case.032「原因不明のアイウォール」
「ヒナタくんさ、もしかして巻き込まれ体質?」
「いや…」
そんなこともない、ような、気が、しなくもないような…。なんて、消えかけの声で呟いた。
彷徨く視線が足先に落ちて。あ、そろそろ靴洗いたいな。
というやり取りの少し前。
「…って感じで―。のどかちゃん、なにかに巻き込まれてたのは確っぽいですー」
「なるほどね」
島から帰って事務所。
いつも通りのポジションに座って、一息…着く暇もなく。ミチカケ先輩に促されるままに着替えタイム、脱いだそばからサカヅキさんに渡されていく石鹸のにおいのジャージ。
…いくら僕でも脱いだ服を嗅がれるのはちょっと、いやかなり嫌すぎるんですけど。という無言の訴えは当然ながら棄却。
がっくりと肩を落としつつ、情けないやら怖いやらで複雑な心境に深いため息を吐く。
「ヒナタくんはご家族とか、あるいは先祖にそういうオカルト的な言い伝えだとかがあったりはしないんだよな?」
サカヅキさんは渡された湿り気ジャージをじっくりと検分して言った。
「と、思いますけど…」
「ふうん。…ヒナタくんだけの突然変異的なものか、あるいは知らないだけで連綿と受け継ぐものか。ただまあ、あの日以前には不思議なことは起きてなかったんだろ?あくまで認識できる範囲では、だけど」
「ですね」
認識できる範囲。つまりは、僕が覚えていないだけで以前からも不思議な出来事があったんだろうか。
でも別に誰からも指摘されたこともなければそんな世界が実際に存在するなんてことも思っても見なかったわけだし。
「うーん」
「ま、それはそれで。こっちで勝手に調べちゃってもいい?」
「あ、はい。それはもちろん」
「おっけ。じゃ、何か分かったら知らせるよ」
「ありがとうございます」
「結局、のどかちゃんは暫定巻き込まれ体質ってことー?」
「そうなる」
「ええー」
「嫌そ~」
「ヤですよ、普通に」
何に巻き込まれるのも嫌だけど、それが怪異的な話に絞って言うなら猶更だ。
隠す気もなく露骨に嫌そうな表情と声を表に出せばケラケラ笑い飛ばされる。まったく他人事だと思って…。
「他人事だし?でもまあ大事な従業員だからね、このことは俺に任せて」
「はーい」
ふてくされつつ返せば、目の前にあたたかな湯気の上るカップが置かれる。向かい側からはパウンドケーキの乗ったお皿とフォーク。
「まあまあ。これでも飲んでー」
「…」
「ありがとうございます!ミチカケ先輩、ドールちゃん先輩」
小さく頷いたように見えるドールちゃん先輩に僕もずいぶん馴染んだなあと思う。はじめの頃は動いている所なんて瞬きすら見せてくれなかったけれど、今ではこうしてそっとお皿を差し出してくれたりするのだ。
嬉しい。
「美味しいです!ミチカケ先輩の淹れてくれる紅茶とドールちゃん先輩の手作り料理を食べ慣れて、僕すっごい舌が肥えてきた気がします」
「あはは、嬉しいこと言ってー。うりうり」
「…」
「わ。あ、ありがとうございます!」
「可愛い後輩めー」
くしゃくしゃにかき回される髪、追加で載せられるケーキ。
「ここに来れて良かったです…!」
「最悪だ…!」
吹き荒ぶ風、叩きつけるような雨。
「ミチカケ先輩!本当にここであってるんですよね…!?」
「そーだよー。ほらほら、来てるぞー」
「あー、もう!」
こんなはずじゃなかったのに!
僕は今、台風のど真ん中にいます。
「くっそー!ぜんっぜん当たらないし!」
荒れ狂う風雨が全身をもみくちゃにする。やけくそで叫んだ声すら飲み込んで。
「これ絶対あとで風邪ひく…!」
なんならもうちょっと体調崩しかけてる気がする…!鼻をすする。
いっつもこれだよ!僕が事務所を居心地よく感じたり幸せに浸ると、揺り戻しのように大変な状況がやってくるのだ。
思い出すのは数分前の一幕。
巻き込まれ判明、石鹸事変からしばらく。僕の巻き込まれ体質の探求解明は難航しているらしく、とうとう煮詰まったサカヅキさんよりめちゃくちゃな指示が出た。
指示っていうか、やけくそである。
「っだー!もう!めんどくせえ!次に湧きスポットの報告入ったら放り込んで来い!」
と、神は言った。放り込まれた。
回想終了。
「ふべっ」
濡れた髪が顔面に張り付く。それを雑にかきあげて、新しく巻きなおしたグリップを強く握りしめる。
湧きスポット、というのは簡単に言えば認識のあやふやな怪異やもどきたちが現実の一か所に跋扈する突発的な状況の事。らしい。島でのあれが意図的な湧きコントロールなら、これは偶発的。ゆえにその予兆は特に慎重に調査され、少しでも可能性があれば近辺の怪異担当へ共有される。それを実際にどこが請け負うのかというのは早い者勝ち、だそうだ。
大抵は薄暗くて何もない空間に上書きされてうごめく怪異と対峙する、という話だったのに。
「なんで今回は台風なんだよ…!」
「これものどかちゃんの体質による変化なのかなー」
「…」
「ヤですよ!ほんとに!」
あくまで主体は体質調査であって全部が全部僕で対応すべきな訳じゃない、ということで今回は頼れる先輩方がついてきてくれている。のだけれども。
「っ!」
先輩方の行動を阻害しないようにしつつ、最低限自分の身を守るために棒を振り回す。
ドールちゃん先輩、事務所の最終兵器の割に結構僕がらみで動いてもらってるな。これもぼくの体質のせいかと思うとさっさと解明したい気持ちだ。
「いたっ」
風雨に紛れて襲ってくる怪異を避けようとするけれど、そう上手くもいかない。はっきりと見える怪異はもちろん、怪異もどきも。普段はうっすらと視認できるもやだけど、この天候ではむしろこっちの方が厄介だ。ただ、もどきだけあって致死の攻撃で無い事だけはありがたい。もちろん打ち所が悪ければ、というのはいつだってあるけれど。
「お、晴れてきたねー」
台風の脅威が少しずつ弱まってきた。薄暗い空も雲が流れて隙間をつくり、天使の梯子がおりてくる。
「はあ、はあ…」
「…」
ぺっとり張り付くジャージを脱いで絞る。中のTシャツもズボンもぼとぼとだけど流石にそっちを脱ぐわけにはいかないので。
最後の怪異を討伐し終えたドールちゃん先輩が濡れた髪をうっとうしそうにはらう。くるりと巻かれた黒は逆境に負けずに波打っているけれど、その重さは計り知れない。せっかくのドレスも色を濃くしている。
対してミチカケ先輩は元気そうに伸びをひとつ。
「んー!よーし、完了ー。お手当いっぱいもらうぞー!」
まるで台風なんてなかったように白く美しいフリルが彩る伸縮性抜群の上下。肩上で靡く髪、こうなることを予期していたのか長い横髪は編み込まれて後ろに流れている。
無敵か?この先輩は。
いろいろ言いたいことはあったけれど呑み込んで一言。
「…お疲れ様でした」




