case.69「温度差デッドワイルド」
「その手を離せ」
「!…おい。アレは」
「どうでもいい。聞こえた?その手を、離せって、言ったんだよ」
感情を押し殺したような、いや、マグマのごとく煮えたぎり爆発寸前の熱さを秘めた声。
声とは裏腹にその表情は驚くほど穏やかだ。
「その子は、のどかちゃんは、お前みたいな化け物が玩具にしていいような存在じゃないんだよ」
子どもに言い聞かせるような、ゆっくりと言い聞かせるように。
その声が届いたのか、さわやかな青空広がる草原がどんどん薄暗く淀み枯れていく。あっという間に白い霧が立ち込めて周囲の状況がつかめなくなる。世界が作り替えられていく。
「さあ、はやく」
一歩。
踏み込んだ足は軽く、手は柔く開かれている。
「さあ」
なんだか違うな、とワタシは思った。
おかしい。
ヒトは大切なヒトを目の前で痛めつけられたら絶望するのではなかったか。致命的な喪失は心を挫くはずなのに。
「…」
ただじっとこちらを見ている。
そのまなざし、どうやらこのヒトは偽物と気づいている。
『ではこうする』
本物のヒトをワタシが抱えていることに気づかれている。なら、心より先に体を壊そう。
仕方ない。
仕方ない。
ずるずると這いずる音がする。
怪異の胎から古今東西のあらゆる怪異が生れ落ちる。獣、人形、原形を留めぬ成れの果てまで。
『嬲れ』
湧き出る怪異。襲い掛かってくる脅威に、流石に相手をしなければならないと舌打ちをひとつ零して切り替える。
「あーもう。面倒だなー」
2人を囲い、にじり寄ってくる怪異。
かたや体の力を抜いてだらりと手を伸ばす。かたやナイフをもう一振り、ホルダーから取り出す。
「おい」
「あー副長さん」
「その、のどかはおそらく無事だ。あの親玉怪異、何か知らないが随分のどかに執着していると私には見えたが」
「うん。そーだろーねー」
「なら」
ミチカケは俯いたまま、落ちた髪が視界を遮るままに。
シグレは武器を持ち、近寄る怪異を片っ端から切りつけ、砕き、散らしていく。
「だからって赦せるようなことじゃないよねー。可愛い可愛い後輩を、のどかちゃんを痛めつけるとか、ね」
深く細く長く息を吐く。
浅く息を吸って怪異を足蹴に飛ぶ。
「大体怪異のくせにやり方が随分人間臭くて嫌だよねえ。ねえ?」
「…ああ」
「まったくもー、のどかちゃんってば本当にモテモテなんだからー」
体中をほぐすように、今度は胸を張りぐるぐる腕を回す。足首も手首も。
裂けた口を1周するようにぐるりと刃を入れて、飛びかかってくる目の飛び出た人形を首の傾きで避ける。
「ああ。らしいな」
「なんならうちの一番のお姫様だよー。ふふ、可愛いよねー」
「?それは解からない」
ぴょんぴょんと軽く跳ね、よーし、準備おっけー。と呟けばシグレが応戦していた怪異らからすばやく身を引く。ナイフをホルダーにしまい、その場に屈む。
「さあて」
ケダモノの大きな右手が2人を引き裂こうと降ってきて。
ギラリと獲物を定めた瞳が光る。
「やっちゃおうかな!」
「う、ここは…」
解放された喉がごほごほと新鮮な空気を求めて上下する。たしか、僕は怪異の腕の中に囚われて、声を出せないように塞がれていたはず…。
必死に取り込む、けして美味しいともすがすがしいとも言えない空気。呼吸を抑えて心拍を正常に戻そうと試みる。
というか。
「また、学校…」
いつだかを思い出す、板張りの床に木製の壁。年季の入った小さな机は隅に雑に積み上げられていて、隅には蜘蛛の巣が張っているようなもや。
古い木造校舎というには妙に彩度が高く美しい。まるで加工フィルターをかけたみたいな。そのちぐはぐさが余計に不快感を与えてくる。
