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第六十二話 バティス

「見えてきました!」


 船員の声に、僕たちは甲板へ出た。


 水平線の向こう。


 大小いくつもの島影が浮かんでいる。


 中央群島。


 ただし、見えているからといって、どこにでも船をつけられるわけじゃない。


「ここから先は、潮がかなり厄介になります」


 船長が海面を見ながら言った。


「岩礁も多い。慣れていない船乗りが下手に入り込めば、港に着く前に船底を割られますよ」


「そんなに?」


「この辺りじゃ常識です」


 中央群島へ外海から大型船で入れる場所は、ほとんど二つしかない。


 一つは、西側にある何もない島。


 もう一つは、中央群島で一番大きな島にある大港。


 僕たちが向かっているのは、もちろん後者だ。


 船は何度か大きく進路を変えた。


 一見すると真っ直ぐ進めそうなのに、船長はそうしない。


 少し先では、海面から黒い岩がいくつも突き出している。


 その間を、白い波が激しくぶつかり合っていた。


「私には、全部同じ海に見えます」


 ミリアが言う。


「私もです」


 リナリアも続いた。


「僕も」


「勇者様にも分からないことがあるんですね」


「いっぱいあるよ」


「そうでしょうか」


 なぜか疑われた。


 やがて、港が見えてくる。


「……大きいですね」


 リナリアが目を細めた。


 王国の港とは規模が違う。


 大型船が何隻も並んでいる。


 荷物を運ぶ人。


 魚を売る人。


 船を修理する職人。


 商人。


 船乗り。


 あちこちから声が飛び交っている。


「思ったより栄えていますね」


 ミリアが言った。


「うん」


 少なくとも。


 外から見れば、かなり元気そうだ。


     ◇


 港へ降りる。


 市場は賑わっていた。


 魚。


 乾物。


 果物。


 酒。


 香辛料。


 他の地域から運ばれてきた商品も多い。


 中央群島は、昔から交易で栄えてきた土地らしい。


 魔王軍が退いたことで、人の出入りも一気に戻ったのだろう。


「勇者様」


「ん?」


「武装した方が、随分多いですね」


 リナリアに言われて、改めて周囲を見る。


 確かに。


 剣。


 槍。


 弓。


 鎧。


 冒険者らしい人間が、そこら中にいる。


 王国の冒険者街より多いかもしれない。


 それだけじゃない。


 装備の種類もばらばら。


 数人から十数人単位で固まって歩いている集団もいる。


「あれは傭兵かな」


「おそらく」


 ミリアが頷く。


 中央群島では、一年前の追撃戦で軍が大きな被害を受けた。


 その穴を埋めるため。


 冒険者ギルドに救援を求め。


 傭兵や腕の立つ者を大量に集めている。


 話には聞いていたけど。


 実際に見ると、想像以上だ。


「人は多いのに」


 ミリアが小さく呟いた。


「……何でしょう」


「どうしたの?」


「少し、暗い感じがします」


 僕もそう思っていた。


 市場は賑わっている。


 酒場からは笑い声も聞こえる。


 商人も大声で客を呼び込んでいる。


 なのに。


 どこか。


 空気が重い。


 ふとした瞬間に。


 人の顔が沈む。


 道端で話していた老人。


 魚を並べる女。


 子供を連れた男。


 笑っていても。


 一瞬だけ、何かを思い出したような顔をする。


「戦争が終わった街って感じじゃないね」


「はい」


 リナリアも辺りを見回す。


「まだ、何かを警戒しているように見えます」


「まず情報を集めよう」


「冒険者ギルドへ向かいますか?」


「その前に王城」


「王城ですか」


「うん。何が起きたか、一番知ってるのはたぶんそこだから」


     ◇


 王城は港を見下ろす高台にあった。


 でも。


「……城?」


 ミリアが首を傾げる。


「城、ですね」


 リナリアも少し迷っている。


 確かに大きい。


 石造り。


 壁も分厚い。


 ただ。


 王国の王城みたいな華美さはない。


 飾りも少ない。


 城というより。


 巨大な砦に近い。


 入り口で名乗る。


「東方のグランヴェルより参りました。勇者です」


 衛兵が一瞬固まった。


「少々お待ちください!」


 そのまま走っていく。


 かなり待たされると思っていた。


 でも。


 十分もしないうちに戻ってきた。


「陛下がお会いになります。どうぞ」


「早いね」


「勇者様ですから」


 リナリアは当然という顔をしている。


「そういうもの?」


「そういうものです」


 案内される。


 城の中も外と同じだった。


 豪華ではない。


 でも。


 どこか力強い。


 壁には絵画よりも海図が多い。


 船の模型。


 剣。


 巨大な魚の骨。


 漁具まで飾られている。


「群島らしいですね」


 ミリアが言う。


「うん」


 やがて、大きな扉の前に着いた。


「勇者様がお見えになりました!」


 扉が開く。


 謁見の間。


 そして。


 そこにいた男を見て。


 少し驚いた。


「君が勇者か」


 男が立ち上がる。


 大きい。


 肩幅が広い。


 日に焼けた肌。


 太い腕。


 王冠を外して粗末な服を着せたら。


