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第五十一話 死者の国

 戦線は、予定通り少しずつ前へ進んでいた。


 都市同盟軍は、アンデッドの群れに押されても崩れない。


「倒したら確認しろ! 動くならもう一度だ!」


「右、詰めろ! 間を空けるな!」


 前列が疲れれば交代する。


 倒れた仲間がいれば、可能な限りすぐ後ろへ運ぶ。


 火を回せる場所では燃やす。


 何度もエンブリオの軍勢と戦ってきた経験が、そのまま動きに出ていた。


 僕はその先頭近くを進む。


 正面から来たアンデッドの肩口へ剣を入れ、そのまま押し倒す。


 横から伸びてきた腕を避け、首を落とした。


 さらに前へ。


 身体はまだ軽い。


《屍山血河》の効果も続いている。


 周囲にいる死体の数を考えれば、当然なのかもしれない。


「左から回り込んでくるぞ!」


 声が飛ぶ。


 同盟軍の側面へ向かっていたアンデッドの群れに、騎士団がぶつかった。


 盾を並べ、進路を塞ぐ。


 その間にも同盟軍は前へ出る。


 後ろを気にしなくていい。


 それだけで前線はかなり動きやすい。


「勇者様!」


「ああ!」


 前にいる兵士と並んで、一体を押し切る。


 じわじわ。


 カシウスが言った通り、一気には進まない。


 でも確実に、アンデッド軍のいる場所を奪っていく。


     ◇


「思ったよりやるねえ」


 エンブリオは高台から戦場を見下ろしていた。


 勇者がいる。


 その周りを都市同盟軍が押し上げる。


 左右は騎士団。


 簡単には崩れない。


「じゃあ」


 エンブリオが両手を広げる。


「少し、こっちもやりやすくしようか」


 地面の下。


 岩の隙間。


 古い墓。


 戦場に散らばる死体。


 ずっと前から、この一帯には自分の力を染み込ませてある。


 今日のためだけではない。


 ここはもう、とっくに自分の縄張りだった。


「《死者の国》」


     ◇


 急に暗くなった。


「……?」


 太陽は出ている。


 空も見えている。


 なのに、光が届かない。


 景色全体から色が抜けたように、地面も兵士もアンデッドも輪郭がぼやけていく。


「なんだ!?」


「火を!」


 松明に火をつけた兵士がいた。


 でも明るくならない。


 炎そのものは燃えている。


 そのすぐ周りしか照らせていない。


「カシウスさん!」


 後方を見る。


 カシウスもすでに周囲を見ていた。


「結界ではなさそうですな」


「じゃあ?」


「領域魔法でしょう」


「領域?」


「この一帯そのものに、あらかじめ術を仕込んでいたのでしょう」


 カシウスの声は落ち着いている。


「ここは最初から、奴の縄張りだったということです」


 その時。


「う、うわあああっ!」


 すぐ近くで悲鳴が上がった。


 振り向く。


 倒れていた兵士が、一人の足へ噛みついていた。


「なっ……!」


 数秒前まで味方だった男だ。


 胸を貫かれて倒れた。


 まだ血も乾いていない。


「離れろ!」


 近くの兵士が槍を突き刺す。


 でも、その横。


 別の死体が起き上がった。


「こいつもだ!」


「早すぎる!」


 さらに一人。


 また一人。


 さっきまで倒れていた兵士たちが、次々と身体を起こしていく。


「死体を放置するな!」


 同盟軍の指揮官が叫ぶ。


「倒れた者はすぐ後ろへ運べ! 間に合わないならその場で焼け!」


 でも。


 間に合わない。


 早い。


 今までとは比べものにならない。


 死んでから数秒。


 それだけで、身体がエンブリオのものになっている。


「これが領域の効果か」


 剣を構え直す。


 同盟軍の前にはアンデッド。


 その後ろでは、今まで味方だった死体が起き上がる。


 一気に戦場が狭くなった。


     ◇


「後ろだ!」


 兵士が振り返った。


 遅かった。


 首から血が噴き出す。


 誰もいない。


「何が――」


 別の場所で、一人倒れる。


 その横。


 また一人。


 暗闇の中を、何かが動いている。


「アサシンだ!」


 誰かが叫んだ。


