第二十六話 日陰の研究者
「では、今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
ベルトランと握手を交わした。
これで話は終わり。
そう思っていた。
「ところで、勇者様」
「はい?」
席へ戻ったベルトランが、一枚の書類を手に取った。
「私はまず、内政面での不備を正します」
「今回みたいなことが、また起きないように?」
「ええ。仕組みを悪用されることに、我々は少々頓着しなさすぎた」
偽造された命令書。
不正に持ち出された軍需品。
少額の決裁を積み重ね、最後にはベルトランへ罪を押しつけようとしていた部下たち。
「全部、財務卿が確認するようにするんですか?」
「それでは国が止まります」
即答だった。
「権限を任せること自体は必要です。ただ、任せた後にどう確認するか。その部分が甘かった」
「監査を増やす?」
「増やせばよい、というものでもありません。確認箇所を増やしすぎれば、今度は仕事が遅くなる」
ベルトランが書類を指で叩く。
「どこを見るか。誰に見せるか。同じ者だけで処理を完結させない方法も考える必要がありますな」
「もう考えてるんですね」
「私の仕事ですから」
頼もしい。
やっぱり、この人を仲間にしたのは正解だった。
「それによって、不正に消える金や無駄な支出を抑えることはできるでしょう」
「じゃあ、国庫にも少し余裕ができますね」
「少しは」
ベルトランはそこで言葉を切った。
「しかし、どうせなら減らすだけでなく、潤す方法も考えたいところですな」
「なるほど」
「勇者様も、何か思いつけば教えてください」
「……え?」
「何です?」
「僕も?」
思わず自分を指差した。
ベルトランの口元が、ほんの少し上がる。
「仲間なのでしょう?」
「そうですけど」
「なに。税制改革を考えろとは申しません」
「できませんよ」
「存じております」
ひどい。
「アイデアでも構いません。国に金を生むもの。支出を減らせるもの。何か気づいたことがあれば、私のところへ持ってきてください」
「使えるかどうかは?」
「私が考えます」
「駄目だったら?」
「駄目だと言います」
「仲間なのに?」
「仲間だからです」
即答された。
「……思ってたより面倒な人を仲間にしたかもしれません」
「奇遇ですな。私も同じことを考えております」
さっきまでの笑顔はどこへ行ったのか。
ベルトランは何事もなかったように書類へ視線を戻した。
◇
国庫を潤す。
王城の廊下を歩きながら考える。
「金策かぁ……」
そんなこと、今までほとんど考えたことがない。
勇者になってからは、必要な装備は国が用意してくれた。
食事も宿も。
自分で金を稼ぐことすらほとんどなかったのに、今度は国の金を増やせと言われている。
「魔物を倒して売る?」
最初に浮かんだのは、それだった。
でも。
「僕がずっと魔物を狩るのは違うよな」
それでは僕一人が稼いでいるだけだ。
もっと多くの人が使えるもの。
国全体で利益になるもの。
「……国全体」
そこで、ふと思い出した。
王都へ来てから、シャムと魔法研究所について話したことがある。
『研究者ってね、自分が発見者になりたくて必死なのよ』
新しい魔法を作る。
威力を高める。
射程を伸ばす。
効果範囲を広げる。
どれも役には立つ。
問題は、多くの研究者が似た方向を向いていることだった。
似たような設備をそれぞれ揃え、別々に研究費を使う。
『一緒に研究すればいいんじゃないですか?』
『成果まで分けることになるでしょ』
研究者には研究者の事情があるらしい。
その一方で。
『ほとんど予算をもらえてない連中もいるわよ』
植物。
土。
食料の保存。
戦闘には直接使えない魔法。
そういう研究をしている者たちは、研究所でも日陰者扱いされている。
あのときは、僕も聞き流した。
「……ちょっと見てみるか」
使えるかどうかは分からない。
でも。
誰も見ていないものなら、見てみる価値くらいはある。
◇
「シャム」
「なに?」
「ちょっと行きたいところがあるんですけど」
「どこ?」
「魔法研究所」
シャムが僕を見る。
「また急ね」
「前に話してくれましたよね。あまり予算をもらえてない研究者たちのこと」
「……ああ」
少し考えてから、思い出したように頷いた。
「植物とか土とか、そっち方面の?」
「その人たちです」
「どうしたの、急に」
「ちょっと興味があって」
