第19話 魔王、大飯食らいの臣を抱える
地鳴りで目が覚めた。
違う。寝息である。六畳の床の半分を占めて、ガルドバーンが寝ておる。貸した布団から膝より下がまるごとはみ出し、足の裏が戸に届きかけておる。この街に落ちて二十三日目。朝から臣下の鼾を聞くことになろうとは。いや、聞くというより、腹に響いておる。
人の気配のある朝というのは、久しいものだ。……久しいというか、鼾で窓が鳴っておるのだが。
飯を炊いた。三合である。余一人なら二日は食える量だ。
「陛下、朝餉でありますか。良い匂いがいたす」
起きてきたと思えば、椀を四度差し出され、釜が空になった。待て。三合あったのだぞ。先日ひと月分のつもりで購うた米の袋も、見ればもう半分を切っておる。この男、体格のとおりに食う。いや、体格より食う。
「面目次第もござらぬ。……釜を空にしてから申すことではありませぬが、某、食わねば力の出ぬ質でありまして」
「見れば分かる。詫びるな。臣を迎えて飯を出さぬわけにもいくまい。……ただし次からは、炊く前にどれほど食うか申せ」
「御意。……されば陛下、せめて某に夜警をお命じくだされ。この街の夜回り、某が引き受け申す」
「この街は夜も灯りで明るい。そもそも攻めて来る者がおらぬ」
「では朝夕の調練のお相手を。陛下の腕が鈍りませぬよう」
「六畳で立ち合う気か。城のほうが先に落ちるわ」
夜警も調練も、申し出としては臣らしい。だが、なぜ六畳で矛を振る話になるのだ。こやつ、この街に慣れるまでに、壁を何枚壊す気であろうな。
昼前、板が鳴った。ひよりの声である。
「ヴァルさーん、聞こえます? 報告でーす。いやもう、すごいことになってますよ」
開口一番から早い。駅前の切り抜きが、まだ方々を巡っておるらしい。寄進帳の信徒は十万まであと少し——と、そこまでを一息で言われた。十万。あと少しとは、どれほどだ。
「欄もすごいんですよ、読みますね。《あの大男の中の人情報まだ?》《新キャラ告知はよ》《透明の板どうやって立てたんだよ》——って、大男さんの話ばっかりです。あ、それと、最前列で壁に触っちゃった人たちいたじゃないですか。あの人たち『触ったらほんとに硬かった、仕切りまで仕込んでるの本気すぎる』って逆に感心してて。ぜんぶ大型企画ってことで通ってます。誰も疑ってません」
「十万」
復唱したのは余ではない。床が鳴った。見れば、ガルドバーンが板に向かって平伏しておる。
「十万! 十万の勢が旗下に集うたと! 陛下、して陣立てはいかに! 先手は誰が務め申すか!」
「兵ではない。見物の客だ」
「客が、十万」
「そうだ」
「……城攻めより難しきことをしておられる」
板の向こうで、ひよりが噴き出した。
「あはは、聞こえてますよー。大男さん、欄じゃ大人気ですからね。次いつ出るんだって毎日聞かれてます。……あ、そうだ。質問リストの続き、今日は一個だけ。ヴァルさんのお城って、どれくらい大きかったんですか。王様のお城」
「歩いて回るのに半日かかった」
「半日。……それが今、六畳」
「六畳である」
「だめだ、笑っちゃいけないやつだこれ」
もう笑っておるではないか。娘は、十万に届いたら祝いをしましょうと言い残して切れた。余は板を卓へ戻した。十万と聞いたところで、騒ぐことはあるまい。……いや、騒がぬのではないな。何をして騒げばよいのか、分からぬのだ。騒ぐ役なら間に合うておる。隣で、まだ床が鳴っておるわ。
昼下がり、ガルドバーンを連れて大家のトキ殿を訪ねた。臣をいつまでも床へ転がしておくのは主の名折れである。部屋を借りるのだ。
トキ殿は廊下の端で、植木に水をやっておった。
「トキ殿。空き部屋はあるか。この者を住まわせたい」
トキ殿はじょうろを傾けたまま、ガルドバーンを眺めた。見上げるのに、首がずいぶん動いた。
「……またわけありかい」
「わけならある」
「聞いてないよ」と水やりに戻る。「あんたの隣が空いてる。月三万。払えるのかい」
「今は払える」
「今は、ねえ。……まあ、前払いなら保証人はいらないよ」
ふた月分、六万を先に納めた。納めると、手元の銭が目に見えて減った。分かってはいたのだ。臣をいつまでも借り布団に寝かせてはおけぬ。……しかし、六万か。米も要るのだぞ、これから。
部屋移りは、布団を小脇に抱えて廊下を三歩。頭を下げて隣の戸をくぐり、それで終わった。よいのか、それで。国替えなら、荷車の列だけで日が暮れるぞ。
「おお、陛下! 良き普請の城でありますな! 柱の細いのが気になり申すゆえ、某がのちほど締め——いや、触るなとの仰せでしたな」
「分かっておるなら手を下ろせ。今すぐだ」
そこへトキ殿が、紙を何枚か綴じたものを持って来て、大男に差し出した。
「新入りさん。回覧板。読んだら隣に回すんだよ」
「かいらんばん……軍令でありますか」
「ごみの日が書いてあるよ」
「重き役目、承った」
両手で捧げ持つな。ごみの日だぞ、それは。
夜になった。六畳がもとの広さに戻って、静かなものである。静かすぎるか、と思いかけたところで、壁がこつこつと二度鳴った。
「陛下。おやすみなさいませ。御用の際は壁を三度お叩きくだされ。三つ数える間に参ります」
「うむ。……叩いても、壁は壊すなよ」
くぐもった笑いのあと、床の軋む音がして、ほどなく鼾まで始まった。早いわ。壁一枚向こうに、臣が一人寝ておる。所帯が増えるとは、こういうことか。明日は米を、倍買わねばならぬ。




