第14話 魔王、初めて現代の銭を受け取る
約定の書は、朝飯のあいだじゅう卓の端で余を待っておった。米を研ぐ前に一度めくり、汁が煮える間にもう一度めくったが、書いてあることは昨日と変わらぬ。変わらぬのに答えの出ぬのだから、これは書の側ではなく余の側の問題である。余の何を買う気か。その一点だけが、まだ呑めぬ。
呑めぬものを無理に呑む要はない。約束どおり、判を押す前にひよりへ写しを送った。じきにつなぎの声が来た。
「読みました。条件は変じゃないと思います。……あ、でもヴァルさん、これ知ってました? 所属の契約と、単発の案件のお仕事って、別口なんですよ。単発は一件ごとの引き受けだから、はんこ押さなくても仕事だけ受けられます」
「なに。別口なのか」
「別口です。あ、それとコラボの企画書、三つまで絞りました! もうちょっと待っててください!」
ならば話は早い。お抱えは受けぬ。受けぬが、口入れ屋の口利きで一仕事だけ請けるのは、王の商いとして筋が通る。城下の商いを御用商人に任せるのと同じ理屈である。
所属は決めぬ、一件かぎりの仕事があれば回されたい——そう短く返すと、返事は当日のうちに来た。持ち上げもせず、惜しみもせず、「承知しました。ちょうどご相談したい件がございます」とだけある。あの帳場の男は、文でも同じ顔をしておるらしい。
件の中身はこうだ。街の菓子舗が新しい焼き菓子を売り出す。それを余の辻で披露してほしい。礼は現金と、品の現物。文の末尾に作法が一つ添えてあった。「宣伝であることを配信内で必ず明示してください」。当然である。御用の品を披露するに出所を隠す商人など、余なら城下から叩き出しておる。むしろ隠せと言われたら、断っておったところだ。
翌日、荷が届いた。丸い焼き菓子が十二。二枚の皮の間に、豆の甘煮が挟んである。味見の分がひとつ別に添えてあり、先に食うてよいとあったので食うた。……うまい。これは仕事がしやすい。
夜、辻を立てた。画面の隅には言われたとおりの札を出してある。
【プロモーションを含みます】
「諸君に告げる。今宵の辻は商いである。城下の菓子舗より、余の名において品を披露せよとの願い出があった。銭ももらう。隠さず言うておく」
《正直すぎて草》
《案件きたー!》
《魔王に案件出す企業、見る目ありすぎるだろ》
《ちゃんとPR表記あって偉い》
「では、納めの口上である。品はこれ。丸き焼き菓子、十二。皮は狐の色、焼きにむらがない。十二あって一つも焦げがないのは、窯の前を離れなんだ者がおるということだ」
一つ割って、断面を画面に寄せる。
「豆の甘煮が端まで詰めてある。真ん中だけ厚うして端を薄うする手抜きを、この舗はしておらぬ」
《口上が納品検査なんよ》
《商品紹介というより検地で草》
《考察勢だけど、中の人は老舗の若旦那だと思う。口上が本職すぎ》
《それだ》
《それじゃないんだよなあ》
食う。うまい。うまいものを食うた顔は取り繕えぬし、取り繕う気もない。
「良き品である。余は世辞を言わぬ。まずければまずいと言うて銭を返す腹であったが、その要はなかった。この甘煮を炊いた者、豆を選んだ者、皆に恩賞を取らせたいところだが、余の懐からは出せぬ。ゆえに諸君、買うて食え。それが恩賞の代わりだ」
《買うて食えは草》
《宣伝の締めが一番雑ですき》
《もう注文した》
《俺も》
「うむ、早いな。良き心がけである。菓子舗に代わり、余が礼を言うておく。……手元にはあと十一残っておるが、これは余の取り分ゆえ譲らぬ。本日の商い、これにて納めである。諸君、良き夜を」
その翌日、座元の帳場へ出向いた。例の男が出てきて、頭を下げ、白い封筒を両手で差し出した。
「今回のお支払いです。弊社の手数料を差し引いた額になります。こちらに受け取りのサインを」
りょうしゅう、と言うらしい。受け取った証の書き付けである。割符の類と見た。名を書き、封筒を受け取る。
思うたより、薄い。薄いのに、指で挟むと札が幾枚か、腰のある紙の手応えで揃うておるのが分かる。この地へ落ちた日に銭へ替えたのは、余が身に着けておった品々であった。あれは過去を削って銭にしたものだ。では、これは何なのか。同じ銭であろう。目方も大差あるまい。あるまいのに、どうにも同じ場所へ収まらぬ。うまく言えぬまま、封筒を持ち直し、もう一度持ち直した。懐へ入れると、衣の内で封の角があばらに当たる。歩くと当たる。手が幾度も、そこを確かめに行った。
引かれた分に思うところはない。場を整え、間を走ったのは座元である。上前は働きの対価だ。国許の御用商人にも払うておった。ふと、画面の隅に積まれたままの貢物のことを思うた。あれは支度が済むまで受けぬと、余の名において約した銭だ。手で受けてよい銭は、今日のこれが初めてということになる。
男は最後まで持ち上げもせず、値切りもしなかった。余の何を買う気かは、まだ分からぬ。だがこの帳場の商いが真っ当であることだけは、一件やって分かった。
部屋に戻る前に、ひよりへつなぎの声を入れた。
「終わったぞ。受け取った」
「おおーっ! 初案件おつかれさまです! どうでした、初めてのギャラ!」
どう、と問われて、うまい言葉が出なんだ。仕方なく、そのまま言う。
「封筒が、思うたより薄い。薄いのに、重い」
「うわ、生々しい……。いいなあ。わたし、二年やって、こないだやっと収益化の審査に出せたところなんですよ。まだ一円ももらってません。先越されました、配信歴十五日の人に」
「十五日……余のことか」
「ヴァルさんのことです! わたしの二年、返してください!」
言葉は尖っておるが、声は笑うておる。銭の苦労をこうして言い合える臣は、国許にもそう多くはおらなんだ。
「余の国では、初陣の獲物は共に駆けた者へ分けたものだ。……いや、あれを初陣と呼んでよいのかは知らぬが、呼んでよいことにする。次に会うおり、この銭でそなたに何か食わせてやろう」
「えっ、いいんですか!? じゃあ遠慮なく、一番高いパフェで!」
「ぱふぇ、なるものは知らぬ。だが良かろう。余が初めて稼いだ銭の使い道は、そなたの言い値で決まりだ」




