第24話 魔王、臣の初陣で十万に届く
約束の夜。ガルドバーンは灰色の上下で六畳の隅に座り、目を閉じておった。膝は揃え、眉間には深い皺。これから米を食うだけなのだが、どう見ても出陣前である。
「そう固くなるな。敵は丼だぞ」
「はっ。されど初陣は初陣。備えに変わりはございませぬ」
昨夜に一膳、今朝も並に食わせたが、当人いわく腹は空けてあるという。あの図体だ、嘘ではあるまい。
卓には、今宵の段取りを書いた紙が一枚。ひよりの助けは、刻限になれば欄へ現れる手筈である。先だって倍買うた米も、今夜は残らず炊いた。炊きたてを丼へ盛れるだけ盛り、惣菜を脇へ並べれば、六畳がまるごと飯屋の匂いになった。
「段取りを言う。口上は余がやる。そなたは名乗り、あとは食え。それだけでよい」
「御意。……陛下、汁はどの間合いで頂戴すれば」
「好きに啜れ。そこまで余に訊くな」
刻限である。幻の余を板の前に立て、辻を開けた。
「諸君。今宵の辻は、余ひとりではない。客将を披露いたす」
《きたああ》
《大男さんか!?》
《告知見て仕事休んだ》
《ひよりん:本日はゲスト回です! 温かい拍手をどうぞ!》
まだ名も呼んでおらぬのに、欄はもう祭りである。大男が板の中に姿を見せ、床に両の拳をついて頭を下げた。
「某、ガルドバーンと申す。以後、お見知りおき願いたい」
《声でっか》
《駅前の人だ!》
《公園の人!》
《本物きた》
《名前つよそう》
《ひよりん:音量にお気をつけください(笑)》
本物、の意味は分かっておる。例の騒ぎの人、という意味だ。それでよい。
「本日この者が挑むのは、この丼の山である。ガルドバーン、始めよ」
「はっ。この白飯、兵糧に直せば一隊の三日分と勘定つかまつる。ありがたく頂戴いたす!」
《兵糧w》
《勘定すなw》
食い始めた。速い。だが乱れぬ。丼を抱え、箸が止まらず、それでいて一粒も飛ばさぬ。何杯目だったか、余は途中で数えるのをやめた。空いた丼だけが、卓の端で次々と重なっていく。
《消えていく》
《米が蒸発してる》
《見てて気持ちいいの何なんだ》
《いい食いっぷり》
「急がずともよいぞ、ガルドバーン」
「御懸念には及びませぬ。長丁場は行軍と心得ております。……時に陛下、この煮物、飯が進みますな」
《行軍w》
《急に食レポすな》
《武士なんよ》
欄が名を呼ぶたび、男の箸に力がこもる。声援に手を上げて応え、「かような声援、恩賞に勝りますな」などと真顔で言うので、欄はまた沸く。
《恩賞w》
《ひよりん:お給料は声援でいいんですか(笑)》
《大男さーん!》
その高ぶりが過ぎたか、ふと、男の額の生え際が揺れた。覆いが緩み、角の根が透けかけておる。余は給仕の体で次の丼を差し出し、その手の陰で、緩んだ結び目を二重に締め直した。
《ん? 今おでこに何かなかった?》
《角だ。特殊メイク仕込んでるな》
《駅前の被り物の小道具でしょ》
《芸が細かい》
小道具。うむ、そういうことでよい。……手間のかかる小道具ではあるがな。
《てか登録の伸びやばくない?》
《ほんとだ。いくぞいくぞ》
《いった!》
《100000!》
《10万おめでとう!!》
板の隅で、登録の数が十万になっておった。
かつて余は大見得を切ったのだ。信徒が千人も集まらば「直々に迎えに出向いてやろう」と。迎えに行くどころか、十万に迎えられておる。あの夜の余に教えてやりたいような、教えたら威厳が保てぬような。
そのとき、身の内に満ちておるものが、一息ぶんだけ外へこぼれかけた。……食い過ぎか。今宵は誰も彼も食い過ぎである。
当の臣は祝いの欄に目もくれず、まだ食うておる。
《ひよりん:登録10万人、ありがとうございます! 記念すべき日にガルドバーンさんの初配信が重なりました!》
《歴史の目撃者になった》
《仕事休んで正解だった》
やがて最後の丼が空いた。男は箸を置き、手を合わせ、床に頭が付くほど礼をした。
「馳走にあいなった! 残さず平らげ申した!」
《完食かっこいい》
《拍手》
《8888888》
「見ての通りの勝ち戦である。諸君、よう見届けた。本日の辻、これにて仕舞い」
《おつかれ!》
《神回だった》
《次も大男さん出して》
幕を引いた。六畳には空の丼の山と、湯気の名残と、床に伸びた大男が残った。倒れたのではない。満腹で仰向けになっておるだけである。
「陛下。初陣、いかがでございましたか」
「勝ち戦だ。欄を一度も飽きさせなんだ。見事である」
「ははっ。……時に陛下。欄の皆は、某がまた出ても、その、迷惑ではございませぬか」
「次も出せと騒いでおったわ。胸を張れ」
夜半、片づけを終えたころに板が鳴った。ひよりからの報せである。いわく、今日の客の入りは、これまでの余のどの辻よりも多かったとのこと。文の尻には、縦の棒が三本、力任せに立っておった。
余のどの辻よりも、である。当の臣は隣の間で、もう高鼾をかいておる。
腹は立たなんだ。むしろ、妙に鼻が高い。初陣でこれならば、育てばどれほどのものか。
……待て。
「……余の辻で、余の一番が破られておるのだが」




