芽生え
教室の入口に重い足音が響いた。Aランク担任、ガルド・ヴェストの登場だった。鍛え上げられた体躯に黒いローブ、顎の無精髭。その威圧感だけで、教室の喧騒はぴたりと止む。
「着席しろ、ガキども」
低い声で一言。長年教鞭を執ってきた男の凄みは伊達ではなかった。ガルドは腕を組み、鋭い眼光ですずらんを射抜く。
「……お前が今期の編入生か。光属性のAランク。前例がない。だからこそ言っておく」
ガルドは教室全体を見渡しながら続けた。
「この学園は実力がすべてだ。Aランクにいる限り、お前は常に狙われる側だ。覚悟があるなら、明日の魔法演習に出ろ。実戦でお前の価値を示せ。――以上だ」
すずらんは一瞬たじろいだが、すぐにシャキッとした顔で答えた。
「はい! こんな僕ですが一生懸命、全力で頑張ります!」
その後、自己紹介が始まった。一番手のレンは「レン・カガミ! 火属性! 真正面からのぶっ放しが得意だ!」と短く言い放つ。リュウは「リュウ・アステル。風属性。情報収集が趣味だよ」、カイは「カイ・アクア。水属性。戦術分析を担当する」と、それぞれ簡潔に済ませる。
最後列では、銀髪のカイルが立ち上がった。氷色の瞳が冷たく光る。
「……カイル。氷」
それだけ言って、口を閉じた。そして、すずらんの番が来る。
「僕の名前は、すずらんといいます! 光属性です! 趣味は部屋に引きこもってラノベを書くことです! いやぁ、昔から空想して物語を考えるのが大好きで!」
教室内がしんと静まり、それからクスクスと笑い声が広がる。しかしレンは「空想癖ってことは想像力バケモンだろ? 光魔法と相性よさそう!」と目を輝かせ、リュウも顎に指を当てて考え込んでいる。カイの氷色の瞳も、わずかにすずらんの方を向いていた。
ガルドが「面白い。明日の演習で、お前だけの『物語』を見せてみろ」と珍しく興味を示し、自己紹介が終わった。
自由時間になると、堰を切ったように生徒たちが動く。レンがすずらんの机にどんと腰を下ろした。
「ラノベってどんなの書いてんの? バトルもの? 恋愛もの?」
すずらんは嬉しそうにニコニコと答える。
「んとね、悪役令嬢モノ書いてる! 蔑まれている悪役令嬢が自分の力で這い上がる物語! ペンネームは、ヌタ!!」
そのとき、Bランクの腕章をつけた男子生徒、ヴァルクが冷笑と共に近づいてきた。
「光属性のお姫様が悪役令嬢の物語? ご自分の立場と重ねてらっしゃるのかしら」
取り巻きが笑う。だが、すずらんはキョトンとした顔で言った。
「僕の立場……? そんなことないよ! 僕はレンくんやリュウくんみたいに、最初から素敵な友達に恵まれてるからね。物語の主人公とは大違いだよ!」
そのあまりの天然さに、ヴァルクの嘲笑は完全に凍りついた。教室には盛大な笑い声が響く。
「ぶはっ――お前マジか! 嫌われてる系がどうとか、そういう話じゃねぇだろ!」
レンが笑い飛ばし、カイも「……嫌われている自覚がないなら、ある意味最強だな」と口元を緩める。ヴァルクは顔を真っ赤にして去っていった。レンはすずらんの肩を叩いて笑う。
「――友達、な。おう、もうなってるだろ」
「えへへぇ、友達! 嬉しいな!」
すずらんがレンの手を握ると、リュウもひらりと手のひらを差し出した。
「風属性の握手。くすぐったいでしょ?」
そのとき、一度出て行ったはずのカイルが戻ってきた。彼は無言で、温かいミルクティーが入った紙コップをすずらんの前に置いた。
「……喉、渇くだろ。自己紹介、長かった」
すずらんは、置かれたミルクティーを見てぱっと顔を輝かせた。
「ありがと!! 確か、君はカイリくんだよね? カイリくんも、もう僕のお友達だ!」
にっこりと微笑みながら、右手を差し出す。
その瞬間、立ち去ろうとしていたカイルの足が止まった。
振り返った彼の顔には、わずかな困惑が浮かんでいる。
「……カイリじゃない。カイルだ」
訂正しながらも、差し出された手から目を逸らせずにいた。
数秒の沈黙。
やがてカイルはゆっくりと手袋を外し、素手ですずらんの手を取る。
触れた瞬間、ひんやりとした冷気が指先を撫でた。氷属性特有の低い体温。それでも握る力は驚くほど優しかった。
「……勝手にしろ」
ぼそりと呟く。
拒絶の色はない。
手を離したカイルは、そのまま逃げるように自席へ戻っていった。
その耳がうっすら赤く染まっていることに、本人だけが気づいていない。
「うっわ、カイルが自分から握手した!」
レンが目を丸くする。
「初めて見たぞ、今の!」
「明日は雪でも降るんじゃない?」
リュウが肩をすくめる。
「氷属性だけに」
