第21話 魔王、空の獣を将に任せる
米は倍買うた。大きな袋がふたつである。片方は余が持つつもりでおったのだが、店を出たときにはもう、二つともガルドバーンの右肩に載っておった。
「陛下に荷を担がせては、某が国許の兵に顔向けできませぬ」
「国許の兵はここにおらぬぞ」
「某の胸の内におります」
こうなると聞かぬ。店先で米袋を引っ張り合うわけにもいかず、余が折れた。道行く民が振り返るのは、大男が米を担いでおるからというより、その担ぎ方が人足のそれではなく凱旋のそれだからであろう。
店の中でも一働きしておった。焼いた腸詰の切れ端を楊枝に刺して配る台があったのだ。ガルドバーンはあれを陣中見舞いと解し、毒見と称して立て続けに三本食い、「安全であります」と配り手の女に胸を張った。女は笑うておったから、良しとする。
帰り道は公園の際を抜ける。昼である。親子連れがおり、犬を連れた年寄りがおり、のどかなものだ——と思うたところで、悲鳴が上がった。
犬が吠えておる。見れば黒い影が、梢すれすれを何度も回っておった。鳥かと思うたが、翼の裏に焼けた鉄の色が見えた。
……あれは地獄鴉ではないか。それも、まだ若い。巣立ちのころの若鳥は、光り物と動く小さな物を狙う。国許では毎年、兵の兜の飾りがいくつも持っていかれたものだ。人を正面から襲う力はまだない。ないが、あの爪と数は、鎧を着ぬ民には十分に危ない。
現に一羽が、板をかざした女の手元へ滑り込みかけておる。板は光るからな。あれらの目にはご馳走に見えるのだ。犬の引き綱の金具にも、二羽まとわりついておる。
なぜここに、は考えるまでもない。裏山の方角から流れてきた群れである。
余が撃てば早い。だが、昼日中にこれだけの板がこちらを向いておる中で力を出せば、幻の覆いに障る。前の二の舞は御免である。
どうしたものかと隣を見れば、余と違うて何ひとつ封じられておらぬ将が、米を二袋担いで立っておる。
……おるではないか。ちょうどよい男が。
「ガルドバーン」
「はっ」
「十二羽だ。飛びながら物を掴む若鳥である」
「生け捕りになさいますか」
「要らぬ。嬉しそうな顔をするな。落とせ。米は下ろすな」
「御意!」
声が弾んでおった。米袋二つを右肩に寄せ、左手ひとつで男は駆けた。
「親子の頭上が先だ。——右。低く来るぞ」
右から来た一羽へ、男の左手が伸びた。跳ぶのかと思うたが、跳ばぬ。立ったまま掴みおった。
「上だ。二羽来るぞ」
今度は跳んだ。それでも、右肩の米袋は少しも揺れぬ。どうなっておるのだ。掴んでは落とし、払っては落とす。打たれた鳥は黒い灰になった。昼の光の下では、灰は影ほどにも薄い。地に届く前に消えてなくなる。
残りは高みへ逃げ、輪を小さくして回り始めた。ああして粘るのが若鳥の悪い癖である。余は指先に光の玉をひとつ灯し、群れの輪の先へ、ぽいと投げてやった。光り物だ。釣られて群れが束になる。
「落とせ」
ガルドバーンの左腕が一度振られ、固まっておった若鳥がいっぺんに落ちおった。見事なのだが、米袋までまるで揺れぬせいで、どうにも戦に見えぬ。
笑う男の額に、何かが浮いて見えた。何だと思うて目を凝らし——角だ。高ぶりすぎて、覆いの織りが薄くなっておるではないか。余は親子を下がらせながら男とすれ違い、指先でそこを一撫でして直した。誰も気付かぬ。皆、鳥と大男を見ておるからな。
静かになった空を仰ぐ。もう羽音はない。
「ガルドバーン。残りは」
「風の匂いに、鳥はもうおりませぬ」
余も十二と数えたが、飛び回るものを数えたのである。念のためもう一度空を探し、それからガルドバーンの鼻を信じることにした。
そこでようやく、周りの声が耳に入ってきた。
「今の撮った? 撮った撮った」
「スタントでしょ、すごかった」
「例の配信の人だよ、ほら、魔王の。大男の人もこないだ出てた」
「アクション企画かあ。米持ったままなのは笑う」
板がいくつも、こちらへ向いておる。板に収められたあれも、どうせまた方々を巡るのであろう。巡るたびに余の芸は上手くなるらしい。芸ではないのだがな。
ひよりの言うておった、この男を辻へ出す話を、ふと思い出した。まだ本人には告げておらぬ。辻へ出たこの男が面白いのは確かだ。……答えを急ぐ話でもない。今は戦の後だ。
「ガルドバーン。米を担がせたまま討たせた。余の落ち度である」
「何の。荷を守っての戦こそ本懐であります」
「詫びだ。今夜は好きに食え。米は倍ある」
「では、二袋とも」
「全部とは言うておらぬ。加減せよ」
男の顔が、戦の最中よりも明るくなった。……そこまでか。米がそこまで嬉しいのか。
公園を出ようとしたところで、その男の足が止まった。
鼻が、ひくりと動く。顔から、戦のあとの緩みが消えておった。
「陛下。……もう一つ、あります」
「もう一つ? 待て、何がある」
「漏れる口が。陛下の御力と同じ匂いを出しております。——裏山ではありませぬ。あちらです」
太い指の差す先には、家々の屋根が連なっておった。思うたより、人里に近い。
「……検分は日を改める。そなたと二人でだ」
「はっ」
そう決めて歩き出したものの、ガルドバーンの示した先がどうにも気になり、余は二度も振り返った。




