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第二十五話 財務卿は、勇者に賭ける

 翌日。


 僕は財務卿ベルトランの執務室に呼ばれた。


 大きな机。


 壁一面の書棚。


 積み上げられた帳簿と書類。


 王国の金を預かる男の部屋にしては、高価そうな物はほとんどない。


「お掛けください」


 ベルトランが向かいの椅子を示した。


 五十五歳。


 細身で、髪には白いものがかなり混じっている。


 昨日まで、自分の部下たちによって罪人へ仕立てられようとしていた。


 それでも、いつもどおり仕事をしているように見えた。


「まずは礼を申し上げます」


 僕が座ると、ベルトランは頭を下げた。


「勇者様が動いてくださらなければ、私は近いうちに身に覚えのない罪で拘束されていたでしょう」


「僕一人でやったことではありません」


「それでも、発端を見つけ、調べさせたのは勇者様だと聞いております」


 机の上には、昨日押収した証拠の写しが並べられていた。


 偽造された命令書。


 軍需品の記録。


 財務卿の印章。


「しかし、我ながら情けないものです」


 ベルトランが一枚を手に取る。


「私自身が作った仕組みを利用されました」


「一定額以下なら、部下だけで処理できる仕組みですか?」


「ええ」


「全部をあなたが確認するのは無理?」


「無理です」


 即答だった。


「王国の支出を私一人が銅貨一枚まで確認していては、財務府そのものが止まります」


「だから任せる」


「任せれば、不正の余地は生まれる。ですから監査を行う」


「今回は、その監査より先にあなたを追い出そうとした」


「そういうことですな」


 ベルトランは書類を置いた。


「権限を下へ渡したこと自体が間違いだったとは思っておりません。ただ、少額の不正を長期間積み重ねる場合への監視が甘かった」


 もう次を考えている。


 僕が何か教える必要などない。


 この人は、自分の仕事について僕よりずっと詳しい。


「印章の管理方法も変えます。決裁記録についても、部署を跨いで確認できるようにした方がいいでしょう」


「もうそこまで?」


「同じやり方でもう一度騙されたら、今度こそ笑いものです」


 淡々とした口調だった。


 でも少しだけ腹を立てているらしい。


「さて」


 ベルトランが僕を見る。


「私からも、一つお尋ねしてよろしいですかな」


「はい」


「なぜ、あそこまで私の周囲を調べられたのです?」


 予想していた。


「地下で、あなたを陥れるための偽造品を見つけました」


「そこまでは聞いております」


「だから調べました」


「私が無実だと思われた?」


「いいえ」


 ベルトランの眉が動いた。


「あなた自身も調べました」


「私も?」


「偽物の証拠が用意されているからといって、あなたが潔白とは限りません」


 誰かがベルトランを陥れようとしている。


 それと、ベルトラン自身が何かをしているかは別の話だ。


「だから両方調べました」


「なるほど」


「あなたからは、何も出なかった」


「今のところは?」


「必要なら、また調べます」


 ベルトランが僕を見た。


 怒らせたかと思った。


 けれど、少しすると鼻から息を抜いた。


「結構」


「いいんですか?」


「今回のことで、身内だから信用するという考えが危険なのは、私も十分学びました」


 そこでベルトランは一度、机の上を片づけた。


「それで。今日は礼を受け取りに来られたわけではないのでしょう?」


「分かりますか」


「勇者様は先ほどから、私より机の上の帳簿を見ておられる」


 見られていた。


「相談があります」


「伺いましょう」


 僕は少し考えてから口を開いた。


「僕は、仲間を集めています」


「存じております」


「魔王を倒すために必要な人を」


「王国からも候補者を出したはずですが」


「そこから選ぶ人もいると思います」


 騎士。


 魔術師。


 神官。


 戦場で僕と一緒に戦える人間。


「でも、それだけでは足りないと思うようになりました」


「ほう」


「魔王を倒すのは、剣を持っている人だけじゃない」


 ベルトランは何も言わず、続きを待った。


「武器を作る人がいる」


「ええ」


「食料を運ぶ人がいる」


「ええ」


「怪我人を治す人も、道を守る人もいる」


「その通りです」


「その全部を僕一人でやることはできません」


「やられては困りますな」


「ですよね」


「勇者様には勇者様の仕事をしていただかなければ」


 言われて、少し考える。


「それです」


「何がです?」


「僕には、僕の仕事がある」


 剣を振る。


 魔物を倒す。


 四天王と戦う。


 最後に魔王を殺す。


 そこは誰かに任せるつもりはない。


「でも、僕が知らないことまで僕が決める必要はない」


 ベルトランの目が少し細くなった。


「例えば?」


「お金です」


「なるほど」


「僕は国の財政なんて分かりません」


「でしょうな」


 即答だった。


「少しくらい迷ってください」


「十一歳の勇者様が国家財政まで熟知していたら、私が職を辞する方が早い」


 確かに。


「でも、あなたは知っています」


「それが仕事ですから」


「なら、そこはあなたに任せたい」


 ベルトランが僕を見る。


「勇者様」


「はい」


「私は、勇者様の部下ではありませんぞ」


「分かっています」


「国王陛下から財務を預かっております」


「はい」


「陛下の御意向と、勇者様の希望が食い違えば、私は陛下に従う」


「それでいいです」


