第7章 ライブラ王国と天秤の上の少年少女 22話
――アストラ様、行ってしまわれるのですね。
――えぇ、バランス。今までありがとう。
天使は神子とこの国の者を支える存在。バランスはそう考えた。彼はこの国を愛してしまった。そして、神であったアストラを愛してしまった。
アストラは天へあがることを選んだ。天にあがる先は分からない。行ったものがこちらに戻ってくることはないのだから。バランスはアストラにこの土地を導いてくれと言われ、この地に残ることを選んだ。
そこで生まれたのは苦しい孤独であった。1000年を超える孤独にバランスは蝕まれた。それでも人々の一生を見届けることはとても有意義で素晴らしきことであった。
しかし、バランスにはアストラの最後を看取ることは出来ない。それは別れよりも辛いものであった。
「だから、関わりすぎないほうが良いと――」
バランスは上空からロロンとマアトの闘いを見守っていた。
「ねぇ、バランス。気は済んだ? あたしコブラたちと合流したいんだけど」
「おや、これはキヨ様あの咄嗟でよく私に捕まれましたね」
バランスの背にキヨがしがみついていた。
バランスは彼女たちの会話を聞き入るのに集中していてキヨの存在をすっかり忘れていた。
「では、追いますか」
翼をはためかせ、コブラが向かった方向に向けてバランスは飛んだ。
「ねぇ! バランス!」
「なんでしょう」
「色々聞きたいんだけどぉ」
「よろしいですよ」
「リブラが神にあがると貴方たちはどうなるの?」
「……我々はこの国を導くために存在、終われば天界へ戻ります」
「けれど、貴方はこの地に残ったのよね?」
「えぇ、それがアストラ様の望みだったので」
「寂しくなかった?」
「…………」
キヨの言葉にバランスは閉口した。
「どうしてそのように?」
「私が貴方だったら絶対に寂しいと思って、もう一つ。天界では神と一緒なの?」
「わかりません。一度地上に降りた天使が天界に戻るとどうなるか」
「それは、二度目に地上に降りたものがいないから?」
キヨが問いかけると、バランスはコクリと頷く。
「じゃあ、あの他の天使たちは、リブラと離れ離れになるかもしれないの?」
「おそらくは」
「なのに、みんな彼女が神になることを認めるの?」
「それが我々天使の役割ですから」
バランスの言葉にキヨは少し不機嫌そうに唇を尖らせた。
「なんか、モヤっとする。貴方たちは」
「ハハハ、そうでしょうか?」
「どうして、貴方は最初の試練の時にいなかったの? あのマアトさんってのもだけど」
バランスは少し悩んだが、彼女になら話しても良いかと考えた。
「キヨさんにはお教えしましょう。私がアストラ様と別れてから、孤独が長かったのです。一人でこの町の人達と過ごしてまいりました。そんな時、天界から天使が三人やってきました。テミス・シャマシュ・マアトですね。しかし、彼らは神子が神に上がる時にいなくなる。そう思うと、寂しくてですね。あまり関わらないようにしているんですよ。お恥ずかしい」
「そう。ちょっとわかるかも」
バランスの告白に、キヨは頷いた。
「マアトは途中から気づいたのでしょうね。リブラ様が神になると決意した日から彼女と距離を置くようになりました。逆にテミスは使命感に駆られるように、リブラ様にべったり。スタンスを変えなかったシャマシュも、なぜか人を依代にすることを選びました」
「みんな、リブラさんに神になってほしくないってこと?」
「それはわかりません。ですが、彼女は特別でした。キヨ様、一つ質問です。コブラ様は、あの左目はいつから?」
「この国に来る直前くらい?」
「そうでしょうね? 実際にはそうなのです。神子は突然目覚めるのです。だから関わることが短い。出会って、神子の修行をして、そして神に上がる。しかし、リブラ様は幼い頃からこの国にやってきた。天使たちとも十年の付き合いです。情が湧いてしまったのでしょうね。けれど――」
「けれど?」
「リブラ様は神の試練の中で、我々との別れを見せつけられても、表情一つ崩さなかった。彼女の中で神になるという覚悟はとても大きなものでした。我々天使は使命感が揺らいでいたことを恥じた。それが彼ら三人の行動なのでしょう。故に、我々はリブラ様が神になるというならば、それを全力で支える。それが本来の天使の役割なのです」
キヨはその話を聞いて物凄く胸の中にあるモヤモヤが引っかかった。イラついた彼女はバランスの翼をぐっと掴む。
「き、キヨ様? ちょ、ちょっと」
いつも落ち着いた表情をしているバランスもキヨの突然の奇行に珍しく戸惑った。
翼を掴まれて上手く飛べないバランスはそれでもキヨと自分が怪我をしないようにゆっくりと調整しながら地面に落下していく。
「な、何をなさるのですか?」
「貴方のその澄ました態度がなんか気にくわなかった」
