第二十四話 勇者は、証拠を奪う
ハサムから次の報告が来たのは、一週間後だった。
「動きました」
王都の宿。
机の上へ置かれた紙には、四人の名前が書かれている。
全員、財務府の官吏だった。
ベルトランほど上ではない。
かといって、末端でもない。
各部署から上がってきた書類を確認し、自分の名で処理できる程度の立場。
「この四人が?」
「中心にいるのは三名です。残る一名は、印章の管理に関わっております」
ハサムが一枚ずつ紙を指した。
「軍需品の発注数を増やす。実際には少ない量を納入する。差額を別の商人へ流す。確認できただけでも、三年ほど続いております」
「金額は?」
「一件ごとは小さいです」
僕は顔を上げた。
「小さい?」
「はい。財務卿本人が確認するほどではありません」
そこで分かった。
ベルトランが見逃したわけではない。
最初から、ベルトランまで上がらない額にしていた。
「それを何年も?」
「少額だからこそ、でしょうな」
最初の一度。
少し多く発注する。
少しだけ抜く。
誰にも気づかれない。
次もやる。
帳簿を合わせるために、別の数字を変える。
商人を巻き込む。
また一つ、嘘を増やす。
「どうしてベルトランを陥れるところまで?」
「気づかれそうだからです」
ハサムが別の紙を出した。
財務府で行われる帳簿確認の日程。
「来月、財務卿自身が軍需関係の帳簿を確認する予定になっております」
「その前にベルトランを失脚させる」
「ええ」
一度目より早い。
そう思って、すぐに考え直した。
違う。
一度目も、この時期から始まっていたのかもしれない。
僕が知らなかっただけだ。
「今夜、動きがあります」
ハサムが王都の地図を開いた。
「偽造した書類と盗品の一部を、財務卿が管理する倉庫へ運び込む予定です」
指が一本の道をなぞる。
王都東側。
商業区から、財務府の倉庫街へ入る道。
「馬車一台。護衛が六人」
「財務府の人間ですか?」
「護衛は雇われた者です。事情をどこまで知っているかは分かりません」
「馬車を捕らえれば?」
「少なくとも、今回の工作は止まります。ただ、荷物だけ押さえても、こちらが用意したと言われれば面倒でしょう」
「誰が運ばせたかも必要ですね」
「そちらは押さえています」
ナディアが言った。
「荷を積むところから見張らせています。指示を出した官吏も確認済みです」
なら十分だ。
「行きましょう」
僕は立ち上がった。
「勇者様」
ハサムが呼び止める。
「我々だけでも馬車は止められますが」
「知っています」
「では、なぜ御自身で?」
少し考えた。
「見たいんです」
「何をでしょう」
「僕が一度、信じた証拠を」
◇
夜。
馬車は予定どおり現れた。
王都東側の倉庫街。
昼間は荷車や商人で混み合う道も、今は人通りがほとんどない。
僕とナディアは、通り沿いの屋根から馬車を見下ろしていた。
御者が一人。
護衛が六人。
全員武器を持っている。
「随分と物々しいですね」
ナディアが小声で言った。
「普通の書類なら必要ない」
「どうします?」
「止めます」
「それは分かっています」
ナディアが僕を見る。
「馬車を、です」
僕は左腕へ目を落とした。
《反衝手甲》。
「僕がやります」
屋根から飛び降りる。
馬車の前へ着地した。
「止まってください」
御者が手綱を引いた。
護衛たちも足を止める。
「子供?」
一人が僕の顔を見た。
次に胸元。
勇者の紋章。
「……勇者」
空気が変わった。
「その馬車を確認します」
「なんの権限で?」
「勇者として」
「勇者に財務府の荷を調べる権限なんかねえだろ」
その通りだった。
「では、止まって説明してください」
「行け!」
御者が手綱を振った。
馬車が動き出す。
同時に三人の護衛が僕へ向かってきた。
逃げるなら、確認する必要はなくなった。
先頭の男が剣を振り下ろす。
半歩入る。
左手で手首を押した。
刃が肩の横を通り過ぎる。
そのまま腕を引き、足を払う。
男が地面へ転がった。
二人目。
棍棒。
受けない。
懐へ入り、柄を握る手へ掌底を打つ。
「ぐっ!」
指が開いた。
棍棒が落ちる。
腹へ膝。
前へ折れた体を押し倒す。
三人目は近づかなかった。
短槍を構えている。
僕を見ていたらしい。
剣の間合いへ入る前に突くつもりだ。
その方がいい。
僕は走った。
槍が来る。
狙いは胸。
左腕を前へ出した。
穂先ではなく、柄に近い部分を《反衝手甲》で受ける。
衝撃が腕へ走った。
「っ……!」
重い。
