第五話 滅びの村に降り立つ
荷馬車が止まった。
「到着だ! 荷を降ろせ!」
幌の外から、騎士の声が聞こえる。
僕は食料袋と予備の盾の間から、ゆっくりと体を起こした。
荷台へ潜り込んでから、半日近く経っている。
腕も脚も痺れていた。
それでも、無事にカレド村へ着いた。
襲撃までは、まだ二日ある。
騎士たちは先頭の荷馬車から順番に荷を降ろしている。
最後尾まで来る前に抜け出そうと、幌の隙間から外を覗いた。
木の柵に囲まれた畑。
街道沿いに並ぶ家々。
村の中央には、小さな礼拝堂の尖塔が見える。
一度目に見たとき、ここには何も残っていなかった。
家は焼け落ちていた。
尖塔は折れ、村人たちの遺体が広場へ積み上げられていた。
あの光景を変えるために、僕は来た。
「おい」
背後から声がした。
振り返る。
幌を持ち上げた若い騎士と目が合った。
「……子供?」
騎士は僕を見たまま、何度か瞬きをした。
◇
「なぜ勇者様が、荷馬車の中におられるのですか」
騎士隊を率いる隊長は、頭を抱えていた。
村長の家。
僕は大きな机を挟み、隊長と向かい合って座っている。
周囲には数人の騎士と、青い顔をした村長がいた。
「正面から頼んでも、連れてきてもらえないと思ったからです」
「当然です!」
隊長が机を叩いた。
「ここは二日後、魔物に襲われるかもしれない村なのですぞ!」
「だから来ました」
「七歳の子供が来る場所ではありません!」
「僕が勇者でなければ、騎士団も来ませんでした」
隊長が言葉に詰まる。
騎士団は、大神官からの命令で派遣されている。
けれど、僕の予言を完全に信じているわけではない。
村へ来るまで、魔物の群れが移動した痕跡は見つからなかったらしい。
隊長も、何も起きない可能性を考えている。
「僕を送り返すなら、護衛が必要になります」
「それは……」
「今、騎士を減らすべきではありません」
襲撃が起きなければ、僕はただの迷惑な子供だ。
けれど、襲撃が起きれば、一人でも多くの騎士を村へ残す必要がある。
「村の外には出ません」
「絶対ですぞ」
「戦いが始まるまでは」
「勇者様!」
僕は答えず、机に広げられた村の地図を見た。
「北側へ、兵を集めないでください」
隊長の顔が険しくなる。
「魔物は北の森から来ると聞いております」
「最初に姿を見せるのは北です」
「ならば、やはり――」
「そちらは囮です」
地図の西側を指差した。
森から村の近くまで、細い線が延びている。
夏になり、水が涸れた用水路だった。
「本隊は、ここを通ります」
「なぜ、そこまで分かるのです」
「勇者の啓示です」
また同じ嘘をついた。
一度目に村の跡を訪れたとき、枯れた水路には無数の足跡が残っていた。
ゴブリンたちは北側で騒ぎを起こし、騎士や村人の注意を引いた。
その間に西側から侵入し、逃げ場を塞いだ。
隊長は地図を見つめた。
すぐには信じなかった。
それでも、無視はしなかった。
「西側へ二個分隊を置く」
隊長が騎士たちへ告げる。
「北側にも見張りを出せ。ただし、敵を発見しても追うな」
騎士たちが部屋を出ていく。
僕も立ち上がった。
「勇者様はお待ちください」
隊長に止められた。
騎士の一人が、短い剣と革製の防具を持ってくる。
「子供用の装備はありません。従騎士の訓練に使う物ですが、何も持たないよりはよいでしょう」
見習い用の銅の剣と、革の胸当てだった。
剣は普通の騎士剣より短い。
七歳の僕でも、両手なら問題なく扱える重さだった。
革の胸当ては大きかったが、紐を一番きつく締めれば、どうにか体からずり落ちずに済む。
