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第五十五話 デート

「なぜだ……」


 エンブリオが腕に絡みついた黒い鎖を見下ろす。


「なぜ魔法が使えない! この鎖か!?」


 何度も手を動かしているが、何も起きない。


 先ほどまで戦場全体を覆っていた魔力も、死体へ伸ばしていた何かも感じない。


「くそっ!」


 エンブリオが鎖を両手で掴んだ。


 力任せに引く。


 黒い鎖が軋む。


「外れろ! 外れろ!」


「多分、無理だよ」


「黙れ!」


 エンブリオがこちらへ腕を振り上げた。


 僕はその懐へ入る。


 拳を腹へ添えた。


「《ワンインチパンチ》」


 ほとんど振りかぶらない。


 拳から放たれた衝撃が、エンブリオの身体を内側から揺らした。


「ぐぅっ!」


 身体がくの字に折れる。


 鎖が鳴った。


 足元では黄砂龍バルハザードが暴れている。


 背骨が大きく傾き、僕もエンブリオも体勢を崩した。


 骨へ手をついて耐える。


 それでも、鎖は外れない。


 エンブリオも離れられない。


「このでかいドラゴン」


 僕は足元を見る。


 生前の位階五十。


 真正面から戦えば、今の僕たちではどう考えても分が悪い。


「確かに正面から勝てそうにないけど、関係ないよね」


「なに……?」


「僕はお前を殺せればいいんだから」


 エンブリオの顔が引きつった。


「四天王である私に正面から勝てると――」


「勝てるさ」


 また懐へ入った。


「《ワンインチパンチ》」


 鈍い音。


「ぐぅぅっ……!」


 エンブリオの胸が大きく軋んだ。


 数歩後退し、骨から落ちそうになる。


 僕は鎖を引いて引き戻した。


「お前は弱い」


「……なんだと?」


「お前の厄介なところは、戦闘力じゃない」


 エンブリオが睨んでくる。


「死者を短時間で蘇らせる。死体へ乗り移る。それから、多分だけど――」


「……」


「印をつけた生き物にも憑依できる」


 エンブリオの表情が止まった。


「な……」


「そこも当たり?」


「貴様、なぜそれを……!」


「別に知ってたわけじゃないよ」


 前に戦った時。


 旧アサシンギルド。


 戦場で増え続けるアンデッド。


 エンブリオが身体を変えて逃げ続けること。


 今まで見たものを並べれば、候補はそれほど多くない。


「だから、一個ずつ潰させてもらった」


 死者はギルドと兵士たちが処理した。


 戦場は魔法師団が焼き払った。


 移動そのものは、この鎖が止めている。


「まあ、全部推測だけど」


 拳を腹へ押し当てる。


「他にもあるなら教えてくれる?」


「待――」


「《ワンインチパンチ》」


「がっ!」


 もう一発。


「ぐっ……!」


 エンブリオの身体が大きく揺れる。


「くそ……くそっ!」


 鎖を掴み、こちらを睨む。


「勇者め!」


     ◇


 まずい。


 エンブリオは焦っていた。


 この身体は、もう長く持たない。


 骨も内臓も、勇者の妙な拳によって壊され始めている。


 だが、それ自体は問題ではない。


 肉体など、いくらでも替えが利く。


 エンブリオという存在の本質は肉体ではない。


 肉体へ入り込み、それを動かしている精神の塊。


 この身体が死ねば、それを縛っていた肉から解放される。


 その瞬間だけは、この忌々しい鎖からも逃れられるはずだ。


 周囲を見渡す。


 アンデッドのほとんどは消えていた。


 事前に逃走先として印を残しておいた死体もある。


 だが、この鎖が魔法そのものを封じているなら、今の状態では移れない。


 ならば死ねばいい。


 そして――。


 足元。


 黄砂龍バルハザード


 まだ生きている。


 いや、正確には動いている。


 魔法師団の攻撃をあれだけ受けても、巨体は完全には崩れていない。


 勇者がこの身体を殺す。


 精神だけになった瞬間、黄砂龍へ移る。


 そのまま空へ逃げればいい。


 人間たちがどれだけ兵を集めようと、黄砂龍の速度には追いつけない。


「……ふ」


 思わず笑いが漏れた。


「何?」


「いや」


 勇者がこちらを見る。


 もう少しだ。


 殺せ。


 この身体を壊せ。


 そうすれば――。


「お前は、ここでは殺さない」


「……なんだと?」


 エンブリオの思考が止まった。


「場所を変えよう」


「何を言っている?」


 勇者が近づいてくる。


「せっかくだし、デートでもしようか」


「は?」


「お前はどこが好きだ?」


「何を……」


「山?」


 一歩。


「海?」


 もう一歩。


「それとも――」


「待て」


 エンブリオが下がった。


 鎖が張る。


「何をする気だ」


 勇者が腰の魔法袋へ手を入れる。


 取り出したのは、一枚の奇妙な鱗だった。


 腕へ装着する。


「静かな避暑地の」


 勇者が一気に距離を詰めた。


「お、おい!」


 腰へ腕を回される。


「湖とか――どうだ?」


「待て! 貴様!」


 そのまま黄砂龍の背中から飛び降りた。


「何をしているんだああああああああ!」


 地面が迫る。


 エンブリオが暴れる。


 殴る。


 蹴る。


 それでも勇者は離さない。


 鎖も外れない。


 地面まで、あと僅か。


 衝突する。


 そう思った。


 勇者の足が地面へ触れた。


 だが、身体は止まらなかった。


「……は?」


 ずぶり。


 地面へ沈む。


 土が水のように二人の身体を包み込んだ。


「な、なんだこれは!?」


 岩が迫ってくる。


 だがぶつからない。


 勇者が腕を動かすたび、土も岩も水のように後方へ流れていく。


 地面を泳いでいる。


「どこに行く気だ!」


「いいところさ。言っただろ」


「ふざけるな!」


 さらに潜る。


 暗い。


 上も下も分からなくなってくる。


 エンブリオが再び暴れた。


 だが魔法が使えない以上、この状態から抜け出す方法がない。


「離せ!」


「嫌だよ」


「このままでは貴様も死ぬぞ!」


「そうかもね」


「だったら――」


 急に視界が開けた。


「……え?」


 土の中から、巨大な空洞へ飛び出した。


 二人の身体が宙に放り出される。


 遥か下。


 暗い地下空間いっぱいに、大きな水面が広がっている。


 エンブリオが目を見開いた。


(地下水……? 水脈か……?)