 港で漁網を引いていても違和感がない。


 王様というより。


 漁師みたいだ。


「よく来てくれた」


 男が笑った。


「君が黄泉の将を倒してくれたおかげで、アンデッドの軍勢が総崩れになったと聞いている」


 玉座を離れ。


 僕たちの前まで歩いてくる。


「中央群島も、その恩恵を受けた」


 そして。


 頭を下げた。


「感謝の意を述べさせてくれ」


「え」


 王様が。


 僕に頭を下げた。


 リナリアが僅かに姿勢を正す。


 ミリアも驚いている。


「頭を上げてください」


「礼を言う相手には、礼を言う。それだけだ」


 男は顔を上げた。


「俺は、この国の王。バンダ・レイフォンだ」


「勇者です」


「知っている」


「ですよね」


「ははっ!」


 バンダ王が大きく笑った。


「堅苦しいのは好かん。普通に話してくれて構わんぞ」


「助かります」


「本当に普通だな」


「駄目でした?」


「いや。気に入った」


 バンダ王は玉座には戻らず。


 近くに置かれた大きな机へ向かった。


「座ってくれ」


 机の上には。


 何枚もの海図が広げられている。


 僕たちも席につく。


「それで」


 バンダ王が僕を見る。


「勇者殿が中央群島まで来た理由を聞かせてもらおうか」


「一年前の追撃戦について知りたいです」


 さっきまで笑っていた王の表情が変わった。


「……そうか」


「魔王軍も、群島の連合軍も、大きな被害を受けたと聞いています」


「ああ」


「何があったんですか?」


 バンダ王はすぐには答えなかった。


 海図へ目を落とす。


「魔王軍は北西へ退いた」


 太い指が海図をなぞる。


「船で逃げる者。飛行魔族に乗って逃げる者。どう見ても撤退だった」


「追撃した」


「ああ」


 王が頷く。


「アンデッドの軍勢を失い、奴らは明らかに弱っていた」


「なら、追う判断はおかしくないと思います」


「俺もそう思った」


 バンダ王の指が止まった。


「今でもな」


 低い声。


「連合軍を編成し、追撃した」


「その結果が」


「ああ」


 王の表情がさらに険しくなる。


「壊滅だ」


「魔王軍に反撃された?」


「それだけなら、まだ分かりやすかった」


「違う?」


「……」


 バンダ王が椅子へ深く腰掛ける。


「連合軍の先陣には」


 一度。


 言葉を切った。


「この国で一番強い男がいた」


「……」


「バティス」


 初めて聞く名前。


「群島一の戦士と呼ばれた男だった」


「だった?」


 聞き返す。


 バンダ王の目が鋭くなった。


「あの日から、奴の名前を呼ぶ者はいない」


「……」


「君もこの城を出たら、その名前を口に出すな」


「どうして?」


「何をされるか保証できん」


 リナリアがわずかに眉をひそめる。


「そこまで、ですか」


「ああ」


 短い返事だった。


「この群島じゃ、あの日を忘れられない者が多すぎる」


「バティスが何かした?」


 バンダ王は答えなかった。


「生き残った人は?」


「ああ」


 今度はすぐに答えた。


「斥候に出て、最前線を見ていた者がいる」


「その人は?」


「森の民だ」


 バンダ王の指が、海図の中央大島にある森林地帯へ移る。


「ガルドという男だ」


「……」


 やっぱり。


 ここにいた。


「知っているのか?」


「いや」


 すぐに答える。


「森の民って聞いたことがあっただけ」


「そうか」


 バンダ王は特に気にした様子もなく続けた。


「追撃部隊が壊滅した時、奴は斥候として本隊から離れていた。そのおかげで生き残った」


「何があったか見ていた?」


「ああ」


 王の顔が険しくなる。


「少なくとも、生き残った者の中では一番よく見ていたはずだ」


「なら、話を聞きたい」


「そう言うと思った」


「今はどこに?」


「故郷へ戻った」


「森の民の集落?」


「ああ」


 バンダ王が海図を指で叩く。


「中央大島の奥。森の中だ」


「行ける?」


「道はある」


 少し間を置く。


「ただし、よそ者が勝手に入って歓迎される場所ではない」


「案内を頼めますか?」


「もちろんだ」


「助かります」


「それと」


 バンダ王の声が低くなる。


「ガルドから何を聞いても、軽々しく他人に話すな」


「バティスのこと?」


「その名を出すなと言っただろう」


「あ」


「ここだからいい」


 王がため息をつく。


「外では、本当にやめておけ」


「分かった」


「群島の人間にとって」


 バンダ王は海図を見る。


「一年前のあの日は、まだ終わっていない」


 その言葉だけで。


 十分だった。


 僕は海図へ目を落とす。


 森の民。


 ガルド。


 前回。


 僕たちのパーティで斥候を務めた男。


 前回は。


 最後まで、あまり僕には心を開いてくれなかった。


 でも。


 今度は違うかもしれない。


「まずはガルドに会いに行く」


「ああ」


 バンダ王が頷いた。


「話を聞けば、君にも分かるだろう」


「何が?」


 王は。


 少しだけ目を伏せた。


「なぜ」


 低い声だった。


「誰も、あの男の名を呼ばなくなったのかを」

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