「興味?」
「どんなことを研究してるのか、ちゃんと見てみたいんです」
シャムが目を細めた。
「相変わらず、変なところに目をつけるのね」
「変ですか?」
「普通、勇者が研究所へ行きたいって言ったら、最新の攻撃魔法とか新型の魔法具とかでしょ」
「そっちは、放っておいてもみんな研究してるんですよね?」
「まあね」
「だったら、誰も見てない方が気になります」
シャムは僕の顔をしばらく眺めた。
「……まあ、あなたらしいか」
「案内してもらえます?」
「いいわよ。ちょうど私も用があるし」
シャムは立ち上がり、杖を手に取った。
「ただし」
「はい?」
「本人たちの前で『日陰者を見に来ました』なんて言わないでよ」
「言いませんよ」
「あなた、変なところで正直だから心配なの」
「そこまでじゃないです」
「どうだか」
◇
国立魔法研究所。
王城からそれほど離れていない場所にある、大きな石造りの施設だ。
敷地へ足を踏み入れた瞬間。
轟音が響いた。
「っ!」
反射的に剣へ手を伸ばす。
「大丈夫。実験よ」
シャムは気にも留めない。
見ると、中庭で魔術師たちが巨大な標的へ火球を撃ち込んでいた。
爆発。
炎。
少し離れた場所では、魔法障壁へ何度も攻撃を当てている。
さらに奥から雷鳴が響いた。
「すごいですね」
「でしょ?」
シャムは少し誇らしげだった。
「ここにいる連中は優秀よ」
確かに。
魔王軍と戦うなら、こういう研究は必要だ。
威力が上がれば敵を倒しやすくなる。
射程が伸びれば、こちらの被害を減らせる。
無駄ではない。
ただ。
どこを見ても、戦うための魔法ばかりだった。
「こっち」
シャムが進路を変える。
大きな中央棟から離れていく。
歩くほど建物は小さくなり、人も減っていった。
舗装されていた地面も、いつの間にか土になっている。
「研究所って、まだ先じゃないんですか?」
「ここも研究所よ」
「でも、さっきのところと随分……」
「予算の差」
シャムがあっさり答えた。
「成果が分かりやすい研究。軍が欲しがる研究。そういうところには人も金も集まるの」
「こっちは?」
「人気のない方」
一番奥。
古びた二階建ての研究棟で、シャムは足を止めた。
建物の横には小さな畑。
窓からは蔓のようなものが外へ伸びている。
「……研究所?」
「本人の前でそれ言わないで」
シャムが扉を開けた。
「リネットー。いる?」
返事はない。
代わりに、奥から何かが倒れる音がした。
「いるわね」
「分かるんですか?」
「いつもこんな感じだから」
中へ入る。
戦闘魔法の研究棟とはまるで違った。
鉢植え。
土の入った箱。
壁一面に描かれた植物の根。
吊るされた薬草。
瓶の中には、種らしきものが並んでいる。
「動かないで!」
突然、声が飛んできた。
僕は足を止めた。
「右足!」
「え?」
「上げて!」
言われるまま足を上げる。
靴の下。
床の隙間から、小さな芽が出ていた。
「危なかった……」
一人の少女が駆け寄ってきて、芽の前へしゃがみ込む。
小柄だった。
僕よりは年上だろうけど、研究所にいる大人には見えない。
肩のあたりまで伸びた髪は適当に束ねられ、ローブの袖には土がついている。
「あと少しで三週間が無駄になるところだったよ」
「床から生えてますけど」
「生やしたんだよ」
「なんで?」
「それを調べてるからだね」
少女は当たり前のように言った。
「リネット」
シャムが呼ぶ。
「ん?」
「客」
「シャムの?」
「違うわよ」
少女――リネットが、ようやく僕を見る。
少し首を傾げた。
「……子供?」
「勇者よ」
「勇者?」
今度は反対側へ首を傾げた。
「なんでここに?」
「僕も聞きたいことがあって」
「何を?」
僕は研究室を見回した。
土。
植物。
薬草。
戦うための物は何一つ見当たらない。
「どんな研究をしてるんですか?」
「植物と魔力の関係だよ」
リネットは床の芽を指で軽く撫でた。
「魔力をどう与えれば育ちやすくなるのか。逆に、何をすると枯れるのか。土の状態でどれだけ変わるのか」
「作物にも?」
「使えるよ」
返事はあっさりしていた。
「むしろ、そっちが目的だね」
僕はもう一度、研究室を見る。
「……ちょっと」
「うん?」
「詳しく聞かせてもらってもいいですか?」
リネットが僕を見る。
少しだけ、目が輝いた。
「いいよ」
その返事だけは。
さっきまでより、少し嬉しそうだった。




