第十三話 勇者は、役立たずを買い集める
翌朝。
僕は王城を出て、王都の商店街へ向かった。
目的は、ダンジョン探索の準備だ。
王都近郊には、大小いくつものダンジョンがある。
前回も何度か潜った。
どこに、どんな魔物が出るのか。
どの階層に罠があるのか。
何を持ち込めば役に立つのか。
覚えていることは多い。
けれど、知識だけでは魔物を倒せない。
今の僕は位階十三。
身体は十一歳。
装備も、まだ十分とは言えなかった。
腰には、魔法の収納袋を下げている。
見た目は小さな革袋だが、中には荷車数台分の荷物を入れられる。
探索に必要な品を買い込んでも、持ち運びには困らない。
金についても心配はいらなかった。
昨日の謁見で、王は言った。
勇者として必要なものなら、王国の金でいくらでも揃えてよい、と。
僕は、その場で念を押した。
「必要だと僕が判断したものなら、金額は問わないということでしょうか」
王は笑って頷いた。
「構わぬ。勇者を育てるための費用を惜しむつもりはない」
その瞬間。
何人かが顔をしかめた。
大臣。
貴族。
軍の指揮官。
露骨に眉をひそめた者。
隣の人間へ視線を送った者。
何も言わず、手元の書類へ目を落とした者。
全員、覚えている。
その中でも、王の右後ろに立っていた痩せた男。
王が金を出すと宣言した直後、周囲の大臣たちは一度だけ、その男の反応を窺った。
財務卿。
王が許可を出しても、実際に帳簿を動かすのは彼なのだろう。
軍への物資。
神殿への援助。
宮廷魔術師の研究費。
国を動かすには、何をするにも金がいる。
まず見極めるべきは、あの男だ。
そこで、記憶の奥に引っかかるものがあった。
前回、財務卿は途中で王宮から姿を消している。
確か、不正が発覚して罷免された。
横領だったか。
軍需品の横流しだったか。
詳しいことまでは覚えていない。
当時の僕は、魔王軍との戦いで手いっぱいだった。
王都の政治にまで目を向ける余裕はなかった。
ただ、財務卿が消えたあと。
王国から届く支援は、目に見えて遅くなった。
届くはずの物資が届かない。
認められた予算が、いつまでも動かない。
誰に頼めば話が進むのかさえ、分からなくなった。
不正を働いた人間が消えたのなら、よくなるはずだ。
だが、実際には逆だった。
財務卿については、調べておいた方がいい。
本当に罪を犯すのか。
それとも、僕の知らない事情があったのか。
今はまだ、分からない。
今日は買い物をするだけだ。
◇
最初に入ったのは、冒険者向けの大型商店だった。
保存食。
水袋。
縄。
油。
火口箱。
傷薬。
解毒薬。
罠を見つけるための粉。
魔物の臭いを誤魔化す香料。
必要な品を順番に選び、収納袋へ入れていく。
店主は、王家の紋章が刻まれた支払い証を見ると、急に姿勢を正した。
「ほかに必要なものはございますか、勇者様」
「店内を見てから決めます」
「どうぞ、ごゆっくり」
棚を一つずつ確認する。
武器は必要ない。
鋼の剣と《空白の剣》がある。
防具も、今は動きを邪魔しないものがいい。
攻撃を正面から受け止めるのではなく、避けて懐へ入る。
そのために三年間、ゲオルグから教えられた。
店の隅に、小さな木箱がいくつも積まれていた。
中には、親指の先ほどの石が詰められている。
赤。
青。
緑。
黄。
それぞれ、かすかな光を帯びていた。
「これは?」
分かっていたが、店主へ尋ねる。
「属性石でございます」
店主が木箱の一つを持ち上げた。
「魔術師が、ごく少量の属性魔力を込めた使い捨ての石です。地面へ投げつければ、中の魔力が弾けます」
火なら、小さな炎。
水なら、水しぶき。
風なら、一瞬の突風。
土なら、砂や小石を巻き上げる。
