリオンの身体へめり込んだ。


「うッ……!?」


 バーミリオンの口から、鮮血が散る。


 だが、理恵の攻撃はそこで終わらない。


「咲き誇りなさい」


 その命に従い、撃ち込まれた種子が一斉に芽吹いた。


 バーミリオンの体内で根を張り、肉を裂き、血のように赤い花を咲かせていく。


「何ッ!?」


 驚愕するバーミリオンをよそに、撃ち込まれた箇所から真紅の花が咲き誇った。


 血飛沫の代わりに花弁が散る。


 美しく、そして残酷な開花。


 バーミリオンの身体が、力を失ったように舞台へ落下していく。


 勝負は喫したかに見えた。


 だが、理恵の表情は緩まない。


 むしろ、その眼差しはさらに鋭くなっていた。


「何だい?」


 倒れていたはずのバーミリオンが、涼しげな声で言う。


「追撃はしないのかい?」


 次の瞬間、彼女は何事もなかったかのように立ち上がった。


「まったく、困ったプリンセスだ」


 その声には余裕があった。


 理恵は、すぐに気づく。


 先ほど、バーミリオンの肉体に咲いた赤い花。


 それらはすでに色を失い、完全に干乾びていた。


「花のプレゼントなんて嬉しいんだけどね」


 バーミリオンは、枯れた花へ指先で触れる。


「僕は“薔薇”の方が好きかな」


 軽く払われた花は、その瞬間に粉々となり、舞台の上へ儚く散った。


(この程度で倒せるとは思っていませんでしたが……)


 理恵の思考に、ひとつの違和感が生まれる。


(花が枯れる速度が、あまりにも早すぎる)


 決着がつくとは、理恵も楽観視していなかった。


 相手は四天王。


 この程度で沈む相手ではない。


 だが、それにしても技の消耗が早すぎる。


 考えられる理由の一つは、相手が想像以上の化け物であること。


 それは、おそらく当たっている。


 だが、それだけではない。


 もっと別の何かが絡んでいる。


 この舞台。

 この空気。

 この異様な高揚感。


 理恵は、薄々それを感じ取っていた。


「さあ、もう一度僕と踊ろうじゃないか!!」


 バーミリオンがサーベルを構え、再び飛び込んでくる。


 理恵は即座に双剣を交差させ、その一閃を受け流した。


 だが、刃を交えるごとに、先ほどまで胸中にあった疑念が少しずつ薄れていく。


 考えろ。

 見極めろ。

 この違和感の正体を掴め。


 そう思っているはずなのに。


 それ以上に、別の思考が理恵の内側で膨らんでいく。


 ――目の前の敵を討つ。


 ――この女を、斬る。


 ――徹底的に、叩き伏せる。


 立華鉢頭摩鋏を握る理恵の手に、自然と力がこもった。


 ほんのわずかな殺意。


 だがそれは、甘い毒のように理恵の思考へ染み込み、少しずつ彼女の冷静さを冒していく。


 舞台の上で、バーミリオンが笑う。


 理恵はその笑みを見つめながら、さらに一歩、前へ踏み込んだ。


 美しい二人芝居は、いつしか理性を削る死の舞踏へと変わり始めていた。


     * * *


 子ども部屋のように飾り立てられた、南方の間。


 だが、その可愛らしさは、どこか決定的に歪んでいた。


 色とりどりの壁紙。

 大きなぬいぐるみ。

 天井から吊るされた星形の飾り。

 棚いっぱいに並べられた人形たち。


 そのどれもが甘く、柔らかく、無邪気で――だからこそ、ひどく気味が悪い。


 そんな異様な子ども部屋の中で、杏樹は完全に攻めあぐねていた。


「このっ!!」


 杏樹はデガ喇叭(デガラッパ)を構え、泡の弾丸を放つ。


 ぱん、ぱん、ぱんっ!!


 弾けるように飛んだ泡弾が、一直線にシンシャへ向かう。


「わーい! 鬼さんこちら、手の鳴るほうへー!」


 だが、シンシャはくるくると飛び跳ねながら、それを軽々と避けていく。


「待て!!」


 逃げていくシンシャを追って、杏樹も駆け出した。


 いつの間にか、空間は大きく歪んでいた。


 部屋全体が、異様なほど巨大化している。


 ベッドも、戸棚も、人形も、何もかもが杏樹たちよりずっと大きい。


 まるで小人にでもなったかのように、二人は巨大な子ども部屋の中を駆け回っていた。


 傍から見れば、ただの追いかけっこにしか見えないだろう。


 だが、杏樹の胸中にそんな余裕はない。


(くっ……! こんなところで足止め喰らってる場合じゃないのに!!)


