case.59「猿夢オーバーライト」
深い木々にざわめく葉の擦れあう音。そして不気味に耳をかすめる、ここに居るはずのない人の声が重なって反響する。
異常に白い肌、ヘビのように長い首、長いシダの葉に似た髪。左右でぎゅるりと別方向を向く縦向きの目は血走っている。大きな口が歯もない闇をぽっかりとさらけ出して迫りくる。
「…っ!」
「のどかちゃん!」
一瞬気を取られ、そのうちに背から木に叩きつけられる。息が出来なくなり痛みと衝撃に目の奥が白く霞む。
そのまま僕を木の幹に押し付け磔にするように怪異の腕に力がこもる。盛り上がった異形の腕は遠目にはまるで太いだけの獣じみた剛腕だけれど叩きつけられて分かった。これはたくさんの人の手が寄り集まった、人の腕で出来たものだ。
「ガ、あァッ!」
苦しい。
喉を直接的に捕まれているわけではないのが唯一の救いだろう。けれどかわりに胴はしっかりと握りこまれ、抜け出す余地はない。肋骨が悲鳴を上げている。
「…、の」
ぶつけた左腕が熱をはらんでいる。とっさに守った利き腕は無事、握りこんでいたブレードロッドは下に落ちてしまったけれど、右手が動くなら大丈夫。
無理矢理動かす足によって連動した腹が痛むが構っていられない。ブーツに仕込んだ小さなナイフを根性で引き抜いてぶち込む。
「っごほ、ごほごほ」
捉えた獲物の思わぬ反撃に力が緩み、その隙を逃さぬミチカケ先輩の蹴撃が叩きこまれる。急所なのか、頭部を庇うように手が離れた。
受け身も取れずに落下。体中、主にボディが痛むがとりあえずめいっぱいに息を吸い込む。
「はあ、はあ、くそ!」
「大丈夫?」
「っはい!」
最近ピアスの認識阻害、効き悪くないか?
なんて、悪態を吐きながらすぐに態勢を整える。手放したブレードロッドを拾ってボトルの中身を刃先に塗りこむように擦り付ける。…完全な液体じゃなく粘性のあるゲルにしたのは正解だな。自画自賛したら払い落とさないように駆ける。
「っはあァ!!」
斬。
空を蹴り頭部を狙うミチカケ先輩、それに対応するように守りを上に固めた山ノ怪。そのスキを縫うように下から首へ、刃を滑りこませる。
ギイヤアァアアアァ!とすさまじい咆哮がビリビリと森を震わせる。
「これでおしまい」
致命的な一撃にのたうつ山ノ怪。
そこを見逃すはずもなく、木を空を蹴って多段攻撃。ミチカケ先輩の鋭い攻撃が突き刺さってとどめとなり、山ノ怪はその身を世界に解いた。
暗く濃い緑が溶けるように剥がれ落ちていく。
「お疲れ様でした。ありがとうございます、ミチカケ先輩」
「ううん。のどかちゃんこそ、お疲れー」
少しずつ枯葉の色が赤を増し、まるで怪物の顔のようだった幹の模様も通常に戻っていく。
「耳を信じるなって言われていたのに、気を取られました。すみません」
「反省出来てるなら次はだいじょーぶ。さー、帰るぞー」
現実に戻りゆく最中。なにか違和感を感じた気がして首を傾ける。見回す。…何もない。
「どうしたのー?」
「いえ。…あの、なんか遅くないですか?」
「ん?」
瞬間。
早回しの逆再生のように景色が変わっていく。
森はもっとおぞましく昏く。そして地面は固く、その色を失っていく。
「やっぱりおかしいッ!」
「!」
ガンッと縦に大きく揺れ、僕たちは一瞬にしてまた違う怪異のテリトリーに呑まれた。
「こ、こは…」
「電車だねー。…ふうん、なるほどー?」
ガツガツと打ち付ける靴底が硬い音と感触を返す。
金属でできた空間。閉鎖された20かける3メートルの世界。
「山ノ怪のあとは電車ー?連戦って、運がないなー」
焦った様子もなくミチカケ先輩が言い切る。
僕も完全に同意だ。まったく、山で遭う怪異にしてはおかしくないか?まあ、重なりやすい場所なだけで元の地形なんて怪異側には関係のない話なんだろうけれど。
意識を切り替えるように周囲を警戒していると、天井の辺りから鋭い悪意。
「、何か来ます…!」
ポーンと電子音が鳴る。
ガビガビに割れた声が車内のスピーカーを通してこちらに語りかけてくる。
『つぎィは…挽き肉ゥウ』
「!」
「聞いたことあります、ね」
「猿夢…」
車内アナウンスが告げたのは行き先、ではなく逝き先だった。というのはやっぱり無理があるか?
それまでびくともしなかった車内ドアがゆっくりと開き、焦点の合わない目をした人面の猿が入り込んでくる。どいつもこいつも張り付けたような笑顔で、まるでコピーペーストされたモブのような出で立ち。
「…」
細く息を吐き、ブレードロッドを握りしめる。
まったく。
遮蔽物の多い場所用にカスタマイズしておいてよかった、
「なッ!」
シュッと空を裂いた刃が人面猿に迫り。
「!?」
手応えなく空ぶる。バランスを崩す僕をとっさに伸びてきた手が支える。
「す、すみません」
「いーよ。…空ぶったねー。そっくりおんなじ見た目、もしかしたら本体は1匹かもー」
「ですね…」
態勢を整える。
手応えはなかったけれど、攻撃されたという事実に猿たちは後退してこちらの出方を伺っている。他の怪異ではあまり見ない行動だ。実害がないなら大抵、突っ込んでくるものなのに。
猿の知能は高いというけれど、怪異のこいつらもそうなのだろうか。いや、人面のせいか?
「なんにせよ」
「やるしかなーい」
「です!」
刃先の方を持つようにリーチ短めに握って覚悟を決めた。