地面に降りたキヨはバランスをじっと見上げて睨みつけた。そう言われても困るバランスはヘラヘラと笑ってその場をやり過ごそうとした。キヨはそんなバランスの腹をぐっとつねる。
「いった!」
「バランス。貴方はアストラ様の時もそうして澄ました顔で彼女の言う通りにしたのですか?」
キヨが丁寧な口調で怒声を浴びせるので、バランスは戸惑った。しかし、彼女の目は真剣で、彼女赤い髪と美しい表情に目を奪われた。
「答えなさい」
「え、えぇ。それが天使の使命ですから」
キヨは眉を細める。バランスから天使たちの話を聞いている間彼女はずっとそのように苛立ちを覚えていた。
「バランス。貴方がどうしたいかを話して、どうしたかじゃなくて」
キヨの真剣な眼差しにバランスはどう答えようか悩んだが、彼女の目が自然とこちらの言葉を出させる。
「わ、私は、リブラ様の最後を見届けたいと、考えました。美しく育つ彼女の一生を、それを見守れるのは、人間よりも長い生を持つ、天使の特権です。それは、貴方に対しても」
バランスは必死に言葉をつむいだ。最後の言葉を聞いたキヨは、バランスはなぜ、自分を気に入って関わってきたのか納得した。
この男もまた、コブラと同じように、キヨをリブラの代わりにしょうとしたのだ。
そのことにキヨは大した苛立ちはない。
キヨは自分の腕輪をそっと撫でる。姫としての自分を全うしたジェミ共和国女王キヨ=ジェミニクスが付けていたものだ。
「バランス。ならば、やはりあなたはリブラ様が神となるのを止めなければなりません」
「ですが……」
「貴方たちを見ていると、使命とかに駆られていた自分を見ているようで放っておけないのよ。リブラも、昔の自分みたい」
キヨはコブラとヤマトに罠を仕掛けられて捕まった日、つまり、キヨがコブラたちの仲間になった日、あの日コブラに自分が救われたのだ。王族である使命ばかりに囚われて自身をかなぐり捨てようとしていた自分から解放してくれたのだ。そしてキヨ=ジェミニクスとの出会いが、キヨを女王としての使命。自分で自分に使命を課して生きていくこと学んだ。
故に、彼ら天使の言葉に怒りを覚える。彼らは、そしてリブラ自身も、本当に自分がそうしたいと言う意思よりも先に、使命と言う価値観がある。それがキヨには許せなかった。
「バランス。行くわよ。コブラよりもやっぱり、リブラさんを探さなきゃ。道案内お願い出来る」
彼女の神々しさにバランスは微笑み、膝をついて忠誠を見せる。
「畏まりました。ご案内いたしましょう」
バランスはリブラの場所であれば心当たりがある。キヨを案内するように歩いた。
「キヨ様」
「何? バランス」
「一つ尋ねてよろしいでしょうか?」
バランスの問いかけに思い当たることがないキヨは首を傾げた。
「先ほど、コブラ様に問いかけていた質問。コブラ様の答えが微妙に違う。と仰っていましたね、貴方が望んでいた答えは何なのでしょうか?」
バランスの答えにキヨはあぁーと納得したように声を漏らす。
キヨは自分が試練を受けた時、幼いリブラとして、コブラの表情を見つめていた時のことを思い出す。あの時のコブラの表情は、いつもキヨを見ているコブラの表情とは少し違った。その違いの理由をキヨははっきりとわかっている。
「コブラはね、きっと、リブラのことが好きなの――」
そう答えていたキヨの表情は少し寂しそうに見えた。
コブラとアステリオスは駆けている。
「コブラ、大きな建物があるよ。あそこじゃないかなぁ?」
アステリオスが指さした先に大きな建物があった。辺りは庭園であるというのにその建物だけがそびえ立っているのは異様な神々しさがあった。
「あれだな。行くぞアステリオス」
建物に向かって駆けていくアステリオスとコブラ。もうすぐで建物に辿りつくだろうといったところで、突然上空から大きなものが降ってきた。
コブラとアステリオスはその衝撃に驚き、舞い上がった土煙が入らないように目を閉じる。
コブラたちが目を開くと建物の前に、大男が立っていた。
「貴様らをここから通すわけには行かない」
大男は天使テミスであった。彼は仏頂面でコブラとアステリオスを見下ろしてた。
「力づくでも通ると言えば?」
「力づくで防いでみせよう」
テミスはその筋骨隆々とした腕を回し、戦闘体勢に入る。テミスの戦闘態勢を見て、コブラは思わず笑ってしまった。
「いいねぇ、野蛮で。アステリオス。手伝え」
「うん。任せて」
『神々の庭園』の中央にそびえ立つ塔。それこそが、リブラが神へとあがるための祭壇であった。アステリオスは両腕に籠手をはめて、戦闘態勢に入る。
コブラはその直後にテミスに飛びかかった。
「貴様ら如きに! リブラ様の使命の邪魔をさせん!」
テミスはこちらに向かってくるコブラに対して乱暴に拳を振り下ろした。