 和泉は。

 理恵は。

 亜子は。


 みんな無事なのか。


 それとも、自分と同じように四天王と戦っているのか。


 はっきりとは分からない。


 だが、杏樹の鋭い感覚は、他の仲間たちもそれぞれ敵と相対していることを薄く察していた。


(きっと、みんなも戦ってる……)


 だからこそ、自分だけがここで遊ばれているわけにはいかない。


「おーい! こっちだよー! べろべろばー!」


 シンシャは後ろから追ってくる杏樹へ向け、わざとらしく舌を出して煽ってくる。


「もう! 馬鹿にして!!」


 杏樹は再び泡連弾(ほうれんだん)を放つ。


 だが、シンシャはひょい、ひょい、と最小限の動きでそれを避けていく。


 当たらない。


 距離は詰めているはずなのに、まるで追いつけない。


 攻撃しているはずなのに、いつの間にか相手の遊びに付き合わされている。


(ダメ! 相手のペースにはまっちゃ!!)


 頭に血が上りそうになるのを、杏樹は必死に堪えた。


 杏樹は、分かっていた。


 自分に足りないものを。


 力が劣っているとは思わない。

 才能がないとも思わない。

 実際、東京校にいた頃から、杏樹は周囲に期待される側の人間だった。


 だが、それでも――。


 和泉や理恵、亜子と比べた時、圧倒的に足りないものがある。


 実戦経験。


 この合同訓練でもそうだった。


 他の三人が状況を見極め、冷静に役割を選んでいく中で、自分は置いていかれないように必死だった。


 もちろん、仲間たちはそんなふうには思っていないだろう。


 けれど、杏樹自身が一番よく分かっている。


(このままじゃ……また、居場所をなくしちゃう)


 その弱気が胸の奥から顔を出しかけた瞬間、杏樹は足を止めた。


「落ち着け、加藤杏樹!!」


 ぱんっ!!


 両手で自分の頬を叩く。


 痛みが、熱く頬に残る。


 その痛みが、浮き上がりかけた不安を押し戻した。


「よし!!」


 杏樹は顔を上げる。


 もう、追いかけない。

 もう、乗せられない。


「あれ~? もう追っかけてこないの?」


 少し離れた場所で、シンシャがぶーぶーと頬を膨らませる。


「つまんない~」


 だが、杏樹はもうその挑発には乗らなかった。


「当然!」


 デガ喇叭を、まっすぐシンシャへ向ける。


「こっからは、わたしのターン!!」


「え~、それもう飽きたよ~」


 シンシャはつまらなさそうに肩を落とす。


「どうせ、当たりっこないって」


「さーて、それはどうかな!!」


 杏樹が放った泡弾が、まっすぐシンシャへ飛ぶ。


「むだだって」


 シンシャは軽く身を翻し、それを避けた。


 泡弾はそのまま背後の巨大なタンスへ直撃する。


 普通なら、そこで弾けて終わりだ。


 だが――。


「泡連弾は、泡」


 杏樹が口元に笑みを浮かべる。


「その硬さも、弾み方も、わたし次第!!」


「え?」


 タンスにぶつかった泡弾は弾けなかった。


 ぐにゃり、と歪み、表面で一瞬潰れたかと思うと、次の瞬間――反発するように跳ね返った。


 ばしんっ!!


「あいたっ!?」


 跳ね返った泡弾が、シンシャの背中へ直撃する。


 その隙を、杏樹は逃さない。


「まだまだ!!」


 さらに放たれた泡弾が、壁、床、ベッドの脚、人形の山へ当たり、次々と角度を変えて跳ね回る。


「わ、わわわっ!?」


 シンシャは慌てて身をよじる。


 だが、逃げ道を塞ぐように、泡弾は次々と跳ね返ってくる。


「ちょ、ちょっと!!」


 シンシャの声に、初めて余裕の色が消えた。


 直撃寸前、彼女はポケットから一枚のクッキーを取り出す。


「えいっ!」


 すると、そのクッキーは、ぼわん、と煙を上げて巨大化した。


 まるで丸い盾のように膨れ上がったクッキーを、シンシャは両手で構える。


 ばばばばっ!!


