第五十三話 頭領
黄砂龍の左側に、巨大な土壁が次々と立ち上がった。
前脚がその一本を踏み砕く。
「第二班、水!」
エドの号令で、魔術師たちが一斉に杖を向けた。
何本もの水流がバルハザードの頭部へ集中する。
骨だけの顎が開いた。
喉の奥に赤黒い炎が灯る。
「来るぞ!」
魔炎と熱砂が吐き出された。
水流と正面からぶつかり、大量の蒸気が広がる。
「風班! 右へ流せ!」
強風が白煙を押し流した。
視界が開く。
「火班、右脚!」
今度は火球と炎槍。
同じ場所へ立て続けに着弾し、爆炎が巨大な骨を包んだ。
バルハザードが身体を傾ける。
「グオオオオオオオオッ!」
骨の翼が大きく振られた。
風圧が地面を走り、土煙とアンデッドをまとめて吹き飛ばす。
それでも魔法師団は止まらない。
壊された土壁の後ろから次の壁が伸びる。水班が炎を受ければ、その間に別の班が詠唱を終えている。
今まで見てきた魔術師の集団とは全然違った。
数が多いだけじゃない。
一つの魔法が次の魔法に繋がっている。
「勇者様」
カシウスが近づいてきた。
横から迫ったアンデッドを斬り伏せ、そのまま小さな石をこちらへ放る。
「これを」
受け取った。
「これは?」
「《伝声石》です。離れた相手と声を繋げられます」
「こんなものまで……」
「便利かと思い、作っていただきました」
「誰に?」
「エド殿に」
なるほど。
向こうにも同じ物があるらしい。
僕は石を握る。
「エド、聞こえる?」
『聞こえてる』
「もう少し派手にやって」
『派手に? どういうことだ?』
バルハザードの背中を見る。
エンブリオは、まだこちらを追っている。
「僕がどこにいるか、分からなくなるくらい」
一拍置いて返事が来た。
『それなら最初からそう言え!』
通信が切れる。
遠くでエドが杖を掲げた。
「全班! 出力上げるぞ!」
魔法陣が一斉に増えた。
地面が裂ける。
何本もの土壁が立ち上がり、その間を水流が走った。
上空では火球が次々と生まれる。
バルハザードが再びブレスを吐く。
水と炎がぶつかった。
白い蒸気が戦場を覆う。
すぐに風が流れ込み、今度は砂塵が巻き上がった。
炎。
蒸気。
土煙。
視界がめまぐるしく変わる。
バルハザードの巨体さえ、ところどころ見えなくなった。
僕はその中を走る。
場所を変える。
煙を抜け、また別の煙へ入る。
視界が一瞬開いた。
バルハザードの背中で、エンブリオが首を巡らせている。
僕を探している。
これなら近づける。
問題は、あの背中までどう上がるかだ。
「勇者様、左です」
カシウスの声。
考えるのを止めて剣を振った。
迫っていたアンデッドの首が飛ぶ。
「どうしました?」
「ちょっと考え事」
「戦場ではほどほどに」
「分かってる」
バルハザードが咆哮した。
巨大な前脚が土壁を横から薙ぎ倒す。
すぐにエドの次の号令が飛んだ。
◇
ナディアのカタールが弾かれた。
父が踏み込む。
横から母。
短剣を避けたところへ、剣の柄が肩へ叩き込まれる。
「っ……!」
体勢が崩れた。
そこへ蹴り。
地面を転がる。
「どうしたのかな?」
父の口が嗤っていた。
ナディアはすぐに立つ。
「あれだけ偉そうなことを言っていたのに」
返事はしない。
踏み込む。
右のカタールを弾かれる。
すぐ左。
母の短剣が受けた。
二人が同時に離れる。
「確かに、この人間の人格なんて私は知らないけどね」
父が剣を構える。
「記憶はある」
母の口から同じ声が続いた。
「どう戦うのか。君たちに何を教えたのか。それも全部残ってる」
二人が左右へ分かれる。
「だから君たちに勝ち目がないのは、同じだよ?」
「違うな」
「何が?」
ナディアはカタールを構え直した。
「そのうち分かる」
「へえ」
父が肩をすくめる。
「ああ、それと」
