第30話 魔王、軍師に帳簿を渡す
卓が見えぬ。
ヴェザリウスが臣に戻って二日。紙をどければ出てくるはずだが、今はほとんど山である。六畳の部屋で、卓の上だけが紙に埋もれておる。この国の決まりごとの写し。銭の行き先を記した図。辻の決まりを書いた控え。その脇に、板と、帳場での単発の勤めの覚えと、持ち帰ったままの約定の書が並べてある。板の中には、辻で得た貢物が手つかずで残っておる。初日の晩、あやつが『死んでおりますな』と評した、あの銭である。
「面白うございますな、この国は」
紙をそろえながら、ヴェザリウスが言うた。
「決まりごとが、ようできた城郭になっております。高うて、隙がない。されど攻める城ではございませぬ。門の在り処さえ知れば、正面から通す造りかと」
「城壁を眺めて、まず門を数える男よ、貴様は」
「壁を登るのは兵の役目にございますゆえ」
……いまのは褒めたのか。あの顔を見るに、たぶん褒めたのであろう。
昼を過ぎて、ひよりが来た。新しい臣の顔合わせと、次の辻の相談である。戸口で靴を脱ぎ、卓の紙の山を見て、目を丸くした。
「え、なにこれ。……これ、二日で?」
「二日にございます」
「うわ」
うわ、と言うたきりしばらく山を眺め、それから余の袖の辺りで小さく言うた。
「魔王さん。わたしの解説係、クビになる感じ?」
「案ずるな。こやつは字は読めるが、辻を知らぬ」
「辻は、これより客将殿に学ぶところかと。――冥智将ヴェザリウスと申します。以後、お見知りおきを。客将殿の欄の捌きは、写しにて拝見いたしました。荒れる前に流れを変えておられる。得がたい目付にございます」
「もくつけ……。えっと、それ、褒めですよね? 褒めってことでいいやつ?」
「無論にございます」
「じゃ、わたしも言っとこ。二日でここまで調べる人、普通にやばいです。うちの事務所が欲しがるタイプだもん」
言い終えた二人は、もう卓の紙へ目を戻しておる。挨拶の続きを待っておったのは、余だけであったらしい。
茶を出したのは将であった。この二日で淹れ方を覚えたらしい。
「茶にございます! 某が淹れ申した!」
「淹れたことは分かり申した。その声で茶が冷めますぞ、貴公」
「むう」
ひよりが湯呑みを両手で包み、思い出したように言うた。
「てか、部下の人も魔法で人に見えてるんですよね。すご。魔王さん、ほんとに王様なんだ」
ヴェザリウスの目が、すっと余へ流れた。驚きは面に出さぬ。出さぬが、問うておる。余は頷いた。
「……客将殿は、事情をご存じでしたか。ならば、私から重ねて伺うことはございませぬ」
それで詮索は終いであった。こやつのこういうところは、楽でよい。
茶が回ったところで、ヴェザリウスが山から紙を三枚だけ抜き、卓の真ん中へ置いた。
「では、御前を借ります。陛下の銭の話にございます」
一枚目は、貢物の写しである。
「辻のたび、貢物は積まれております。されど受け取るには、この国の身分の証が要りまする。陛下には、それがございませぬ」
「知っておる。ゆえに触れずにおいたのだ」
「ご賢明かと。されど」
二枚目。帳場の勤めの覚えである。
「一度だけ、銭を受け取っておられます。帳場を通した勤めの分。あれは帳場が受け、陛下へ渡した銭にございます。つまり道は、すでに一度通っております。この道を太うするが上策と愚考いたします」
「太うする、とは」
三枚目、約定の書に手を置いて、あやつは言うた。
「あの帳場を、御用に召し抱えるのです」
「……待て。あれは向こうが余を抱えたいと寄越した書ぞ。余の何を買う気かと、そのまま持ち帰ったのだ」
「向きが逆にございます」
「逆」
「商人が王を抱えるのではございませぬ。王が、両替商を召し抱えるのです。銭の受け取りと勘定を、役目として授ける」
「つまり、事務所に雇われるんじゃなくて、こっちがお仕事を頼む側になるってことですか?」
「仰せのとおり。頼むのはこちらにございます」
「……余の素性を、書に載せる羽目にはならぬか」
「役目を与えるだけにございます。売るものは、ひとつもございませぬ」
向きが逆、か。そう聞いただけで、卓の上の同じ紙の面構えが違うて見えるから不思議である。思えば城におった頃も、銭は銭の役人が扱うた。王が両替の窓に並ぶ国など、どこにもなかったのだ。
「兵糧方でございますな! 軍に兵糧方は欠かせませぬ!」
「左様。貴公にしては、よき見立てかと」
将が胸をそらした。もう一度褒めさせようという顔である。
「あ、それならわたしも推せます。あの事務所、ほんとに堅いんで。前のお仕事のときも、細かいことまで先に全部、紙で出してくれたし。地味だけど、お金で変なことしないって界隈でも評判いいですよ」
「先方の、窓口に立たれる御仁の気性は」
「あー、担当さんのことですか。腰は低いけど、仕事は早い人です。あ、連絡入れるなら、たぶん昼前がいいかも」
「では、文はこちらで起こします。客将殿には文面の検分をお願いしたく」
「はいはい、任された」
……余を挟まず、話が進んでおる。余の銭の話ではなかったか、これは。
「よかろう」
咳払いをひとつして、余は言うた。
「帳簿と、帳場との談判は貴様に預ける。ただし、素性と辻の中身は出さぬぞ。約定を結ぶ前に、必ず余へ見せよ。そこまで貴様に預けた覚えはない」
「御意」
夕刻、短い辻を立てた。
ヴェザリウスは映らぬ。板には映らぬ斜め後ろに控え、欄と進行の初見学である。始まる前に、ひとつだけ言うた。
「欄の問いは、先に本日は三つまでと触れておかれるのがよろしいかと。終いが切りやすくなりますゆえ」
試したら、実際切りやすかった。憎らしい男である。
欄は今宵も通常の運びであった。
《今日は大きい人いないの?》
《大男待機》
《ソロ回もそれはそれで良い》
大きい男は台所で茶の稽古をしておる、とは言わなんだ。
ふと気付いた。欄のどこにも『見てるだけ』がおらぬ。当然である。当人はいま余の斜め後ろで、欄の流れを書き写しておるのだから。あの名にはさんざん悩まされたが、いざ消えてみると、妙に欄が広い。
辻を終うて板を伏せると、ヴェザリウスが書き付けをそろえ、膝を正した。
「陛下。三日、頂きとう存じます」
「三日? その間に、何をする気だ」
「文を出し、返事を待ち、談判の席を整えます。それだけにございます」
「……よかろう。任せる」
「では三日ください。陛下の銭、生かして御覧に入れます」




