第18話 魔王、一番高いパフェを奢る
長い静けさの後、ひよりの口から出たのは、震えでも悲鳴でもなかった。
「……録画、してないです。壁が出たところで、自分で切りました。あと、あの角をこの距離で生で見たの、たぶんわたしだけです。みんな後ろからスマホ越しだったので、画質的に、作り物にしか見えてないはずで」
第一声がそれか。声の端はまだ揺れておる。揺れておるのに、口は数と段取りを並べておる。喋りながら己を立て直す型の娘なのだ。国許にもおった。軍議で青い顔のまま、兵糧の帳面だけは間違えぬ官吏が。
「ヴァルさん。聞かせてください。全部は無理でも、聞ける分だけ」
連れて行くのではない。自分の足で来るのである。なら立ち話で済む話ではない。……その前に人目だ。軍装の大男は、この街では目立ちすぎる。余はガルドバーンの覆いの織りを指先で直してやった。角を沈め、体格を並に見せる薄物である。二度見されねば足りる。
「陛下御自らのお手直しとは。某、果報者であります」
「声を落とせ。せっかくの織りが声で破れるわ」
城に着いた。六畳一間である。
ひよりは戸口でしばし固まり、それから早口が来た。
「え、待って。ここ? ヴァルさんの家、ここですか? いや狭いとかじゃなくて……いや狭いんですけど、あの再生数の人が、風呂なし……?」
「雨は漏らぬ。夜は灯が点く。城とはそれで足りる」
ガルドバーンは鴨居に額を打ち、入っただけで床の三分が埋まった。大男は壁の灯りの紐を見つけ、点けては消し、また点けた。
「陛下。この灯、油も番兵も要らぬのでありますか。夜襲に強うございますな」
「水も出るぞ」
「なんと」ひねって出た水に、大男は唸った。「井戸番が要らぬ。水汲みの列も要らぬ。この街、兵站では落とせませぬぞ」
「落とすでない」
板間に三人で座ると、ひよりが背筋を伸ばした。聞く構えである。余はガルドバーンを顎で促した。
「はっ。……陛下の消えたあの大戦の後、国許の空に、裂け目が開き申した。皆が忌んで近寄らぬ中、某は一人、縁まで馬を寄せ申した。誰にも告げず。告げれば止められると、分かっており申したゆえ」
太い喉が、そこで一度鳴った。
「奥から風が吹いており申した。その風に、嗅ぎ覚えがござった。陛下の御力の匂いだと、頭で確かめる前に体が震え、気づけば手綱を捨てており申した。飛ぶ前に一度だけ国許の空を振り返って、あとは、落ちるだけで。長うございました。上も下もない暗がりを、ただ。気がつけばこの街の空の下で。しかも」太い眉が寄った。「国許では、陛下が消えてより、ずいぶんな年月が経っており申した。某の飛び込んだ日から数えても、勘定の合わぬ長さで」
余を運んだ穴と、同じ筋のものか。思いはしたが、確かめる手立てのない話である。それ以上を辿る前に、ひよりが身を乗り出した。
「あの光の壁。種も仕掛けも、ないんですよね。ないっていうか……あれが、その、魔法」
「見たままである」格好のつく言い方を探したが、出なんだ。「そなたに見せたのは、余の術の、ごく浅いところだ」
「浅い」ひよりは繰り返し、しばし黙り、言い直した。「浅いんだ、あれで。……次。ヴァルさんは、王様だったんですか。別の、世界の」
「王であった」
「帰れるんですか」
「道は当面ない」
「帰る気は」
少しだけ間が空いた。
「ない。辻に立つ日々が、こちらにはある」
王は嘘をつかぬ。問われた分だけ、そのまま答えた。
ひよりは膝の上で指を組んだり解いたりしていたが、やがて両手を挙げた。
「すみません、今日はここまでにしてください。頭が追いつかない。続きは質問リスト作ってきます。項目立てて」
問いを帳面にする娘である。
「あと、先に言っときますけど、言いふらしたりしません。というか、言っても誰も信じないですよね、これ。証拠もないし。それに」娘は余と大男を順に見た。「これを敵に回すの、怖すぎるので。組みます、わたし」
それから、ふっと声が低くなった。
「……ヴァルさん、これ全部、ずっと一人でやってたんですね」
すぐには声が出なんだ。何と受けたものか、喉の手前で言葉が止まった。そこへガルドバーンが足を組み直し、床板が軋んで、灯りの紐が大きく揺れた。
「今日からは違う。臣が一人、空から転がり込んできたのでな」
「通訳、続けます」声が戻った。「今度は、全部知ってる通訳です」
そういえば、引き合わせがまだであった。
「ガルドバーン。この娘は小森ひより。余の友である」
口に出したのは初めてであったが、存外、するりと出た。固まったのはひよりのほうである。ガルドバーンは床が鳴るほど頭を下げた。
「陛下が友と仰せの御方! 某、生涯の礼をもって遇し申す! 姫とお呼びしてよろしいか!」
「よくないです! 姫って何! ただの中堅Vです!」
見れば、この大男が横になるには、余の寝床を壁際まで寄せてなお足りるかどうかという広さである。是非もない、今夜からここに寝かせる。部屋の算段は、後日トキ殿にでも訊けばよかろう。
夕暮れて、空気を変えたのはひよりであった。
「……あの。約束、覚えてます? パフェ。一番高いやつ」
覚えておる。忘れるものか。
案内された店の席で、娘は品書きを余に突きつけた。
「約束なので、ほんとに一番高いの頼みますからね。いいんですね?」
「無論である。今日の勘定は、余が初めて稼いだ銭で持つと決めてあった」
やがて余は、ぱふぇなるものと対面した。硝子の塔である。果実と雪と焦がし飴を層に積み、頂に旗まで立っておる。これは兵糧ではない。城の落成祝いに出す菓子だ。
ガルドバーンは塔を三基頼み、二基目を平らげながら断じた。
「この冷たき甘味、行軍明けの兵に配れば士気が三日持ち申す。陛下、もう一基よろしいか」
「……この人、大食い配信いけますよ、絶対」ひよりの目が細くなり、鞄の板へ手が伸びかけて、戻った。また何か商いの算段をしておるな、この娘は。
娘は板を出し、駅前の後始末も報せてくれた。切り抜きが方々に回り、光の壁も跪く大男も、残らず「大型企画」「プロジェクションすごい」で通っておるという。
「みんなすごいなあ……わたしも昨日までこっち側だったんですけど」板を伏せて、少し遠い目をする。「知ってて見ると、クラッとしますね、これ」
「最近多いよねー、変なの見たって話。裏山の光る影がどうとか」
店の奥の客の声である。余は乗らぬ。匙を動かすほうが先である。
卓が狭い。頭が増え、塔まで並べば、そうもなろう。悪い狭さではなかった。
「それで、ですね」ひよりが鞄から紙の束を出し、卓の空きへ押し込んだ。「第二回コラボ、三つに絞ってきました。次はわたしの城ですからね、約束どおり」
「会盟でありますか」ガルドバーンが匙を握ったまま覗き込む。「ならば手土産と警固の段取りを」
「警固はいらないです! うちも六畳なの!」
「姫の城も堅いのでありますな」
「姫はやめてって言いましたよね!?」
紙の上で頭がぶつかり合うておる。余は匙を置き、一番上の一枚を引き寄せた。
「騒ぐな、二人とも。……まず一つ目から聞こう」




