第十六話 勇者は、影を斬る
頬に、冷たい風が触れた。
眠りの底で、それを不自然に思った。
窓は閉めたはずだ。
目を開くより先に、《第六感》が身体を突き動かす。
寝返りを打つように、横へ転がった。
直後。
細い針が三本、僕の頭があった枕へ突き刺さる。
目を開いた。
窓がわずかに開いている。
月明かりの中で、針先に塗られた黒い液体が光っていた。
毒だ。
次は右。
僕はシーツを掴み、勢いよく持ち上げた。
暗闇から飛んできた短剣が、広がった布へ突き刺さる。
そのままシーツを引いた。
刃を握っていた黒装束の男が、布に引かれて姿勢を崩す。
寝台を蹴り飛ばす。
滑った寝台が、男の脚を払った。
寝る時まで、武装はしていない。
革の胸当ても外してある。
鋼の剣は、寝台の脇。
魔法袋は、椅子の背にかけていた。
カーテンを引きちぎり、背後へ投げる。
二人目の暗殺者の顔を布が覆った。
その腕へシーツを巻きつけ、勢いを利用して床へ投げる。
すぐに鋼の剣を掴んだ。
抜いた瞬間。
背後から殺意。
振り向かず、剣を立てる。
短剣が鋼の刃に弾かれた。
身体を反転させ、男の腹へ蹴りを入れる。
壁へ叩きつけられても、男は立ち上がろうとした。
痛みを感じていないわけではない。
顔は苦痛に歪んでいる。
それでも、攻撃をやめる気配がなかった。
まだいる。
窓の外。
廊下側。
屋根の上にも、いくつもの殺意がある。
ここで戦えば、兵士や使用人を巻き込む。
僕は魔法袋を掴み、窓へ走った。
窓枠を蹴り、夜の王城へ飛び出す。
◇
屋根へ着地した。
裸足に、冷たい瓦の感触が伝わる。
背後から三つ。
振り返らず、剣を振った。
毒針を一つ。
二つ。
三つ。
続けて、左右から二人の暗殺者が迫る。
右は曲刀。
左は短槍。
二つの刃が、逃げ道ごと挟み込んでくる。
《身体覚醒》によって研ぎ澄まされた目が、二人の動きを捉えた。
肩の角度。
踏み込む足。
武器を握る指。
攻撃が放たれるより先に、その軌道が見える。
短槍の穂先を剣で逸らす。
身体を沈め、曲刀の下へ潜り込んだ。
柄頭を顎へ叩き込み、そのまま腕を切り上げる。
血が飛んだ。
だが、暗殺者は止まらない。
斬られた腕を垂らしたまま、反対の手で短剣を抜いた。
短剣をかわし、腹へ蹴りを入れる。
身体が屋根の上を転がった。
その間に。
周囲の屋根へ、いくつもの影が降り立つ。
煙突の陰。
塔の上。
渡り廊下の屋根。
十人。
その後ろにもいる。
先頭の女が、両手のカタールを構えた。
腰には、円形の投擲刃。
女が片手を上げる。
暗殺者たちが、一斉に動いた。
◇
矢。
毒針。
投げナイフ。
三方向から飛んでくる武器を剣で払い、屋根を走る。
着地先には、細い鋼線。
跳び越えた瞬間を狙って、弓が放たれた。
《第六感》が、背後から迫る矢を告げる。
空中で身体を捻る。
矢は脇腹を浅く裂き、そのまま闇へ消えた。
着地したところへ、先頭の女が迫る。
速い。
左右のカタールが、休むことなく繰り出される。
首。
胸。
腹。
急所だけを狙った連撃。
剣で受けるたび、腕が痺れた。
女の位階は、僕より上だ。
しかも、女の攻撃の合間へ、ほかの暗殺者が割り込んでくる。
背後からチャクラム。
足元から短剣。
避けた先には毒針。
一つを防げば、次の攻撃が待っている。
暗殺者たちは、全員で一つの生き物のように動いていた。
このままでは押し切られる。
女のカタールを弾き、距離を取る。
魔法袋へ手を入れた。
指先に、硬い仮面が触れる。
《盲夜の仮面》。
装着者の足音。
気配。
体温。
魔力反応。
存在を示すものを、すべて消す魔導具。
その代わり。
装着した者自身も、何も見えなくなる。
音も聞こえない。
臭いすら感じられない。
以前の僕なら、使えなかった。
だが。
《第六感》。
今の僕なら、これが使える。
正面に煙突。
