第十八話 勇者は、呪いを呼び起こす
城へ戻った頃には、夜明けまで一刻も残っていなかった。
割れた窓。
砕けた寝台。
壁や床に残った刃の傷。
そして、僕と暗殺者たちの血。
隠そうと思えば、まだ隠せる。
血を拭き、寝台を片づけ、窓を布で覆う。
朝になれば、酔った兵士が暴れたことにでもできるかもしれない。
けれど。
それでは、僕が狙われたという事実が、僕一人のところで終わる。
魔王軍は、王城の中へ十数人の暗殺者を送り込める。
勇者を排除しようとしている。
その事実には、使い道があった。
僕は部屋の扉を開けた。
「誰か来てくれ!」
廊下に声が響く。
ほどなくして、衛兵たちが駆け込んできた。
室内を見た彼らの顔色が変わる。
「勇者様! これは……!」
「暗殺者に襲われた」
「暗殺者……!?」
「全員、城の外へ逃げた。追おうとしたけど、見失った」
完全な嘘ではない。
彼らは確かに城を出た。
僕と一緒に。
「何人ですか?」
「分からない。十人以上はいた」
騒ぎはすぐに広がった。
鐘が鳴らされ、王城の門が閉じられる。
衛兵と騎士が走り回り、窓の外では松明の列が王都へ散っていった。
僕は傷の手当てを受けながら、その様子を眺める。
これでいい。
魔王軍が勇者を狙っている。
王城でさえ、安全とは言えない。
今後、僕が独自に人員を集め、情報網を作るための理由になる。
狙われた事実まで、利用すればいい。
一通りの事情を話し終えたあと、僕は着替えを命じた。
破れた寝間着を脱ぎ、革の胸当てを身につける。
鋼の剣。
《空白の剣》。
四属性の魔石。
《初禍の環》。
《盲夜の仮面》。
魔法袋。
使い終えた《狂王の針》は、肩へ突き刺したあとで砕けていた。
残った欠片だけを袋へ入れる。
準備を整え、警備が混乱している隙に城を抜け出した。
◇
潜伏拠点へ戻ると、地下室の壁際に暗殺者たちが並べられていた。
全員、《影葬》で眠っている。
床へ座っていたナディアが、僕の姿を見て顔を上げた。
「戻ってこないと思っていた」
「仲間を助けると言っただろ」
「城へ帰れば、私たちを売った方が安全だ」
「売るなら、運ぶのを手伝う前に売ってる」
ナディアは僕をしばらく見つめた。
それから、眠る仲間たちへ視線を戻す。
「残り三日だ」
「分かってる」
地下室の中央に王都の地図を広げた。
洗脳を解除する方法。
思いつくものを、順番に並べる。
《狂王の針》を人数分用意する。
不可能だ。
あれは老婆の店に一つしかなかった。
仮に同じものを揃えられても、ナディアのように自力で洗脳を破れるとは限らない。
抵抗できなければ、洗脳されたまま限界を外された暗殺者が生まれる。
次に、宮廷魔術師へ頼る。
これも難しい。
暗殺者たちは勇者を襲った。
洗脳されていたと説明しても、まず拘束される。
最悪の場合、取り調べが終わる前に処刑されるかもしれない。
「大神殿に、解呪の間がある」
僕が言うと、ナディアが顔を上げた。
「解呪の間?」
「呪いを身体から引き剥がし、神聖魔法で浄化する場所だ」
前の人生で、ミリアから聞いたことがある。
大神殿の奥には、強い呪いや契約を解くための石室がある。
通常の治癒魔法では扱えないものを、身体の外へ引きずり出すための場所。
「そこでなら、可能性はある」
「使えるのか」
「正面から頼めば、解呪より先に君たちが牢へ入れられる」
ナディアは否定しなかった。
むしろ当然だという顔をする。
「なら、忍び込む」
「簡単に言うな。大神殿の奥だ」
「侵入なら、私の仕事だ」
「この状態で?」
ナディアの顔色はまだ悪い。
洗脳を自力で破り、十数人へ《影葬》を施し、ここまで運んだ。
立っているだけでも無理をしている。
「君が倒れれば、仲間を運べない」
「それでも時間は止まらない」
その通りだった。
僕は地図を畳んだ。
「まず、様子を見てくる」
「一人で?」
「勇者なら、昼間の大神殿へ堂々と入れる」
