case.030「危機脱出クレイジーソープ」
電車を抜けるとバスの中だった。
「あれ?」
どこか道に出ると思っていたせいか、まいちゃんも不思議そうに首をかしげている。
うーん。これはどうあっても乗物から出られないということなのか、あるいは単純にいろんな乗り物が連なっているということなのか。
「これじゃ、どういう怪異なのかわからないな…」
ひとり頭を悩ませていると、ぴょこっと顔を出したまいちゃんが横をすり抜けて奥へと走る。
「あそこになにかあるよ!」
「まいちゃん、ひとりで行くとあぶな」
思わず伸ばした手がぐにゃりと歪んだ。
「!?」
突然の異常に警戒値をあげ、ちいさく畳んだ状態の棒を握りしめる。が、瞬きの合間に移乗はさっぱり消えていつも通りの手があるだけ。
…見間違い、か。
「まって、まいちゃん」
「見てみて!オレンジのクレヨンだよ!」
運転席横の乗車賃入れ、その両替機の受け皿に小さなオレンジがひとつ。さっき見つけたクレヨンよりも少し短い。
緑、オレンジ。
見回してみても、他には何もなさそうだ。降り口も開かないし窓もびくともしない。ただほんの少し揺れているだけ。
「ねえ、これってまたドアをかくのかな?」
「うーん、そう…だね。それ以外に出られそうなところがないからなあ」
「わかった!まかせて!」
そういって降り口の上からドアを描く。そうして出来上がったドアをまた開いて、どんどん次へ。
長い長い階段を上る。
「足、いたい…」
「あ。ああ~、そうだよね。えっと」
「おんぶ」
「うん。ちょっと待ってね」
一段の高さが低いこの階段は、かわりに一段の奥行が広い。子どもの足では上ること自体が楽でも、歩幅や体力的に疲労がたまるのは無理もないことだろう。
そっとしゃがみこみ、まいちゃんがしっかり乗ったことを確認して手すりを支えに立ち上げる。
「えっと、じゃあまいちゃんはまたクレヨンとか目につく何かがあったら知らせてくれる?」
「うん!」
という元気なやり取りをして、上ったり下ったり休んだり、ようやっと青いクレヨンが見つかった時には僕はもう足が棒になったようだった。腕も痛い。
「出来たよ!」
「うん、ありがとう」
小さなクレヨンで描いたドアは少し小さい。でもまあ、このくらいなら屈めば何とか。
「行こっか」
「うん」
薔薇の迷路。
行き止まっては戻り、また進む。
花弁の中に埋もれた赤色を逃さず確保。
一面の砂。
じゃりじゃりざくざく踏みしめて。
砂にまみれて隠れていた黄色を入手。
青、赤、黄。
そして。
「…」
「…」
真っ青な、いや、これはもっと深い色だ。ええと、
「ぐるぐる」
「ぐるぐる」
「ぐるぐる」
「ぐるぐる」
「ぐるぐる」
「ぐるぐる」
「ぐるぐる」
「ぐ」
バチン!
右腕にひっぱたかれたような鋭い痛みが走って、ハッと目を覚ました。
「っあ、あれ…?」
ここはどこだ。
見渡すかぎりに青黒い空間。さほど広くもない一室。家具も何もないその部屋で、僕たちが一心不乱に描き殴った穴。その前でぼうっと光なく立ちすくむまいちゃん。
痛みが正常な思考を取り戻したおかげで、今がヤバい状況にあることだけは文字通り痛いほどよく分かった。
「どうしてこんな、くそ、僕、何回…」
誘導された思考。儀式めいた行動。重ねて6回。
緑からはじまって、いまの藍。順当に行くのならあとは紫だろうか。
「リーチじゃん…」
怪異に関する案件では、ことさら「重ねる」という行為が重要とされる。意味や意図、行動など。重なるごとに強くなるとされている。
わかりやすく言うなら七不思議。七つすべて知ると…、というフレーズはホラーに詳しい人間にはなじみ深いことだろう。そしてこれも。
「7色。最後は紫?」
ぱっきりと割れて落ちたアームバンドを拾ってポケットにしまい、まいちゃんが穴に落ちてしまわないように抱えて部屋の隅に。
これが発動したってことは危なかったってことだよな。壊したら自腹…、いや、あのまま死ぬくらいならもちろんよかったんだけど…。
「にしても、本当にどういうルールの怪異なんだ?7つの色、ぐるぐる回る…」
1つの場所に1つのクレヨン。
場所と色はバラバラ。
自分たちで次に進む道を作る。
「わからない。けど。これを完成させちゃダメなのは流石に合ってるはず…」
出口のない空間。見るからに怪しい、入ったらたぶん死ぬ穴。
本能的に避けたそこが、このまま待っていても獲物が来ないことを悟ったのかじわじわと広がって吞み込もうとまるで手招くように伸びてくる。
不味い。
「完成寸前に重なった状況。密室、逃げ場なし。この状況をどうにか破るには…」
破る?
そうか。
ここは描かれた世界。画材はクレヨン。
燃やす、には火種がないし僕たちも怪我をする可能性がある。
「だったら」
ウエストバックに入れっぱなしの小さなケースを取り出す。中に入っているのは薄く色づいた粘性の液体。
キャップを開けて手のひらに。そのまま壁に擦り付けるように密着、手を動かす。乾いた状態だとなかなか上手くいかない。
「水があればもっと良かったけど…、あ、そうか」
後付けタンクも出して、ぐじゅぐじゅとかき混ぜる。塗りたくられた壁は泡立ち、深い藍がその濃さを失っていく。
「よし!」
手で泡を除ければ、とうとう色のない真っ白な空間が現れる。手のひらが少し沈む。
そうだ。こうやって見えない空間に呑まれそうに感じるから、色のある場所こそが安全だと僕は決めつけてしまった。
「あともうすこし…!」
体が通り抜けられるくらいに大きくしなければ。
どんどん近づく終わりに急かされるように両手いっぱいに泡を立て色を流す。
「よし!あとは…!」
なんとか作った隙間に肩をねじ込み、半身になりながらそばの小さな体を抱えようと振り向く。
まいちゃんの足先が、暗い藍にさらされて。
「っごめん!」
泡だらけの手で無理矢理に引っ張り、重心を隙間の向こうへ倒すことで生じる僕の重みの引力でどうにか白の向こうへ僕たちは逃げ出した。