 泡弾がクッキーの盾に次々とぶつかり、弾けていく。


「もう! あっぶないな~!!」


 シンシャが抗議の声を上げる。


 その時、彼女はようやく気づいた。


 杏樹の姿が、正面から消えている。


「はっ!?」


 シンシャが咄嗟に振り向く。


 その背後には、すでに杏樹が回り込んでいた。


「さすがに――」


 杏樹の瞳に、鋭い光が宿る。


「わたしを舐めすぎ!!」


「えい!!」


 振り返りざま、シンシャは巨大なクッキーの盾を力いっぱい振るう。


 だが、その瞬間。


「悪鬼転身――《篥歯(りっぱ)》!!」


 杏樹の肉体が、淡い光に包まれた。


 次の瞬間、その背丈が一気に縮む。


 細く、素早く、しなやかな小動物のような姿へと変じる。


「!?」


 ぶんっ!!


 大きく振られたクッキーの盾は、杏樹の頭上すれすれを空振りした。


 完全に読みを外されたシンシャの目が、わずかに見開かれる。


「おりゃあああ!!」


 杏樹が叫ぶ。


 しなった大きな尻尾が、鞭のように唸った。


 ばちんっ!!


 シンシャの顔面へ、尻尾の一撃がまともに叩き込まれる。


「ひびッ!?」


 素っ頓狂な声を上げ、シンシャの身体が勢いよく弾き飛ばされた。


 ずぼっ!!


 そのまま彼女は、大量の人形が積み上がった一角へ突っ込む。


 衝撃で人形の縫い目が裂け、白い羽毛が一斉に舞い上がった。


 ふわふわと舞い散る羽毛の中で、杏樹は着地する。


 小さな身体のまま、デガ喇叭を構え直す。


「どう?」


 杏樹は、息を弾ませながらも笑った。


「少しは、楽しくなってきたでしょ?」


 ふわり、と舞い散る羽毛の中――。


 人形の山が、もぞりと動いた。


 裂けた布の切れ端と白い綿を押し分けるようにして、シンシャがゆっくりと身を起こす。


「……うん」


 頬についた羽毛を、ぺたりと指で払う。


「すっごく、楽しくなってきた……!」


 その声は、先ほどまでの拗ねたような甘さとは違っていた。


 幼い。

 無邪気。

 それなのに、ぞっとするほど昏い。


 シンシャは、にたりと笑う。


「だから――こっからは、本気でやってあげるよ!!」


 きっと見開かれた瞳の奥に、濁った歓喜が灯る。


 その視線が杏樹を捉えた瞬間、ぞわり、と背筋を這い上がるような悪寒が走った。


 空気が変わった。


 つい先ほどまでのそれが“遊び”だったのだと、杏樹は本能で理解する。


 だが、杏樹ももう怯まない。


 デガ喇叭を構えたまま、真っ直ぐシンシャを見据える。


「……上等」


 短く吐き捨てるその声に、もう先ほどまでの焦りはなかった。


 対するシンシャは、満足そうに口元を歪めると、両手いっぱいに抱えていた人型のジンジャークッキーを高く掲げた。


「さあ、おいで!」


 甲高い声が、異様に広い子ども部屋へ響き渡る。


「お菓子の兵隊さんたち!!」


 次の瞬間、シンシャがそれらを一斉に投げ放つ。


 宙を舞う無数のジンジャークッキー。


 それらは空中で、ぼんっ、ぼんっ、と煙を噴き上げ――。


 みるみるうちに、人間大の兵隊へと膨れ上がった。


 焼き色のついた胴。


 砂糖で描かれた笑顔。


 だが、その表情には生気がなく、虚ろなまま杏樹を囲んでいく。


 甘ったるい匂いが、一気に濃くなる。


 まるで菓子の国に迷い込んだかのような光景。


 けれど、そこにあるのは夢や可愛らしさではない。


 捕食者の悪意だけだ。


 杏樹は、じり、と足を引いた。


 前方にシンシャ。


 その周囲を埋める、お菓子の兵隊たち。


 逃げ場はない。


 ならば――突破するしかない。


 杏樹の瞳が、強く細められる。


 その手の中で、デガ喇叭がきゅっと鳴いた。


 こうして――。


 加藤杏樹とシンシャ。


 南方の間における第二ラウンドの幕が、切って落とされた。


     * * *


 鬼哭餓亂城、北方の間。


 四方の壁を埋め尽くすように、巨大なモニターが立ち並んでいた。


 青白い光。

 砂嵐の映像。

 意味をなさない文字列。

 誰かの笑顔。

 誰かの罵声。

 そして、瞬きのたびに切り替わる、悪意に満ちた断片。


 その異様な空間の中で、激しい閃光が幾度も迸っていた。


 バリンッ!!