忍び込む前に、警備と入口を確認する。
それに。
運が良ければ、使える人間が見つかるかもしれない。
◇
大神殿は、王都の中央に建つ巨大な白い建物だった。
朝を迎えたばかりだというのに、礼拝堂にはすでに多くの人が集まっている。
怪我人。
病人。
祈りを捧げる者。
神官たちは忙しそうに行き来していた。
勇者だと名乗れば、奥へ案内してもらうことはできる。
だが、下手に目立ちたくない。
僕は参拝者に紛れ、建物の構造を確かめた。
解呪の間は地下。
礼拝堂の奥にある関係者用の階段から降りる。
前の人生で聞いた通りなら、扉は神官の鍵と神聖魔力の両方がなければ開かない。
外から破壊すれば、大神殿中に警報が響く。
廊下の先へ進もうとしたところで、神官二人の会話が聞こえた。
「今日の解呪の間の当番は誰だった?」
「ミリアですよ」
思わず足が止まる。
「またあの子か。余計な患者を連れ込まなければいいが」
「高位神官様の身内だから、強くも言えませんしね」
二人はため息をつきながら、僕の横を通り過ぎた。
ミリア。
前の人生で、僕と一緒に魔王軍と戦った神官。
ただし今は、まだ神官見習いにすぎない。
僕のことも知らない。
王都へ来た時に、遠くから見かけただけのはずだ。
だが、ミリアの性格であればもしくは。
僕は解呪室の管理所を探した。
小さな机に、白い神官服の少女が座っていた。
肩ほどまでの淡い髪。
真面目そうな顔。
分厚い記録帳へ何かを書き込んでいる。
間違いない。
ミリアだ。
「少しいいかな」
声をかけると、ミリアが顔を上げた。
僕を見るなり、大きく目を見開く。
「あなたは……王都へ来られた勇者様?」
「見ていたのか」
「はい。遠くからですが」
ミリアは慌てて立ち上がった。
「お怪我ですか? それとも、解呪のご相談でしょうか」
「今夜、解呪の間を使わせてほしい」
ミリアの表情が固まった。
「今夜?」
「ああ」
「正式な許可はお持ちですか?」
「持っていない」
即答すると、ミリアは困ったように眉を寄せた。
「それでは、使わせることはできません」
「分かってる。だから、君に頼みに来た」
「私に?」
「今夜、ここの鍵を開けてほしい」
ミリアは一歩、後ろへ下がった。
当然の反応だ。
勇者とはいえ、無断で大神殿の施設を使わせろと言っている。
「何に使うのですか?」
「言えない」
「でしたら、なおさら――」
「何に使うかは言えない」
ミリアの目を見る。
「でも、勇者の使命にかかわることだ」
それは嘘ではない。
魔王軍の洗脳を解き、暗殺者たちを救う。
そして彼らに……。
「このままでは、助けられる命が失われる」
ミリアは黙った。
右手を胸元へ添える。
瞳の奥に、淡い光が宿った。
彼女が持つ祝福、《真偽鑑定》。
しばらく、僕の顔を見つめる。
やがて光が消えた。
「……あなたの言葉に、嘘はないようです」
「信じてもらえるか」
「嘘がないことと、すべてを話していることは別です」
さすがだ。
能力を過信していない。
ミリアは机の上の鍵へ目を落とした。
「危険なことですか?」
「ああ」
「解呪の間や、大神殿に被害が出る可能性は?」
「ないとは言えない」
ミリアは長く息を吐いた。
そして、顔を上げる。
「分かりました」
「いいのか?」
「助けられる命が失われる。そこにも嘘はありませんでした」
声は震えていた。
怖くないわけではない。
それでも、逃げない。
前の人生と同じだった。
「ただし、条件があります」
「聞こう」
「私も立ち会います」
「危険になるかもしれない」
「それも本当なのですね」
「ああ」
「でしたら、なおさらです。解呪の間の術式は、私が動かします」
今のミリアは見習いだ。
戦闘力も、神聖魔法の技量も、前の人生には遠く及ばない。
それでも。
彼女なら、目の前の命を見捨てない。
僕はそれを知っていた。
「今夜、鐘が十二回鳴ったあと」
ミリアは鍵を握りしめた。
