第五十四話 勇者は、鎖を繋ぐ
押し返せない。
魔法師団の攻撃は派手だった。
土壁が立ち上がり、水流が魔炎を削る。風が砂塵を押し流し、その隙へ火球が飛び込む。
それでも、黄砂龍は止まらなかった。
砕けた骨はしばらくすれば元に戻る。
前脚を一本吹き飛ばしても、その間に別の場所で兵士が死ぬ。
倒れた兵士は、すぐに起き上がった。
「後ろ!」
叫び声が上がる。
ついさっきまで同じ隊列にいた兵士が、隣の男へ噛みついた。
槍が突き刺さる。
さらに一人倒れる。
また増える。
「聖水を!」
「間に合わない!」
南方同盟軍の列が、少しずつ下がっていく。
右翼。
左翼。
中央。
どこも余裕はなかった。
「左翼、予定より下がっています!」
伝令がカシウスへ駆け寄る。
「どの程度です?」
「百歩近く!」
「これ以上は下がらせないでください。中央も合わせて」
「はっ!」
伝令が走る。
僕は目の前のアンデッドを斬り倒した。
全部が計算通りに下がっているわけじゃない。
本当に押されている。
それでも、バルハザードの進む方向だけは外していない。
「ハハハハハ!」
黄砂龍の背中から笑い声が響いた。
「どうした、勇者!」
バルハザードが炎と熱砂を吐く。
水班が迎え撃った。
ぶつかった瞬間、大量の蒸気が膨れ上がる。
「ずいぶん派手に抵抗するじゃないか!」
エンブリオの声だけが聞こえる。
「でも、減ってるねえ!」
その通りだった。
こちらは減る。
向こうは増える。
時間をかけるほど、不利になる。
僕は《伝声石》を握った。
「エド」
『聞こえてる』
「あとどれくらい持つ?」
『魔力はまだある。ただ、このまま撃ち続けるのは効率が悪い』
「分かった」
『そっちは?』
「もう少し」
通信を切る。
バルハザードの位置を見る。
誘導地点までは、もう遠くない。
◇
「……ん?」
エンブリオが笑うのを止めた。
何かがおかしい。
人間たちは確かに押されている。
兵士は死んでいる。
死体はこちらへ加わっている。
勇者も、さっきから姿を見せたり消したりしているだけだ。
なのに。
崩れない。
左が下がれば中央も下がる。
右は妙に粘る。
黄砂龍が進む方向だけが、大きく変わっていない。
「……」
偶然か。
いや。
「まあ、いいか」
エンブリオは小さく笑った。
考えすぎかもしれない。
それでも保険くらいはあっていい。
戦場の外れへ意識を伸ばす。
そこに転がっている死体。
一体。
さらにもう一体。
まだ使える。
印を残しておく。
何かあれば移ればいい。
「さて」
エンブリオは再び戦場へ目を向けた。
「どこまで持つかな?」
◇
「勇者様」
カシウスの声。
僕も分かっていた。
もう十分近い。
「そろそろです」
「うん」
これ以上引っ張れば、本当に前線が崩れる。
カシウスが周囲を見渡した。
「同盟軍、下がれ!」
号令が飛ぶ。
前線でアンデッドを食い止め続けていた南方同盟軍が、一斉に後退を始めた。
アンデッドが追う。
押し込んだと思ったのだろう。
群れが前へ雪崩れ込んだ。
「騎士団!」
カシウスが腕を振る。
待っていたグランヴェル騎士団が前へ出た。
盾が並ぶ。
隙間なく組み合わされ、厚い壁を作る。
「構えろ!」
ディオスが剣を掲げた。
アンデッドの群れが迫る。
十歩。
五歩。
「皆のもの――」
ディオスが大きく息を吸う。
「気合を入れろーーーーッ!」
「おおおおおおおおおッ!」
盾が一斉に前へ出た。
激突。
先頭のアンデッドが潰れ、その後ろまで巻き込んで倒れていく。
「押せぇぇぇッ!」
騎士団が進む。
一歩。
さらに一歩。
さっきまで下がり続けていた前線が、わずかに押し返された。
その隙に南方同盟軍が隊列を整え直す。