黒いマントを広げた。
「頭領がギルドに隠し持っていた、このアイテム」
見覚えがあった。
父が頭領になった時に引き継いだものだ。
「いくつも魔法効果が込められている。なかなか面白いねえ」
黒い布が揺れる。
姿が消えた。
「っ!」
横だった。
反射的にカタールを上げる。
剣を受けた瞬間、腕が沈んだ。
重い。
押し返そうとしたところへ母が入る。
蹴りが脇腹に突き刺さった。
「ぐっ!」
身体が飛ぶ。
着地した瞬間には、もう父が来ていた。
剣先が頬を掠める。
熱が走った。
血が一筋、頬を伝う。
「おや」
父が笑う。
「きれいな顔が台無しじゃないか?」
母が背後へ回る。
「女の子なんだから、大切にしないとねえ」
無視する。
短剣を受ける。
その直後に腹を蹴られた。
息が詰まる。
肩へ剣が走る。
避けきれず、浅く裂けた。
下がる。
母が追う。
腕にも一つ傷が増えた。
「ほらほら」
父が消える。
背後。
振り向く。
今度はカタールごと弾かれた。
右手の武器が地面を滑っていく。
「ずいぶん弱くなったねえ」
母の短剣が喉へ来る。
首を捻った。
刃が皮膚を浅く切る。
危なかった。
それでも立つ。
傷は増えている。
決定的なものだけは外していた。
二人がまた距離を取る。
ナディアは、ゆっくりと息を吐いた。
怒るな。
悲しむな。
余計なものを見るな。
足。
重心。
刃の向き。
目の前にいるのは、父の形をした肉。
母の形をした人形。
どこを斬れば止まるのか。
それだけを見ろ。
父が消える。
今度は見えた。
姿が消える直前、左足に重心が寄る。
半歩ずれる。
剣が頬の横を抜けた。
母が続く。
左のカタールで流す。
押される。
それでも、さっきより余裕がある。
「しぶといなあ」
二人が左右へ分かれた。
落としたカタールを拾う暇はない。
一本で構える。
父が前。
母が左。
同時に来る。
その時だった。
父の足元の影が揺れた。
「――っ!?」
父と母が、ぎょっとして視線を落とす。
影の中から男が飛び出した。
ハサム。
二人が反応するより早い。
ハサムの手が地面へ触れる。
「《影縫い》」
影が地面へ縫い止められた。
二人の身体が止まる。
ほんの一瞬。
ハサムはナディアを見ない。
ナディアも、ハサムを見ていなかった。
身体が先に動いた。
母との間合いを潰す。
カタールを首筋へ滑らせた。
首が落ちる。
そのまま身体を返す。
地面に転がっていたもう一本のカタールを足先で跳ね上げる。
柄を掴む。
父の身体が動き始めた。
右の刃を走らせる。
首が宙を舞った。
身体が崩れ落ちる。
「おっと」
倒れるより早く、ハサムが滑り込んだ。
肩を掴み、黒いマントを一息に剥ぎ取る。
ナディアは振り向きざまに腰へ手を伸ばした。
油瓶を二本抜く。
放る。
瓶が父と母の身体へぶつかって割れた。
火種を投げる。
一気に炎が上がる。
周囲にいたギルドの者たちもすぐに動いた。
聖水を取り出し、焼けた肉と周囲の地面へ撒いていく。
ナディアも一本受け取った。
首が落ちた場所へ。
灰へ。
残っている肉へ。
聖水を流す。
白い煙が上がった。
もう動かない。
ハサムが回収した黒いマントを持ち上げる。
「これは燃やすには惜しい」
ナディアへ放った。
受け取る。
少しだけ広げてから、そのまま肩へ羽織った。
黒い布が背中へ落ちる。
ハサムがそれを見届け、静かに頭を下げた。
「只今、戻りました」
ナディアの表情が、一瞬だけ崩れた。
「遅いわよ、馬鹿」
「おや、御心配いただけましたか?」
「心配なんてしてない」
「そうですか」
ハサムはそれ以上追及しなかった。
ナディアもすぐにカタールを構え直す。
「残りを片付けるぞ」
「御意、頭領」
二人は並んで、まだ戦いの続く影の中へ戻っていった。