「しかもまた一人…じゃない?!」
見渡した部屋の片隅。机の脚に紛れて布の塊が見えた。そこからこぼれる髪の毛も。
ええ…。なんかもう怪異よりホラーじゃん。
恐る恐る近づけば、マネキンや人形じゃなく、生きた人間。かすかに上下する体に急いで周囲の机をどかす。
「大丈夫ですか!?」
想像よりもずっとあどけない顔。整った柳眉が歪んで苦し気な息が漏れる。
…ああ、そうか。この人はこんな顔なのか。
「にいさん」
意識を失ったままの兄さんはまだ起きそうにないので、ひとまず部屋の安全確認と周囲の索敵を行うことにした。
「うーん」
がたがた机を動かしたり中身を確認してみるけれど特に何もない。
窓や扉はフェイクでびくともしない。軽く叩いてみたけれど破れそうな強度でもない。
「つまり、ここは密室なわけだ」
ちらと横目に見た兄さんは、うなされるのと幸せそうな表情になるのを繰り返していておそらく深く精神の中にもぐってしまっている。
やれやれ。でもまあ、10年以上ぶりのちゃんとした再会にはまだ心の準備が出来ていないというか。
「でも、打開策は考えないとな」
ミチカケ先輩が怪異にどうこうされるようなイメージもさっぱり湧かないけれど。シグレもいるし。実力は詳しく知らないけれど副隊長で単独行動ならそれなり以上だろうし。もちろん僕は遠く及ばない。
「さて」
またうなされ始めた兄さんの頭を胡坐をかいた膝の上にのせ、目を閉じて思考にすべてを集中する。
まず怪異の男。
おそらくは彼こそが現在の怪異異常事態の黒幕。
見た目は4、5メートル程。大体人間的な骨格はしていた。っていっても、たぶん骨とか内臓とかは全く人間と違うんだろうけれど。
次にこの場所。
生まれ変わりや胎内回帰で有名なスポット。海沿い。
怪異のテリトリーとして考えても、最初は洞窟をベースに胎の中を思わせるものだった。
…でも。
次が草原で今は学校。とりとめがなさすぎる。
どんな怪異だって、どういう生まれ方、ストーリーを持っているのかで怪異の能力や姿が変わるものだ。
人のような姿。
かといって口裂け女やトイレの花子さんのようにパッと見て人間と断定できるほどではない。サイズが違いすぎる。
生まれる。人間。胎。
「…わからない」
情報が薄すぎる。
せめてもっと、あの怪異の行動パターンや原理が分かれば…。
そんな風に頭を悩ませていると、ずん、と縦に1度大きく揺れた。続いて、小さく数度、突き上げるような振動。揺れの拍子に頭が床に落ちる。
「あ」
ごつん。
良い音を立てて床にぶつかった兄さんの頭。
あちゃあ。揺れのせいでより痛かっただろうな。
「…う」
「だ、大丈夫…?」
そっと手を差し込んで打ち付けた部分を温めるように抑える。
「!」
冷たい。
差し込んだ手に、何かが触れた。
思わず引き抜いてしまいそうになるのをこらえて覗き込むと、ぱっちりと開いた眼光がこちらを射抜く。
「…っ」
こわっ!
固まる僕を置き去りにして、頭に当てた僕の手を上から包むように触れながら兄さんが身を起こす。
異常なほどゆっくりとした瞬きのあと。ふにゃりと笑み崩れる。
この人、こんな…笑うとめっちゃ小さい子じゃん…!
「はわわ」
「のどか?ふふふ、のどかだあ」
「あわわ」
「いい子、いい子」
「ぴ」
とろけるような笑み。僕の手をそのまま頬に滑らせ、頬ずりするようなポーズ。そして空いた片手で僕の頭を撫でた。
「のどかは兄ちゃんの宝物だよ」
知らない!やっぱり知らないよこんな人!兄って何かの勘違いかも!
み、ミチカケ先輩はやく!
僕が再起不能になる前にはやく!たすけて!




