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第三話 勇者は、「NO」を突き付けた

 目を開けると、母さんが僕を抱いていた。


「よかった……」


 声が震えている。


 僕は何も言わず、母さんの肩越しに辺りを見た。


 白い石壁。


 青く光る大水晶。


 壁際に並んだ神官たち。


 七歳のときに、勇者の祝福を授かった神殿だった。


「大丈夫か?」


 父さんが隣から顔を覗き込んでくる。


 記憶より若い。


 母さんの髪にも、まだ白いものは混じっていなかった。


 二人とも生きている。


「大丈夫」


 自分の声も幼かった。


 僕は小さくなった手を開き、指を動かした。


 傷はない。


 折れていた右腕も、黒い槍を受けた左脚も元に戻っている。


 魔王城での出来事が夢だった可能性も考えた。


 けれど、目を閉じれば仲間たちの最期を思い出せる。


 夢ではない。


 僕は本当に戻ってきたらしい。


「勇者様がお目覚めになられたぞ」


 神官の一人が声を上げた。


 神殿の鐘が鳴り始める。


 大神官が人の間を抜け、こちらへ歩いてきた。


 金糸の縁取りがある白い法衣。胸には太陽を模した神殿の紋章。


 一度目と同じ男だった。


「勇者様」


 僕の前へ膝をつく。


「三つの祝福を授かったと、神託がございました。どのような祝福をお選びになられましたか?」


 僕は大神官を見た。


 一度目は、聞かれるままに答えた。


《小治癒》。


《守護障壁》。


《能力強化》。


 大神官は、僕の優しさを示す素晴らしい選択だと言った。


 褒められたのが嬉しくて、その後も人を守る力ばかりを選んだ。


「《剣術》です」


 今回は一つだけ答えた。


「ほう。勇者様にふさわしい祝福でございます」


 大神官が頷く。


「残りの二つは?」


「教えません」


 周囲が静かになった。


 母さんが僕の肩へ手を添える。


「神官様に、そんな言い方をしてはいけないでしょう」


「自分の力を誰に教えるかは、自分で決める」


 大神官は少しの間、僕を見ていた。


 やがて、穏やかな笑顔を作る。


「儀式を終えたばかりで、混乱されているのでしょう」


 声の調子は変わっていない。


 ただ、目が笑っていなかった。


「ご安心ください。これより王国神殿が、勇者様を責任をもってお預かりいたします」


「預かる?」


 父さんが聞き返した。


「勇者様には明朝、我々とともに王都へ向かっていただきます」


「明日ですか」


「一日でも早く、勇者としての教育を始める必要がございます」


「この子は、まだ七歳です」


 父さんが言った。


 大神官は変わらず微笑んでいる。


「だからこそ、正しい教育が必要なのです。勇者様は、すべての人類にとっての希望でございます。一家庭の判断だけで、将来を決めることはできません」


 一度目と同じ話だった。


 父さんは口を閉じた。


 母さんも何も言わない。


 王都の大神官に反対できるような人たちではなかった。


 僕も以前は同じだった。


「勇者様」


 大神官が右手を差し出した。


 手のひらに、淡い光が灯る。


「こちらへお手を」


 一度目の僕は、言われるままに触れた。


 勇者を邪悪な精神攻撃から守る加護だと説明された。


 実際、その効果はあった。


 同時に、国王や大神官からの命令へ逆らおうとすると、勇者の紋章に痛みが走るようになった。


 僕が魔王討伐を拒めなかった理由の一つだ。


 視界の端が、わずかに赤くなる。


《危険感知》が反応している。


「触りません」


 僕は答えた。


 大神官の手が止まった。


「……何とおっしゃいましたか?」


「その手には触りません。王都にも、明日は行きません」


「勇者様は、まだご自分の立場を理解されていないようです」


「理解しています」


「魔王軍は今も各地で人々を襲っています。勇者であるあなたが一日も早く力を身につけなければ、多くの者が命を失うのです」


