第六話 勇者の神託
あの攻撃を、僕は知っている。
白傷のオーガが、巨大な棍棒を持ち上げた。
左脚を前へ。
右脚へ体重を残したまま、上半身を大きく反らす。
正面へ振り下ろすと見せかけて、途中で軌道を変える。
一度目の僕は、それを知らなかった。
横へ逃げた騎士が、まとめて三人潰された。
「勇者様、離れてください!」
騎士隊長が叫ぶ。
僕は反対に、オーガへ近づいた。
近づかなければならない。
今の僕の力では、《封魔杭》を投げても皮膚へ刺さらない。
直接、打ち込む必要がある。
白傷のオーガが笑った。
七歳の子供が、自分から棍棒の下へ入ってきた。
そう思っているのだろう。
棍棒が振り下ろされる。
《危険感知》が、頭の中で激しく鳴った。
右へ逃げろと、体が訴える。
従ってはいけない。
あの怪物は、僕が逃げる方向を狙って軌道を変える。
僕は動かなかった。
「何をしている!」
騎士の悲鳴が聞こえる。
棍棒が迫る。
まだ。
まだ早い。
風圧で髪が揺れた。
棍棒の影が、僕の体を覆う。
そこで初めて、一歩だけ前へ踏み込んだ。
棍棒が軌道を変える。
右へ逃げる相手を薙ぎ払うため、横へ振られた。
僕はオーガの左脚へ身を寄せた。
棍棒が、革の胸当ての表面を掠める。
衝撃だけで体が浮いた。
胸が潰されたように苦しい。
それでも、直撃はしていない。
《祝福《後の牙》が発動しました》
位階三で選んだ祝福。
自分より強い敵の攻撃を、触れるほど近くで回避する。
その直後に放つ最初の一撃だけ、速度と貫く力を増す。
一度目の人生で、この祝福を持つ剣士を見たことがある。
彼は、格上の魔物へ近づきすぎた。
そして、一度の失敗で死んだ。
だから僕は選ばなかった。
安全に避けられる攻撃を、わざわざ危険な距離で避ける必要はない。
そう思っていた。
今回は違う。
危険へ近づかなければ、届かないものがある。
僕は服の内側から、《封魔杭》を抜いた。
銀色の杭を逆手に持つ。
狙うのは、オーガの左膝の裏側。
皮膚が薄く、次の動作へ移る直前だけ筋肉の力が抜ける。
「入れ!」
杭を突き立てた。
《後の牙》の力が、小さな腕を前へ押し出す。
銀の先端が、黒い魔力に覆われた皮膚へ触れた。
硬い音が鳴る。
一瞬、止まった。
それでも、杭は折れない。
黒い魔力へ亀裂が走った。
銀色の杭が皮膚を破り、根元まで肉へ沈む。
「グオオオオオオッ!」
白傷のオーガが絶叫した。
黒い魔力が激しく揺らぐ。
全身を覆っていた硬化が、杭へ吸い寄せられるように消えていった。
「今です!」
僕は叫んだ。
「膝を狙ってください!」
騎士たちはすぐには動かなかった。
七歳の子供がオーガの攻撃を避け、その皮膚へ杭を打ち込んだ。
目の前で起きたことを、理解できていない。
「魔力の守りが消えています!」
騎士隊長が先に反応した。
「全員、槍を出せ!」
三本の槍が突き出される。
先ほどは弾かれた穂先が、今度はオーガの肉へ食い込んだ。
一本が太腿へ。
一本が腹へ。
もう一本が右膝へ刺さる。
白傷のオーガが腕を振り回した。
騎士たちが槍を捨てて下がる。
僕も左脚の間を抜けた。
オーガの手が、僕の頭上を通過する。
「まだ倒れないのか!」
若い騎士が叫んだ。
当然だった。
《封魔杭》が封じるのは、魔力だけ。
オーガの巨体も。
人間を簡単に引き裂く腕力も。
分厚い皮膚も。
何一つ消えてはいない。
魔力を失っても、位階八の怪物であることは変わらない。
白傷のオーガが、左膝へ手を伸ばした。
杭を抜くつもりだ。
「させるな!」
騎士隊長が剣を振るう。
オーガの指を斬りつけた。
傷は浅い。
それでも、怪物の意識が隊長へ向いた。
棍棒が横へ振られる。
「隊長!」
