第20話 魔王、ひよりの城で客将になる
この街に落ちて二十四日目の夕方、余は他人の城へ出向くことになった。
出がけに、隣の戸が開いた。
「陛下。御留守は、この某が預かり申す」
「留守と言うても六畳だぞ。守るほどの物はない」
「されど城は城。蟻の一匹も通しませぬ」
「蟻は通せ。蟻の道まで塞いでどうする」
手にはいつぞやの菓子舗で包ませた焼き菓子がある。城から城への遣いなら荷駄を十は仕立てるところだが、この街では紙の包みひとつでよいらしい。軽いものだ。歩いて四半刻、教えられた住まいは、余のアパートとよく似た二階建てであった。
呼び鈴を押すと、中でばたばたと音がして、戸が開いた。
「い、いらっしゃいませ……じゃない、いらっしゃい。どうぞ」
「うむ。……邪魔をする」
敷居ひとつまたぐのに、妙な間があった。考えてみれば、臣下の城でも商人の店でもない他人の城へ、客として上がるのは初めてである。包みを差し出すと、娘は両手で受け、菓子舗の名を見て「あっ、ここのおいしいやつ」と素に戻った。それで間が抜けた。助かる。
なるほど、六畳である。余の城と同じ広さだ。ただし窓際だけが違う。大きな板が二枚卓の上に立ち、銀の網を張った玉が腕木の先に吊られ、灯りの盤が三方から卓を狙っておる。六畳のうち、そこにだけ金がかかっておるのは余にも分かった。値は訊かぬことにした。
「あ、そうだ。先に言っときますね」
麦茶を置いて、娘は急に改まった声を出した。
「審査、通りました。収益化。なので今日から、投げてもらえたら受け取れます。……いや、投げろって話じゃなくてですね。仕組みの報告です、報告」
「うむ。開帳の許しが出たか」
「その言い方やめてください」
「つまり今宵から、そなたに貢物が届くのだな」
「来れば、ですけどね」
刻限が来て、娘の辻が開いた。余は卓の脇に幻を立てる。板のなかには白いひよこと余の威容が並び、生身は映らぬ。慣れたものである。
「こんばんはー、ひよこです。今日はゲストが来てます。うちに、来てます。……ヴァルさんです!」
「うむ。客将のヴァルゼルドである。本日の下知は、すべて城主に従う」
《来た》《ほんとに来た》《ひよこちゃんちにヴァル様!?》《映像どうなってんの》《二年組だけど今日の日を待ってた》
「映像すごいですよね。わたしも仕組みは知らないです」と娘はさらりと流した。「今日の企画はこれ! 『これ、なんでしょう』です。わたしが出す品物を、ヴァルさんに当ててもらいます」
第一問。差し出されたのは、指ほどの小さな挟み具であった。ばねが仕込んであり、存外に力が強い。
「ふむ。分かったぞ。罠だな。小さき獲物の指を挟む」
《罠で草》《指を挟まれる小さき獲物とは》
「洗濯ばさみです。干した服を留めるやつ」
「……衣を、挟む」
「罠じゃないです」
第二問は、銀の線を籠のように編んだ、柄の付いた道具である。
「錫杖……ではないな。先が籠になっておる。小鳥でも入れるのか」
《小鳥ww》《入れられなくはない》
「泡立て器です。卵をしゃかしゃかーってするんです」
「卵を打ち据えるのか。哀れな」
「打ち据えては、ない」
「ラスト、上級問題です。三秒だけ見せますよ。……はいっ」
銀色の何かが、掌の上で一度光って引っ込んだ。
「見たか」
「見た。銀の小さき顎だ。上面に細い傷が三筋、右の端のは浅い。腹に文字が刻んであった。読めぬ字だが形は覚えた。丸、縦の棒、山なりの線、点がふたつ」
娘が自分の掌を見て、それから板の余を見た。
「……合ってます。傷も、文字もそれで合ってます。え、三秒ですよ」
《は?》《3秒で傷の位置まで見える?》《目が人間のそれじゃない》《それはそれとして用途は》
「で、何に使う。罪人の書に噛み跡を付ける具か」
「ホチキスです。紙を綴じるだけです」
「見たものを覚えておっただけだが」
《それができないんだよ》
娘は、欄が騒がしくなると、すぐ次の品を出した。余がもう一言足そうとしたところへ、もう次が出ておるのだ。二年も続けておるとこうなるものらしい。余は出された品を見ておればよいので、ずいぶんと楽であった。
三問目の笑いがまだ流れておるとき、欄にひとつ、色のついた文字が浮かんだ。
《ひよこちゃんへ。二年目から見てます。おめでとう。これからも》
娘の声が、途中で一度だけ止まった。板の中の白ひよこは動かぬままである。一つ数えるほどの間、息を吸う音がして、声が戻った。
「……ありがとうございます。初めての読み上げなので、噛んだらすみません」
噛まなかった。名を読み、礼を言い、するりと次へつないだ。
《ひよこに初スパチャの日が来たか》《二年組、今日は祝いだな》《ヴァル様のとこから来たけど、この子の回し好きだわ》
余の帳場にも、貢物は積まれておる。積まれたまま、余の手には一枚も落ちぬ。それが今宵は、隣で真っ直ぐ届いた。先に受け取ったのは娘である。……もう一枚、来ぬか。余は欄を見て待った。
「今日はここまでです! ヴァルさん、ありがとうございました!」
「うむ。世話になった」
娘が締めて、辻は閉じた。
卓の板や灯りから伸びた線を巻く娘の手が、途中で止まった。
「……あー。今きました。配信中は平気だったのに、今」
「……泣くのか」
「泣かないです。たぶん。わたしの二年、無駄じゃなかったんだなあって思ったら、ちょっと」
麦茶を飲み干して、娘は顔を上げた。もう仕事の目であった。
「ヴァルさん、次の企画決めました。——ガルドバーンさん、出しましょう。大食い配信。絶対いけます。あの人、映ってるだけで面白いですもん」
良い、と言いかけて、口が止まった。余が頷けば済む話だと思うたのだ。だが、辻へ出るのはガルドバーンである。忠義で余の後ろに立つ男を、余の一存で見世物にするのか。……先に、本人へ訊くべきであろう。
「……いや。その話は、いったん預かる」
「お、即決じゃないんですね。珍しい」
「臣の身の振り方だ。座敷で余が頷いて済むものではない。本人に諮る」
「はい、お待ちしてます」娘は笑った。「いいお返事な気がしますけどね、わたしは」
アパートに戻ると、隣室の窓にまだ灯りが点いておった。いま声をかければ、あの男は起きておる。だが戸を叩くには、少し遅い。余はしばらくその灯りを眺めてから、自分の戸を開けた。