「……くだらない」
カイルが冷たく返す。
だが、その声にはいつもの鋭さがなかった。
「あっ!」
すずらんが声を上げる。
「カイリくんじゃなくて、カイルくんか! 僕、人の名前覚えるの苦手だからちゃんと覚えないと!」
そして何かに気づいたように目を輝かせた。
「そうだ! カイルくんとカイくんって、同じカイカイ同士だね!」
ぴくり、とカイの眉が動く。
読んでいた本から顔を上げ、珍しく呆れたような表情を浮かべた。
「カイカイ同士って……。俺はカイ・アクア。水のカイだ」
「そしてあいつは氷のカイル。同じカイが入っているのは偶然だ」
「ぶはははっ!」
レンが机を叩いて笑い出す。
「カイカイ! いいなそれ!」
「おーい、カイカイーズ!」
「黙れ」
即座に返ってきた二人の声がぴたりと重なった。
今度は教室中から笑いが起こる。
「あはは。でも確かにややこしいよね」
リュウが笑いながら身を乗り出した。
「ねぇ、すずらん君。僕の名前はちゃんと覚えてくれた?」
期待するような目で顔を覗き込む。
教室のあちこちから笑い声や失笑が漏れていた。
「あっ。そういえば、さっきカイルくんと握手した時、冷たくてひんやりしてて気持ちよかったなぁ」
何気ない一言だった。だが、教室の空気が一瞬だけ妙な方向に傾く。
「おいおい、『気持ちよかった』って……。それカイルに言ったら、絶対に固まるぞ」
ニヤリと口角を上げたカイが、呆れたように告げる。
「というか、もう固まってるかもね」
視線の先――カイルは自席で本を開いていたが、ページが一枚もめくれていない。微動だにしないその横顔。だが、首筋まで赤みが這い上がっているのは誰の目にも明らかだった。
「……お前、思ったことをそのまま口にするタイプか」
カイが小さくため息をつく。それは忠告のようでもあり、どこか微笑ましいものを見るような響きでもあった。
「なぁなぁ、じゃあ俺と握手したらどうなる? 火だからめっちゃ熱いぞ?」
そう言って、レンがぐいっと手を突き出してくる。すずらんは躊躇なく、両手でレンの手を包み込んだ。
「ほんとだぁ。温かくてきもちぃ。なんかこう、心までほかほかになる~」
フニャッとした柔らかな笑顔。それを見たレンは、握られた手を見下ろしたまま完全にフリーズしてしまった。耳どころか首まで真紅に染まっていく。
「——っ」
数秒後、レンはがばっと手を引っ込めた。
「お前っ、そういう顔すんの反則だろ!!」
「レンの顔、今リンゴより赤いよ」
すずらんが口元に手を当てて、くくくと肩を震わせる。
「うるせぇ! 暑いだけだ! 教室が暑いんだよ!」
レンはこめかみを押さえ、深く息を吐き出した。
「……この調子で明日、本当に演習に出るつもりか」
カイルはいつの間にか本を顔の前に掲げていた。もはや壁として使用している。その本の陰から、ちらりとすずらんを盗み見る氷の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「はいはい、次は僕の番ね!」
すかさずリュウが歩み寄り、すずらんの両手を取った。ふわりと風がまとわりつき、指の間をくすぐるように微風が通り抜けていく。
「どう? 僕の風は」
「リュウくんの手は、涼しくて気持ちいい! 心に風が吹く感じ! 爽やかで、どこか切なくて、優しい風!」
いつもの飄々としたリュウの笑みが、一瞬だけ崩れた。彼は目を見開き、それからゆっくりと唇を噛むように微笑む。
「……切なくて優しい、か。風にそんな感想をつけたの、君が初めてだよ」
そっと手を離し、前髪をかき上げる仕草で表情を隠す。けれど、その耳は誤魔化しようもなく赤く染まっていた。
「おい! リュウまでやられてんじゃねーか!」
「やられてないよ。……ちょっと風に当たってくる」
リュウはするりと席を立ち、窓際へ歩いていく。頬を撫でる風に目を細めながら、誰にも聞こえないような小声で呟いた。
「……ずるいなぁ、あの子」
こうして、たった半日でAランク最強の四人全員が、この小柄な光属性の少年に振り回されてしまった。
本人にその自覚は微塵もない。ニコニコと三人の手の感触を比べているその横顔は、ただただ無邪気そのもの。
すずらんという存在が持ち込んだ、場違いなほどの陽だまり。
それが、殺伐としたAランクの教室を少しずつ変え始めていた。
その様子を、廊下を通りかかったガルドが開け放たれた扉越しにちらりと見る。
そして小さく鼻を鳴らした。
「……変な奴だな」
誰にも聞こえない声を残し、ガルドは再び歩き出した。
明日は魔法演習。実戦の場が、すずらんを待っている。




