第五十六話 母親だった女
圭とのいつも通りの帰り道。話題は今日のテストについて。
「じゃあ、今回はどうでしたか? 一位取れそう?」
一位、か。もちろん勉強は頑張っているが、一位なんてのはおまけみたいなもんだ。
「一位は分からないけど、いつもと同じ感じかな?」
とりあえず濁して答えておく。恐らく一位は確実だろうけど、いくら圭とはいえ、ストレートに言うのはあんまり良くないはず。
その後も談笑しながら歩みを進める。
小さい頃からの付き合いだが、最近の圭は表情が明るくなった気がする。中学の頃のどんよりとした暗さは微塵も感じられなくなった。
これも全て、澪さんのお陰なんだろうな。
圭と澪さんが付き合ったと聞いた時、意外と驚かなかった。澪さんが圭のことをよく見ていたのは知っていたし(圭本人は気づいてなかったみたいだけど)、圭の気持ちも聞いていたので、両片思いの二人がめでたくくっついたって感じかな。
と、そんなことを考えていたら、俺までかわいい彼女ができちゃったし。最近は楽しいことばっかりだな。
そろそろ家が近づいてきた時、遠くに路駐している車が見えた。
あれ? もしかしてウチにお客さんかな?
今日は父が仕事でいないから、お客さんなら俺が対応しなくちゃ。
少しだけ足を早めようと思った時、家の前に止まっている黒い軽自動車のナンバーがうっすらと見えた。
――嘘だろ……
思わず足が止まる。そのナンバーには覚えがあった。
三年前、のこのことウチにやって来たあの女の車。その時は言葉を交わすことはなかったが、ずっと頭にこびりついていた、父の後ろで見ていた走り去る車の姿。
「うん? どうした?」
俺が足を止めたのに気づいて、圭が心配そうに振り返った。
「あれ……」
「あれってお客さん?」
俺が指差した方向に目を凝らし、圭が尋ねてくる。
あんな人間、お客さん……と言って良いのだろうか。
「……うん、多分ね」
俺の曖昧な答えに、圭が不思議そうな顔を浮かべる。
もしあの女が本当に来ているなら、言葉を交わさなければならない。三年前は父が追い返してくれたら、高校生になった今、父に頼りっぱなしって訳にはいかない。
「大丈夫? 俺ん家にいても良いけど――」
「いや、大丈夫」
俺の様子に気づいた圭が控えめに提案してくれたが、思わずキッパリとした返事をしてしまった。
ただ、この問題に圭を巻き込む訳にはいかない。
俺はまた足早に歩きだした。
「ちょっ、本当に大丈夫?」
圭の声はますます心配を帯びていくが、それにはお構いなしに歩みを早める。
早く、早く、あの人に。
「おい、恭介!」
「なんだよ、圭!」
思わず大きな声が出る。圭は俺のために心配してくれている。そんなことは分かっているが、今の状況が俺の心を固く閉ざした。
「……ごめん、今日はほっといてくれ」
ぽつりと呟いた情けない言葉を圭はぎこちない笑顔で受け止めてくれた。
「分かった。じゃあまた明日な」
「あぁ、また明日」
ありがとう、圭。ごめんな、圭。
圭が隣の家へと入っていく。さぁ、こっからは俺とあの人の問題だ。
車の中には人がいない。じゃあ、家の中か? でも、今日は誰もいないはず……
とりあえず家の中に入ろうと鍵を取り出した時、玄関の扉が開いた。
「あら、恭介! 久しぶりね」
玄関から顔を覗かせたのは、あの頃よりも数段と痩せ細った彼女の姿だった。
「久しぶり、母さん」
そう、この女は俺の母、北原芳子だ。いや、今は大垣芳子か。
立ち尽くす俺に、中に入れと手招きしている彼女に続いて家の中に入る。
「父さん! 帰ってたの?」
どうやら見送るところだったのだろう。父さんが玄関で靴を履いて立っていた。
「あぁ、仕事を抜け出して来た」
「ねぇ、徹さん。ちょっと恭介と話していっていい?」
「恭介、自分の部屋に行ってなさい」
彼女の要求を遮り、キッパリと下された命令。
「ちょっと、久しぶりなんだから、ちょっとだけいいじゃない」
それに食い下がる女。少しの間の静寂が俺たちを包む。
「……いいよ、父さん」
「恭介……!」
「ほら、恭介も話したかったのよ。リビング行きましょ?」
嬉しそうに家の中に戻っていく彼女。それを睨みつけている父さん。
「恭介、無理に話す必要は――」
「分かってるよ、父さん。俺もこれで最後にするから」
俺の相当の剣幕を前にして、父さんも仕方なくリビングへと行ってくれた。
リビングのテーブルで向かい合うように、対面の椅子に腰をかける。
「恭介、大きくなったわね〜。最後に会ったのはいつ振りかしら」
「ちゃんと話したのは十年前ですね」
「ちょっと、そんなよそよそしくしないで。私はあなたのお母さん――」
「あんたはもう母さんなんかじゃない」
気がつくと、口から発射されていた鋭利なナイフのような言葉。その刃は確実に目の前の女に突き刺さった。
「もう一生、俺たちに関わらないでくれ」
追い討ちをかけるような言葉を浴びせる。こんな言葉を実の母親にかけるなんて、普通だったら憚られることだが、この女はそれほどのことをしたのだ。
そう、話は十五年前に遡る――。