騎士隊長は盾を構えた。
棍棒が盾へ直撃する。
金属が潰れる音がした。
隊長の体が地面を転がった。
生きてはいる。
けれど、すぐには立てない。
白傷のオーガが、倒れた隊長へ近づいていく。
僕は怪物の背後へ回った。
左膝から、血が流れている。
杭を打ち込んだ場所へ、銅の剣を突き入れた。
刃が肉へ入る。
けれど、浅い。
見習い用の剣では、太い筋肉を断ち切れない。
オーガが振り返った。
拳が飛んでくる。
僕は剣から手を離し、後ろへ跳んだ。
拳が地面を叩く。
土と石が弾け、体へ降りかかる。
直接受けてはいない。
それでも衝撃で吹き飛ばされた。
背中から地面へ落ちる。
息が止まった。
七歳の体は軽すぎる。
《身体強化》がなければ、今ので骨が折れていた。
「勇者様!」
「僕は大丈夫です!」
立ち上がる。
胸が痛い。
口の中に血の味がした。
けれど、まだ動ける。
白傷のオーガが、左脚を引きずっている。
杭の周囲から流れる血が増えていた。
銅の剣も、膝の裏へ刺さったまま残っている。
「左脚へ攻撃を集中してください!」
騎士たちが動いた。
剣と槍が、オーガの左脚へ次々と突き刺さる。
怪物が腕を振るう。
騎士たちは吹き飛ばされながらも、攻撃を止めない。
白傷のオーガが棍棒を持ち上げた。
けれど、踏み込むための左脚が支えられない。
巨体が傾く。
「離れろ!」
騎士隊長が叫んだ。
白傷のオーガが、片膝をついた。
地面が大きく揺れた。
今しかない。
僕は走った。
オーガの左膝へ刺さった銅の剣を踏み台にする。
柄へ足を乗せ、上へ跳ぶ。
腰。
肩。
太い腕を駆け上がる。
白傷のオーガが僕へ気づいた。
右手を伸ばしてくる。
《危険感知》が鳴る。
捕まれば終わる。
僕はオーガの肩から跳んだ。
狙うのは、額に残る白い傷。
あの傷は、かつて騎士の槍が頭蓋へ届いた跡だ。
魔力硬化がある間は、どれだけ攻撃しても刃が通らなかった。
今は違う。
僕は腰の後ろから、父さんの山刀を抜いた。
両手で握る。
空中で体を丸め、刃先を白傷へ向けた。
「これで――」
全体重を乗せる。
「終わりだ!」
山刀が、白い傷へ突き刺さった。
硬いものを割る感触が、両手へ伝わる。
刃が頭蓋を抜けた。
白傷のオーガの手が、僕の体へ届く。
太い指が革の胸当てを掴んだ。
締めつけられる。
肋骨が軋んだ。
僕は山刀から手を離さなかった。
さらに深く押し込む。
怪物の目が見開かれた。
指から力が抜ける。
白傷のオーガの巨体が、ゆっくりと前へ倒れた。
僕は手を離し、横へ転がる。
直後、地面を揺らして怪物が倒れ込んだ。
土煙が上がる。
誰も声を出さなかった。
騎士も。
村人も。
倒れたオーガと、血に濡れた僕を見ている。
白傷のオーガは動かない。
額へ突き刺さった山刀の周囲から、黒い血が流れていた。
《格上の魔物を討伐しました》
《祝福《獅子の子》が発動しました》
体の奥へ、熱が流れ込んでくる。
《位階が上昇しました》
位階四。
そこで止まらない。
五。
六。
数字が次々と書き換わっていく。
体の痛みが薄れていく。
力が満ちる。
七。
八。
九。
《現在位階――十》
視界へ、いくつもの祝福が浮かび上がった。
僕は倒れたオーガの向こうを見た。
焼けていない家。
立ったままの礼拝堂。
家族を抱きしめる村人たち。
一度目には、誰一人残っていなかった。
今は生きている。
歴史を変えられた。
そう思った瞬間。
白い文字の上へ、黒い文字が重なった。
《条件を確認しました》
《契約第一段階を進行します》
胸の勇者の紋章が、黒く脈打った。
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