「勇者様!」
別方向から声。
ナディアだった。
黒いマントを肩へ羽織っている。
その後ろから、アサシンギルドの者たちが続く。
「終わった?」
「終わった」
それだけだった。
僕はバルハザードを見る。
「じゃあ、手伝って」
ナディアが一度だけこちらを見る。
「全員、散れ!」
アサシンたちが走った。
速い。
左右へ広がり、バルハザードの周囲を駆ける。
影へ入り、別の場所から飛び出す。
何十もの足が乾いた地面を蹴った。
砂が巻き上がる。
さらに加速する。
砂煙が一気に濃くなった。
そこへ魔法師団の風が流れ込む。
水と炎がぶつかって残っていた蒸気も混ざった。
視界が白と茶色に染まる。
「どこだ!」
上からエンブリオの声。
見えていない。
僕も動く。
煙の中を走り、位置を変える。
アサシンたちは止まらない。
バルハザードの足元を高速で駆け回り、さらに砂を巻き上げる。
黄砂龍が苛立ったように身体を大きくよじった。
「今!」
ナディアの声。
全員が一斉に脚へ向かった。
カタール。
短剣。
細い鎖。
骨の継ぎ目へ次々と攻撃が叩き込まれる。
同時に地面が沈んだ。
魔法師団の土魔法。
右脚が落ちる。
「グオオオオオオオオッ!」
巨体が傾いた。
前脚が大きく沈む。
背中が下がる。
カシウスがこちらを見る。
「勇者様!」
「分かってる!」
僕は《伝声石》を握った。
「エド」
『聞こえてる』
「次で全部使って」
『……全部?』
「今までで一番派手に」
『また雑な言い方を……』
「できる?」
『できる』
即答だった。
『ただし、一回だけだぞ』
「十分」
通信を切る。
遠くでエドが杖を掲げた。
「土班、左右を塞げ!」
地面が鳴る。
バルハザードの両脇から高い土壁が立ち上がる。
「水班! 前方!」
大量の水が地面を走った。
砂が濡れ、舞い上がる量が落ちる。
「風班、上へ!」
風が巻き上がった。
「火班、待機!」
僕は《空白の剣》を握る。
属性を変える。
水から火へ。
刀身に熱が宿った。
走る。
前へ。
バルハザードの足元へ。
アンデッドが群がってくる。
剣を構えた。
「《真空回転斬》!」
身体ごと回る。
炎が円を描いた。
さらに回転する。
火が渦になる。
「今だ!」
エドが叫ぶ。
「風班! 合わせろ!」
上から風が叩き込まれた。
炎が一気に膨らむ。
「火班! 全部乗せろ!」
火球。
炎槍。
次々と渦へ飛び込む。
炎の柱が伸びた。
周囲のアンデッドが巻き込まれる。
骨が飛ぶ。
燃えた身体が空へ舞う。
火の竜巻が、バルハザードの足元を呑み込んだ。
「な――」
エンブリオの声。
僕は地面を蹴った。
上昇する風に乗る。
一気に身体が浮いた。
炎の中から抜ける。
目の前にバルハザードの前脚。
着地。
蹴る。
次は肋骨。
巨大な骨を足場にして駆け上がる。
バルハザードが身体を振った。
さっき脚を崩されたせいで、まだ体勢が安定していない。
骨を掴む。
さらに上へ。
「何をしている!」
エンブリオがこちらを見る。
ようやく見つけたらしい。
遅い。
背骨へ飛び移る。
距離が縮まる。
エンブリオが手を上げた。
逃げる。
僕は腰へ手を伸ばす。
鎖を掴んだ。
投げる。
「《死刑囚の鎖》!」
黒い鎖が伸びた。
エンブリオの腕へ絡みつく。
同時に僕の手首へも巻き付いた。
ガシャン、と重い音が鳴る。
「……は?」
エンブリオが消えない。
もう一度何かをしようとする。
何も起きない。
「な、何を……」
僕も魔力を動かしてみる。
反応しない。
ちゃんと効いている。
エンブリオが鎖を見る。
僕を見る。
「何だ……これは……?」
僕は息を整えた。
「捕まえた」
黄砂龍が大きく身をよじった。




