第五十二話 黄砂龍
白い骨が、闇の中から立ち上がった。
長い首。
大きく広がる翼。
地面を這う太い尾。
一本一本の骨が、人間の身体よりも太い。
「……龍?」
同盟軍のどこかで声が漏れた。
巨大な頭蓋が持ち上がる。
空洞の眼窩には何もない。
それでも、戦場を見下ろしているようにしか見えなかった。
「いやあ。苦労した甲斐があったよ」
声は、その背中から聞こえた。
巨大な背骨の上に、エンブリオが立っている。
「紹介しようか」
エンブリオが両手を広げた。
「古の昔、この南方を荒らしまわった砂漠のドラゴン――黄砂龍さ」
ざわめきが広がる。
「生前の位階は五十。南方の国々が束になって、ようやく討ち取った怪物だよ」
「五十……」
僕より二十も上。
「さすがにこれは想定してなかったな……」
「同感です」
カシウスが答えた。
バルハザードの頭が動く。
顎が開いた。
肉も喉もない。
それなのに、頭蓋の奥へ赤黒い光が集まっていく。
「伏せろ!」
誰かが叫んだ。
直後。
炎が戦場を薙いだ。
赤黒い炎に、大量の砂が混ざっている。
盾を構えた兵士が吹き飛ばされ、熱せられた砂が鎧の隙間へ入り込む。
「ぐあああっ!」
「下がれ! 前列交代!」
同盟軍が叫びながら動く。
バルハザードがもう一度首を振った。
炎の帯が地面を走る。
避け切れなかった兵士が倒れた。
そして、倒れた身体がすぐに動き始める。
「くそっ!」
隣にいた兵士が、起き上がろうとした死体を槍で地面へ縫い止めた。
領域の効果も続いている。
一人倒れるだけで、敵が一人増える。
「ハハハハハ!」
エンブリオの笑い声が響く。
「何か企んでいたようだけど、無駄極まりないねえ!」
巨大な骨龍が一歩踏み出す。
地面が揺れた。
「さあ、このまま我が死の軍勢に加わるがいい!」
再び、バルハザードの頭蓋の奥が赤くなる。
二発目。
いや、三発目になる。
まともに受け続けるわけにはいかない。
僕はバスタードソードをしまい、《空白の剣》を抜いた。
柄の機構を操作する。
水。
剣身に青い光が走った。
「来るぞ!」
バルハザードが炎を吐く。
僕は前へ踏み込んだ。
「《真空回転斬》!」
身体ごと回る。
水を纏った《空白の剣》が、大きな円を描いた。
その軌道へ水が引っ張られる。
「……お?」
渦ができた。
さらに回転する。
水の量が一気に膨らみ、僕の周囲から巻き上がった。
水の竜巻。
そのまま正面から炎へぶつかる。
爆発するような音とともに、水蒸気が噴き上がった。
熱砂が水へ巻き込まれ、勢いを失って地面へ落ちる。
「うわっ!」
近くの兵士たちが水を被った。
「ごめん!」
でも炎は止まった。
「へえ」
エンブリオがこちらを見る。
「そんなこともできるのか」
僕も少し驚いていた。
《真空回転斬》に属性を乗せる。
できるとは思ったけど、ここまで形が変わるとは思わなかった。
火ならどうなる。
風なら。
土なら。
「勇者様」
「うん。後で考える」
「結構です」
カシウスは周囲のアンデッドを斬りながら、ずっとバルハザードを見ていた。
一体の剣を受け流す。
首を斬る。
背後から来たもう一体の膝を断ち、倒れたところへ剣を突き立てた。
「さて」
カシウスの声が変わった。
「何か思いついた?」
「ええ」
カシウスは巨大な骨龍を見上げる。
「少々予定外ですが、作戦そのものを変える必要はありません」
「どうする?」
「まず、あれを倒そうとは考えないことです」
バルハザードが翼を広げた。
骨だけの巨大な翼が、領域の暗闇をさらに覆う。
「位階五十だよ?」
「だからです」
カシウスが即答した。
「正面から討ち取る必要がありますか?」
ない。
目的は黄砂龍じゃない。
背中にいるエンブリオだ。
「本人まで乗って前に出てきた」
「ええ。実にありがたいことです」
カシウスが地図も見ず、戦場の先へ目を向けた。
「問題は、あの巨体をこちらの望む方向へ進ませることだけです」
「できる?」
「一人では無理ですな」
また一体、アンデッドを斬る。
「ですが、今日は一人ではありません」
カシウスが手を上げた。
後方の伝令がすぐに反応する。
「左翼、後退!」
旗が振られた。
「中央も少しずつ下げてください。右翼は維持」
「戦線を曲げるの?」
「道を作ります」
左側が下がる。
中央も、それに合わせて少しずつ後退する。
右側だけが前を維持した。
真正面だった戦線が、ゆっくり斜めに傾いていく。
アンデッド軍も当然、空いた場所へ流れ始めた。
「勇者様も下がってください」
「僕は前にいるんじゃなかった?」
「見える位置にいてくだされば結構です」
「なるほど」
後退しながら戦う。
僕が下がれば、エンブリオからも見える。
向こうからすれば、黄砂龍を出した途端にこちらが崩れ始めたように見えるはずだ。
「逃げるのかい!」
案の定、エンブリオの声が響いた。
嬉しそうだ。
「いいねえ! もっと逃げたまえ!」
バルハザードが前へ出る。
人間側が下がった場所へ。
カシウスが作った道へ。
「来た」
「まだです」
カシウスは落ち着いている。
「このままでは、同盟軍への被害が大きすぎます」
バルハザードの顎に、また炎が溜まっていく。
「ではどうする?」
「龍には、龍の相手をさせるわけにもいきませんので」
「いないしね」
「代わりなら用意してあります」
カシウスが後方へ合図した。
旗が上がる。
一つ。
二つ。
三つ。
遠く離れた岩場の奥。
今まで何もいなかった場所から、人影が立ち上がった。
ローブ姿。
一人ではない。
何十人もの魔術師が、一斉に杖を構える。
その先頭に、眼鏡を掛けた少年がいた。
エド。
「……話と違うんだけど」
巨大なバルハザードを見上げ、思い切り嫌そうな顔をしている。
「僕も知らなかったよ!」
届くか分からないけど答えた。
エドがこっちを見た。
「じゃあ仕方ないか!」
切り替えが早い。
杖を上げる。
「第一班、土!」
地面に魔法陣が広がる。
「第二班、水!」
別の魔力が重なる。
「風は待機! 火はまだ撃つな!」
魔術師たちが、ばらばらには動かない。
一つの命令で、同じ属性の魔術師が同時に構える。
さらに別の班が次の準備へ入る。
これまでの戦場にはなかった動きだった。
「全員、目標はあの骨!」
エドが杖を振り下ろす。
「魔法師団――初陣だ!」
地面から巨大な土壁が立ち上がった。
バルハザードの進路、その片側だけを塞ぐように。
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