右の屋根までは三歩。
背後には塔の壁。
敵の位置と屋根の傾斜を、頭へ焼き付ける。
暗殺者たちが迫った。
僕は仮面を顔へ押し当てた。
世界が消えた。
何も見えない。
何も聞こえない。
風も。
武器も。
敵の呼吸も。
けれど。
僕へ向けられた殺意だけは、残っている。
正面から二つ。
右から一つ。
背後から、遅れて一つ。
一歩、左へ。
何かが頭上を通過した。
剣を横へ振る。
手応え。
一人。
すぐ後ろから、別の殺意。
身体を沈め、振り向きざまに剣の腹を叩き込んだ。
二人目。
続くはずの攻撃が来ない。
殺意の向きが定まらず、屋根の上を探るように揺れている。
僕の位置を見失った。
記憶した屋根の形を頼りに進む。
三歩。
伸ばした手が、煙突へ触れた。
位置は合っている。
煙突を蹴り、反対側へ跳ぶ。
僕を探していた殺意が、一斉に動く。
だが、遅い。
着地と同時に、最も近い殺意へ剣を振る。
膝を捉えた感触。
倒れたところへ、柄を振り下ろす。
三人目。
左から二つの殺意が重なった。
その間へ滑り込み、片方の腕を掴んで引く。
二人の身体が衝突した。
一人の腹へ柄頭。
もう一人の手から武器を蹴り飛ばす。
四人目。
五人目。
残る殺意が、明らかに減った。
十分だ。
これ以上は危険だった。
《第六感》が拾えるのは、あくまで危険と殺意。
殺意を消した攻撃までは、正確に捉えられない。
僕は仮面を外した。
視界が戻る。
冷たい夜風。
荒い呼吸。
屋根を転がる武器の音。
暗殺者たちは僕から離れ、散らばっていた。
何人かは、まだ僕が消えた場所を警戒している。
倒れている者が五人。
立っているのは、先頭の女を含めてあと六人。
「ずいぶん減ったな」
暗殺者たちが一斉にこちらを向く。
戸惑いは一瞬。
すぐに陣形を組み直した。
立て直しが速い。
だが、最初の包囲はもうない。
ここからなら。
剣で勝てる。
◇
曲刀。
短剣。
鎖鎌。
カタール。
武器も。
間合いも。
攻撃の癖も違う。
一人を斬れば、次の者が背後を取る。
一歩退けば、投擲武器が逃げ道を塞ぐ。
僕は剣を振るい続けた。
前回の人生で、何度も死線を越えた。
ゲオルグには、何千回も打ち倒された。
今回の人生では、そのすべてを一から積み直してきた。
だが。
今までの僕は、目の前の敵を一人ずつ見ていた。
違う。
三人の敵ではない。
三本の刃が作り出す、一つの攻撃だ。
最初の短剣を弾けば、二本目の軌道が変わる。
二人目の身体を押せば、三人目の足場が塞がる。
ならば。
最初から、すべてを一つとして捉えればいい。
短剣を剣先で弾く。
跳ね上がった腕が、隣の曲刀を止める。
二人の間へ踏み込む。
背後から迫った鎖を掴み、力任せに引いた。
鎖鎌を持つ男が体勢を崩す。
前へ倒れた身体へ、剣の腹を叩き込んだ。
どこへ踏み込む。
誰の武器を利用する。
どの攻撃を受け。
どれを避ける。
考えるより早く、答えが見えてくる。
――《剣術 第四段階》の熟練度が規定値へ到達しました。
――特殊条件を達成しました。
視界の隅に、文字が浮かぶ。
――称号《剣雄》を獲得しました。
その瞬間。
握っている剣の感触が変わった。
いや。
剣が変わったわけではない。
変わったのは、僕の方だ。
柄を握る指。
手首。
肘。
肩。
そこから鋼の刃の先端までが、一つにつながった。
剣を持っているという感覚が消える。
腕が、そのまま長く伸びたようだった。
刃のどこまで力が伝わっているのか。
切っ先が今どこを向いているのか。
見なくても、分かる。
踏み込んだ。
曲刀が首を狙ってくる。
数分前なら、受けてから押し返していた。
今は違う。
曲刀の腹へ切っ先を触れさせる。
わずかに押す。
それだけで、刃の軌道が外れた。
空いた脇腹へ、剣の腹を滑り込ませる。
一人目が崩れた。
背後から短剣。
振り返らない。
剣を手首だけで返す。
