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第五十八話 女と父さんと親友(北原恭介視点)

 実の息子からの痛烈な言葉に、明らかにショックを受けている様子のこの女。


「ねぇ、恭介、そんなこと言わないで。あなたも私のこと好きだったでしょ?」


「あぁ、あったよ。でも、それも壊したのは誰だ?」


 黙ってしまった女に、俺は容赦なく言葉を続ける。


「あなたが俺たちを裏切ったんだろ? あれから、俺と父さんがどれだけ大変な思いをしてきたか――」


 口を閉じる気配のない俺を制するように、父さんが俺の肩に手を置いた。


「恭介、もう良いよ」


「父さん、でも……」


「良いじゃないか、俺たちは二人で上手くやってきただろう?」


「でも、良くない、何も良くないよ!」


 俺は父さんの肩を振り払い、再び女の方に向き直る。


「確かに、俺は今幸せだよ? でも、だからと言ってこの女がやったことが消えるわけじゃない。散々迷惑かけて、俺たちを裏切ったのに、何でそんな顔してられんだよ!」


 この女がしたこと。その形跡を、心に刻まれた傷を取り除こうと、父さんは全力で頑張ってくれた。それでも、それでも――


「……もう出てってくれ」


 もっと言いたいことはたくさんあったが、俺が絞り出せたのはこの言葉だけだった。


 まだこの女を母親と認識していた時期、まだこの女を見ると安心できていた時期、まだこの女が好きだった時期があった。そんな思い出も、俺の心の中の傷と同じくらい深く、刻み込まれていた。



「分かったわよ……」


 重苦しい沈黙の中で、女がゆっくりと口を開いた。


「そんなに言うなら、もうあなたと徹さんには関わらないわ。約束する」


 どこか寂しそうな顔をしている女を見ていると、どこか不憫に感じられてしまった。俺は今この女を切り捨てたはずなのに。まだこの女を憐れむ気持ちが残っていたなんて。


 俺の心の中に、沸々と怒りが湧いてきた。



「恭介、もう――」


 これ以上の対話は無意味である。


「分かったよ、父さん。後は二人に任せる」


 俺は階段を上って自分の部屋に向かう。


 ベッドに飛び込んだ俺を、ドッと疲れが襲った。あんなことを言ったって何の解決にもならないことは分かっていた。でも、言わずにはいられなかった。


「バカだよなぁ、俺も」


 気がつくと、俺の頬を温かな雫が流れていた。


 あんな女のために泣いてる自分がバカらしくて。でも、今でもあの女のことを少しだけ母親と認識してしまった自分がいたのも事実で。


 また一つ、また一つとその雫はベッドの上に零れ落ちた。



 結局あの女が帰ったのは夜の10時を過ぎてからだった。


「恭介、入るぞ」


 ドアをコンコンとノックし、俺の返事を待たずに父さんが入ってきた。


「メシ、食うか」


 いつも通りの優しい笑顔を浮かべている父さんを見ていると、やっぱり、俺の親は父さんだけだなと思う。そんな単純な問題じゃないのは分かってるけど、やっぱり父さんが俺の一番大事な人だ。


「うん、今日は何にするの?」


 無理して作った笑顔。細めた目から、また一つ雫が落ちた。



「……今何時だ?」


 明らかにいつもより早い時間に目が覚めた。


 時計の針は5時30分を指している。


「早っ」


 いつもだったら確定で二度寝を決めるのだが、一階からガサゴソと音が聞こえたので、下に降りてみる。


「おっ、恭介、どうした?」


 一階では、父が仕事の格好に着替えていた。


「そっちこそ、こんなに早くどうしたのさ」


「いやー、昨日仕事を残して帰ってきちゃったから、早くに行って片付けちゃおうかと思ってな」


「ふーん、大人は大変だね」


 あまりにも薄っぺらい感想を、寝起きの頭で考えながら、俺も朝の準備を進める。


「じゃあ、俺は行くぞ」


「今日は何時終わり予定?」


「早くて9時かな」


「了解。じゃ、いってらっしゃい」


「いってきます」


 いつもと同じ足取りで会社へと向かっていく父さん。きっと心の中にはモヤモヤを抱えているはずなのに、俺にはそんなものを感じさせないように明るく振る舞っている。


「うーん、まだ時間あるな」


 いつも圭が来る時間までは1時間近くあった。


「まだいいか」


 制服に着替えることもなく、俺は自分の部屋で勉強を始めた。朝に勉強するなんていつぶりだろう。


「たまには朝もいいか……」


 いつもはギリギリまで寝ていて、学校前に勉強する時間なんて取れていなかったが、案外悪くないかもな……



 ピンポーン


 下からチャイムが聞こえる。いつの間にか圭がいつも起こしにくる時間だ。


 俺は一、二度自分の顔を確認して圭を出迎える。


「おっ、圭、おっはよう!」


 いつも同じ明るさで挨拶をする。


「……おはよ」


 どうやら圭にとっては、俺がこの時間にベッドから起きてること自体が異変だったようだ。



「コーヒー飲む?」


「うん。貰おうかな。そういえば徹さんは?」


「あぁ、父さんは今日もう会社行ったよ。なんか、昨日の仕事が残ってるみたいで」


 圭は昨日のことをある程度は気づいているだろう。どストレートに伝えたら、必要以上に心配してしまうだろう。


「よし、そろそろ行くか、圭」


 気がつくと、もういつも家を出る時間になっていた。


「おう、行くか」


「恭介、昨日はさ――」


「いやー、今日もいい天気だなー!」


 思わず話題を逸らしてしまう。でもしょうがない。圭に無駄な心配をかけるわけにはいかない。


 だって圭は俺の一番の親友だから――。

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