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第五十七話 北原家の過去

 十五年前。俺が一歳くらいの頃。


 俺の母親・北原芳子と父さんは忙しい毎日を送っていた。


 父さんは平日は仕事をしながら、土日は時間をとって家族のために時間をとっていた。それでも、まだまだ手のかかる俺を主に面倒をしていたのは母だった。


 夜泣きがひどかった俺のために、睡眠を削る毎日。終わりが見えない育児が続いていた。そんな中で、母は新たなストレスのはけ口に頼っていた。


 ――不倫である。


 まだ小さい俺を一時託児所に預け、自身は不貞行為に耽っていたらしい。


 そんな日々が半年ほど続いた時、理由は分からないが父にそのことがバレた。意外とあっさり自身の行為を認めたこともあり、父が母とすぐ離婚という決断には至らなかった。



 その後、その男と会うことは無くなったが、より育児にも協力するようになった父と俺が目の当たりにしたのは、宗教に嵌っていく母の姿だった。


 いわゆるカルト系と呼ばれるその組織は、母の生き方を完全に変えてしまった。


 育児の辛さから逃げ出すように、宗教にのめり込んでいく母の姿は、誰の目から見ても悲惨なものだった。


 さすがに度がすぎると父が注意しても、通帳から一気にお金が引き落とされていることが何度もあった。その度に父が注意をしたが、その頃の母の心が戻ってくることはなかった。


 そのことには、既に夫婦間の温度は冷え切っていた。それでも離婚しなかったのは、俺が母がいない子として育つのは可哀想だと考えてのことだったらしい。



 俺が5歳になったくらいの時、急に母の宗教への熱が冷めた。完全にやめたというわけではないものの、明らかに前よりも表情は柔和を帯び、声のトーンも明るくなった。


 もしこのままだったら、俺たちは今でも家族なのかもしれない。


 そんな時、離婚の直接的な原因となる出来事が起きた。


 俺もこの頃から記憶がある。


 ある日曜日のお昼過ぎ。買い物に出ると言った母が、知らない男を連れて家に帰ってきた。


「芳子さん、やっぱり息子さんいる前じゃ……」


「大丈夫よ、まだ小学生にもなってない子なんだから、黙っとけって言えば大人しく従うわよ」


 恐らく自宅での不貞行為。だが、そんなことを俺が理解するわけはなく。


 リビングで遊んでいる俺を残し、母と男は寝室へと消えていった。そこで何が行われていたのか、言うまでもないだろう。


「恭介〜。今日この男の人が来たのはお父さんには内緒よ?」


「うん、分かった……」


 そう答えるしかなかった。怖かった。



 その後何度も同じことが繰り返された。2ヶ月ほどだろうか。いや、もっと長かったかもしれない。母の不貞行為が続いていた時、俺はやっと、母がやっているのは悪いことなのかもしれない。そんな思いを浮かべるようになった。


 かと言って、父に告げ口をされたら何をされるかわからない。子供は無力だ。一人じゃ何にもできない。



 ある日の午後、いつもより少し遅い時間に、その男は来た。いつものように寝室に入っていく母と男。


 そんな時に、リビングで電話が鳴った。


 仕方ないので電話を取る。


「もしもし、俺だけど」


「お父さん?」


「おっ、恭介か。お母さんに仕事が早く終わったからもう帰るって言っといてくれるか?」


「いいよー」


「いい子だ。じゃあ、あと10分くらいで着くからな」


「あっ、あのお父s――」


 電話が切れた。どうしようか。母は今あの男と寝室にこもっている。ただ、父からのメッセージを伝えることが俺にとっての最優先事項だった。


「ねぇ、お母さん」


 恐る恐る寝室のドアを開けると、胸元がはだけた男が、母の上にまたがっていた。


「なに? 恭介、今お母さん忙しいから出てってくれる?」


「あのね、お父さんが――」


「聞こえなかった? 出て行けって言ったのよ!」


 母が体を起こして俺の方へ歩いてくる。


「ねぇ、お父さんがもうすぐ」


「あの男なんかどうでもいいわ。あなたも邪魔しないで」


「でも……」


「あぁ! しつこいわねぇ!」


 ドンッ!


 鈍い音が響いた。俺の小さい身体は母の一蹴りで吹き飛んだ。


 ドスッ!


 さっきよりもさらに鈍い音と共に頭に痛みが走る。


 あぁ、やばい。まえがくらくなっていく……


 よく状況が理解できない中、俺は母に蹴られたという恐怖と頭への衝撃でその場で気を失ってしまった。



「……ぉい、恭介! 恭介!」


 うっすらと聞こえた声の主は、やはり父さんのものだった。


「うん、大丈夫。でも、ちょっと痛いかも……」


「何があったんだ……って、聞かなくても分かる」


 父の肩越しに、驚きの表情をした母と、青白い顔をした男の姿が映る。


 ゆっくりと立ち上がった父は、小さく、でも、はっきりと言った。


「今すぐこの家から出てけ……!」


 あまりの気迫に、直接言われているわけでもない俺が泣き出しそうだった。


「ちょっと待って、これには訳が……」


「早く出てけ!」


 父さんの怒号が部屋に響いた。


「……けっ、何よ。あぁ、良いわ。こんな家出てってやるわ!」


 最後まで悪態をついて、母とあの男は家から出ていった。


 こうして、家族三人での暮らしは終わりを告げたのだった。


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