第5話 魔王、散歩配信で犬(地獄産)を躾ける
王が城下へ出るとなれば、本来は先触れが要る。露払いの兵、道筋の検め、沿道の警固。それを余は一人でやる。板を片手に、幻を纏って、である。威容に欠ける行幸だが、供を連れておらぬのだから仕方あるまい。
夕刻、余は初めて外に辻を立てた。
「よくぞ参った、諸君。本日は趣向を変え、余が自らこの城下を検分する。ついて参れ」
《来た》
《外配信ほんとにやった》
《魔王が散歩する時代か》
《角、外光の下でも普通に出てて草》
観客の数は始めから三百を数えた。昨夜の宣言を覚えていて、門前で待っておった者どもだ。良い臣である。
歩きながら、余は覗き穴を街へ向けた。
まず足を止めたのは、道端に立つ光る函であった。通りすがりの男が銭を呑ませると、函は腹の中で音を立て、冷えた飲み物を吐き出した。番人はどこにもおらぬ。
「見よ、諸君。この函、無人で商いをしておる。夜も店を閉めず——盗まれもせぬのか、これは。釣り銭まで違えぬときた。眠らぬ商人だ。余の城下の両替商どもに爪の垢を煎じて飲ませたい」
《眠らぬ商人は草》
《視点が完全に殿様なんよ》
通りの角では、藍の布を垂らした店から湯の匂いが流れてきた。湯屋であろう。民が一日の終いに湯へ通える街だ。どこかの家からは夕餉の魚を焼く匂いもする。……治まっておるな、この街は。
道行く者らは余を見て、見世物か、辻芸の類か、という顔で遠巻きに過ぎていく。騒がぬのが良い。城下の民は肝の据わった者に限る。
そうして川沿いの土手に出た。夕日が水面を赤く延ばして、風が良い。辻の締めにふさわしい眺めだと、覗き穴を川へ向けた——そのときだった。
悲鳴が上がった。
土手の下を、子供が一人、転げるように駆けてくる。その後ろを黒いものが追っていた。仔犬ほどの大きさ。だが余の目は誤魔化せぬ。焦げたように黒い毛並みに、燠火の色をした目。地獄犬の幼体である。数百年、部下の顔ぶれを見分けてきた目だ。犬種を違えるはずもない。
子供が転んだ。獣が跳んだ。
「——躾がなっとらん」
余は板を持ったまま、空いた手の指を一つ振った。下級の魔弾がひとすじ走り、跳んだ獣の眉間だけを撃ち抜く。詠唱など要らぬ。あの程度の的なら、目を瞑っても外さぬ。獣は声もなく黒い灰になって、夕風に散った。
子供はへたり込んだまま余を見上げ、わっと泣き出した。それから「ありがと」だか何だか、一言だけ残して走り去った。……礼か。うむ。達者でな。次からは日暮れの川辺で遊ぶでないぞ。
それにしても、地獄犬の幼体がなぜこの世界に。……はぐれの類であろう。
板の中では、書き込みが滝になっていた。
《は?》
《今の何》
《犬、消えたんだが》
《ARの犬でしょこれ。にしても動きが良すぎる》
《毛の質感が実写だった。合成であれは無理》
《影がちゃんと地面に落ちてた。どういう技術?》
《子役の演技うますぎだろ》
《どこからどこまで仕込みなの》
《MAOU…… sugoi……》
《海外ニキまで来てて草》
えーあーる。また耳慣れぬ符丁が増えた。ともあれ大意は取れた。諸君はあれを、よくできた見世物だと思っておる。……都合が良い。だが、褒めどころはそこではないのだがな。当てどころを見るが良い。
「騒ぐでない、諸君。躾のなっとらん仔犬を叱ったまでのこと。——本日の検分はここまでとする。大儀であった」
帰って幻を解き、板を置いて、余は遅い飯を済ませた。
夜半、板がまた鳴り始めた。この鳴り方には覚えがある。
果たして、例の触れ役どもであった。昼間の辻から犬のひと幕だけを抜いて、広場に掲げておる。題は【検証求む】散歩配信の犬、CGにしては完璧すぎる、とあった。検証とやらは勝手にするが良い。灰まで検分せねば答えは出ぬと思うが。
その下の書き込みは、もう読み切れる速さではなかった。
《トレンド入ってるぞ》
《まじだ、入ってる》
《生で見てた。あれ生であれだからな》
《次の散歩いつ》
《見逃したくないから登録した》
《犬の回、もう三回見てる》
とれんど。知らぬ符丁だ。何かに入ったらしい。入って良いものなのだろう、書きぶりからして。
それよりも、だ。余には調べ物の続きがある。貢物の口を開く申請だ。昨日読んだ説明の頁を辿り直し、申請の頁に行き着いた。筆頭の条件は……信徒千人、か。ならばまず数を検めねばなるまい。余は看板の数字を見た。
今朝がた数百だった寄進帳が、二千を越えていた。
……見間違いか。見直した。三千になっていた。
頁を繰っておるこの間にも、条件のほうが先に満ちていく。追うつもりでいた数字に、逆に追い越されておるのだ。こんな申請があるか。
余は残りの条件にも目を通し、求められた事どもを埋め、申請の印を押した。審査とやらに数日かかるらしい。……気の長い話だ。
印を押し終えて顔を上げると、寄進帳は一万に届いていた。
一万人の信徒。昨日、千人を迎えに出向くと大見得を切った王がここにおる。迎えに出たら、一万を連れて帰ってきた。……勘定が合わぬ。
夜更かしをしたわりに、体が妙に軽い。よく眠れそうだ。
灯りを落とし、床に就く。——と、土手の方角から遠吠えが届いた。ひとつではない。幾重にも重なって、夜気の底を低く這ってくる。昼間のあれと、同じ声だ。
あれは、仔犬だった。