手甲の紋様が光る。
男が槍を引こうとした。
引かせない。
左手で柄を掴んだ。
「なっ――」
こちらへ引く。
男の体が前へ流れた。
ナディアに教えられた動き。
攻撃されてから返すだけでは遅い。
攻撃させて、その動きまで利用する。
足首を蹴る。
男が倒れた。
槍を奪う。
「勇者様!」
後ろからナディアの声。
馬車が離れていく。
分かっている。
僕は地面を蹴った。
《身体覚醒》で距離を詰める。
後方の護衛が振り返った。
「追ってくるぞ!」
「落とせ!」
二人が馬車から飛び降りる。
一人目を避ける。
二人目の剣を奪った短槍で弾く。
止まらない。
戦う必要がない。
その横を抜けた。
「待て!」
待たない。
狙っているのは人じゃない。
馬車へ追いつく。
走っている馬を斬る気はなかった。
馬に罪はない。
御者を落とせば、暴走する可能性もある。
荷台へ飛び乗れば、中身を捨てられるかもしれない。
なら。
馬車そのものを止める。
左腕の手甲が、まだ光っている。
さっき受けた短槍の一撃。
まだ使っていない。
馬車の横へ回る。
大きな車輪が高速で回っている。
狙うのは車輪ではない。
その内側。
車体と車輪を繋ぐ軸。
走りながら姿勢を落とした。
拳では届かない。
左肘を車軸へ叩き込む。
《反衝手甲》
蓄えた衝撃を放つ。
乾いた音がした。
木が割れる。
次の瞬間、車輪が大きく傾いた。
「うわっ!」
御者が叫ぶ。
馬車が片側へ沈む。
僕はすぐに離れた。
車輪が外れた。
車体が路面を削り、そのまま横へ倒れる。
積荷が崩れる音。
馬が悲鳴を上げた。
前方の連結具が外れ、馬だけが数歩走って止まる。
追いついてきた護衛たちも立ち止まった。
「……おい」
「車軸を、殴ったのか?」
僕は左腕を軽く振った。
痛い。
手甲が衝撃を蓄えてくれても、腕への負担まで消えるわけではない。
でも、動く。
「まだやりますか?」
護衛たちを見る。
一人が剣を捨てた。
残る者たちも、少し遅れて武器を地面へ置いた。
◇
横倒しになった馬車の後部を開ける。
木箱が四つ。
ナディアたちが中身を確認した。
「ありました」
一つ目。
王国軍で使われている矢。
軍の保管印が押されている。
二つ目。
神殿から盗まれた燭台。
三つ目。
帳簿。
そして最後の箱。
ナディアが布を取り払った。
財務卿ベルトランの印章。
偽物だった。
僕は、その形を覚えていた。
一度目。
ベルトランの不正を示す証拠として、王城で並べられていた。
軍需品の横流し。
不自然な支出。
盗品。
財務卿の印。
誰が見ても、証拠は揃っていた。
僕も疑わなかった。
「こちらも」
ハサムが帳簿の束から一枚抜いた。
財務卿名義の搬出命令書。
その下には、倉庫から物品を移したことを示す書類。
署名。
印章。
すべて揃っている。
「これが倉庫へ入れば」
ハサムが言った。
「財務卿が軍需品を横流しし、その代金を隠していた形になります」
「……そうですか」
僕は偽の印章を手に取った。
前回と同じだ。
きっと。
一度目も、こうやって作られた。
僕は完成した後しか見なかった。
証拠があった。
だから罪人だと思った。
それだけだった。
◇
捕らえた護衛から、依頼主の名前はすぐに出た。
護衛たちは本当に、荷物の中身までは知らなかった。
指定された馬車を、指定された倉庫まで運ぶ。
それだけで、普段の倍の金を受け取る予定だったらしい。
ナディアたちが押さえていた証言。
荷を積み込むところを見た者。
偽造書類を用意した者。
帳簿から消された金。
全部を繋げると、大層な陰謀など残らなかった。
始まりは、少額の横領だった。
一人が金を抜いた。
帳簿を誤魔化すために、もう一人を巻き込んだ。
物品の数を合わせるため、軍需品を別の商人へ流した。
その穴を隠すため、また別の帳簿を書き換えた。
やめれば、それまでの不正が見つかる。
だから続けた。
ベルトランが帳簿を直接調べると知った。
見つかる。
なら、自分たちが捕まる前に、ベルトランを罪人にしてしまえばいい。
それだけだった。
魔王軍は関係ない。
王国を滅ぼそうとした者もいない。
誰も、人類を敗北させようとしていなかった。
自分が捕まりたくなかった。
金を失いたくなかった。
そのために、財務卿一人を消そうとした。
一度目は、それが成功した。
そして僕たちは、戦争の途中で財務卿を失った。
誰も魔王軍を助けたつもりなどなかった。
それでも結果だけを見れば、十分すぎるほど助けていた。




