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第7章 ライブラ王国と天秤の上の少年少女 23話

――テミス! テミス。

 幼い少女が男を呼ぶ。男は穏やかな顔で少女、リブラの元へ向かう。

――あなたは本当に大きいのね。乗せてくださらない?

――えぇ、もちろんです。

 テミスはリブラを抱える。急に視界が高くなったリブラは興奮して声をあげた。

 はしゃいでいる彼女の声を聞いて、テミスは自身の心の変化に気付く。

 オフィックス王国から逃げてきた彼女を拾った時、テミスは神子を見つけた。自身が天界へ戻るために必要な存在だと確信した。だから育てた。

 彼女は学がなく、何を食べるにも汚かった。

――こら、リブラ。口を拭きなさい。

――ごめんなさい。あまりに美味しかったので、シャマシュのご飯。

 ニッコリと笑う少女の顔を見ると、テミスもそれ以上の叱責が出来なかった。

 彼女には教養がないが、素直な少女であった。教えれば次の日にはしっかりとこなしていた。神子としての役割も、この国の巫女としての役割もそつなくこなす。そんな彼女を見て、誇らしく感じている自分がいることに、テミスは驚いた。

 神子とそれに連なる神に不要な感情は不要。心の強さこそが正義なのだ。そう思っていたのだが、リブラが言った言葉にテミスは自身の心の揺らぎを実感した。

――テミスはまるでお父さんのようだわ。私にお父様はいませんでしたが

――私が父なら、他はどうなのです?

――ご飯を作ってくれるからシャマシュがお母さん。マアトがお姉さん。バランスは……おじいちゃんでしょうか。

 そんな冗談を言っている彼女の言葉を真に受けてしまった。

 この子は神になるまで、しっかりと育てなければならない。そのような使命感が自分の中でさらに強くなっていった。

 リブラが選んだ道に必ず進める。テミスはその一心でリブラを育て上げた。

 そしてリブラは神子としての試練を受けた。それは心を試されるものであった。

 正しき心、強き心があればなんてことのない試練だ。リブラは当然これを難なく制覇した。

 けれど、その日から彼女は一人の少女ではなくなった。

 テミスは彼女が、自分たちの望む神子としての道を選んだことを知った。

 天使たちを家族に見立てるほど人の愛に飢えていた彼女が、人の道から外れる神になる覚悟を決めたのだ。その覚悟を誰が止めようか。テミスは彼女の覚悟を尊重した。

 彼女は人々を救う巫女として、そしていずれ神になる者として自分の意志を隠すようになった。試練を受けてからの彼女は一度もテミスに何かを頼むことはなくなった。

 シャマシュにご飯をねだることもなくなった。マアトと遊ぶことはなくなった。

 あらゆるものをかなぐり捨てて彼女は自分の道を決めた。その覚悟のためには、自分たち天使もまた、抱いてしまった感情などかなぐり捨てなければならない。

 それを、昔からの知り合いかなんだか知らない男に踏みにじられることはテミスにとって、これほど許せないことはなかった――。



 テミスの大振りの拳を躱し、コブラは彼の足を狙い蹴りを放つ。蹴りは直撃したが、それでテミスは微動だにしない。すぐにコブラの足を掴み彼を地面に叩きつけた。

「コブラっ!」

 コブラは掴まれたまま、憎らしそうにテミスを睨みつける。アステリオスはすぐに彼の懐に入ろうと駆ける。ヤマトがキドウから教わったという、突けば相手の身体を痺れさせることが出来る部位にめがけて掌底を放とうとする。しかし、テミスは掴んでいるコブラをまるで棍棒のように振るい、アステリオスにぶつけて、そのままコブラを投げ飛ばす。

 コブラとアステリオスはもみくちゃになりながら地面を転がる。

「天使は元来人間よりも身体能力が高く設定されている。さらに、私は常に正義のために鍛えている。お前たちでは歯が立たぬ。諦めろ。試練のことならば、私が、札をくれてやろう」

 テミスが手を翳すと、そこに星巡り達成の証である札が現れる。

「さぁ、受け取れ、そしてこの国を去れ。この国は今まさに神が生まれようとしているのだ。その邪魔をするものは断罪する」

 テミスがコブラとアステリオスを見下す。コブラはふらふらになりながら立ち上がる。

「な、なぁ。アステリオス」

「な、なんだい」

 アステリオスもゆっくりと立ち上がる。

「キヨが俺に言わせたかった言葉ってなんだと思う?」

「わからないよ」

 コブラは天使になってまで、敵になってまで自分に何かを訴えていたキヨのことを思い出した。彼女は納得してくれてはいたが、きっとあの時コブラが言った言葉が彼女の求めていたものではなかった。では、自分は何を言わねばならないのか。