 凄まじい音とともに、また一枚、モニターのガラスが砕け散る。


「もう何なの、あいつ!?」


 シナバーが舌打ち混じりに吐き捨てる。


 その背を追うように、亜子は絶え間なく光の弾丸を放ち続けていた。


 顕現された機銃の銃口は、微動だにしない。


 ただ正確に、ただ無慈悲に、逃げる標的へと向けられている。


 バババババッ!!


 光弾が空間を裂き、モニターを砕き、床を抉る。


「くそっ!!」


 シナバーは跳び、転がり、身をひねる。


 一瞬でも足を止めれば、そのまま蜂の巣にされる。


 反撃の隙すら与えない猛攻。


 戦局だけを見れば、亜子が圧倒しているように見えた。


 だが――。


(何か、狙ってる……)


 亜子の瞳は冷静だった。


 これだけ撃ち込んでいる。

 これだけ追い詰めている。


 にもかかわらず、決め手となる一撃が入らない。


 すべての弾丸が、あと紙一枚のところで躱されている。


 あるいは、躱されるように誘導されている。


 ただ逃げているわけではない。


 この女は、逃げながら何かを仕込んでいる。


 それに気づいていながら、亜子は攻撃の手を緩めなかった。


 止まれば、相手にターンが回る。


 そして一度でも相手の土俵に乗せられれば、一気に押し切られる。


 それほどまでに、眼前の敵は危険だった。


「ふふ……でも、もう逃げるのは終了~♪」


 不意に、シナバーが足を止めた。


 その瞳が、にいっと歪む。


 次の瞬間、砕け散っていたモニターのガラス片が、床からふわりと浮かび上がった。


「このモニターさあ、あたしのスマホと繋がってんだよね~」


 シナバーが片手でスマホを掲げる。


 画面をなぞる細い指。


 その動きに合わせて、宙に浮いたガラス片がぎらぎらと光を反射した。


「こうやって指令を送れば、ちゃーんと言うこと聞いてくれるし」


 砕けた画面の破片が、シナバーの周囲で輪を描く。


 それはただの破片ではなかった。


 彼女の支配下に置かれた、無数の刃だった。


「だから、何?」


 亜子は表情一つ変えない。


 そのまま銃口を向け、引き金を引いた。


 バババッ!!


「へえ。攻撃しちゃうんだ」


 シナバーの口元が吊り上がる。


「案外、度胸あんじゃん!!」


 彼女が素早く画面をタップする。


 瞬間、宙の破片が一斉に集まり、亜子の光弾を受け止める防壁となった。


 光弾がガラスの壁へ叩き込まれる。


 そして――。


 バンッ!!


 内包されたエネルギーが行き場を失い、ガラスの防壁ごと弾け飛んだ。


 砕けた破片が、今度は亜子へ向かって散弾のように襲いかかる。


 機銃を構えたままの今の姿勢では、完全には避けきれない。


 シュッ、シュッ!!


 鋭い破片が、亜子の頬を、腕を、脚を切り裂いた。


 頬に走った一筋の傷から、赤い血が滴る。


「あ~あ、言わんこっちゃない」


 シナバーは、勝ち誇ったように笑った。


「でも、これで分かったでしょ? あたしがサイキョウだってこと」


 砕けた破片の一部は、確かにシナバーの方へも飛んでいた。


 だが、それらは彼女のスマホ操作によって、空中でぴたりと静止している。


 自分は傷つかない。


 相手だけを傷つける。


 その構図こそが、シナバーの支配だった。


「さあ~、もう観念し――」


 言いかけたシナバーの声が、途中で止まる。


 彼女は目の前の光景に、わずかに眉をひそめた。


「あんた、それ本気?」


 亜子はまだ、銃身をシナバーへ向けていた。


 頬から血を流しながら。

 腕に傷を受けながら。

 それでも、何事もなかったかのように。


「本気じゃなきゃ、何に見えるの?」


 亜子の声は、どこまでも平坦だった。


 その無機質な返答が、シナバーの感情を逆撫でする。


「はあ? やりたきゃやれば?」


 シナバーの表情に苛立ちが滲む。


「でも、結果はさっきと同じ――」


 ババババッ!!