鋼の刃が、背後の短剣を正確に弾いた。
そのまま身体を回し、相手の手首を打つ。
武器が宙を舞う。
返す柄で顎を打ち抜く。
二人目。
鎖鎌が足元へ迫る。
跳ばない。
一歩だけ踏み込み、鎖が伸び切る前に剣を差し込む。
刃を捻ると、鎖が剣へ絡みついた。
引く。
相手の身体が前へ崩れる。
鳩尾へ柄頭。
三人目。
動きが、止まらない。
一つの技から、次の技へ。
継ぎ目がない。
攻撃を避ける動きが、そのまま次の一撃になる。
武器を弾く動きが、別の敵の足場を崩す。
数分前まで苦戦していた相手が、今は遅く見えた。
身体能力が上がったわけではない。
敵の動きが鈍くなったわけでもない。
ただ。
僕の剣から、無駄が消えた。
剣が考えるより早く、最も短い道を通る。
三人の暗殺者が、ほとんど同時に屋根へ倒れた。
僕は剣を振り抜いた姿勢のまま、残る敵を見る。
先頭の女。
その後ろに、二人。
あと三人。
◇
女がチャクラムを投げた。
円形の刃が弧を描き、背後へ回り込む。
正面からは、女自身が迫った。
《第六感》が、背中へ迫る刃を告げている。
僕は女の懐へ踏み込んだ。
カタールを剣で押し上げる。
身体を入れ替える。
戻ってきたチャクラムが、女の背中へ迫った。
だが、女は避けない。
仲間の刃を受けてでも、僕の心臓へカタールを突き込もうとしている。
僕は女の手首を蹴り上げた。
カタールが宙を舞う。
肩を掴み、チャクラムの軌道から投げ出す。
円形の刃が、屋根へ深く突き刺さった。
なぜ避けなかった。
自分の命より、命令を優先した。
いや。
優先させられている。
女が立ち上がる。
肩は外れていた。
片腕はまともに動かない。
それでも、残った手で二本目のカタールを構えた。
首元の赤黒い紋様が、強く輝く。
見覚えがあった。
前回の人生。
紅魔将フィヨルドに支配された兵士たちにも、同じ紋様が刻まれていた。
人格も。
技術も。
判断力も残す。
ただし、命令への拒絶だけを許さない。
フィヨルドの洗脳魔法。
「お前たちは、魔王軍じゃないな」
女の身体が、一瞬だけ止まった。
カタールの切っ先が、わずかに揺れる。
首の紋様が赤く燃え上がった。
女の顔が、激しい苦痛に歪む。
それでも、足は僕へ向かって踏み出した。
「勇者を……殺す」
感情を失っているわけではない。
痛みも。
恐怖もある。
逆らうことだけができない。
僕へ向けられた殺意の奥に。
別の意思があった。
《第六感》が、それを捉える。
僕を殺そうとしている。
同時に。
殺すまいとしている。
女の中で、二つの意思が争っていた。
僕は魔法袋へ手を入れる。
指先に触れたのは、一本の針。
《狂王の針》。
刺された者にかけられた、あらゆる抑制を一時的に破壊する。
肉体の限界も。
痛みによる制止も。
理性による自制も。
そして。
外部から、意思を押さえつける力も。
ただし、この針は洗脳を解除する道具ではない。
鎖を緩めるだけだ。
本人に逆らう意思がなければ、洗脳されたまま力だけが増幅される。
目の前の女は、今より遥かに危険な敵になる。
それでも。
内側で戦い続けているのなら。
女が屋根を蹴った。
カタールが、僕の喉へ迫る。
僕は剣を下ろした。
代わりに、針を握る。
「自分の意思が残っているなら」
刃を半歩でかわし、女の懐へ入る。
「自分で破れ」
《狂王の針》を、女の肩へ突き立てた。
――――――――――――――――
【ステータス】
【称号】
勇者
剣雄
年齢:十一歳
位階:14
祝福点:0
【祝福】
《剣術 第四段階》
《身体覚醒 第一段階》
《第六感》
《獅子の子》
《後の牙》
《魔力増幅 第二段階》
《魔法剣 第一段階》
《勇者の矜持》
《獅子奮迅》
【装備】
鋼の剣
《空白の剣》
革の胸当て
《初禍の環》
《盲夜の仮面》
魔法袋
――――――――――――――――