 リザベラが言っていた。この国の試練は「正直者が正義である」を証明して、達成するものだと、ヤクモ=オフィックスは全てを正直に話したから、大きな試練をせずに達成した。

「俺もハッキリはわかんねぇ……けど」

 キヨが救われたと分かった時、それでも心の中に何かしこりがあった。この試練をしっかりと達成しなければならないと言う気持ちが残った。

 あの不思議な空間。リブラと二人で踊った時、彼女が自分に別れを告げた時、思ったのだ。

 コブラは立ち上がり、札を差し出すテミスの腕を思いっきり振り払った。

 テミスはその行動に眉を細める。

「いらねぇ。その札は、リブラに直接貰う」

「貴様をリブラ様に合わせるわけには行かない」

 テミスは腕を横方向に思いっきり振るい、コブラの肩を殴り飛ばす。フラフラだったコブラは抵抗できず、再び転がる。身体中土だらけだ。

 アステリオスは跳躍して、テミスの胸に向けて拳を放つ。コブラを見ていたテミスはこの拳に気づかずに直撃する。小さな身体のアステリオスの拳と言えども、飛びかかってきた彼の衝撃にテミスは歯を食いしばった。

「小僧!」

 そんなアステリオスをまたテミスは思いっきり殴り飛ばす。

「コブラ! 行って!」

 地面に叩きつけられたアステリオスが叫ぶ。コブラはすぐに彼の意図を理解し、神殿内に駆けた。テミスはすぐにそれを追おうと身体を翻すが、アステリオスが彼の腰にぎっしりとしがみついた。

「い、行かせないよ。こ、コブラは……あのリブラって人と、会わないといけない!」

「あの男と、リブラ様を会わせるわけには行かない」

 テミスは焦った。彼女は神になると誓った。それを自分たちは受け入れた。彼女はもはや人ではなくなる。自分たちが育てた少女でなくなる。彼女がそれを望んだのだ。

 もし、彼がリブラに会って、それを止めてしまったら。

 自分が必死に噛みしめて行わなかった罪を行ってしまえば、それをしなかった己たちを受け入れることが出来なくなる。

 テミスはアステリオスを殴り飛ばして、コブラを追いかけようとする。

 それでもアステリオスは必死にテミスにしがみつく。

「離せ小僧! 貴様には関係ないだろう!」

「関係ある! コブラは、僕にやりたいことをやらせてくれた! そんなコブラが今、リブラさんに会いたいなら、僕は! どんな目にあってもその邪魔をする貴方を許さない」

 顏はボロボロ、至るところは擦り傷が出来て血が出ている。だと言うのに、アステリオスは鬼気迫る顔でテミスを睨んでいた。テミスは思わず狼狽えてしまった。

「リブラ様は全てを捨て去り、神へと登る方なのだ! それをいまさら! 神に上がる覚悟の邪魔をしようというのか! 彼女が、神に上がるためにどれだけの想いを犠牲にしようとしているのか! 貴様らにはわからないであろう。なのになぜ邪魔をする」

 テミスはリブラが犠牲にした『想い』の中に、自分たちとの思い出も含まれていることをわかっていた。リブラを育てたテミスとして、これは想像していたよりも哀しいことであった。しかし、それがリブラの道、運命と受け入れた。そうすることこそ正義であると決めつけた。

リブラとずっと共にいたい。運命を否定したその感情こそ罪であると――。

「コブラ! 奴も、リブラ様の覚悟の前に捨て去られた男だ。リブラ様はあの男など求めていない。救いなど求めていない。邂逅など求めていない。今さら現れて、彼女の覚悟の邪魔をするな! 我々の正義の邪魔を、するなぁ!」

 テミスは動揺して、気が動転していた。アステリオスを思いっきり蹴り飛ばす。

 アステリオスは脳が揺れないように頭を押さえて転がる。動転したテミスのミスか、アステリオスが転がった方向は神殿の方角であった。

 鼻から溢れる血を片方を抑えて噴き出したアステリオスは、奇しくもテミスを神殿に入れないように立ちふさがる形になった。

「今からでも遅くない。神殿へ行き、コブラを捕まえる。神へ上がる儀式を邪魔されて失敗してしまってはいけない」

 テミスが歩みを進めようとするも、アステリオスが彼を止めるように両手を広げる。

「行かせないよ。コブラじゃ貴方に勝てない。ここを貴方に突破されればコブラは、リブラさんに会えない」

「私に勝てないのはお前も同じであろう。小僧。貴様は私が見せた世界の英雄ではない。ただの孤独で、身体にも恵まれなかった少年だ。そうだろう。力で正義を成したかった少年、アステリオス」