「もらっていいのですか」
「その代わり、危険が迫ったら迷わず逃げてください」
「分かりました」
逃げるとは言わなかった。
隊長も、それ以上は追及しなかった。
銅の剣を抜く。
刃は厚く、切れ味もよくない。
騎士が使う鋼の剣とは比べるまでもなかった。
ゴブリンを相手にするなら、確かにこれくらいで十分だ。
もっとも、僕の狙いはオーガなのだが。
◇
二日間、何も起こらなかった。
騎士たちは村の西側へ柵を増やし、家畜や食料を礼拝堂の周辺へ集めた。
村人にも、いつでも避難できるよう命じた。
最初は怯えていた村人たちも、時間が過ぎるにつれて緊張を失っていった。
「本当に魔物なんて来るのか?」
「畑を放っておく方が困る」
「勇者様も、まだ子供だろう」
そんな声が聞こえ始めた。
三日目の夕方。
村の男たちの何人かが、騎士の制止を無視して畑へ戻ろうとしていた。
そのときだった。
胸の奥へ、冷たいものが走った。
《危険感知》が反応している。
「来ます」
僕は立ち上がった。
そばにいた騎士が辺りを見回す。
「何も見えませんが」
「西です」
枯れた水路の向こう。
森にいた鳥たちが、一斉に飛び立った。
直後、北側から角笛の音が響いた。
「敵襲!」
見張りの騎士が叫ぶ。
村人たちの顔から、不満が消えた。
「全員、礼拝堂へ避難しろ!」
「子供と老人を先に!」
「武器を持たない者は外へ出るな!」
騎士隊長の命令が飛ぶ。
北の森から、ゴブリンたちが姿を現した。
十体ほど。
錆びた剣や斧を振り回し、騎士たちへ石を投げている。
「北へ出るな!」
隊長が叫んだ。
「西側、構えろ!」
直後、枯れた水路から無数の影が飛び出した。
ゴブリン。
三十体を超えている。
騎士たちが木柵の前へ盾を並べた。
「槍を出せ!」
一斉に槍が突き出される。
先頭のゴブリンが胸を貫かれた。
その後ろから、新たな個体が倒れた仲間を踏み越えて押し寄せる。
僕の言葉がなければ、西側には数人の見張りしかいなかった。
木柵を破られ、村の中へ入られていたはずだ。
「勇者様は礼拝堂へ!」
近くにいた騎士が僕の腕を掴もうとする。
「ここにいます」
「危険です!」
「もう入っています」
「何が――」
《危険感知》が背後の殺気を拾った。
騎士の脇をすり抜ける。
積み上げられた薪の陰から、小柄なゴブリンが飛び出した。
襲撃が始まる前から、村へ忍び込んでいた個体だ。
手には、火のついた布を巻きつけた短剣を持っている。
礼拝堂へ火を放つつもりだった。
ゴブリンが僕を見る。
子供だと分かった瞬間、黄色い歯を見せて笑った。
短剣を振り上げる。
右肩が下がる。
横薙ぎ。
僕は前へ踏み込んだ。
短剣が動き始めるより先に、懐へ入る。
銅の剣を、下から顎へ突き上げた。
刃が口の中へ入り、ゴブリンの体が震えた。
すぐに引き抜く。
立ち止まらない。
左から石斧を持ったゴブリンが迫っている。
身を沈めた。
頭上を斧が通過する。
振り切ったゴブリンの膝裏を斬る。
体勢が崩れた。
倒れたところへ、首筋へ剣を突き立てる。
二体。
「勇者様!」
「前を見てください」
僕の声に、騎士が振り返った。
木柵の隙間から、三体のゴブリンが村へ入り込んでいる。
一体が騎士へ飛びかかった。
飛びかかる前に左脚を深く曲げる。
着地する場所も、剣を突き出す高さも分かる。
僕は騎士の横を走り抜けた。
空中のゴブリンとすれ違いながら、腹へ銅の剣を走らせる。
刃が肉へ食い込む。
そのまま体重を乗せ、振り抜いた。
ゴブリンが地面へ転がる。
三体。