 亜子は構わず引き金を引いた。


 再び放たれる光の弾丸。


 シナバーは、一瞬だけ目を見開き、それから心底呆れたように唇を歪めた。


「あんた……正真正銘のバカでしょ」


 だが、亜子の瞳は揺れない。


 その弾丸がただの繰り返しではないことを、まだシナバーは知らなかった。


 光弾を受けたガラス片が、再び無数に弾け飛ぶ。


 鋭利な破片が、雨のように亜子へ襲いかかった。


 シュッ、シュッ、シュッ!!


 頬を裂く。

 腕を裂く。

 脚を裂く。


 それでも亜子は、攻撃の手を止めなかった。


 銃口は揺れない。


 視線も逸れない。


 ただ、目の前の敵だけを捉え続けている。


「マジで意味わかんないんだけど!」


 シナバーの声に、苛立ちが混じる。


「もしかしてアンタ、死にたがりなの!?」


 だが、亜子は答えない。


 答える必要がなかった。


 シナバーはまだ、気づいていない。


 この絶え間ない猛攻に込められた、亜子の執念を。


 ただ撃ち続けていたわけではない。


 ただ傷つきながら突っ込んでいたわけでもない。


「……いくら弾き返しても」


 亜子が、ぽつりと呟いた。


「破片には、あたしの光が残ってる」


「は?」


 シナバーの眉がひそめられる。


 宙を舞うガラス片。


 その大半は亜子へ向かって飛んでいた。


 だが、その中のいくつかは、まだ空中に残っている。


 そして、それらの断面には、微かな光が宿っていた。


「放たれた光は、多少なら軌道を操れる」


 亜子の瞳が、鋭く細められる。


「だから――」


 次の瞬間。


 宙を漂っていたガラス片のいくつかが、亜子の意志に従うように軌道を変えた。


 シナバーの背後へ。

 横腹へ。

 死角へ。


 ドスッ!

 ドスッ!!


「ぐっ!? な、何っ!?」


 跳ねた破片が、シナバーの身体へ突き刺さる。


 肩。

 脇腹。

 太腿。


 深くはない。


 だが、確かに届いた。


「こうでもしなきゃ……」


 亜子は血の流れる頬を拭いもせず、銃口を下ろさない。


「あなたに攻撃、当てられそうになかったし」


 淡々とした声。


 けれど、その奥には静かな熱があった。


「だから、押し通らせてもらった」


 傷つきながらも、退かなかった。


 損害を受けることも承知で、あえて攻撃を撃ち続けた。


 自分の光を破片に残し、その破片すら弾丸へ変えるために。


 それは、亜子らしい戦い方だった。


 感情を叫ぶのではなく。

 怒りを振り回すのでもなく。


 ただ、勝つために必要な一手を、黙って積み上げる。


 その意志が、シナバーへ突き刺さっていた。


「……クソが」


 シナバーの瞳に、激しい憎悪の火が灯る。


 口元が歪む。


 奥歯が、ぎり、と音を立てた。


「なにそれ。ムカつく」


 スマホを握る手に、ぎりぎりと力がこもる。


「涼しい顔して、痛いの我慢して、勝った気になってんじゃねえよ」


 その声は、先ほどまでの軽薄な調子とは違っていた。


 低く、濁っている。


「そういうのが一番――」


 シナバーの周囲で、残ったモニターが一斉に点灯する。


 青白い画面に、無数の文字列が走った。


 罵声。

 嘲笑。

 悪意。

 誰かを貶めるためだけの言葉。


 それらが、画面いっぱいに溢れ出す。


「――うざいんだよ」


 次の瞬間、シナバーの背後に浮かぶモニター群が、耳障りなノイズを撒き散らし始めた。


 北方の間の空気が、さらに重く濁る。


 亜子は無言で構え直す。


 ようやく一撃は届いた。


 だが、ここからが本番だと、彼女は分かっていた。


 シナバーは、もう笑っていない。


 その代わりに、画面の中の無数の悪意が、亜子を嘲笑っていた。

次回予告


四方の間で始まった、黒の部隊と四天王の戦い。


一撃を届かせた者。

違和感に気づき始めた者。

相手の遊びを断ち切ろうとする者。

そして、因縁の敵へ炎を叩きつける者。


だが、ここは鬼哭餓亂城。

悪意に満ちたこの城は、開現師たちの心と身体を静かに蝕んでいく。


次回、

第74話「四天王の本領」


四天王の力が、牙を剥く。

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