 次の瞬間、影から刃が伸びた。


 兵士が避ける。


 でも、二本目の刃が腹へ入る。


「ぐっ……!」


 倒れる。


 その背後に、黒い人影が立っていた。


 エスカリテのアサシンギルド。


 死んだはずの者。


 そして一人ではない。


 闇の中から、次々と姿を現す。


「やれ」


 低い声。


 旧頭領。


 一斉に散った。


「来たな」


 別の声がした。


 刃と刃がぶつかる。


 兵士を斬ろうとしていたアンデッドの腕を、二本のカタールが受け止めていた。


 ナディア。


「ここからは、私たちの仕事だ」


 その言葉と同時に、周囲の影が揺れる。


 現アサシンギルドの者たちが次々と姿を現した。


「一般兵から離せ!」


「一人で追うな!」


「必ず二人以上で当たれ!」


 暗闇の中で、別の戦いが始まる。


 剣。


 短剣。


 カタール。


 音だけが先に聞こえる。


 旧ギルドの動きは速い。


 間合いも正確。


 こちらの癖まで知っている。


 でも。


 一人のアンデッドがナディアの脇を抜けようとする。


 ナディアの姿が影へ沈んだ。


 次の瞬間には、その進路を塞いでいる。


「やはり」


 相手の刃を弾く。


「使えないか」


 アンデッドは影へ入らない。


 入れない。


 ハサムの見立ては当たっていた。


「押せ!」


 現ギルドが一気に前へ出る。


 旧ギルドも応じる。


 暗闇の中で、死者と生者がぶつかり合った。


     ◇


「ナディア」


 聞き慣れた声だった。


 ナディアが振り向く。


 父。


 その隣には母。


 前と同じ顔。


 前と同じ声。


「また会えたな」


 父が笑う。


「今度こそ――」


「もういい」


 ナディアが遮った。


「何?」


「あの時は、みっともなく狼狽えてしまった」


 カタールを構える。


「父がいた」


 もう一本。


「母がいた」


 足を開く。


「死んだ仲間までいた」


 父の顔を見た。


 母の顔を見る。


 今度は目を逸らさない。


「でも、貴様らは父でも母でもない」


 笑みが消えた。


「中身はエンブリオなのだろう?」


 返事はない。


「どうやっているのかは知らないが」


 少しの間。


 父の姿をしたものが、肩を落とした。


「なんだ」


 声が変わる。


 軽い。


 楽しそうな。


 聞いたことのある声。


「つまらない」


 母の姿をしたものも笑った。


「せっかく、もう少し遊べると思ったのに」


 ナディアの目が細くなる。


「であれば、斬りやすい」


 地面を蹴った。


     ◇


 正面の戦線でも、状況は変わっていた。


「倒れた奴をすぐ運べ!」


「後ろを見るな! 前はこっちで持つ!」


 同盟軍が踏ん張る。


 騎士団も左右を締め直している。


 死者がすぐ敵になる。


 それでも、完全には止まっていない。


「勇者様!」


 カシウスの声。


「まだ押します!」


「分かった!」


 前を見る。


 アンデッド軍の後ろ。


 暗闇の向こう。


 エンブリオがいる。


 まだ遠い。


 指定した場所にも届いていない。


 ここで止まるわけにはいかない。


「前へ!」


 剣を振る。


 同盟軍も続く。


 戦線がもう一度、動き始めた。


 その時だった。


 地面が揺れた。


「……?」


 一度。


 もう一度。


 今度ははっきり分かる。


 アンデッド軍の後方からだ。


 地鳴り。


 何か巨大なものを引きずるような音。


「カシウスさん」


「ええ」


 暗闇の奥。


 白いものが持ち上がった。


 最初は柱に見えた。


 一本。


 その横に、もう一本。


 さらに奥から続いている。


 兵士たちが戦いながら、見上げ始める。


「なんだ……?」


 暗闇の中から、巨大な骨の輪郭がゆっくりと起き上がっていく。


 僕も見上げた。


「……あれは聞いてない」


「奇遇ですな」


 カシウスも同じものを見ている。


「私も存じません」


 白い骨が、闇の中で大きく広がった。

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