第27話 魔王、獣がニュースになる
朝の見回りである。
河原の土手を下り、橋の下の古い漏れ口をあらためる。ここと、人里寄りの緑地の口と、裏山と。将の見回りに余も折々つき合う取り決めである。今朝は静かなものだ。裂け目のふちが薄く明滅しておるだけで、獣の気配は無い。
「異状なしであります。……とは申せ、静かな日のほうが珍しくなってまいりましたな」
「うむ。次に開くまでが、目に見えて短くなっておる」
来た当初は、幾日かに一度も湧けば多いほうであった。それが近ごろは、日をまたがずに何かしら出る。なぜ間が縮むのかは、さっぱり分からぬ。口を睨んだところで白状するわけでもなし、見回りの足を増やすほかあるまい。
帰りは商店街を抜けた。買い出しである。
「おや、大きいの。今日もご苦労さん」
乾物屋の店先から婆どのが声をかけてきた。ガルドバーンがぴしりと踵をそろえ、腰を折る。
「婆どの。先日の飴、大変ありがたく頂戴いたした」
「はいはい。今日はハッカのがあるよ。ほら、お連れさんの分も」
二粒出た。……余が連れか。まあ、体の大きさで言えばそういう見立てにもなろう。将は飴を両手で受け、うち一粒を、帰り道で恭しく余に献上した。ハッカというのは、口の中で風の吹く飴である。悪くない。
総菜屋の前では、日除けの布が風にばたばたと暴れておった。紐が緩んだらしい。親父が脚立を担いで難儀しておるところへ、ガルドバーンが進み出て、布の端を押さえ、紐を二度回して締めた。布はそれきり鳴りやんだ。
「兄さん、いい結びだねえ。それ、何ていう結びなんだい?」
「陣幕を張る折の結びであります。風に強く、解くときはひと引きで解け申す」
「へえ。今度うちのにも教えてよ」
将が総菜屋に陣幕の結びを伝授する日が来ようとはな。国許の古参どもが聞いたら腰を抜かすであろう。当の本人は大真面目である。
「それと陛下。あの赤い札の付いた品は、値が下がった印であります。魚は夕刻、さらに下がると、魚屋の女将より聞き込みました」
「ほう。ようそこまで調べたな」
「はっ。市場は戦場と心得ますゆえ」
心得んでもよいが、役には立つ。魚は夕刻に出直すこととした。
勘定の折、乾物屋の親父がひょいと顔を寄せてきた。
「そういやあんた、昨日の空のあれ、おたくの出し物なんだろ? うちのかみさん、屋根に上って見てたよ」
「……ほう。屋根の上とは、ずいぶん熱心に見たものだな」
肯定も否定もせずにおいたら、親父は「企業秘密ってやつね」と勝手に得心して、干し海老をひとつかみ余分に入れてくれた。詮索はそこで終いである。
昼、二度目の見回りに出た。土手を下りかけたあたりで、藪の奥の明滅が目に入った。
口が、開いておる。
裂け目のふちが波打ち、細長い影が続けざまに転がり出た。四匹。鼬である。ただし犬ほどもある鼬で、毛は煤けたように黒く、走った跡に焦げた匂いが残る。地獄鼬。犬や鴉と同郷の、足の速いやつだ。人を害する力は知れておるが、とにかく逃げる、散る、人前に出る。国許の物見が一番嫌った獣である。
土手の道の先に、小さな人影が二つ見えた。手をつないで、こちらへ歩いてくる。親子である。公園の帰りであろう。あの足取りなら、藪の前を通るまで、さほどの間は無い。
焼き払えば一瞬だが、藪ごと消し飛ぶ。真昼の河原でそれをやっては、獣どころの騒ぎではなくなる。
「ガルドバーン。見せ場は要らぬ。右の二匹からだ」
「御意」
将の姿が沈んだ、と見えた次には、右手の藪で黒い影が二つ、音もなく倒れておった。倒れた端から形がほどけ、黒い灰が下草に散る。
残る二匹が散った。一匹は川原の葦の中へ。もう一匹は土手を駆け上がる――道のほうへ。
まずい。
余は指先で小さく印を切った。目くらましの、下級も下級、宴の座興に使う程度の術である。陽炎に似た揺らぎを、土手の縁へ薄く張る。道側から見れば藪はただの藪、鼬の側から見れば行く手が霞む。それだけの薄い術だ。
鼬が揺らぎに鼻先を突っ込んで怯んだ。追いついたガルドバーンが首筋をひと打ちし、それで終いであった。葦の中の残りも、将が踏み込むと短い音がして、静かになった。
湧いたのは四つ。灰も四つ。帳尻は合うておる。
親子連れが、藪の前を通り過ぎていった。子が「なんか、こげくさーい」と言い、親が「たき火かなあ」と応じ、それきりであった。
親子に見られずには済んだ。焦げ臭さまでは、どうにもならなんだが。
ただ、川向こうの橋の上に、人が幾人か足を止めておるのが見えた。遠い。あの距離では、藪の中までは見えまい。犬の散歩の者が立ち話でもしておるのであろう。……このごろ、河原に人の目が増えた気はする。
「陛下、いかがなされました」
「いや。行くぞ」
夕刻、魚を買いに商店街へ戻った。将の聞き込みは正しく、店先には赤い札が増えており、女将は「毎度」と言って鯵をまけてくれた。
その帰り、板の類を商う店の先で、人だかりに行き合うた。店先に大きな板がいくつも並べてあり、どれも同じ絵を流しておる。触れ役の板の、大きいやつであろう。
『続いて、県内の話題です。市内で、正体不明の動物の目撃情報が相次いでいます』
正体不明の動物、と聞こえた。余は人垣の後ろから板を覗いた。
板には、ぶれた絵が出ておる。川原の土手である。走っておるものは、灰色の細長い影としか見えぬ。ただ、あの土手の形には覚えがあった。今日のものか、別の日のものかまでは、分からぬ。
『目撃した人は――「イタチみたいなんですけど、もっと大きくて。すごい速さで藪に入っていきました」』
『専門家は、映像からの判断は難しいとした上で、ハクビシンなどの野生動物を見間違えた可能性もあると話しています』
「熊かねえ」と、前に立つ親父が言うた。
「街なかに熊は出ないでしょう。あれじゃないの、ほら。例の配信の、空を光らせた人」
「ああ、あの人か。宣伝で何か放してんのかね」
「放しゃしないでしょうけどね」
半分は熊、半分は余の出し物、ということになっておるらしい。地獄鼬だと見抜いた者はひとりもおらぬ。そこまでは助かる。
だが、触れ書きにはなった。国であれば、辻々の高札に刷られたということである。触れ書きが出れば、河原を見に来る者が増える。では、その次は。上つ方が人を寄越す。……河原を探られるのは、まずい。
「ガルドバーン。明日から見回りを増やす。朝、昼、日暮れ前の三度だ。道順も変える。公園の側から先に回れ」
「承知いたしました。……それと陛下、次に口が開くまでの間も、前より短くなっております。昼日中に湧いたのは、本日が初めてでありました」
「うむ。次も昼とは限らぬ。刻限は日ごとにずらすぞ」
歩きながら、そのように取り決めた。
店の前を離れかけた背に、板の声が追ってきた。
『目撃情報は今週に入って増え続けており、市民からは、市や県、国による調査と対応を求める声が上がっているということです』
余は、足を止めた。