「勇者様が必要だと言われても、出せない金は出せません」


「そのときは教えてください」


「何を?」


「どうして出せないのか」


 僕には分からない。


 だから、知っている人間に聞く。


「僕の考えがおかしかったら、止めてください」


 ベルトランの表情が変わった。


「止めろ、と?」


「はい」


「勇者様を?」


「僕が間違っているなら」


 少し沈黙があった。


「随分と変わったことを仰いますな」


「そうですか?」


「普通は財務卿へ、どうすれば金を出させられるかを聞きます」


「僕も出してほしいときは言います」


「断りますよ」


「困ります」


「どちらです?」


「話し合います」


 ベルトランが小さく首を振った。


 呆れているらしい。


「それで」


「はい」


「勇者様は、私に財務の相談役になれと?」


「少し違います」


「では?」


 僕は椅子から立った。


「仲間になってください」


 ベルトランが止まった。


「……私が?」


「はい」


「勇者様の?」


「はい」


「財務卿を?」


「あなたを、です」


 初めて、ベルトランが返事に詰まった。


「僕が欲しいのは、言えば金を出してくれる人じゃありません」


 そんな人なら、財務卿である必要がない。


「僕には分からないことを知っている人が欲しい」


 ベルトランは黙っている。


「僕が間違っていたら、それを言える人が欲しい」


「……それで、私を」


「はい」


「しかし、私は戦えませんぞ」


「戦わなくていいです」


「剣など、若い頃に習った程度です」


「振らなくていいです」


「魔法も初歩を少々」


「使わなくていいです」


「魔王城まで同行する気もありません」


「王都にいてください」


 ベルトランが眉を寄せた。


「それでも、仲間だと?」


「仲間の解釈を広げてください」


 僕は答えた。


「一緒に魔王城まで歩く人だけが、仲間じゃない」


 ゲオルグは村にいる。


 それでも僕の師だ。


 戦う場所が違ってもいい。


 やることが違ってもいい。


「魔王を倒すために、僕にできないことをやってくれる人」


 僕はベルトランを見る。


「僕にとっては、それも仲間です」


 部屋が静かになった。


 窓の外から、遠くを走る馬車の音だけが聞こえる。


 やがてベルトランが、ゆっくりと立ち上がった。


「私は十五で財務府へ入りました」


「十五歳?」


「下働きからです。最初の仕事は、帳簿を運ぶことでしたな」


 それから四十年。


 役人として働き。


 上司が代わり。


 国王も代わり。


 最後には財務卿になった。


「随分と長く、金のことばかり考えてきました」


 ベルトランが自分の手を見る。


「もっと寄越せと言われることは、数え切れないほどあった」


 騎士団。


 神殿。


 魔術師。


 貴族。


 商人。


「しかし」


 顔を上げる。


「金ではなく私自身が欲しい、と言われるとは思いませんでした」


 その口元が、ゆっくりと上がった。


 初めて見る笑顔だった。


 いつもの堅い財務卿の顔ではない。


 少しだけ、悪戯を思いついた子供のようにも見えた。


「五十五にもなって」


 ベルトランが笑う。


「勇者の仲間、というのは心躍りますな」


 右手が差し出された。


 僕も右手を出す。


 大人と子供。


 手の大きさはまるで違った。


「ただし」


 ベルトランが僕の手を握る。


「私はあくまで、グランヴェル王国の財務卿です」


「はい」


「王国にとって害になる要求なら、勇者様の頼みでも断ります」


「お願いします」


「遠慮なく?」


「遠慮なく」


「後悔なさいませんように」


「たぶん大丈夫です」


「たぶん?」


「大丈夫です」


 言い直すと、ベルトランがまた笑った。


「では」


 握る手に力が入る。


「財務卿ベルトラン。王国を勝たせるため、勇者様に力をお貸ししましょう」


「よろしくお願いします」


 手を握り返した。


 剣を使わない。


 魔法もほとんど使えない。


 たぶん、この人が魔物を倒すことは一度もない。


 それでも。


 僕だけではできないことが、この人にはできる。


 こうして。


 僕は、二人目の仲間を手に入れた。


────────────────────


【仲間プロフィール】


ベルトラン


職業:財務卿

年齢:五十五歳


白髪の混じった髪をきっちりと整えた、細身の男。


派手さのない落ち着いた服装を好み、王国の財政を預かる高官でありながら、身の回りに高価な物を置くことも少ない。


十五歳で財務府へ入り、下級官吏から現在の地位まで昇った、生粋の財務官。


現在はグランヴェル王国の財務卿として、国庫、税、軍需、公共事業をはじめとした王国の金の流れを管理している。


限られた財源の中で何を優先し、何を諦めるべきかを判断する現実主義者。


一定額以下の決裁を部下へ任せる制度を悪用され、長年続いていた横領の罪を押しつけられようとしていた。


偽造工作を発見した勇者によって失脚を免れた後、「戦う者だけが仲間ではない」と誘われ、王国財務卿としての立場を保ったまま勇者へ協力することを決める。


剣や魔法による戦闘能力はほとんど持たない。


その代わり、王国の金がどこから入り、どこへ消えるのか。何かを増やせば何が不足し、何を削ればどこに影響が出るのかを熟知している。


好物は甘い物。


健康を気遣う妻から控えるよう言われているため、執務机の引き出しに隠してある焼き菓子のことは、妻には内緒。

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