 一度目も、この言葉を聞いた。


 僕が断れば、誰かが死ぬ。


 そう言われれば、断ることはできなかった。


「力は身につけます」


「であれば――」


「でも、あなたの言うとおりにはしません」


 大神官の眉がわずかに動いた。


「その光は《服従の誓印》ですね」


 今度こそ、大神官の表情が止まった。


 周りの神官たちが小さくざわめく。


「どこで、その名をお知りになったのです」


「勇者の祝福が教えてくれました」


 嘘だった。


 僕だけに与えられた祝福の内容を、他人が確かめる方法はない。


「勇者を守る加護だけではありません。王国と神殿の命令へ逆らいにくくする力もある」


「誤解でございます」


「それなら、触らなくても問題ありませんね」


 大神官は答えなかった。


 僕も返事を待たなかった。


「僕は魔王を倒します」


 自分の右手を見る。


 勇者の紋章は、以前と同じ形をしている。


「ただし、誰に言われたからでもありません。自分で決めます」


「七歳の子供に、何が決められるのです」


「三日後に、北のカレド村が襲われます」


 大神官が黙った。


「森からゴブリンが四十体。群れを率いるのは、額に白い傷があるオーガです」


 一度目の記憶にある。


 僕が王都へ移動している最中に滅びた村だ。


 神殿へ知らせが届いたときには、襲撃から五日が経っていた。


 生存者はいなかった。


「そのような話を、どこでお聞きになったのです」


「勇者の啓示です」


「神託には、そのような内容は――」


「僕に与えられた啓示です。神殿に届いたものとは別です」


 大神官は僕を見つめた。


「信じないなら、何もしなくて構いません」


「勇者様」


「ただし、カレド村が滅びた場合、僕は王国神殿を信用しません」


 以前なら、信じてもらえるまで頼み込んでいた。


 相手が納得する説明を探し、何度も言葉を重ねていた。


 今回は、必要な情報だけ伝えた。


 判断するのは大神官だ。


 結果に責任を持つのも大神官だった。


「早馬を出せ」


 大神官が、後ろにいる神官へ命じた。


「近隣の騎士団へも知らせろ。事実の確認だけでよい」


「承知しました」


 神官が広間を出ていく。


 大神官は僕へ向き直った。


「何も起きなかった場合は、王都へ来ていただけますな?」


「そのときに決めます」


「勇者様」


「今決める必要はありません」


 大神官の頬がわずかに引きつった。


 僕は母さんの手を取った。


「今日は家に帰ります」


「まだ儀式後の確認が残っています」


「必要なら、家でしてください」


「勇者様には、神殿の決まりに従っていただかなければなりません」


「嫌です」


 今度は、最初より簡単に言えた。


 大神官を見る。


「帰ります」


 父さんと母さんは戸惑っていた。


 僕は二人を連れ、出口へ向かう。


 大神官は止めなかった。


 少なくとも、今は。


 神殿の外へ出ると、鐘の音がより大きく聞こえた。


 一度目の僕は、このまま王都へ連れていかれた。


 嫌だとは言わなかった。


 両親とも、まともに別れを交わさなかった。


「本当に帰っていいの?」


 母さんが小声で尋ねた。


「うん」


「神官様を怒らせたんじゃないか?」


 父さんは後ろを気にしている。


「たぶん」


「たぶんって……」


「でも、帰る」


 二人は顔を見合わせた。


 それ以上は何も言わず、僕と一緒に歩き始めた。


 僕は一度だけ、神殿を振り返った。


 開いた扉の奥に、大神官が立っている。


 笑ってはいなかった。


 僕も頭を下げなかった。


 一度目の僕が最初に間違えたのは、祝福の選び方だけではない。


 嫌なことを、嫌だと言わなかったことだ。


 今回は、そこから変える。

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