「裏口へ来てください」
◇
深夜。
大神殿の裏口には、ミリアが一人で待っていた。
白い神官服の上から、暗い色の外套を羽織っている。
僕の隣に立つナディアを見ると、警戒するように身を固くした。
「その人は?」
「協力者だ」
ナディアは何も言わなかった。
足元には、大きな影が広がっている。
《影渡》。
眠る仲間たちは、その中に沈められていた。
「ほかにもいるのですか?」
「いる」
「何人ですか?」
「十数人」
ミリアの顔が引きつった。
「先に聞きたかったです……」
「聞いたら断ったか?」
「たぶん、もっと長く悩みました」
断らなかったらしい。
ミリアは周囲を確認し、裏口の鍵を開けた。
人目を避けながら、大神殿の地下へ降りる。
巡回の神官が近づけば、物陰へ隠れた。
ナディアが気配を読み、僕が進む方向を決める。
最後の扉の前で、ミリアが足を止めた。
白い石で作られた巨大な扉。
中央には、複雑な神聖文字が刻まれている。
ミリアは鍵を差し込み、もう片方の手を扉へ当てた。
淡い光が文字を走る。
重い音を立て、扉が開いた。
中は円形の石室だった。
床一面に、白銀の魔法陣が刻まれている。
天井からは、細い光が降り注いでいた。
「ここが、解呪の間です」
ナディアが部屋の中央へ進む。
「《影渡》、解除」
足元の影が広がった。
一人ずつ。
眠る暗殺者たちが、影の中から浮かび上がる。
ナディアは全員を魔法陣の上へ並べた。
ミリアの表情が強張る。
黒装束。
武器。
身体へ残る戦闘の傷。
誰が見ても、普通の患者ではない。
「この人たちは……」
「洗脳されている」
僕が答える。
「僕を殺すよう命じられた暗殺者だ」
ミリアが僕を振り返った。
「この方たちが、勇者様を?」
「ああ」
「それを、助けるために?」
「本人たちが望んだことじゃない」
ミリアは、眠る暗殺者たちを見回した。
やがて小さく頷く。
「始めます」
魔法陣の外周に立ち、両手を組む。
「呪いを身体から引き離します。何が起きても、陣の中へ入らないでください」
「何か出てくるのか」
「強い魔法や呪いは、形を持つことがあります」
ミリアが祈りを唱える。
床の魔法陣が、白い光を放ち始めた。
眠る暗殺者たちの身体が淡く照らされる。
首元に、赤黒い紋様が浮かんだ。
一人。
二人。
全員の刻印が、同時に脈打つ。
「これは……」
ミリアの顔から血の気が引いた。
赤黒い糸が、それぞれの刻印から伸びる。
空中で絡まり。
一つへ集まっていく。
「別々の洗脳魔法ではありません!」
ミリアが叫んだ。
「全員が、一つの術式につながっています!」
白い光が、洗脳魔法を身体の外へ引きずり出す。
赤黒い糸が膨れ上がる。
炎へ変わる。
石室の空気が、一瞬で熱くなった。
『あら』
甘い女の声が響いた。
ナディアの肩が震える。
聞き間違えるはずがない。
紅魔将フィヨルドの声。
『せっかく従順にしてあげたのに』
赤黒い炎の中で、巨大な影が身をくねらせる。
『私の魔法は、そんな簡単じゃないわよ♡』
轟音。
長大な身体が、魔法陣の中央へ落ちた。
巨大な百足。
黒く炭化した甲殻。
無数の脚。
頭部には、石柱ほどもある大顎と毒牙。
節の隙間から、酸の体液が滴り落ちる。
床へ触れた瞬間、白い石が煙を上げて溶けた。
全身から噴き上がる赤黒い炎が、防壁のように巨体を覆っている。
熱だけで、肌が焼けそうだった。
視界の隅に、情報が浮かぶ。
炎極百足。
位階二十五。
ミリアが青ざめる。
「そんな……解呪で、こんな魔物が……」
炎極百足が、大顎を開いた。
紫色の毒液が牙から滴る。
長大な身体が解呪の間を埋め、僕たちを囲むように動き始めた。
僕は鋼の剣と《空白の剣》を抜いた。
「これが、フィヨルドとの第一ラウンドになりそうだな」
隣で、ナディアが二本のカタールを構える。
目の前の怪物を見据え。
ほんのわずかに、笑った。
「望むところだ」




