第2話 魔王、仮面の吟遊詩人を知る
箱が余に口答えをしている。
「つながっていません」と画面に出ているのだ。読める。呪いのおかげで一字残らず読める。読めるのに、何ひとつ分からぬ。繋がるとは何だ。何と繋がらぬのだ。余は貴様と今まさに向かい合っているではないか。
ここに至るまでも長かった。朝からこの黒い箱を開いて眺め、撫で、開けと命じ、返事がないので蓋の縁やら底やらを探るうち、隅の小さな突起を押したら箱が唸り声を上げて画面が光った。あのときは思わず身構えたぞ。灯りの術も焚べた火もなしに板が光るのだ。警戒して何が悪い。
光ったあとは絵札の海だった。小さな絵札がずらりと並び、突起の横の平たい場所を指でなぞると画面の矢印が動く。ここまでは解いた。余は宮廷の古文書とて解読した男だ。絵札のひとつに「どうが」と記されているのも見つけた。勇んで押した。そして冒頭に戻る。つながっていません、である。
(外と、ということか)
どうやらこの箱、単体では完結しておらぬ。目に見えぬ道が外に通っていて、その道の先から「動画」は来るものらしい。道が塞がっているか、そもそも敷かれておらぬかだ。……見えぬ道の敷設なぞ、余の手に負えぬ。
分からぬ道具は道具屋に訊く。城でもそうしていた。魔導具が煙を吹くたび余が手ずから直していては、魔王の仕事にならぬ。幸い、この街で顔を知る商人がひとりだけいる。
昨日の買取店の男は、余の顔を見ると、ああ、という顔をした。
「昨日の。今日も売り物かい」
「今日は買いに来た。動画とやらを映したい。この箱を外に繋ぎたい」
余は抱えてきた黒い箱を台に置いた。男は蓋を開け、二、三箇所を検めて、ふむ、と言った。
「箱は生きてるね。道具は揃ってる。あとは外に出る口がないだけだ。……あんた、家に線は」
「線。ないと思う」
男はすぐには返事をせず、箱と余の顔とを見比べて、低く唸った。
「……だろうね」
それから男は問いを重ねた。名義はあるか。ない。証書の類は。ない。男はいちいち頷いた。昨日の身分証の一件を覚えている顔だった。
「なら、あんたはこれだね」
奥から出てきたのは掌ほどの板だった。男はその腹に小さな札を差し込み、しばらく板と箱を交互にいじって、両方を余の前に並べた。
「前払いの回線だよ。証書は要らない。板から箱に道は通しといた。仕組みを言うとね、この板がまず——いや、よそう。あんたに講釈しても始まらない。家で蓋を開けりゃそのまま使える。切れたら札を買い足しに来な。それだけだ」
「うむ。……それだけか」
「それだけ。締めて3万」
3万。家賃ひと月分の重さは昨日覚えた。安くはない。だが道を買うのだ。領地に街道を一本通す手間と思えば、涙が出るほど安い。
「良かろう」
「毎度。……そういや名前、聞いてなかったね」
「ヴァルだ」
「ヴァルさんね。昨日の、妙な石の兄さん。覚えとくよ」
話はそれで済んだ。良い商人である。売る物の説明はするが、客がそれで何をするかは訊かぬ。
帰って蓋を開けると、箱はもう口答えをしなかった。
「どうが」の先には広場があった。見渡す限り動画が並んでいる。歌う者、飯を作る者、ただ喋り続ける者。どれも一芸を看板に掲げて客を集めている。城下の祭りの大路を千倍にしたような場所だ。しかも祭りと違って、年中この賑わいであるらしい。
余は端から観た。手が止まらなかった、と言う方が正しい。そのうち、風変わりな一群に気づいた。
人ではない姿の者たちだ。絵から抜け出たような娘が歌い、獣の耳を生やした男が客の書き込みに答えている。作り物の姿だと一目で分かる。分かるのに、客は承知の上で銭を投げているのだ。
……待て。銭を投げる、とはどういう理屈だ。画面の中に銭は投げ込めまい。しばらく眺めて、ようやく飲み込めた。辻芸のあれだ。芸に足を止めた客が、楽士の帽子に銅貨を落としてやる。帽子が画面に変わっただけのことである。
説明書きを探した。ぶいちゅーばー、と呼ぶらしい。素顔は伏せるのだという。伏せて、誂えた姿を纏う。その姿のまま歌い喋る。……ほう。考えたものだ。
(……仮面の吟遊詩人か)
得心がいった。余の世界にもいた。素性を明かせぬ楽士が仮面をつけて城から城を渡り、歌ひとつで食っていく。姿を偽ることが罪ではなく、芸の作法として座に認められている稼業だ。それがこの世界では、仮面が絵になっただけのこと。あの楽士たちも、顔を晒せば終いの身の上だった。……なんだ、余と同じではないか。もっとも余の場合、晒して飛ぶのは首どころでは済まぬが。
調べはさらに進んだ。生でやる辻芸は「配信」と言うのだそうだ。辻芸にわざわざ名をつけるのか、この世界は。芸人ごとの看板は「チャンネル」と呼ぶ。これは分かる。一座の名で客を呼ぶ、あれであろう。
そして仮面——あばたー、と言うらしい——は絵の職人に誂えさせるもので、これが高い。値書きを見て指を折った。手持ちの26万では届かぬ。届いたところで丸裸になる。
(職人に払う金がないなら)
余は指先に魔力を灯した。
幻術で編めば良いのだ。
残り滓で足りる下級の幻で、光を編む。編む姿は決めてある。角を戴き、瞳に深紅を宿した、余の本来の威容。この世界では誰ひとり本物と信じぬ、いかにも作り物めいた姿。本物の姿を差し出して、作り物と信じさせるのだ。……ふむ。悪くない。存外に悪くない。
箱には小さな覗き穴がついていて、その穴に映るものが客のもとへ届くのだという。幻を穴の前に立たせ、画面を確かめた。映っている。角の反りまで映っている。生身の顔は映らぬ。上々である。
夜。
看板を掲げた。名を書けと画面が言うので「ヴァル」と入れた。真名を軽々しく明かさぬのは魔族の流儀である。それに真名で客を集めて、客に混じって余を狩る手合いまで紛れ込んだら目も当てられぬ。
やることは決めてある。まずは名乗り、それから歌のひとつも……いや、歌は追い追いで良い。とにかく始めることだ。玉座に就いた日とて似たようなものだった。段取りなど、座ってから覚えた。
「配信をはじめる」の印に指を置く。
誰も観ておらぬ。それで良い。空の広間で口上の稽古をすると思えば気も楽——
押した。
画面の隅に、観客の数が出ている。
「1」とあった。
……誰だ。