魔物を倒せるほどの威力はない。
一般市民が魔物に襲われた際、目くらましに使って逃げるための道具だ。
剣や魔法を扱える冒険者なら、わざわざ持ち歩く必要はない。
「各属性、十個ずつください」
「十個ずつ、ですか?」
店主が聞き返した。
「在庫が足りませんか?」
「いえ。ございますが……」
店主は属性石と、僕の腰にある剣を見比べた。
「冒険者の方でも、持つとして一つか二つです。これだけ買われても、魔物を倒すほどの威力はありませんよ」
「分かっています」
僕は赤い石を一つ手に取った。
弱くても、属性魔力には違いない。
《空白の剣》へ込められる可能性がある。
前回の僕は、火も水も風も土も、すべて自分で覚えようとした。
どんな状況にも対応できるように。
誰かが倒れても、僕が代わりを務められるように。
その結果、どれも中途半端になった。
今回は違う。
僕に必要なのは、属性魔法を使う力ではない。
剣へ属性を宿すための燃料だけだ。
実際に使えるかは、ダンジョンで試せばいい。
「全部、収納袋へお願いします」
「かしこまりました」
店主はまだ不思議そうだったが、それ以上は何も言わなかった。
◇
必要な品を揃えたあと、僕は大通りを外れた。
人通りの少ない路地へ入る。
王都の表通りには、武器屋も魔導具店も薬屋も揃っている。
けれど、表では売れない品もある。
盗品。
禁制品。
呪具。
神殿が回収を命じた魔導具。
前回の僕は、そうした品を利用しなかった。
勇者が違法な店で買い物をするべきではない。
危険な道具へ頼るべきではない。
そう考えていた。
その結果、使えるものをいくつも失った。
魔王軍に奪われたあとで、初めて価値が判明した品もある。
今回は、同じ失敗をしない。
路地の奥。
古びた建物の地下へ降りる。
看板のない扉を、決められた順番で叩いた。
小さな覗き窓が開く。
「合言葉は」
「腐った林檎は、北の井戸へ」
覗き窓が閉じた。
いくつもの鍵が外され、扉が開く。
店の中は薄暗かった。
棚には、雑多な品が並んでいる。
染みの残った短剣。
針だらけの人形。
封印札を巻かれた黒い箱。
神殿の紋章を削り落とした杖。
何に使うのか分からない骨片。
どれも、まともな店なら扱えないものばかりだ。
店の奥では、片目を布で覆った老婆が椅子に座っていた。
「子どもが来る場所じゃないよ」
「買い物に来ました」
「金は?」
僕は金貨の入った袋をカウンターへ置いた。
王家の支払い証は使えない。
こんな場所で使えば、店ごと兵士に踏み込まれる。
これは、これまでに魔物を討伐して得た報奨金だ。
老婆は袋の中身を確かめると、僕を値踏みするように眺めた。
「好きに見な」
僕は棚を順番に見ていく。
前回、存在だけを耳にした品。
討伐した盗賊が使っていた道具。
魔王軍に奪われたあとで、効果が分かった魔導具。
記憶と照らし合わせながら探していく。
棚の下段。
埃をかぶった箱の中に、黒ずんだ金属製の腕輪があった。
飾り気はない。
留め具がついていて、片手でも素早く装着できそうだ。
あった。
これだ。
僕が腕輪を手に取ると、老婆の目が細くなった。
「坊や、お目が高いね。そいつは優れもんだよ」
「ほう」
「装備すれば、どんな毒、阻害、呪いでも、一日一度は防いでくれる」
老婆は腕輪を指でつまみ、僕へ見せつけるように揺らした。
「どれだけ強いものでも、一度なら弾いてくれる。命を救う逸品さ」
「それはすごいですね」
「その分、値は張るがね」
「へえ。おいくらですか?」
老婆の口元が、にんまりと歪んだ。
鴨がかかった。
そう思っている顔だった。
「それはね……」
老婆が金額を口にする。
高額だった。
普通の冒険者なら、何年も働かなければ用意できない。
