第3話 魔王、観客一人の初配信で伝説になる
観客の数は「1」のまま動かぬ。
誰なのだ、そなたは。……いや、詮索は後だ。目の前に客がいる。ならば王のやることはひとつしかない。余は幻の背筋を伸ばした。
「よくぞ参った、諸君」
言ってから気づいた。一人に諸君はおかしい。おかしいが、口上とはそういうものだ。玉座の間では常に万の臣に届く声で話してきた。相手が一人だからと声を細めるのは、その一人に対する非礼であろう。
「余の名はヴァル。訳あって素性の多くは語れぬが——かつて一国を統べた者である」
嘘は言っておらぬ。一国どころではないというだけで。
「本日は記念すべき初の配信である。演目は……まだ決めておらぬ。よって余の治世の心得を聞かせてやろう。銭は取らぬ。心して聞くが良い」
演目を決めずに辻へ立つ芸人があるかと我ながら思う。だが黙っていては客が帰る。喋るのだ。
余は語った。王の朝は早いという話。訴えは重いものからではなく急ぐものから捌くという話。俸給を一日でも遅らせてはならぬ、忠義は日割りで目減りするという話。そのうち調子が出てきて、この街の道の清さと、店先の果実が誰にも盗まれぬことへの感嘆まで語った。話が治世から離れてきたが、感じ入ったものは仕方あるまい。
最初の書き込みはそのあたりで来た。
《何者?》
来たな。
「聞いていなかったのか。一国を統べた者だと名乗った。名を明かせぬ事情があることもだ。二度は言わぬ。……いや、これで二度目か」
《その姿CG? どうやって動かしてる》
しーじー。読める。読めるが知らぬ言葉だ。姿の作りを訊いているのだろう、おそらく。
「これは幻術である。光を編んで、余の本来の姿を象らせている。角の反りも瞳の紅も、寸分違わず本物の通りだ」
《設定が細かいな》
設定、ときたか。作り話の類と受け取られたらしい。……良い。そう受け取られるのが余の狙いである。狙いであるのに少し悔しいのはなぜだ。
《事務所は? 個人?》
「じむしょなるものは知らぬ。余は余一人の旗で立っている。強いて言えば個人の勢だ」
《ふーん。がんばれ》
うむ。励まされた。観客一人の辻芸で、王が客に励まされている。長い生涯で初めての図だが、不思議と悪い気はせぬ。
「して、そなたこそ何者だ。ずいぶん物の訊き方が手慣れているが」
《ただの通りすがり》
通りすがりが四半刻も腰を据えるか。……いや、居てくれるのはありがたいのだがな。
「まあ、名乗りたくなければ無理には訊かぬ。名を伏せる事情というなら、余も人のことは言えぬのでな」
それから余はまた語った。問われてもおらぬのに語った。治世の心得の締めくくり、余がもっとも譲れぬ話。民と臣の話である。
「良いか諸君。王が玉座で肥えていられるのは、畑を耕す者と、門に立って槍を持つ者がいるからだ。ゆえに王は最後に食い、最初に立つ」
《その王様、いつまで続けるの》
「続けるも何もない。余は王である。国を離れようと辻に立とうと、変わりはせぬ」
妙なことを訊く。それとも、この街では王がやめられるものなのか。……後で調べておくとしよう。話を戻すぞ。
「余の臣の話をしよう。良い臣であった。無茶な命にも策で応え、余が倒れればその身で盾になった。あれほどの臣を持っていたのだ、余は」
声が滲みそうになって、余は一度言葉を切った。おかしいな。ただの口上のはずだった。だが胸の奥が勝手に熱くなる。あやつらは今ごろどうしているのか。余の帰りを信じて、あの城で——やめよ。ここは辻の上だ。
「……であるからして。上に立つ者は片時も忘れてはならぬ。おのれの飯が、誰の汗で炊かれたかを。……いや、飯だけではないな。眠りも、命も、余がいまここに立っていることそのものが——」
指先が熱い。
そう気づいたときには遅かった。抑えていた魔力が滲み、幻の輪郭が湯気のように揺らぐ。画面の中——余の足元で、紅い光が輪を描いていく。
本物の、余の魔法陣である。
《え、今のどうやった》
切った。
考えるより先に手が動いて、配信を終える印を叩いていた。
部屋が静かになる。画面には消えた辻の跡だけが残っている。
……見られた。
昂ぶりひとつで幻の手綱を離し、素の魔力を晒したのだ。数百年の戦歴で敵に背を見せたことは一度もない。その余が、辻芸の初日にこれである。謁見の最中に王冠を取り落としたに等しい。いや、それより悪い。
あの「1」が何を見て、どう思ったか。確かめる気力も出ぬ。余は箱を閉じ、横になった。……今日はもう、よい。
板が鳴りやまぬ。
窓の外が白み始めたころから、枕元の板が震えるたびに白く光り、画面に報せの札が積み上がっていく。見ている間にも一枚増えた。また増えた。
何事だ。
跳ね起きて板を取る。報せの束をかき分けると、その奥に見覚えのある紅があった。
余の陣である。昨夜の、あの瞬間の。
誰かが昨夜の辻芸から終いのひと幕だけを短く抜き出して、広場に掲げていた。「切り抜き」と添えてある。見どころだけを切って抜くゆえ、切り抜き。ずいぶん身も蓋もない名の付けようだ。題まで付いていた。
【新人V】設定ガチ勢の魔王様、最後の演出の技術がおかしい
題の文字は半分も呑み込めぬ。だが数字は違う。再生の数、五十万。
五十万。
板を握ったまま、余はしばし動けなかった。
落ち着け。順に考えるのだ。昨夜の客は一人だった。最初から終いまで一人。それは余がこの目で確かめている。その一人しか観ていない辻芸の抜き書きが、いまここにある。ならば撒いたのはあの「1」をおいて他にあるまい。
思い当たる節ならある。城下にもいたのだ。辻から辻を巡り、見事な芸を探しては見どころを書き付けて撒いて歩く触れ役。瓦版の書き手ども。あの手合いは芸を嗅ぎ分ける鼻ひとつで食っている。……つまり余は昨夜、目利きの前で芸を打っていたわけだ。どうりで問いの筋が手練れじみておった。
切り抜きの下には書き込みがびっしりと連なっていた。
《この魔法陣、合成にしては影の落ち方が実写なんだよ》
《体の揺れと完全に同期してる。個人で組める技術じゃない》
《CGの会社どこ》
《トラッキング何使ってるの》
《最後まで魔王を崩さないのが偉い》
《設定に忠実すぎるだろ》
また、しーじーだ。とらっきんぐ。符丁は相変わらず余の頭を素通りしていく。だが言い分の芯は伝わってきた。誰一人、あれを本物と思っておらぬのだ。皆こぞって、見事な作り物だと褒めている。
……露見しておらぬ。
それどころではない。余はあれを失態と思い定めて、逃げるように床に就いたのだぞ。蓋を開ければ五十万の観客が余の威容に目を瞠っているという。ならばあれは失態ではない。余の威光が正しく伝わったのだ。そうとしか読みようがない。
看板の画面では「登録」の字の横の数字も数百に膨れていた。何の頭数かは分からぬ。分からぬが増えている。
再生の数字がまた動いた。五十万と三千。四千。読み上げるそばから増えていく。書き込みも止まらぬ。堰の切れた川である。一夜だ。一夜で五十万人が余を観た。観て、驚き、囃し立てた。
——それで、帽子の中は空である。
銭の一枚も入っておらぬ。どういうことだ、この世界は。




