第四十九話 決戦前夜
サラディンの反応は早かった。
「条件に合う場所なら、一つある」
「もう?」
「俺を誰だと思ってる」
前に会った商館とは別の建物だった。
言っていた通り、数日ごとに拠点を変えているらしい。今日は港から少し離れた倉庫街の一角にいる。
僕とカシウス、ミリア、ナディアの前に、サラディンは南方の地図を広げた。
「ここだ」
前線から少し離れた場所を指す。
「元は戦時用の避難所だ。地上には倉庫と宿営地があって、地下はかなり広い。近くに井戸もあるし、地下水脈も通ってる」
「地上に軍を並べられる?」
「余裕だ」
「地下を少し弄りたい」
「少し?」
サラディンが僕ではなくカシウスを見る。
カシウスが微笑んだ。
「少々、大掛かりになります」
「やっぱりな」
「ただし、新しく掘る必要はありません。既存の地下施設を使います」
「ならまだマシか」
カシウスが必要な人員と資材を説明していく。
鉱夫。
石工。
大工。
大量の荷車。
水を扱える職人。
そして神官。
サラディンの眉間にしわが増えていった。
「……勇者様」
「なに?」
「前に、金の使い道を持ってこいとは言った」
「うん」
「俺の金を埋めろとは言ってねえぞ」
「埋めるわけじゃない」
「似たようなもんだ!」
それでも断りはしなかった。
「何日だ?」
サラディンが聞く。
「七日ほどあれば」
ミリアが答えた。
「長い」
「これでもかなり急いでいます」
「四日でやれ」
「無茶です」
「五日」
「交渉ではありません」
「なら六日だ」
「増やせばいいという話でも――」
「人間を倍にする」
ミリアが黙った。
「金は?」
「俺が出す。足りなきゃ声をかける」
「誰に?」
「俺と同じくらい、この戦争で損してる奴らだよ」
サラディンが笑う。
「商人、名家、貴族。最後の一押しだと言えば、財布くらい開くさ」
翌朝には、人と物が動き始めていた。
◇
決戦については、隠さなかった。
都市同盟は近く大規模な反攻作戦を行う。
前線を押し戻し、奪われた土地を取り返す。
各都市へ通達が飛び、兵士たちが集まってくる。
現在同盟軍に加わっている冒険者たちも、その中に混ざっていた。
荷馬車が走る。
武器が運ばれる。
食料が積まれる。
野営地が広がる。
誰が見ても、大きな戦いが始まると分かる。
「本当に隠さなくていいの?」
準備を眺めながら聞く。
「この規模の軍を動かして、秘密にできると思いますか?」
カシウスが答えた。
「無理だね」
「でしたら、隠そうとするだけ無駄です」
「むしろ見せる?」
「ええ」
カシウスは集まりつつある軍勢を眺めた。
「エンブリオに見てもらわなければ困りますからな」
これだけの人間が一ヶ所へ集まる。
あいつからすれば、兵士ではなく、これから増える手駒に見えるだろう。
「来るかな」
「来たくなるようにしております」
「そうだった」
「勇者様が忘れてどうするのです」
地上では、表向きの戦争準備が進んでいる。
その一方で、決戦場に選んだ地下シェルターでは突貫工事が始まっていた。
僕も何度か中へ入った。
元々広い。
だから、ゼロから掘る必要はない。
職人たちは壁を壊し、床を削り、地下の水路へ手を入れていく。
サラディンが集めた荷車が何度も出入りし、神官たちも交代で地下へ降りていた。
「勇者様」
入口でミリアに止められる。
「なに?」
「これ以上、中をうろつかないでください」
「邪魔?」
「邪魔です」
「そっか」
「即座に納得しないでください」
外へ出た。
何を作っているのか知っていても、途中の状態だけを見るとよく分からない。
それでいい。
ここに何があるのか、エンブリオに知られる必要はない。
◇
「遅い!」
乾いた音が響いた。
アサシンギルドの男が地面を転がる。
立ち上がる前に、ナディアのカタールが喉元へ突きつけられた。
「死んでいるぞ」
「……はい」
「もう一度!」
ギルド員たちは朝から訓練を続けていた。
模擬戦。
奇襲への対応。
複数人での連携。
相手の動きを知っていることを前提にした戦い。
これまでより、ずっと激しい。
「ナディア様」
一人が息を切らしながら言う。
「少し休憩を――」
「いらん」
「ですが」
「次に会う相手が待ってくれると思うか?」
誰も答えなかった。
ナディアはカタールを下ろさない。
「父かもしれない。母かもしれない。お前たちを鍛えた者かもしれない。一緒に酒を飲んだ仲間かもしれない」
ギルド員たちの表情が固くなる。
「それで刃が止まるなら、今ここで抜けろ」
「……」
「ハサムは私たちを逃がすため、一人で残った」
声が強くなった。
「次に同じことになった時、また誰かに残ってもらうつもりか!」
「いいえ!」
「このままでは、戻ってきたハサムに顔向けできんぞ!」
「はい!」
「なら立て!」
倒れていた男たちが立ち上がる。
「もう一度!」
一斉に散った。
ナディア自身も休んでいない。
何度も。
何度も。
同じ動きを繰り返す。
迷った瞬間に死ぬ。
それを身体へ叩き込むように。
「ハサム、まだ戻ってないね」
訓練が一段落したところで声をかける。
「はい」
「……」
「戻ります」
ナディアはカタールの刃を布で拭いていた。
「絶対に」
「うん」
それ以上は言わなかった。
◇
決戦の日取りが決まった。
六日後。
都市同盟軍による大規模反攻。
話は瞬く間に広がった。
酒場でも。
市場でも。
兵士たちの宿舎でも。
隠すつもりがないのだから当然だった。
そして、その話を聞いているのは人間だけではなかった。
◇
夜。
一つの影が廃墟の壁を滑るように越えた。
音がない。
見張りの兵士が振り返った時には、もうそこにはいない。
別の影が野営地を眺めている。
兵士の数。
配置。
物資。
出入りする人間。
必要なものだけを確認すると、闇へ消えた。
その動きは、生前とほとんど変わらなかった。
◇
「へえ」
エンブリオは楽しそうに報告を聞いていた。
目の前に立つのは、かつてエスカリテのアサシンギルドに所属していた者たちだ。
「ずいぶん集めたねえ」
都市同盟軍。
そこに加わる冒険者たち。
アサシンギルド。
そして勇者。
少しだけ考える。
「ということは、ただの反攻ってわけでもなさそうだ」
エンブリオは顎へ手を当てた。
「何か企んでるのかな?」
アンデッドたちは答えない。
「まあ、いいか」
立ち上がる。
「なら出し惜しみは無しにしよう」
洞窟の奥へ目を向けた。
暗闇の向こうには、まだ誰にも見せていないものがある。
「何せ、大量に補充できるんだからねえ」
勇者が何を企んでいるのかは分からない。
だが、それは向こうも同じだ。
エンブリオは嬉しそうに笑った。
「こちらにも、まだ見せてない手があるのだから」