老婆は笑顔を浮かべたまま、僕の反応を窺っている。
「どうだい? 命を守ってくれると思えば、安いもんだろう?」
「そうですね」
僕も笑顔を返した。
「ですが、それほどのアイテムが、埃をかぶるまで売れ残っているのには理由があるんでしょう?」
「うぐっ」
老婆の笑顔が固まった。
説明されたとおりの効果しかないなら、とっくに誰かが買っている。
何年も売れ残るはずがない。
「い、いや。それは、この店へ来る連中に見る目がないだけでね」
「そうですか」
僕は腕輪を棚へ戻し、店の奥へ目を向けた。
棚の隅に、奇妙な品が三つ並んでいる。
目も口も塞がれた、黒い仮面。
《盲夜の仮面》。
赤黒い液体が入った、太い針。
《狂王の針》。
骨のように白い、小さな呼び笛。
《死者の呼び笛》。
どれも強力な効果を持つ。
そして、普通に使えば代償や欠点の方が大きい。
だからこそ、長い間ここに残っている。
「僕も、この腕輪が売れ残る理由は察しがついています」
「だったら、どうするんだい」
「この仮面と、針と、呼び笛も買います」
老婆の片眉が上がった。
「その代わり、腕輪は半額にしてください」
「……本気かい?」
「もちろんです」
老婆は三つの品を順番に見た。
やがて、堪えきれないように笑い出す。
「それ全部買ってくれるなら、腕輪なんてくれてやってもいいくらいさ」
「いえ。半額でいいです」
「なんだい。ずいぶん律儀じゃないか」
「これからも、お世話になるつもりですから」
老婆の笑みが、わずかに消えた。
「その代わり、これからも情報が欲しいです」
「情報?」
「珍しい品が入った時。危険すぎて売れない品。使い道が分からず、長く残っている品」
僕は棚に並ぶ品々へ目を向ける。
「そういうものが入ったら、僕に教えてください」
老婆はしばらく僕を見つめた。
金を持った子どもを見る目ではない。
取引相手の腹を探る目だった。
「……坊や。あんた、いったい何者だい?」
「勇者です」
「そういう意味じゃないよ」
「では、これから知ってください」
老婆は目を細めた。
やがて、喉の奥で低く笑う。
「いいだろう。腕輪は半額だ」
「ありがとうございます」
「その代わり、連絡代は別に取るよ」
「構いません」
長く付き合う相手から、一度だけ得をする必要はない。
僕が欲しいのは、この店にある商品だけではなかった。
ここへ流れてくる品と、情報だ。
代金を支払い、腕輪と三つの魔導具を収納袋へ入れる。
老婆にとっては、長年の不良在庫を一度に処分できた。
僕にとっては、使い道を知っている切り札を安く手に入れた。
悪くない取引だった。
「またおいで」
店を出ようとした僕へ、老婆が声をかける。
「あんたが好きそうな役立たずなら、これから取っておいてやるよ」
「お願いします」
扉が閉じる。
地上へ続く階段を上りながら、僕は収納袋へ触れた。
属性石。
探索道具。
表では売れない魔導具。
役に立たない品などない。
役に立つ使い方を、誰も知らないだけだ。
準備は整った。
次は、実際に使えるか試す。
そのためにちょうどいいダンジョンを、僕は知っていた。
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【国家情報】
グランヴェル王国
王都:レグリア
大陸中央部に位置する、人間諸国の中でも有数の大国。
国王を頂点とし、騎士団、王国神殿、宮廷魔術師団によって国土を守っている。
王都レグリアには王城、大神殿、魔術塔が集まり、政治・信仰・魔法研究の中心地となっている。
勇者を保護・育成し、魔王討伐を支援する役目を担う国家でもある。
一方で、王宮内部には多くの派閥と複雑な権力関係が存在している。