「外れだ」


「……なに?」


「飛び込めば分かる」


     ◇


「逃げ場をなくした上で、地下へ落とすのがよろしいかと」


 カシウスが卓上の図面を指で叩いた。


「地下?」


 サラディンが眉を上げる。


「ええ。地上にいる限り、エンブリオが利用できる死体を完全になくすのは難しい。でしたら、何もない場所へ連れていけばいい」


「簡単に言うなあ」


 サラディンは椅子へ深く座り直した。


「で、地下に連れ込んでどうする?」


「聖水を満たします」


 部屋が静かになった。


「……は?」


「大量に」


「いや、聞こえてる」


 サラディンが額を押さえた。


「俺のシェルターに、聖水の池を作ろうってのか?」


「条件の合う貯水設備があると伺いましたので」


「あるけどよ」


 ミリアが図面を覗き込む。


「待ってください。どれくらいの量を想定してるんですか?」


「対象を完全に沈めるだけでは足りないでしょう」


 カシウスが貯水区画を指す。


「逃げ場を作らないためにも、この区画は可能な限り満たしたい」


「可能な限りって……」


 ミリアの顔が引きつった。


「そんな量、すぐには用意できませんよ」


「王都の備蓄を回します」


「王都の?」


「南方へ送る予定だった分も回しています。神殿には追加で作っていただいている最中です」


 サラディンが片手を上げた。


「待て待て」


「何でしょう?」


「今さらっと、とんでもない金額の話をしなかったか?」


「しました」


「したよな?」


「ええ」


「どれだけ金がかかると思ってやがる」


「ですので、サラディン殿にもご協力を」


「お前、俺のこと財布だと思ってないか?」


「まさか」


「今の間は何だ」


 ミリアは笑わなかった。


「お金だけじゃありません」


 二人がそちらを見る。


「それだけ聖水を集めれば、他の場所で不足します」


「でしょうね」


「でしょうね、じゃありません」


 ミリアが珍しく強い口調になった。


「アンデッドが発生した地域で聖水がないというのは、本当に危険なんです。備蓄まで崩したら、補充が追いつくまでかなり時間がかかります」


「どのくらい?」


 僕が聞いた。


「使う量次第です。でも、これだけ集めるなら……一年近く影響が出てもおかしくありません」


 サラディンが舌打ちする。


「金を出して終わりでもねえってわけか」


「はい」


 誰もすぐには口を開かなかった。


 目の前の四天王を倒すために、別の場所でアンデッド被害が出た時の備えを削る。


 簡単に決めていいことじゃない。


 僕は図面を見る。


 それでも、エンブリオを逃がせば同じことを繰り返す。


 戦えば戦うほど、死者が増える。


 増えた死者を使って、また軍勢を作る。


「僕はやる」


 サラディンがこっちを見た。


「本気か?」


「うん」


「一年近く聖水が足りなくなるかもしれねえんだぞ」


「分かってる」


「それでもか?」


「それでも」


 ミリアが黙る。


「四天王を倒すって、そういうことだと思う」


「そういうこと?」


「どこまでやる覚悟があるかってこと」


 僕はカシウスを見る。


「逃げ道を全部潰すなら、中途半端にやる意味はない。僕はカシウスの案に賛成」


 サラディンが鼻から大きく息を吐いた。


「ガキの言うことじゃねえな」


「よく言われる」


「誰にだよ」


「いろんな人に」


 カシウスが図面を畳んだ。


「では、決まりですな」


「勝手に締めるな」


「反対ですか?」


 サラディンはしばらく黙った。


 やがて天井を見上げる。


「……やるなら徹底的にやれ」


「承知しました」


 ミリアがため息をついた。


「本当にやるんですね……」


「うん」


 もう一度、貯水区画を見る。


 そこを聖水でいっぱいにする。


 エンブリオを沈める。


 想像すると――。


「……ごめん」


「何がです?」


「ちょっと面白そうだなって思ってる」


 三人が黙った。


 最初にサラディンが口を開く。


「お前、やっぱりどっかおかしいぞ」


     ◇


 水面が近づいてくる。


「……聖水?」


 エンブリオが呟いた。


 僕は答えない。


「おい」


 さっきとは声が違った。


「待て」


 水面まで、もう遠くない。


「勇者、待て!」


「何?」


「話をしよう」


「今さら?」


「条件だ! 何でもいい! お前の望むものを――」


「いらない」


「待て! 私は四天王だぞ! 知っていることならいくらでも――」


 さらに近づく。


 エンブリオが必死に身体を捩った。


「やめろ! やめろおおおおおおお!」


 僕は腕に力を込める。


 離さない。


 鎖も繋がったまま。


 下には、逃げ場のない水面。


「さあ」


「やめろ!」


「デートの続きだ」


「勇者ああああああああああ!」


 僕たちは、そのまま水面へ落ちた。


 巨大な水飛沫が上がった。

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