残る二体が、同時に僕へ向かってきた。
一体は剣。
もう一体は槍。
正面から打ち合えば、七歳の僕では押し負ける。
だから、打ち合わない。
槍を持つ個体が先に右足を出した。
突きが来る。
半歩だけ外へずれ、伸びてきた柄を脇に挟む。
そのまま前へ進む。
槍を引き戻せないゴブリンの喉へ、剣を突き入れた。
もう一体の剣が迫る。
《危険感知》が鳴る。
死んだゴブリンの体を蹴りつけた。
倒れた体が盾になり、剣が肉へ食い込む。
その隙に、横へ回り込む。
剣を持つ手首を斬った。
武器が落ちる。
一度目の僕なら、そこで攻撃を止めていた。
捕らえられないか。
降伏させられないか。
考えている間に、何度も反撃された。
今度は止まらない。
返す刃で、首を斬った。
五体。
「信じられん……」
盾を構えた騎士が呟いた。
「七歳の子供だぞ」
「勇者といえど、まだ位階も低いはずだ」
僕の位階は三。
力も速さも、騎士には及ばない。
ゴブリンと剣をぶつければ、腕が痺れる。
革の胸当てで攻撃を受ければ、簡単に骨を折られる。
けれど、攻撃を受ける必要はない。
一度目の僕は、ゴブリンを嫌になるほど見てきた。
どちらの肩を動かすか。
どちらの足から踏み込むか。
攻撃した後、どこが空くか。
覚えている。
忘れられるはずがない。
僕がためらっている間に、何人も殺された。
木柵を乗り越えようとしたゴブリンの足首を斬る。
地面へ落ちたところで、胸を突く。
弓を構えた個体へ走る。
矢を放つ直前、ゴブリンの視線が僕の胸へ向いた。
体を沈める。
矢が革の胸当ての上を通過した。
距離を詰め、弓を持つ腕を斬る。
返す剣で喉を突く。
六体。
七体。
八体。
「また倒したぞ……」
「あの子には、敵の動きが見えているのか?」
「勇者の啓示というのは、本当かもしれん……」
騎士たちの声が聞こえる。
僕は答えなかった。
啓示ではない。
一度目の人生で、逃げながら覚えただけだ。
西側のゴブリンが後退し始めた。
奇襲を防がれ、村の中へ入った個体も倒された。
北側にいた囮も、森へ逃げていく。
騎士たちの間に、勝てるという空気が広がった。
けれど、僕は剣を下ろさなかった。
まだ、僕が狙っていた敵が出てきていない。
地面が揺れた。
一度。
二度。
西の森で、大木が倒れた。
逃げていたゴブリンたちが、左右へ分かれて道を空ける。
その間から、巨大な影が現れた。
人の二倍を超える体。
丸太のような腕。
肩へ担いだ、巨大な棍棒。
額には、古い白傷が走っている。
「オーガ……」
騎士の声が震えた。
白傷のオーガが棍棒を振る。
木柵が、二人の騎士ごと吹き飛んだ。
「陣形を組め!」
隊長が叫ぶ。
三人の騎士が槍を構え、一斉に突き出した。
穂先がオーガの皮膚へ触れる。
その瞬間、怪物の体を黒い魔力が覆った。
硬い音が響く。
三本の槍が、まとめて弾かれた。
白傷のオーガが笑う。
騎士たちは弱くない。
けれど、普通の武器では、あの魔力硬化を抜けない。
一度目のカレド村は、あの怪物が現れてから半日も持たなかった。
だから僕は、ここへ来た。
服の内側へ手を入れる。
冷たい銀色の杭へ触れた。
僕の位階は三。
白傷のオーガは位階八。
一撃でも受ければ死ぬ。
それでも、勝つために必要なものは揃っている。
「勇者様、下がってください!」
僕は前へ進んだ。
白傷のオーガが、僕を見る。
小さな獲物を見つけたように、口元を歪めた。
そして、棍棒をゆっくりと持ち上げる。
あの攻撃を、僕は知っている。
このあと18時にもう1話更新予定です。