 テミスはアステリオスを威圧する。アステリオスが望んだ正義。それは確かに圧倒的力であった。粗悪で、乱暴で、力のないものを嘲笑っていたタウラスの男たちを彼ら以上の力を以って断罪したいと思っていた。正義のために力がいると思っていた。

 テミスに見せられた景色、あれは『コブラに会わなかった自分』なのかもしれない。

 そう思うと、アステリオスは、テミスの威圧する顔を見ながらヘラヘラと笑った。

「僕は勝てるよ。貴方に、テミス」

「なんだと?」

「力ってのは、喧嘩ってのは実はルールが変わってくるんだ。相手よりも力が強ければ勝ち。それもあるだろうけど、この喧嘩に関しては『僕が負けなければ』勝ちなんだ。貴方にどれだけ打ちのめされても、立って、貴方の前にいればいい。貴方にしがみつけばいい。喧嘩は力じゃない。気持ちが強い方が勝つ」

 挑発するように笑うアステリオスに苛立ちを覚えた。テミスは思いっきりアステリオスを殴り飛ばす。アステリオスは咄嗟に両手の籠手で抑えるが衝撃に耐えきれず殴り飛ばされ、神殿に壁に衝突する。背中から強烈が痛みが走るが、それでも彼は膝をつかず、テミスの前に立ち、彼を見て、ニヤリと笑った。

「テミスさん。その強がっている顏。僕にはわかるよ。僕は鏡で自分の顔をよく見ていたからね。貴方の顔は何かを諦めた顔をしている。『カガクがあればいいって決めつけて、身体を鍛えることを諦めた時の僕の顏』だ。やりたいことも、なりたいものも、諦めない。僕がコブラと会ってから決めたことだ。諦めた顔をしている貴方に、僕は気持ちで負けない」

 アステリオスの言葉にテミスは息を飲んだ。

――テミスはお父様のよう。私にお父様はいませんでしたが。

 あの言葉の時、なぜ『なら自分が父になろう』と、言えなかったのか。

 彼女が本当の子でないから? 自分が天使で、彼女が人間だから? 彼女がそれを望んだわけではないから? さまざまな理由がよぎるが、彼はリブラが試練で全てを捨てた時、それらの理由も、感情も捨て去ろうとした。完全には捨てる事は出来なかった。

「貴様に! 何がわかる!」

 脳に過ぎった幼いリブラの表情と、今の自分の状況、アステリオスの嘲笑う顏全てに怒りが募り、彼のその顔を粉砕しようと彼の顏めがけて大振りに拳を振るう。

 その時だった。視界からアステリオスの姿が消えた。アステリオスはテミスの懐に入り、彼の服の袖を握っていた。

 タウラス民国で、ヤマトがミノタウロスであったアステリオスに見せた技だ。小柄で力が小さい相手でも、相手の振りぬく力を利用して、一気に投げる技だ

 アステリオスとテミスの身長差は圧倒的であった。だからこそ、テミスはアステリオスを殴るために前のめりになっていて、アステリオスは弱っている小さな力でも、テミスが体勢を崩すには十分だった。身体を半回転させて、自身の腰と、テミスの腹をぴったりつけて掴んでいる袖と腕を思いっきり前に振り下ろす。

「どっせぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!」

 力を込めて吼える。アステリオスの力にテミスの力が加わり、テミスは抵抗できずに中に浮き、そのまま背中を思いっきり地面に叩きつけられた。

 あまりに一瞬のことにテミスは気が動転して、目を見開いたまま、唖然としていた。

 アステリオスはすぐさま懐から何かを取り出して、テミスの手首を抑えるようにそれを地面に突き刺した。唖然としていた間に身体の至るところにそれを突きさされている。

「狩猟用の拘束具だけど、使わせてもらうね」

 拘束されている部位のせいなのか、うまく力が入らず、引き抜いて立つことが出来ない。

 その様子を見たアステリオスはホッとしたように息を漏らし、テミスの横でそのまま座り込んでしまった。

「負けなきゃ勝ちってことは、倒して勝ちでもいいよね。えへへ」

 アステリオスは無邪気そうに笑った。その顏を見た後、テミスは呆然と空を見上げた。

 自分はリブラのことばかり見ていて、空をゆっくり見たのは久々な気がした。

「アステリオス。流石はあのタウラスの男と言うことか。力が正義であるなら、お前は今間違いなく、正義のヒーローだろうよ」

 テミスは憑き物が落ちたような表情でゆっくりと深呼吸をして目を閉じた――。

 もし、自分がリブラに対して何か一つでも望みを言えば、それは叶ったのだろうかとそんな夢想をしながら。


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