第十五話 勇者は、手が足りない
ダンジョンを出る前に、確かめておきたい場所があった。
最深部の北側にある岩壁。
前回の人生では、数年後にこの付近で崩落が起きた。
その際、岩壁の奥から古い地下通路が発見されている。
王都から城外へ続く、かつての脱出路だったらしい。
ただし、発見された時には奥が崩れていた。
調査はほとんど進まず、通路が使われることもなかった。
僕が知っているのは、入口が見つかった場所だけだ。
岩壁へ手を当てる。
《身体覚醒》によって鋭くなった指先が、石の隙間から流れるわずかな風を捉えた。
中が空洞になっている。
苔と土を払い、壁の端を調べる。
周囲の岩とは色の違う、小さな石があった。
押し込む。
重い音を立てて、岩壁の一部が内側へ動いた。
人一人が通れる隙間が開く。
「ここか」
前回は崩落によって露出した入口が、今はまだ隠されたまま残っている。
僕は《空白の剣》へ手をかけ、地下道へ入った。
◇
地下道は、荷車が通れるほど広かった。
壁と天井は石で固められている。
長く放置されていたようだが、今すぐ崩れそうな場所はない。
これなら、有事の際に王都から人を逃がす道として使えるかもしれない。
前回の王都は、魔王軍に包囲された。
門が破られてからは、王族も民も逃げる場所がなかった。
この道をもっと早く知っていれば。
助けられた者がいたかもしれない。
今度は、手遅れになる前に確かめておく。
しばらく進んだところで、僕は足を止めた。
床に、靴跡がある。
古いものではない。
何人もの人間が、繰り返し通った跡だ。
その横には、荷車の轍も残っている。
壁際には、燃え尽きた松明。
放棄された通路ではない。
誰かが今も利用している。
僕は足音を抑え、さらに奥へ進んだ。
◇
通路の途中に、大きな空間があった。
簡素な寝台。
酒樽。
保存食。
壁にかけられた剣や弓。
そして、大量の木箱。
人の姿はない。
だが、つい先ほどまで誰かがいたような形跡が残っている。
箱を一つ開けた。
中には、宝石や銀器が詰められていた。
別の箱には、王国軍の刻印が入った矢。
商家の紋章を削り取った食器。
神殿で使われていたと思われる燭台まである。
「盗賊団か」
王都の城壁を通らず、荷物を運び出せる地下道。
盗賊にとって、これ以上ない逃走経路だ。
だが。
部屋の奥にある机だけは、ほかの場所と様子が違っていた。
帳簿が何冊も並べられ、書類が整然と積まれている。
一冊を開く。
国庫金の出入り。
軍需品の購入記録。
どのページにも、財務卿の印が押されていた。
だが、印の形がわずかに歪んでいる。
机の引き出しを調べる。
中に入っていたのは、財務卿の印章を模した偽物だった。
さらに。
財務卿が管理する倉庫の見取り図。
見張りが交代する時間。
荷物を運び込む予定まで記されている。
軍用の矢。
盗品。
金貨。
偽造された帳簿。
財務卿の倉庫へ置き、証拠として発見させるつもりらしい。
前回の記憶がよみがえる。
財務卿は、国庫金の着服と軍需物資の横流しで罷免された。
決定的な証拠は、本人が管理する倉庫から見つかっている。
僕も、財務卿が罪を犯したのだと信じていた。
だが。
その証拠は今、ここで作られている。
もっとも、これだけで財務卿が潔白だとは断定できない。
本人が盗賊団へ命令している可能性もある。
別の誰かが、財務卿を陥れようとしている可能性も。
盗賊団を動かしているのは誰だ。
連絡役はいるのか。
証拠を運び込むのはいつだ。
確認しなければならないことが多すぎる。
その時。
通路の奥から、車輪の軋む音が聞こえた。
続いて、複数の足音。
「先に荷を下ろせ」
「酒は残ってるだろうな?」
盗賊たちが戻ってくる。
僕は剣の柄へ手をかけた。
この場所なら、全員倒すこともできる。
だが、今ここで戦っても意味がない。
末端を倒せば、命令を出した者に異変を悟られる。
証拠を処分されるかもしれない。
別の手段へ切り替えられるかもしれない。
今は、この場所が発見されたことを知られてはならない。
僕は帳簿と偽印を元の場所へ戻した。
触れた場所を布で拭い、自分の痕跡を消す。
そして、盗賊たちが部屋へ戻る前に地下道を離れた。
◇
夜。
王城の客室で、僕は覚えてきた内容を書き出した。
地下道の分岐。
盗賊団のアジト。
偽造された帳簿。
財務卿の偽印。
倉庫へ証拠を運び込む計画。
分かったことは多い。
だが、分からないことの方が多かった。
盗賊団の人数。
命令を出している者。
連絡役。
証拠を運び込む時期。
財務卿本人が関わっているのかどうか。
僕が毎日地下道へ通い、盗賊たちを見張るわけにはいかない。
勇者が王都の内外を嗅ぎ回れば、すぐに目立つ。
王や財務卿へ報告するにしても、今のままでは確かな証拠が足りない。
前回なら、ガルドに頼んでいただろう。
僕たちより先へ進み、敵の数や地形を調べ、誰にも気づかれず情報を持ち帰る。
ガルドは、優秀な斥候だった。
王都から遥か離れた村に暮らす、狩人の一族の出身。
森に残る足跡を読み。
獣の通り道を見つけ。
気配を消して、獲物へ近づく。
旅と戦いの中で、その技術を磨き上げていった。
だが、今のガルドはまだ熟練の斥候ではない。
彼の村へ向かうだけでも、かなりの時間がかかる。
それに今回、探らなければならないのは森や魔物ではなかった。
王都の裏側で交わされる命令。
盗賊団と誰かをつなぐ人間。
帳簿に残らない金の流れ。
ガルドは野外での偵察には優れていたが、人間同士の陰謀を探る専門家ではない。
「手が足りないな……」
僕一人で調べられることには限界がある。
だが、誰を頼ればいい。
答えが出ないまま、王都は深い夜を迎えた。
◇
同じ頃。
王都を囲む城壁へ、幾つもの影が迫っていた。
門は通らない。
音もなく壁を駆け上がり、見張りの死角へ降り立つ。
一人。
二人。
十人。
その後ろからも、影は続いていた。
先頭の女が、眠る王都を見渡す。
両手には、細身のカタール。
腰には、円形の投擲刃。
その首には、赤黒い紋様が浮かんでいた。
「命令を確認する」
感情のない声が、夜へ落ちる。
「対象は勇者」
暗殺者たちが、一斉に武器へ手をかけた。
「発見後、殺害せよ」
次の瞬間。
無数の影が、王都の夜へ散った。




