case.65「渋滞フルコミット」
いつか、いつか君が受け入れられる時が来たら。
いつかのきみが、いまのきみになれるなら。
「あれ、ここ…」
知っている。来たことがある。
「こんにちは」
「!」
石造りの灰色の鳥居。
僕はその前に立っていた。後ろは石造りの長い階段。いつの間に上ってきたんだろう。
ぼうっとした頭で考えていると、キンと冷えた涼やかな声。
「さあ、こちらへ」
その声に導かれるままに鳥居をくぐる。
「あ…」
鳥居の先、こじんまりとした社の前に立つ巫女服の女性。目を閉じたままスルスルとこちらに近づいてくる。
なんだろう。知っているはずなのに、こうじゃない。何かがおかしいような、そんな違和感がぬぐえない。
「 がお待ちです。どうぞ」
先を行くナギさんの背についていく。あれ、ナギさんって誰だっけ。いや、ナギさんはナギさんだ。この神社の巫女さん。
ああ。思考がうまくまとまらない。
開かれた戸の向こうに祭壇が見える。真ん中が空っぽで、その横に鳥の形をした置物がある。
「それでは…」
戸が閉じられる。ナギさんが離れていき、小さな空間にたった一人。
なにを、しなくちゃいけなかったんだっけ。
ああそうか。鏡だ。一番大事な、鏡がない。
「かえさなくちゃ」
僕は手を自分の心臓の上に重ねた。
心臓がどくどくと脈を打つ。手を当てたところがどんどん熱くなって。
熱に浮かされた声が唇を割って洩れる。
「おかえしします」
「しかと。しかと、受け取ったぞ」
ぴいぴい鳴いている。
硬くて熱くて冷たい塊が、うす曇った円鏡が祭壇の真ん中に戻る。
ぴしりぴしり。
ああ。いかないで。
「これでさよならだ。少年」
「いか、ないで…」
鳥がないている。
最後にひときわ大きく高く鳴いて、それっきり静かになった。
「のどかちゃん!」
「!…あ、あれ?」
頬に鋭い痛みが走って、思わず目を瞬かせる。
少し遅れてじんじんと疼くような、そこにもうひとつ心臓があるような熱と脈動。ミチカケ先輩に頬を叩かれたんだと理解するまでに少しかかった。
「…一旦事務所に戻ろう。見た感じ、ここに手掛かりはなさそうだしねー」
「同意。君の、のどかの調子が優れない以上、あの方を探すにも支障が出る。万全の態勢でこそ結果が得られるというもの」
「あ…」
祭囃子が少し遠くに聞こえている。やや引き返してきたようだ。まあ、意識のはっきりない人間を怪異らのすぐそばに近づけるのもどうかと考慮してくれたんだろう。
でも。
妙にすっきりと冴えわたる思考と、枷が外れたような軽さの体。そして何より、取り戻し理解した、自分のこと。
「いえ。大丈夫です。それより…」
地下深くから滲みだすような気配。
来る。
「わかりました。あの人が。兄さんがどこにいるのか」
「「!」」
2人が口を開く前に、その肩に触れて軽く押す。こちらに前のめりになった態勢を崩されたことで2人そろって後方へたたらを踏む。
1歩分の隙間。
そこへ何本もの棒が生えてくる。ぐるり。まるで檻のように。
「のどかちゃんッ!」
僕と2人を隔てる錆びた鉄格子。祭囃子は聞こえない。
「分断された!」
「っ、のどかちゃん持って来てる?!」
「はい!」
「こっちは任せて、打開策よろしくー!」
「任せた」
「はい!」
景色がコマ送りの要領で塗り替わる。
色褪せた田舎の道。学校。古びた遊園地。薄暗い廃墟。線路。青い部屋。
目まぐるしく変わり、目が痛む。
「副長さん、下ねー」
「ああ」
襲い掛かってくる怪異。
どこかで見たような既知のものから、資料や捜索でしか知らない未知のものまで。怪異譚も発生時期も認知度も全く別々の、あらゆる怪異が文字通り湧いて襲ってくる。
「よーい、しょー」
「ふっ!」
檻のこちら側にはなぜか一体も湧いていないが、時間の問題だろう。
蜃気楼のような揺らめくもやが、どんどん濃くなっている。
「くそっ」
上着を脱いで放り捨て、ボトルごとホルダーを身に着ける。ブレードロッドを三節根のように組み立てたら、旋回するように振り回してもやを散らす。
檻越しの向こうはずいぶんと大所帯だけれど、さすがベテランの2人は初の共同戦線だろうに互いを上手く利用して立ち回っている。
「うーん。これはまた、キリがないねー」
「…む」
分断され、大量の怪異が襲ってくるという異常事態にありながらも、たいして危機的状況というほどでもなく危うげのない落ち着いた立ち回りが出来ている。が、これでは一種の膠着状態だ。
怪異らは、もやも、まるで影のようで特に手応えなく霧散してはまた湧き上がる。
「のどかちゃーん、どうー?」
「そう、ですね…」
先日手に陥った局面。
なにか、なにかあるはず。この状況を作り上げた原因、核となる怪異が…。
「!」
違う。
「上です!」
影。湧き上がる怪異。
下や前にばかり注意がいってしまうのは、本当に注意するべき場所からそらすため。影、とくれば答えは光。
バッと見上げた上空には大きな円。不気味に光を放つそれは、まるで笑みを浮かべているよう。
「なーるほどー」
「私が」
「うんうん。任せたよー、副長さん」
分担していた2人がスイッチし、シグレが手に持っていた大ぶりのナイフを持ち直す。ぐっと弓の弦を引くように腕を引き絞り。
「ッシィ!」
放たれた刃が偽の月に突き刺さる。
パンと弾ける音がして、溶けるように消えゆく怪異の影に赤い欠片が散った。




